2007年 10月 21日
全て神の主権によりて
今日はいつもと少し違う雰囲気で目が覚めた。ちょうどAMでキリスト教放送松山局、まことの光と言っていただろうか、をやっていたのだ。意識がはっきりしてきたときにはもうすぐ終わりのところまできていたのだが、はっきりと呼びかけが耳に残っていた。シンプルなメッセージが心に響いた。私たちは、自分が未だよく知らない神が計画されるもうひとつの人生があるのだと、、、。
少し頭を打たれたような気がした。私はこのところ多くの時間を、神の言葉である聖書を解析することに費やしているがいくら研究を重ね、理解を深めたところでそれは断片的で本物は向こう側にあることを少し忘れておったと、、、、。聖書とて、この神の意志によって書かれた書物によって多くのことを伝えてはくれるが、これが創り主自身ではない。その謙遜さがなくては、知恵をつければつけるほど恵みを失うことだろう。
ああ、書きながら思ったのだが、結局心配ないのか。恵みを失い、関係が閉ざされたように思えば、渇きへりくだらざるを得なくなるのだから、、、。うまくできているものだ。誰も人間の側からは、神の所へ行くことができないようになっている。人間には、多くの知恵が与えられていながらも、命の源は与えられておらず、知恵だけでは命が枯渇する。命は神の側から、神の主権で動いてくれなくては我々にはどうしようもない。こうして、キリストは世に来られたのだ。
とはいっても、神が全てされるからと言って、与えられているものを放棄するつもりはない。私は、管理されるよう託されている知的能力を使い切って創り主を知り、被造物としての役割を果たそう。きっとその途中で必要なものは全て与えてくださるだろうから、、、。御心に添い素早く悔い改める柔らかい心を失っていなければ、、。
by dynabooksx
| 2007-10-21 06:09
| 驚き、発見