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ふと思い出したこと~御国への旅路~

  つい昨日、何かのことで妻と話をしていたところ、結婚当初(7年も前です)に私が話したことを彼女が覚えていました。以下はその会話です、、。


愛理:二人でずっと長生きしたいね

真也:いや、俺は長生きしたくねぇ。俺は早く御国(天国のこと)に行きたいんだ。

愛理:、、無言、、、。


 みなさん、この会話の意味が分かりますか? とんでもない男を夫に持ったと思うでしょう? この時、私が特に人生を悲観していたわけではありません。実は今も同じ気持ちなのです。
 『私達の国籍は天国にある』とクリスチャンの墓石にはよく刻まれています。私達クリスチャンは地上にいても圧倒的なめぐみを体験しますが、同時に朽ちる肉体を持ち、それによって様々な制約を受けます。せいぜい肉体の命は持っても120年です。しかし、私達は霊の命がそれで終わるとは考えておりません。今のこの科学の時代にあってなんてアホな事を信じているのかと思うでしょう? そうです。アホなんです。こんな事を馬鹿正直に信じている、それがクリスチャンです。ここで聖書から一句


25イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。 26また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。 ヨハネによる福音書11章25節

 愛する弟を数日前になくした姉妹が、悲しみの中でイエス様とする会話の場面です。死んでも生きる、、、。こんな日本語あり得ませんねぇ。原語を忠実に訳すとこうなるのでしょうが、死ぬのに生きるこんなわけはありません。注釈が入らないとわけが分かりませんが、この文章は、この『命』は肉体の事を言っているのではなく、霊的な命だという前提で書かれています。文字通り、死から甦り、命の源であるキリストを信じる者はたとえ肉体が滅んでも存続する事を示しています。後半の『いつまでも死なない』も同じ意です。
 何かと、老後のこれからのことをあれこれ心配する母などには、私はこう言います。『この世での残り短い歩みの事を気にするより、死んだ後の事を真剣に考えなさい』と、、、、。

 いずれ滅びていく体が、いつか消えてなくなるこの世に属しているように、永遠の命を持つ私達の霊は、天の御国に属します。私達の本体が、肉体にあるのではなくむしろ神に息を吹き入れられた霊の方にあることを知っていくとき、自ずと故郷を求めるようになっていきます。この世に生がある限り、主がそこに私を置いている使命を全うしたいと思いますが、いつ天に引き上げられても良い、むしろ早く引き上げてほしいそういった心境で生きています。キリストが再びこの世に来て私達を天に引き上げるという再臨の信仰です。別な言い方でいうとこのようにもいえるでしょう。

死に場所を探している、、、


これも、私が二十歳頃からよく言っていた言葉です。自殺しようとしているなどという、否定的な意味ではありません。この世で生きることにおいて、一生涯を捧げる死に場所を探しているという意味です。これも、クリスチャンの知り合いであっても、『ええっ、あなた何言っているの?いやだわぁ』と敬遠されたりなかなか理解してもらえませんでした。

 妻からの昔話を聞いて、天国に希望を置く、変わらぬ思いをあらためて考えさせられました。私も30歳になり人生の三分の一を過ぎたでしょう。一つの区切りを迎えたように思いますが、次はどんな未来が見えてくるのでしょう。御国に行くその日まで、キリストの弟子として使われまくりたいと思う今日この頃です。
by dynabooksx | 2007-06-15 21:15 | 真也の視点

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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