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『北風と太陽』


イソップ寓話で有名な物語なのだけれども、昨日ふと意識の中に飛び込んで来た。

このお話し、北風と太陽が旅人の服を脱がせようと競い合う物語りなのだけれども、そもそも何故? 服を脱がせようとするのかという事は語られてはいない。推して知れということなのだろうけれども、どうやって服を脱がせるのかという事よりも、そもそも服を脱がせるということとは何か! というテーマの方が本来重要であるはずだ。

この事についてさっと調べてみたらなかなか見つかりませんでしたがやはりありました。

  〜〜〜

この「服」は人が無意識に固着している、
「メンタルブロック」の象徴だと。

  〜〜〜

メンタルブロック、、初めて聞いた表現ですが中々いいですね。要するに自己防衛本能というか自分を最優先にしたいという自己愛のことです。誰でも不安や孤独があり、自分が可愛いですからね。普通それが無かったら、このしがない世の中で生き抜いて行く事などとても出来そうもない、、。そう考えるのが普通だと思うでしょう。

しかしこの寓話のテーマがそれを脱ぐ、、ことになっているのだとすると何が見えてくるのか、、、。

よくよく考えてみるとこの自己愛というのが厄介なもので、本来自分の身を外部から守るために纏った壁であったはずなのですが、その仕切りのお陰で過敏な精神がひと息つけるだろうかと思いきや、いざそこに直面してみると誰の声も届かないような圧倒的な孤独があったり、自らそこを抜け出て助けを呼ぶ事も出来ないような罠も仕掛けられていたりする。いくら壁を設けてもそれを乗り越えて来られるかもしれないという恐怖がさらなる不安を呼ぶんですね。

自分を守るはずのそれが実際には機能しないどころか、自らの身を焼いていく、、。そういう現実を知るんです。国と国が互いに疑心暗鬼になって武装防衛し始め、緊張が高まったある瞬間の火種で一気に、、、となり潰し合うのと同じです。

旧約聖書に依るならば、創造主が最初に形造った人類は裸であり、それを恥ずかしいと思わなかったとあります。そしてその様子を見てそれを良しとされた、と、、、。

彼らは自分の身を守らねばならないという意識自体を持ってはいなかったんです。全くの無防備。そしてそれが最初に創られた本来の姿だったと聖書見ているわけですね。そういう前提が当たり前にあってのこの寓話なのですが、そんな事に普通の日本人は意識が行きませんかね。

これ以上話を続けることは止めておきましょう。北風も太陽もどちらも旅人の服を脱がせたかったということなんです。僕はどちら役もやりますけどね。目的の為ならどんな常識外れのことでも、、、。
by dynabooksx | 2018-12-17 06:08 | 信仰者の歩み

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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