2009年 08月 09日
宇都宮ブルベは止めておくことにしました。
自転車や荷物をすべて車に積み込んで、携帯も車に乗せておいた。でも、どういうわけか今日だけは目覚ましに使おうと思って、布団に入る前に車から取ってきた。普段は、まず寝床に携帯を置くことなんてないんですけどね。私、あんまり携帯持ち歩かない人ですし、、、。
聖書にも不思議といくつもの条件やタイミングが重なって事が進んでいく記事がある。後になってみれば、どうしてあの時にかぎってそうだったのだろうと不思議に思うこともある。今になって改めて思い起こしてみると、私はこの電話をずっと準備して待っていたかのようにさえ思える。ずっとこのところ眠くて朝もあまり早起き出来なかったのに、つい昨日から頭の中がスッキリしてきて夜の静かな中、御言葉で心が整えられていたのも幸いでした。
私は基本的に裏も表もありません。というより、使い分ける器用さがありません。(そんなことあんた出来ないでしょ? と妻に突っ込まれます)人に聞かれて困るような事は言わないし、言ったことはそれはそれとして聞かれても仕方がないことだという覚悟をもって話しているつもりだ。まぁ、人の話は伝わっていくうちに色々少しずつ違って伝わっていくのが普通ですけどね。人間関係は、がんじがらめになって修復不可能に見えることもあるけれども、自分自身にも相手にも本気で立ち向かって行けば、その時は大変な事になったと思っても、相手を思う気持ちがあれば大抵は修復できます。少なくとも私はそうやってここまで体当たりでやって来たつもりです。確かに多くの人を驚かせたり、傷つけたりしたことがあったでしょう。でも、それは自分にとっても同じ事。自分もまた傷ついて痛む事もある。でも、そこでびっくりしてしまったのでは、一人誰にも触れず孤独に生きてゆくほかない。
私は長男に『人に迷惑をかけたり、かけられたりする子どもになれ』と言っている。これだけ聞くととんでもない親だと思うだろうが、この人間関係が希薄になってきている世の中で、彼には『俺は他人に迷惑をかけていない』などと寂しい事を言う大人になってほしくないのだ。めいいっぱい体当たりで、人にぶつかり、またぶつかって来られるような人物であってほしい。まぁ、私がそう教育しなくても、彼は自然にそうなってくれるだろうが、、、。
人間関係は、相手があるものだが、多くの場合自分の性質が大きく作用している場合が多い。相手と自分の関係なのだから当たり前のことだ。相手の性質について気になることが、実は自分の傷が強く影響しているということもある。だから、相手のあり方が異常に気になる場合、自分の内面に過去の痛みがないかどうかを確かめてほしい。そしてもしそれがあるなら、それを認めてやさしく包んで受け入れてあげてほしい。きっとそこは当人も気づかず見過ごされて来てしまった癒しを待っている部分だから、、、。まぁ、そういった意味で私を利用してくれるのは大いに結構。使い方間違えると恐いかもしれないけどね、、、。(笑)
まぁ、一つ役目を終えたので、これでやっとゆっくり寝かせてもらえるでしょう。
ナデラマンさん、出発前の忙しいところお手数かけてすみませんでした。このようなわけで、今回はキャンセルといたしました。(どんなわけだ?) そろそろ出掛ける時間でしょうね。
by dynabooksx
| 2009-08-09 00:58
| 真也の雑記帳