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悩み

ヨブ 15:24 苦しみと悩みが彼を脅かし/戦いを挑む王のように攻めかかる。

ヨブ 21:25 また、ある人は死に至るまで悩み嘆き/幸せを味わうこともない。

詩篇 10:14 あなたは必ず御覧になって/御手に労苦と悩みをゆだねる人を/顧みてくださいます。不運な人はあなたにすべてをおまかせします。あなたはみなしごをお助けになります。

詩篇 32:10 神に逆らう者は悩みが多く/主に信頼する者は慈しみに囲まれる。

詩篇 64:1 神よ、悩み訴えるわたしの声をお聞きください。敵の脅威からわたしの命をお守りください。

詩篇 139:23 神よ、わたしを究め/わたしの心を知ってください。わたしを試し、悩みを知ってください。

伝道 1:18 知恵が深まれば悩みも深まり/知識が増せば痛みも増す。



新共同訳聖書によると旧約聖書には38カ所悩みという言葉が出てくるようだ。その中から数カ所を抜き出してみた。この週末、大学時代の友人(聖書研究会のメンバー)の結婚式に行き、その後皆で集まってその後の人生の分かち合いをした。皆それぞれの地で活躍している。もうすぐ、ある人はニューヨーク、またある人はバングラディシュ、ヨルダンといろいろな土地へ旅立ってゆくという。それぞれが自分の人生の中に、神がどういう関係、関わりを持たれるのかを真剣に考え、また悩んでいるようだった。未来へ広がる導きに目を輝かせる人もいれば、簡単ではない困難の中で神の介入を待ち望む人もいた。

 主の前に正しい人であったヨブがなぜこんな目に遭わなくてはならなかったのかというほどの悲劇を描いている『ヨブ記』や、敵に追い詰められるダビデの心境を歌った『詩編』にはたくさんの『悩み』の言葉が出てくる。また、イスラエル王国の栄華を築いたソロモン王が老後に書いたと言われる『伝道の書』には知恵が深いものの悩みについて書かれている。確かに今回皆の悩みを聞いていても、どうも繊細で洞察力があり物事を深く考える人ほど、抱えている悩みも深いように思える。また、いつの時代も同じような孤独や圧迫を人は感じていたようだ。聖書の神が愛の神、こよなく私達を大切に思う神であるなら、どうしてこんなにたくさんの悩みをそのままにしておくのだろうと考えるのは自然なことだろう。

 ここで、、、なのだが、もしキリスト者が襲いかかってくる問題や困難、それによって起こる『悩み』を世の中の人達とまったく同じように処理し、翻弄されていくのだとしたら、世の中の人はまずクリスチャンに魅力を感じないだろう。キリスト者がキリスト者であることをもっともよく現すことが出来るのはまさにこの時であり、私達がキリストによって買い取られたキリストの所有物であるこのを確認し、キリストの弟子として、手に余る問題を師の所へ持って行き、また師が問題を解決された方法をもって問題に立ち向かって行くことを知るべきであろう。キリストがこの地上で様々な問題に出会った際、一貫しているのは『神に従順であった』という点である。今抱えている問題が、他人のせいでも、自分のせいでもなく、神が取り扱われる事だということを心に刻むべきだと思う。未来は神の手の中にあるのだから、この世界をつくり全ての命の基であるこの方に、自分の握っているものを放して任せてみる事が悩みの最も効果的な解決法なのだ。

 私自身、自分に固執する思いがこれまで私をどんなにか苦しめてきたのだろうかと思い起こす。人は問題の解決は、あなた自身の中にあると言うかもしれない。しかし、私は今どうにもならない問題のまっただ中にいる人に言いたい。あなたの中に解決はない、、、と。あなたが悩みから解放されるためには、あなたが不安定なあなた自身を見つめることをやめ、揺るがない確かなものへと目を向ける必要がある。あなたを誰よりも知り、遥かに高く、深いところで時代の成り行きをご覧になっている方に信頼をすることだ。人が生き生きと生きる力はここから来るのだ。どんなに世の中が暗く、破滅の道を歩んでいるように見えようとも、私達の思いを超えたところで確かな約束、計画を寸分のくるいもなく行う方がいる。その信頼が、揺るがない安心と未来への希望をくれる。

 聖書は、私達が自分に固執する思いを『的が外れている状態、罪の状態』だと呼んでいる。キリストはそれをご自身の十字架によって、明確にし、私達がそれに気づき悔い改め、本来の正しい関係を回復する可能性を拓いた。この十字架の前では、どんな罪も水面下に隠れていることは出来ない。神の子がその責めを公の場所で受けたことにより、隠れる必要自体が消滅したのだ。私達が十字架と語るとき、それは私達が神を裏切り、必要ないと言いまたこのことによって彼を十字架につけたのだと宣言しているのだ。こんな宣言は通常あり得ない。罪の代償が死であるということを私達は本能的に知っているからだ。罪人が罪人である事を公に宣言できるのはこの十字架の場をおいて他にはない。これから先どんな障害、非難があろうとも、私がこの十字架を降ろすことはきっとないだろう。
by dynabooksx | 2007-06-04 23:03 | 真也の視点

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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