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私が見た初代教会

 リビングライフコラムからの引用です。日本の東北部の都市、仙台のことでしょうか? 私が目指すのもまさにこのような教会です。


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 日本の東北部の都市の、こじんまりとした住宅街の路地に、とても小さな教会があります。規模も小さく、十字架も小さく、教会の名前を書いた玄関の看板も小さいものでした。牧師先生が信徒さんの家庭を訪ねるときに乗る車も軽自動車です。

 私がこの教会に招待されたのは、誰かが私の知らないうちに(笑)、拙著「ほかほか蒸しパン」を日本語に翻訳し、この本をこの教会の牧師先生と教会員たちに読まれた事によるものです。とにかく、私が経験した韓国の多くの教会とは全く異なる日本のミニ教会はいろんな面で興味深く、不思議なところでした。

 牧師先生は70歳を超えておられ、元々、この都市の、ある大学で西洋史と哲学を教えていた教授でした。ですから、教師の資格も教授在任中に取得されたのですが、定年で講壇から退かれた日に、生涯夢見てきた一つの望みを実行する決心をされたのです。それが、自分の手で小さな教会を建て、そこで死ぬまで主の福音を伝えようというものでした。

 実際に、牧師先生は退職と同時に、一生涯貯めてきた貯金を下ろし、自費で礼拝堂を建てました。そして、牧会を始めたのです。人が一人ずつ集まり始め今は礼拝出席者が30人ほどだそうです。ほとんどは家族単位で来られるので、教会員の数も”家庭”単位で数えます。

 特異な点は、聖日の朝教会に来るとき、各自が昼食のお弁当を持ってくるということ、牧師先生の謝礼費がないということ、特別に決められた献金制度がないということです。なぜなら、牧師先生が毎月大学から受けている退職金を教会の運営費として使っているからです。もちろん、教会員が自発的にささげる献金は多少あります。しかし、そのお金は全額、教会の通帳に入れておき、一年に一度、クリスマスに老人ホームと近くにある厚生施設の人たちのプレゼントを買うために使うのです。

 牧師先生のお金に対する哲学は単純明瞭でした。「初代教会がそうであったように、教会は人の集まる場所で、お金が集まる場所であってはならないからです。私はお金よりも人がずっと好きなんですよ。ハッハッハッ」

 思いがけないきっかけで隣国に行くことになり、なかなかお目にかかれない教会を体験して帰ってきたものですから、みなさんにもご報告をしながら、2000年前の初代教会をひとり想像してみる今日この頃です。


 イ・マンジェ/韓国のコピーライター『塩となって会いましょう』、『ほかほかの蒸しパン』著書
by dynabooksx | 2007-10-06 20:34

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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