真理の霊(いわきクリテで優勝した鈴木真理氏じゃないですよ)

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 朝3時過ぎに目が覚めてしまった。妻もそのようでどこか興奮した様子で、電気がついていた私の部屋に入ってきた。昨日、レース終盤で私が思いっきりアタックをかけていた頃、東京杉並に行っていた私の分身のような彼も強烈なアタックをしていた事だろう。きっと、歴史的な日になるよと2人で話していたが本当に良い時となったようで何よりだ。

 もう少ししたら朝の学びが始まる。今やっている前の課は聖霊についての所だった。私の母は正直な人で思ったことを何でも口にする人だ。半分は私もその性質を受けているので、彼女の内面の変化は手に取るように分かる。『聖霊の満たし』について深く考えたとき、彼女の内側に大きな動きというか揺さぶりがあったのを感じた。それまで漠然ともやを見るように感じていたそれをしっかりと自分の中に感じたのだろう。クリスチャンは『委ねなさい』と言われるが、それを道徳としてではなく具体的にどういう事なのかということが、聖霊の内住によってはっきりしたのだろう。
 彼らは、真也の学び(真也の行う学び会)と朝の会を呼ぶが、実際私は自分がやっているとは全く思っていない。私がしたいのは私の価値観を押しつける事ではなく、彼らの内に新しい発見が起こっていくようにする帰納的な学びなのだ。基本的に、私は聖霊のしようとすることの邪魔をしないことを心がけているのだ。今回は、霊的世界の解き明かしが一気に進んでいったように見えたので、私も嬉しくなった。

 『聖書を見てごらん。聖霊が働く箇所になにか共通の表現が頻出する。それが何か分かるかい?』

とこう質問する。一通り考える時間を経た後、『まま』(そのまま、そのとおりに)
という表現がたくさんあるでしょ? ほら、またあった。『御霊が導くまま』と、、、、。

 これが分かるようになると、信仰生活は一気に面白くなってくる。クリスチャンはすべてが自由だ。この霊に導かれる限りこの世の何の制約も受けない。もはや律法の縄目が私たちを縛ることは出来ない。むしろ『隣人をあなた自身のように愛しなさい』という律法(一清さん追加しましたよ)が集約する所を成就させるのが、他でもないこの『真理の霊』だからなのだ。

 救世軍をカテゴリー分けするとしたら、福音派というよりは聖霊派だというのが適切だと思う。救世軍は体質上、聖霊に拠らなければ何も出来ないようになっている。私はそれが救世軍の好きな所である。困ったことにこの聖霊君、どこから来てどこに吹いて行くのか分からない。お好みがあって自分の好む所に自由に吹き荒れる。救世軍は時代の必要もあり、小型ながらある時に強力にその風を受けて世と戦う戦艦であった。いささか旧式であって内燃機関を持たないので、風がなければ自らの存在意義を見いだせる戦場にすら行くことが出来ない。これは人の力ではどうしようもないことだ。動きがなければ人々はとまどい、嘆き、他の道を模索するだろうが、創られた目的が決まっている以上、他の方法は成功する事はないだろう。
 私は、そんな不自由に見えるこの船が実はお気に入りなのだ。今回、いくつもの事が重なって面白いことが起きた。今さら特に驚くような事ではないのかもしれないが、一つの見える形になったことは嬉しいことだった。帆を上げよ、風は吹き始めるぞ。

 
 あれ、当初書こうとしていたことと全く違ってしまいました。実はこの記事を紹介したかったのです。

Vol.265『私を証拠する真理の聖霊を送るからね』(15章26節)

 ああ、もう行かないと、、。
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by dynabooksx | 2009-10-05 05:28 | 信仰者の歩み

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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