2004年 12月 23日
クリスマスに思う
さて、キリスト教会に出入りした事がない人でも、クリスマスが何を祝った日であるかを聞いた事があるでしょう。そう、キリスト・イエスの誕生を記念した日なのです。今日は天皇誕生日です。学校も仕事も休みになりますねぇ、めでたい。でも、クリスマスなぜ世界中がこぞってこの事を祝うのでしょうか。キリストという言葉はギリシャ語で救い主へブル語のメシヤです。私たち人類の救い主として二千年前に地上に来られたといわれています。この救い主は3年間人々に教えた後、十字架にて殺されますが3日後によみがえり、今も生きてはたらいていると信じられています。つまり、救いは現代の私たちにとってもかかわりがあるのです。
あなたは、今、救いを必要としていますか? もしそれを切望しているのなら、自分の足りなさ、限界を感じているからでしょう。問題を自分の力で解決できると思うのなら、クリスマスは本当の意味であなたにとって喜びの日ではないだろう。以前、ある人に『あなたは人を裁いている。あなたには、自分たちのような全てを受け入れる愛が必要だ』という意味の事を言われた事があった。それはそれで私の事を思ってくれた助言であったろうと思うのだが、私が救い主が生まれた事を喜ぶのは、私が全てを受け入れる存在ではなく、むしろ救い主をさえ十字架にかけて殺したであろうと考えている点にある。もし私が全ての人の罪を受け止められるのなら、キリストの死は、誕生は必要なくなる。たびたび起こる問題を、全て自分の努力で乗り越えればよい。
今、他の人の中に、自分の中にどうする事も出来ない問題、足りなさを感じ途方にくれている方へ、共に心から祝いたい。メリー・クリスマス。
by dynabooksx
| 2004-12-23 19:13
| 真也の視点