2004年 06月 09日
『 反響 』
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広田君、メッセージについて書いた文章読みました。全くその通りだと思います。僕も、神学を勉強して僕自身大きなショックというか、悟りというか、核心と言うかまあ何でもいいけど、“神様の主権”と“聖書の主人公”について知れたことは本当に大きなものでした。クリスチャンなら誰でも聖書の主人公は神様であり、イエス様だと答えると思いますが、実際聖書を読む時神様を主人公にした聖書の読み方はしておらず(というか知らない)、神様の主権を伝える説教もあまり聞いたことがないことに気づかされました。僕が説教準備をする時まず一番苦労し、考え、悩まされることは“神の絶対主権”をどのように伝えようかということです。もう少し具体的に言うと、どうすれば人の関心を神の主権に引き付けることが出来るだろうか? 神の主権を聴衆自身の生活に結びつけられるだろうか? 世間の話でなく聖書の話しを出来るだろうか? 神の主権においての謙遜と自信を伝えられるだろうか?ということです。つまり、以外に人間中心の説教は準備しやすいし簡単だけど、神様中心又は神様側についた説教の準備は本当に難しいということです。かと言って、聴衆の誰も理解できないような難しい説教が神様中心の説教ではないということにも気づかなければなりません。神様が私達一人一人に気づかってくださるように、神様の主権を語りながら、人の心に訴えかけていくことこそ説教だと思う。この両立が非常に難しい。でも、僕はこんな説教が出来る牧師になりたいです。そうなるには命がけで祈り、命がけでたくさんの本を読み、命がけで勉強し、命がけで聖書を読み、命がけで人の話しを聞き、命がけで人を思いやれるように努力しなければならない。本当に難しい。僕は全然出来ていない。神の主権という名において、だらけ、怠け、怠惰になるのではなく、神の主権において責任を全うし、努力するものになりたいです。僕の祈祷課題でもあり、僕の一番の悩みでもあり、喜びでもあり、皆さんと共有したいことでもあります。
by dynabooksx
| 2004-06-09 11:09
| 驚き、発見