2011年 11月 24日
人の罪による神との断絶、そこを繋ぐ唯一の架け橋、キリストの十字架。
旧約の神、新約の神?
旧約の神の続き、聖絶について、
二つ目の記事を書いて、しばらく次がなかったので、これで終わりだろうかと思いましたが、続いてコメントしてきて下さいました。というのは、前の記事を読んでも『ああ、そんな風に考える人も世の中にはいるのだなぁ』ぐらいに感じても、それ以上にはならないだろうと想像しながら書いていたからです。それを分かりつつも書くのですが、まだもう少し何かをそこに感じて、追いかけてみたいと思われるのであれば、まだ先に語りたいことがありました。
Y.Y
「神による民族抹殺命令は正しい」とのご解説感謝です。つまり人間は自分自身では善悪を判断せず、感情も無視し、神の命令(神・教祖・預言者の啓示?)通りに行動せよと?
ここで取り上げたいのは二つのポイントです。一つは『善悪の判断』ということ、もう一つは『神の命令(神・教祖・預言者の啓示?)』ということです。短い文章の中にしっかりと重要なことを織り込んでこられます。返答のしがいがあります。
まず『善悪の判断』ということ。ここも聖書から紐解きますが、旧約聖書の創世記というところには、人類の最初の祖先がどのようにして、神と分離していくかの歴史が描かれています。このことを聖書は『罪』と呼び、これによって人類全体にこの性質が及んだのだという話になります。この場面で描かれているのが、神に食べてはならないと言われていた『善悪を知る木からの実』。これを食べることが文字通り、人類の分かれ道になります。
『分かれ道』というのは、神と人との分かれ道。反対に言うと、それまでは神と人との間に分離はなかった。母子未分離と言ったらよいでしょうか。人は、自らの創造者であった神の心、思いを自分のことのように知り、その守りの中で生きた。その神の性質と異なる別個の意識を持つ、ということがあり得なかった。つまり、善悪の意識というもの自体存在しなかったのです。蛇にそそのかされて、この善悪を知る木から取って食べたために自我が生じ、自分が裸であることが恥ずかしくなり、また自分が神の言いつけに反したことを知り、恐ろしくなって身を隠す。そう、善悪を知ったのです。そして自分の内側に悪があることを知り、それが神に受け入れられることがないことをまた知っているが故に、ますます命の源である創造主から離反していく、、、。これが人類最初の悲劇の全てです。
ですから、『自分自身では善悪を判断せず』と書かれましたが、確かに私達は善と悪に関しての意識を持っていますが、それが本質的に罪を抑制することは出来ません。むしろ、そこから来る恐れ自体が、人をより暗闇に引きずっていくでしょう。これは、
人は何によって[神に]義(正しい)と認められるのか
の所で書いた、律法の効果と同じです。律法による罪の自覚、善悪の意識、これは罪があることを知らせるだけで、それを解決する力は持ちません。ですから、私は人の『善悪の判断』というものに信頼を置いていません。例えば、国会議員の方々の『良心に恥じることはしていないとか、国益を最優先』とかいう発言の実態を判断して頂ければ分かると思います。
二つ目、『神の命令』ということ。これが本丸なのですが、一つ目の内容の結論にもなるところです。ここで問題なのは、私は『聖書の神』を知っているのに対して、Y.Yさんは知らない。私が『知っている』と表現しているのは、個人的に知っている。さらに言えば、神と結ばれている、一致しているの意です。ですから、『神の命令通りに』と持ち出してみても、知らない相手の命令など、もともと知るよしもないのです。旧約聖書を読んでも、Y.Yさんに映るイエスと旧約の神とが一致しないように、まだイエスの人格も、そこに投影される父なる神の姿、御思いも分かりません。外から恐れを持って眺めているのと、内側に入る、キリストによって神と一致、和解することで見える景色は全く違います。私は、キリスト教会に行くか行かないかの話しをしているわけではありません。関係についての話です。『知る』ということについて、ヨハネによる福音書からイエスの言葉を引用します。
ヨハネによる福音書 / 3章 11節
はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。
ヨハネによる福音書 / 4章 22節
あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。
ヨハネによる福音書 / 5章 32節
わたしについて証しをなさる方は別におられる。そして、その方がわたしについてなさる証しは真実であることを、わたしは知っている。
ヨハネによる福音書 / 7章 28節
すると、神殿の境内で教えていたイエスは、大声で言われた。「あなたたちはわたしのことを知っており、また、どこの出身かも知っている。わたしは自分勝手に来たのではない。わたしをお遣わしになった方は真実であるが、あなたたちはその方を知らない。
ヨハネによる福音書 / 7章 29節
わたしはその方を知っている。わたしはその方のもとから来た者であり、その方がわたしをお遣わしになったのである。」
ヨハネによる福音書 / 8章 14節
イエスは答えて言われた。「たとえわたしが自分について証しをするとしても、その証しは真実である。自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、わたしは知っているからだ。しかし、あなたたちは、わたしがどこから来てどこへ行くのか、知らない。
ヨハネによる福音書 / 8章 55節
あなたたちはその方を知らないが、わたしは知っている。わたしがその方を知らないと言えば、あなたたちと同じくわたしも偽り者になる。しかし、わたしはその方を知っており、その言葉を守っている。
ヨハネによる福音書 / 10章 4節
自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。
ヨハネによる福音書 / 10章 14節
わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。
ヨハネによる福音書 / 10章 15節
それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。
ヨハネによる福音書 / 12章 50節
父の命令は永遠の命であることを、わたしは知っている。だから、わたしが語ることは、父がわたしに命じられたままに語っているのである。」
ヨハネによる福音書 / 14章 4節
わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」
ヨハネによる福音書 / 14章 7節
あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」
たくさん引用しましたが、これで少し『知る』ということのイメージを持って頂けたでしょうか? 色分けしたら疲れました。頭の中で像は結ばないかもしれませんが、旧約聖書で語られる神(ユダヤ教の神)とイエスの関係が、本人の発言内容から予測出来るでしょう。イエスはこのように、『私は神を知っている。神は私の父だ』と主張したために『神を汚した者』として十字架につけられました。ですから、この時代に自分達は旧約聖書の神を信仰しているというユダヤ人と同じように、Y.Yさんも神を直接知らないので、誤解をしているのです。直接は知らない相手を、誰かの噂話を聞いて知ったつもりになるということはあるでしょうが、それで分かったつもりになるのは早計でしょう。私の神に対する信頼は、神を知っていることに依るものです。ですから、相手を知らないで、外面から評価しようとするのは無理があります。残念ながら、評価する相手が相手(自分達の創造主)だということと、人間の罪によって、その間が隔てられているからです。
最後に口語訳で10章より引用したいと思います。
10:14わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。 10:15それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。 10:16わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。 10:17父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。 10:18だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」。
『私は、羊のために命を捨てる』というところの『羊』を青で書いたのは、続く内容で分かるように、これは『この囲いにいないほかの羊』のことを指しているからです。イエスは、この囲いから漏れた羊のために自分の命を捨てるのだと語る。通常命は赤で、それを捨てるは青のはずですが、実はそれこそが父なる神の御心、父から授かった定めであり、イエスが現れるまで秘められていた計画であったというのが福音であるので赤で色づけをしました。それは、選びの民であるユダヤ人と異邦人の隔ての壁をなくし、神との和解が全人類に及び、キリストの愛の下へ全ての民が一つの群れとなるためでした。この犠牲により、私達は罪によって断絶されていた父なる神との関係を回復し(義とされ)、その御心を知ることになりました。
長くなりました。このあたりで切りましょう。
追伸 おそらく、根本的な疑問は、キリスト教国と言われる国々がなぜ現在のような姿なのか、もしくはカルトと呼ばれる集団が現れるのかという所から発生していると思われるので、それは別枠でいきましょう。
by dynabooksx
| 2011-11-24 16:59
| 真也の視点