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カテゴリ:信仰者の歩み( 39 )

幸いな人


どういうわけか、このところかつて出逢った人、特にもう亡くなっているお年寄り達の顔が次々と浮かんでくる時がある。それがまぁ、どういうわけかみな満面笑顔で、あぁこの人たちは本当に幸せな一生を送ったんだなぁーと思わざるを得ない顔、顔なのだ。

人は誰でも己の幸せを願って生きているであろう。また妻や子供、友達が居ればその不幸を心から望む人はおるまい。

昨日は息子との新約聖書のローマ書を本格的な眠気が来るまで読み合った。誰に教えられたのでもない純粋な信仰を持つ奴でも、聖書読解のひだ、引き出しの多さは25年選手の私の方が先んじるところがあるだろう。その中で、7章の『人は、願うことを行わないで却って願わないことをしてしまう惨めなものなのだ』という救いを必要とする切実な姿と、そこからキリストにあって一気に転換していくところの8章、そこから解き放たれてあらゆることが実現可能になって行く世界のことを再確認した。そのところでやはり、あの幸せな生涯を終えていった顔、顔がふわりと浮かんでくるのだ、、、。

翻って自分の人生を見つめてみようか。これまでも何度も書いているように、特に震災以降はもう一度終わった人生だという認識上、いつ何時自分の人生の終わりが来てもおかしくないように、悔いのないようにと生きてきたつもりなのだけれども、今ここで今日死んだとしたら残された人たちは僕の葬式に来てくれるとしたら何を思い、語ってくれるだろうかと思う、、。

きっと現状であっても『アイツは幸せな奴だったなぁー』と言ってもらえるのではないだろうか、、。近いところで接してくれた人達はきっとそう言ってくれるだろうな。妻の愛理ちゃんは大変だっただろうけど、旦那はホント好きなことをやりまくって死んでったよな。でも、ちと40代は早すぎたよな、、と。きっとうちの子供たちも同じことを言ってくれるだろうし、いまダブルベッドの隣で寝ている長男もいつもどおりニコニコして笑ってくれるだろうて。そんな絵が見える。

そう、既にこの時点に於いてもこの世を幸福に生きた僕の顔はきっと生前交わらせてもらった方々の記憶も中に刻まれることになるだろうな、、と思うのだ。安心して欲しいんですけれども、現在致命的な病を抱えていて直ぐ先が見えているとかいうことでは無いですよ。むしろ、僕の致命的な病は完全に力を失っているんです。これまでもよく見知っている事とはいえ、力の源ダイレクトに接続されたことで止めどないものが次々と溢れてきて止めることができないんです。それによって違うゴールが明確に見えて来ている。そこに真っ直ぐに駆け込もうとしているところなんです。

隣に寝ている長男も日々嬉しくて嬉しくてたまらないようで、今寝ていてもウフフうふふと大笑いしながら夢を見ている。あまりに楽しそうなので、隣にいる私も笑うしかない。いちおう親として手渡すべきものは全て手渡した。大事な魂を預かる一役を成し遂げたぁぁああああーーー!! という感じなんです。

そうするとね。ここまでの長いようで一瞬だった結婚20年の恵みの一つ一つを数え上げながら、残りの人生の集約点へのことを思わせられるんです。ここで終わってもいいけれども、まだ終われないな、きっと、、、とね。

時代は混迷を極めると共に加速度を増していく。もう時計を逆戻しすることは出来ないだろう。だとすれば、むしろ終着点までの速度を加速させるのみ、、。崩れるものは崩れ、残るものは残る。このことによって、一体何が真実なもの、確かなものであるのかが人々の前に明らかにされる。今はそういう時代なのだ。もう広告と宣伝費によるカモフラージュの時代は終わった。人々は『確かなもの』を求めるからだ。それに出会い、人生を全うした人は『幸せな人』と呼ばれることになるだろう。私もその末席として連なりたいのです。

(僕の隣に写っている人も幸せな人の一人です。こうやって見ると母親かい? ってぐらいどこかが似ていますね。偶然といえば偶然なのですが、僕の人生には時にこういった人達との出会いが次々連鎖するんです。)
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by dynabooksx | 2019-01-13 06:53 | 信仰者の歩み

おバカな旅、

なんか面白い。おもしろいとしか言いようがないのだけれども、ふと自分の様子やその周辺様子をふり返ると笑えてくる。

というのもこの週末、久しぶりにちょっと遠くへ出かけるということで、長男を連れて岡山まで行ってくるつもりで現在彼を拾うための愛知県なのだけれども、3泊ぐらいで出掛けるつもりなのにほとんど準備だとかをするつもりにならないんだ。脳出血で頭にダメージを受けてから、その手のことがやたら鈍くなったというのもあるのだけれども、フツウ先々を心配したりして、あれこれと必要になりそうなものを考えるのだけれども、その心配自体をイメージすることを消失しているので、準備する気持ちにすらならないという感じなのだろうて、、。

それでまぁ実際長男と顔を合わせるところまで来ると、やつは私に輪をかけてそうなので、お互い考えてることがわかって無言で顔を見合わせて笑うしかないのだ。実際出かけてみてもよくよく考えて見ると忘れてきたもの多数なのだが、それでやっちまったぁーという気持ちにならず、まぁなんとかなるっしょと思うだけなのだ。

新約聖書にこんな記述がある。イエスが各地に弟子達を送り出す際にこんな助言をするんだ。

『下着の替えを用意すんなよ!』と、、。

これは何を意味するのでしょうか。彼らは神の国の訪れを伝えにあちらこちらに派遣されて行ったのです。神の国とは神の支配のなされる国。つまり神によって完全に必要がまかなわれる国のことです。だからそこでは神に信頼さえしていればあらゆる物事が準備され、スムーズに進んでいく。だから自分であれこれ、ああしなくっちゃこうしなくっちゃと思いなさんなよ!!と言ってるわけなんです。

面白いですね。昨日の夜は地区の役員会があって、それが終わり次第出発して来たので、長男と合流したのが日をまたいでしまったのですが、眠いのを我慢して運転してやっと寝たあと、いつもの3時半のアラームが鳴って、今日はそんなに早く起きんでもいいとアラームの設定を変えようとしてもどうにもその設定にもたどり着けない、、。なんかまた馬鹿らしくなって笑けてきたところでまたこの記事を書き始めたというわけです。

ほんと馬鹿なやつだなぁって思うでしょう? 自分でもそう思います。でもとっても幸せなんです。これをなんて表現したらいいのかわからなくて笑うしかない。そんな気持ちなんです。今回の息子との小旅行もそんなことばっかなんだろうな、、。行く前にわかるよ。ほんと!
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by dynabooksx | 2019-01-12 05:27 | 信仰者の歩み

新しい朝に

新しい朝ごとに聖書を読んでみる。そうすると不思議なことにその書かれていることの意と同じ内容のことが、腹の中から湧き上がってくるような感覚になる。同じものが最初から内側にあって、読むことで呼応して顕在化するんだ。

何を今更そんなことを、、と言われるかもしれないが、最初にこれを体験したのは17歳の春のことだった。受験が迫っていて自らのアイデンティティーに悩んでいた時、どういうわけか手持ちの口語訳聖書が読みたくなって開いてみたところ、それが勝手に圧倒的に流れ込んできたのだった。当時、それは自分でもなんのことかわからず、ただただ出会うべき相手と手会うべくして会ったという感動で止まらない涙で分厚い本がグネグネに波打つ程になってしまったのだけれども、こんな事は他人には理解不能なことだろうと家族の誰にも打ち明けることすらしなかった。

今でもその時の感動は全く色褪せてはいない。それどころか繰り返しくりかえし甦って来て最初のところに呼び寄せるんだ。よくよく考えてみると僕の人生は最初からこうなる様にと定められていたという気がするんだ。そう考えるとこれまであった様々なことの筋道が通るし、強力な磁場のようなものがいつも周辺にあってそれによってあるべき所へいつもいつも誘導されていたように思うんだ。

もう僕の地上での人生は、最期のまとめの所に来ている。準備期間が完全に終わったと思えるからだ。だからあとは真っ直ぐにするべき事をするのみ。行くべきところを行くだけなんだ。最短距離で駆け抜けるつもりだよ。終着点が明らかに見えた以上もうまわり道する必要はないから。


なんて清々しい朝なんだ。これまで、震災後は特に長生きなんかしたきゃないとそう思っていたけれども、こうやって生きている一日一日がどうにも愛おしくて、、。まだもう少し時間を下さいと強く願うんだ。あと一日、もう一日あれば為すべきことを為しますから、、、と。切ないけれども、こんな幸せな思いに日々包まれて暮らすなんてね。

いつ死んでもいいと思って日々を暮らして来たつもりだったけれども、一日でも長く時が欲しい。時の長さと人生の密度が比例するわけではないんだけどね。
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by dynabooksx | 2019-01-09 06:45 | 信仰者の歩み

酒に酔うよりは、、、

昨日はまぁー薪造りの作業をしたあと、食べて飲んで歌ってと、、、あんな風にワイワイやるのってありそうで無かったのかなぁー。毎日わいわいしてるだろうと突っ込まれそうですが、、、。

んでもね。どうしても同時にあの人、この人は今頃どうしてるだろうかと頭をよぎっちゃうのよ。一人で膝を抱えてるんじゃあないかな? とかね。だから、どこかで陽気になり切れない自分も居るんだ。

先日の仏教講座で、何不自由なく育ったお釈迦様が少年時代に城の周りの不幸な人たちを見てそれまで闊達だった彼がどんどん暗くなって行ったという話を聞いたからだろうか、、。

僕がお酒を飲むのをあまり好きになれないのは、いつもそういったことが頭から離れないし離したくはないという思いからなのかな、、。何か大事なことを忘れているような格好がするんだな。それが誰かにとって大事なことならばいかようにでもするんだけれども、、。隣で泣いてる人がいたら自分だけワハハとはやっておれんでしょう?

今日は何があるかな、、
by dynabooksx | 2018-12-28 06:44 | 信仰者の歩み

さぁて、着々と足場が固まってきたぞぉ〜。なんて言うのかな。イメージも現実もどちらも先行し過ぎないでいい感じに折り合いながら進んで行ってる感じだ。
こんなに気持ちよく意識が上手くコントロールされて能力を出し入れできる事もよくよく考えてみるとなかなか無かったことなのかもしれないな。やはり時が満ちたと言う他あるまいて、、。

ここに来ると去年脳出血で大きなダメージを受けたということの意味もよく分かってくる。あれはリミッターなんだな。一気に振り切れたところまで回路を使い切らないようにと、微妙なところで抑えこんでもらっているのがよく分かる。だから上手くリフレッシュして疲れ切ることがないんですね。これも以前は無かった感覚だと思います。単なる努力とは全く違う領域のこと、、。求めていたのはこれだったんだわな。一日一日が待ち遠しくて毎朝2時頃に起きちゃうんだわ、、
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by dynabooksx | 2018-12-21 04:48 | 信仰者の歩み

今年も終わりですね。

いよいよ年の瀬迫ってきました。先日は南アルプス村道の駅長谷でのイルミネーション点火の際、地元の中学生がXmasの賛美歌を数曲歌ってくれたのですが、こういう場所で聴くそれが妙に心に響いてジーンと来た。

今年は色々な意味で区切りの年になっていると思う。両親はこれで結婚50年だったし、自分達もこれでちょうど20年だ。それだけじゃあない。イエス・キリストに心惹かれるようになって25年だ。いつも節目節目で大きく出る人生のあり方を切り替えてきた。

特に大きかったのは大学受験を控えていた17の時。この頃は自己の存在意義に強い葛藤を憶えていてもがいている最中に突如、全くそれまでとは違った世界に引き込まれたのを今でもよく覚えている。
どういう訳かその時おもむろに開いた聖書の世界に呼び込まれてしまったのだ。誰が何を教えてくれることもなかったのだけれども、どれも自分の事を書いてあるというようにしか読めずに貪り食うように受験勉強そっちのけでベッドの上で読み耽った。
今も福島の自宅の倉庫には涙で波打ってヨレヨレになった口語訳聖書がどこかに眠っているはずだ。

この調子で一つひとつ挙げていくと膨大な文章になりそうなので止めておくけれどもちょうど今から8年前、震災の直前のクリスマス前夜にもそれまでの自分の理解や認識をひっくり返すような出来事が起きた。極めて個人的な体験だったのだけれどもそれがそれまでの自分の生き方、力の使い方を完全に逆転させた。自己の研鑽や努力では到達し得ない領域のことだった。むしろ真逆の世界観。それが降った日だった。

恐らく後で振り返った時のこの時期も、きっと同じ節目であったと感じるようになる場面なのだろうと思います。この与えられている自由をいかに使うべきか。そういう節目なんですね。
by dynabooksx | 2018-12-19 21:49 | 信仰者の歩み

『北風と太陽』


イソップ寓話で有名な物語なのだけれども、昨日ふと意識の中に飛び込んで来た。

このお話し、北風と太陽が旅人の服を脱がせようと競い合う物語りなのだけれども、そもそも何故? 服を脱がせようとするのかという事は語られてはいない。推して知れということなのだろうけれども、どうやって服を脱がせるのかという事よりも、そもそも服を脱がせるということとは何か! というテーマの方が本来重要であるはずだ。

この事についてさっと調べてみたらなかなか見つかりませんでしたがやはりありました。

  〜〜〜

この「服」は人が無意識に固着している、
「メンタルブロック」の象徴だと。

  〜〜〜

メンタルブロック、、初めて聞いた表現ですが中々いいですね。要するに自己防衛本能というか自分を最優先にしたいという自己愛のことです。誰でも不安や孤独があり、自分が可愛いですからね。普通それが無かったら、このしがない世の中で生き抜いて行く事などとても出来そうもない、、。そう考えるのが普通だと思うでしょう。

しかしこの寓話のテーマがそれを脱ぐ、、ことになっているのだとすると何が見えてくるのか、、、。

よくよく考えてみるとこの自己愛というのが厄介なもので、本来自分の身を外部から守るために纏った壁であったはずなのですが、その仕切りのお陰で過敏な精神がひと息つけるだろうかと思いきや、いざそこに直面してみると誰の声も届かないような圧倒的な孤独があったり、自らそこを抜け出て助けを呼ぶ事も出来ないような罠も仕掛けられていたりする。いくら壁を設けてもそれを乗り越えて来られるかもしれないという恐怖がさらなる不安を呼ぶんですね。

自分を守るはずのそれが実際には機能しないどころか、自らの身を焼いていく、、。そういう現実を知るんです。国と国が互いに疑心暗鬼になって武装防衛し始め、緊張が高まったある瞬間の火種で一気に、、、となり潰し合うのと同じです。

旧約聖書に依るならば、創造主が最初に形造った人類は裸であり、それを恥ずかしいと思わなかったとあります。そしてその様子を見てそれを良しとされた、と、、、。

彼らは自分の身を守らねばならないという意識自体を持ってはいなかったんです。全くの無防備。そしてそれが最初に創られた本来の姿だったと聖書見ているわけですね。そういう前提が当たり前にあってのこの寓話なのですが、そんな事に普通の日本人は意識が行きませんかね。

これ以上話を続けることは止めておきましょう。北風も太陽もどちらも旅人の服を脱がせたかったということなんです。僕はどちら役もやりますけどね。目的の為ならどんな常識外れのことでも、、、。
by dynabooksx | 2018-12-17 06:08 | 信仰者の歩み

重荷を負うこと

このところ大量の文章を書き出していますがFBのみだと目に触れることが少ないと思いましたので、ずっと更新を控えていたこちらにもコピーを載せ手行くことにします。


この年になって今更といえばいまさらのような気もするのだけれども、気持ちの入れよう次第で取り組む物事の結果がこれ程違うのかということに驚かされている。

同じ物事に同じ角度から当たっているつもりで居るのだけれども、ほんのちょっとの加速度というか突っ込んで突き刺さる深さというのか、その具合いによって結果へと到達するスピードが全く違ってくるということを受けとっている。もしかしたら結果自体も違っているのかもしれない。

この違いは腹を決めて覚悟するかしないかの違いであって、自分のできそうな範囲でやるかやらないかを決めるのではなくて、捨て身の覚悟で突っ込むかどうかの違いなんだ。よくよく考えてみると、この両者の姿勢には天と地ほどのエネルギーというかいざという時の突破力の差があるので、結果が違って来て当然なのだ。

世間的には、皆で協力して助け合ってとか、win-winな関係で、、とか言うのが普通だろうが、実際に機能不全を起こして詰まってしまった物事に、一点風穴を開けて突破していくにはそのような角度で突き抜ける馬鹿がどうしても必要になるんだ。誰かがそれをやってくれればそれで済むのだろうけれども、誰もしないのなら馬鹿役は自分向きだなと思ったわけなんですね。

いざやって観て不思議なのは、最初周りの目や評価を完全に無視して自分の信じた所を行くのですが、いざ進んで見ると途中で荷が一気に軽くなってくるというか、強力な助け手が次々と現れてその人たちに連鎖して事が進んで行くので、自分がやっていたはずなのにあっという間に自分の手を離れて物事が進んで行くんです。有り難いですね。一旦覚悟しているとはいえ、どこまでも一人で引っ張っていくのでは、どこかで力尽きて萎えてしまいますからね。

こういうものってそこに臨んでいる当人かその直ぐ側にいる人しか空気感が分からない事ではあるのですが、事業や何らかの活動を起こしていくことを志す人にはこの感覚を味わってほしいんですよね。というか何かを立ち上げるということをして来た人は皆味わっているはずなんですけどね。

要は取り組むべきと思うことのテーマというか行動原理になる動機の部分が揺るがないしっかりしたものであれば、自ずと結果へ到達するってことなんです。当たり前のことですけど、、。


〜聖書引用〜

重い束縛を受けて、疲れはてている人たちよ。さあ、わたしのところに来なさい。あなたがたを休ませてあげましょう。
わたしはやさしく、謙遜な者ですから、負いやすいわたしのくびきを、わたしといっしょに負って、わたしの教えを受けなさい。そうすれば、あなたがたのたましいは安らかになります。 わたしが与えるのは軽い荷だけだからです。」
マタイの福音書 11:28‭-‬30 JCB
https://bible.com/bible/83/mat.11.28-30.JCB

〜引用終わり〜

これを読んでピンと来た人が居たら驚きですね。実は長々と今回書き綴った物事は、この聖書の箇所に集約されているんです。よくキリスト教会等は最初の行のところで切り取って使ってしまうので、一体なんの事やらただの気休めのように思われてしまうのですが、本質はその続きなんです、、。

ここで『わたし』と言っているのはイエスのことなのですが、自分の重荷で苦しんでいる人にその荷を一旦おろして、試しに俺の荷を一緒に負ってみないかと誘うわけなんですね。それが『くびき』ということで家畜が労働する時に首に嵌めて作業させるものです。複数の場合は横並びに繋いで労働力を発生させますからね。

要するにイエスのやり方で荷を負ってみる。そうすると、一見膨大に見えたその荷物は、実は軽やかに引いていけるということが分かるよ! ということ。それに実際にくびきというものは外から見れば、横一線に動いているように見えますが、実際の力の掛かり方は自力がある者にかかることになっているんです。だから最初自分も気負って繋がれますけれども、最も力を持っている方に実際の負荷はかかってしまうんです。

それが心苦しくて、私にも少しだけ負わせてくれって気になるんですけどね。そしてその想いが連鎖していく、、。

by dynabooksx | 2018-12-16 03:35 | 信仰者の歩み

よくよく思い返してみると、あの震災以降、落ち着いて会社のことを書いたことが一回もない。私の日常の非常に多くの部分を占めていた社員達との生活。それがあの日、一瞬にしてバラバラになり、消し飛んだ。震災直後、海岸線に住んでいる祖父と助けて戻った後、町の記録を撮るためにすぐまた出かけて言ったため、渋滞の中帰ってきた社員達には、その日、朝のミーティング以来、顔を会わせないまま別れ別れになることになった。

私が、実家の双葉町に帰ってから約10年、気が付くと引き継いだ会社は、いつの間にか教会のようになってしまっていた。というのも、様々な過程があったわけだが、私はクリスチャンとして困っている人を助けたいという思いは最初から持っていて、気が付くと様々な問題を抱えている者ばかり雇ってしまっていた。それで何とかしてそれぞれの生活を立て直したいと思うわけだが、問題が重ければ重いほど、つぼにはまっていてとても動けそうにないものばかりだ。それを見て、事務の手伝いに来てくれていた叔母さんは、『この会社はどうしてこんなに問題ばかり抱えている人ばかりなの??』と思わず口にしたほどだった。

世の中一歩踏み込んでみると、考えられないような不幸や不運に見舞われて身動きが出来なくなっている人がたくさんいる。ああ、それは仕方がないよぉというやつや、どうしてそこで、またそうしてしまうのかなぁ、という残念なものまで様々だ。しかし、人間どんな状況に置かれたとしても、そこで生きているのはその人自身だ。その人がそこでどのようにその問題を捉え、どのように解決していこうとするかを決断することで、変えていけるものなのだ。しかし、問題が問題として残り続けるということは、様々な制約のなかで閉じ込められているからこそ身動きができないのだ。

それには、どうしてもその人自身が変わる必要がある。その生き方でこだわろうとする限りは、常に同じ問題にぶつかり続けるからだ。力でそれを乗り越えられるのなら、とっくに解決しているであろう。出来ないから悩むのだ。であれば、生き方の方向を変えるしかあるまい。だが、自力でそんなことを器用に出来るほど人間は便利には出来ていないのだ。

だから、どうしたら根本的な解決をもたらすことが出来るだろうと考えていたところ、やはり私の短い人生の中で見当たるのは聖書しかないという結論に達したのだ。昨年の12月の終わりに、復活のイエスに出会うという大きな変化をもたらす体験をしていた私は、示されてくることを次々と実行していった。

まず、新年の仕事始めに於いてこのような話をした。

わが社の業務はサービス業である。サービス業に置いては顧客とのコミュニケーションが大変重要になる。顧客が何を考え、何を提供できるかを素早く掴むことが、質の高いサービスをもたらすことになるからだ。人との会話とは、通常少ない言葉のやり取りなのだが、その内容から、前後を予測したり、行間を読むことで相手を立体化させる。その能力が高ければ、仕事はぐっとし易くなる。そのための訓練をこれからしたいのだけれども、その教材として、何を使ってもよいのだが、私は『聖書』と用いたいのだ。聖書には聖書の書き手がある。書き手が何を伝えようとしているかを、考察し、予測することで、いい訓練になるはずだと、、、。

ちょうど知り合いから、聖句日めくりカレンダーを頂いていたので、それを使うことにした。毎日めくるその言葉は大変短く、それだけで判断するのは難しく、また危険なので、社員全員に聖書を配布した。

やり方は、まず一人が読み上げて、その内容について全員に意見させる。気づいたことでも、疑問に思った子とでも良い。具にもつかないことを言うと、何を言いたいんだ? と私に突っ込まれるので、社員は出社すると、すぐに聖書箇所を調べて必死に前後を読み込む。一人が疑問を提起すると、大抵そこに自分の考えを重ねてくる人物がいる。それは、いつもの仕事のチームワークもそうで、立案したりフォローしたりするのは大体タイプが決まっているからだ。そうして、勝手にやり取りが始まって、落ちついた頃に私がまとめて短くメッセージするのだ。

その繰り返しなのだが、通常キリスト教会であれば週一回の集まりであるが、会社の場合は5~6回だ。しかも活動を共にする共同体がある。不思議と、毎日の箇所が連動していき、一気にその議論の内容も深まって行く、この前やったあれとあれは同じことを言っているんじゃないのかとか、あそこでのこの語句と、ここでの使い方は違うようだとか、自ら発見をしていくのだ。

私は彼らと毎日行う、そのミーティングという名の礼拝が、一日に一番楽しみな時間だった。そこで何が出てくるのか予想がつかないからなのだ。そして彼らの内に真理が明らかになり、人格が造り替えられるため、それまで解決不能だと思われていた問題が、いつの間にか霧のように消えて行くのを見るときに、最も喜びを得るのは他でもない私であっただろう。


これは3月2日。何が出てくるのか分からない~肉からの自由~


震災によって、彼らと引き離された時、私にとって彼らが家族同然の位置を占めていたことをよくよく思い知らされた。わが社では、終末論的なことは、朝の挨拶のような感覚でいつも話し合われていたことだったので、社員達は、やはりその時が来たという感じで、あまり堪えていないのかもしれない。一番効いたのは私だったのかもしれない。だた、もう時間がないと切に迫られる中で、やれるだけのことは即やってきたという自負もあり、後悔はない。運良く生き残ってしまったので、後の残された人生を、与えられた目的のために使い燃焼させるだけだ。

社員には、よくこう話してものだ。『日常とは、何気ない毎日の単調な繰り返しのように見えるが、よく見てみると大きな変化がたくさんある。そして、本当に物事が動く時には凄まじい速度で動いて行く。だから毎日を一日一日大事に生きるんだぞ』と、、、、。

自分で話していながら、実際まさにその通りである。私自身も自分で語ってた内容が、何を指し示すものであるのかを明確に意識しないで話していて、時間が経ってビックリするということも多々あった。そのための記録としてこのブログは大いに役にたった。私個人としてのメモではなく、その時多くの人にそれを共有することが出来たからである。


今も社員の数人は私のブログをきっと見続けていてくれるだろう。いま私は、ここ東海に来てまた不思議な体験をしている。福島にいては、出会うことがなかったような人材とよく絡む。ああ、日本といえど広いんだなぁと感じ入る。単に場所が違うだけではなく、私がアクセスする場所とか感度とかも違ってきているからなのだろう。たった半年だが、もうかなり離れがたくなってきてしまっている。目標は、上から与えられている仕事をきっちりこなして、引退することだ。的を完全に捉えつつ、全力で走り抜けたいものだ。社員のみんなの上にも、私の上にあるものと同じ祝福が、いつも行く所を追いかけると信じる。そして許されるのであれば、また共に暮らそう。まず私が道を切り開くから、、、。悲嘆にくれている時間はない。引き続いて時が迫っている。これからはチャンスは一度だと思ったほうがいい。

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西浦海岸の夕日。こっちで知り合った家族とうちとでサイクリング。

by dynabooksx | 2011-11-15 00:02 | 信仰者の歩み

ダイヤの原石を探して

最近人に会う機会が特に多くなった。だいたいは、普通数年かけて知り合うところを数日で達成するような密度でだ。時間がないという思いがそうさせるのか、私の集中力を高めてくる。

先日もダイヤの原石のような人に会った。これまたなんとこの世知辛い世の中で、よくもここまで生き残ってきたなぁという方だ。同時にその人に対する神の強い愛を感じた。

灯台下暗しとはこのことだ。見えているようでなんと見えていないものかと自分を恥じた。感度は全方向に対して開いておかないと、決定的なチャンスを逃してしまうということが多々ある。若造とはいえ、ここまで来るのに34年も経ってしまった。神の忍耐という他ない。

気が付かないだけで、一番必要としている宝はすぐ手の届く目の前にあるということがよくある。要は自分の目が濁っていないことだ。
by dynabooksx | 2011-09-29 06:15 | 信仰者の歩み

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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