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一夜明けて、生きることに思うこと

 習慣とは恐ろしいもので、朝4時を過ぎると目覚ましをかけているわけでもないのにいつの間にか目が覚めてしまう。昨日も今日も朝は、水田のためか海に近いためなのかいつもの懐かしい霧が立ちこめている。ちょっと耳を澄ませてみれば、4~5種類の鳥の鳴き声が聞こえる。目覚めているのは私ばかりではない。私はこの生き物の声がたくさんする中の静寂が好きだ。

 昨日は、先日なくなった従兄のお葬式だった。一日出席してきたが、普段あまり顔を会わせる事ができない従兄弟やその子供達に出会うことが出来た。私の父は長男だが、上にたくさん姉がいるため従兄弟とはいっても歳はずっと上だったり、その子供の方が私と近かったりする。その子供達に私のことをなんと説明すれば良いかと考えてみたら、今103歳の爺さんと一緒に住んでいるのが自分ですというと納得してくれた。自分で言ってみて、なるほどみんなそこから見ればかなり血が繋がっているわけだと、長生きするとすごいものだと私も納得した。

 別に何か明確に書きたいことがあるわけではないのだが、朝目覚めたときに心の中にあった感情を何とか言葉にしようと努力している。何というのだろう、この思いは、、、。人はこの世に生を受け、親や家族に囲まれ守られながら育てられ、そこから巣立ち新たな家庭を持ち、そこからまた子供を巣立たせる。成長すれば自立した意志と責任感を持ち、自らの思うところの人生を歩み続ける。血が繋がっていれば確かに姿格好は確かに似ている。一緒に育っていればさらにたくさんの共通項があるだろう。しかし、この世にその人と同じ人は一人もおらず、独立していてある意味孤独である。自分の興味のあることを探求し、目的を達成する喜びを味わうこともあるだろうし、自分の力ではどうしようもない理不尽なことに出会うこともある。特に今回のような出来事は『なぜ?』と問いたくなるが、誰もその問いに明確に答えることは出来ない。
 そうだ、人は自分の足で、自分の意志で歩んでいるように見えるが、実はそうではないのだ。結婚して子供が出来るだろうが、命を創り出すことは出来ないし自分の持ち物と思える命さえ自由に出来るわけではない。今回お葬式の場ではあるが、たくさんの人と出会い、繋がりを感じる中で、自分ではその壮大さと緻密さの全貌に気づくはずはないが、大きな計画の中の一部として自分の命がそこに置かれていることをあらためて感じた。

 人は高い知能を持ってはいても、それほど遠い見とおしが利く生き物ではない。一寸先は闇とはよくいったものだ。誰も自分の人生の先になにが待ち受けているのか想像は出来ても、正確に知ることは出来ない。私はまだ三十と少ししか生きていないが(も生きてきたと言うべきか、、)、二十歳頃に今置かれた状況、または今の私の中にある精神状態を予測することはかなり難しかっただろう。私の場合、クリスチャンなので見通しのつかない人生ながら、聖書の語る『約束』を手がかりにここまで生きてきた。まず持ってそんなこと信頼できない、今の時代に適合しないと意識から閉め出そうとしたこともあったが、結局恐ろしいまでの浸透力と説得力をもって私の中にしみこんできた。振り返ってみると、その時々は分からなくても今から考えれば悔しいけれど、つくづく聖書は真実を語っていると認めざるをえないからだ。今はただ、その約束からくるめぐみを感謝して受け取るしかないのだが、私に言わせるとつまり人生とはそういうもので、本質的にそれしかないのだ。人は生かされて生きている。その与えられたものを感謝して生きていく他はない。何も無理矢理身を焦がしてどのように生きようかと苦しむ必要はない。生かされるように生きればよい。最近特にそう思うようになった。


 そう思うからこそ、苦しいはずの日々の自転車トレーニングが今は全く辛くない。マラソンは人生に似ているというが、自転車も同じだと思う。長い道のりを自分の足で漕がなくては進んで行かないと思うが、走る道は既にある。どういうまとめなんだ、これは。ああ、やっぱり自転車の内容で終わるんだな、、と思った人いたでしょ?
by dynabooksx | 2009-06-10 05:20 | 真也の視点

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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