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聖書の言葉の力

 最近、子供達は蒲郡のラグーナ近くの丘の上にある教会に行くのを楽しみにしている。特に一番下の子は日曜日を目標に生活しているようにすら見える。そこでは、子供デボーションガイドのようなものを使っていて、聖書を参照しながらやるものなのだが、それにはまってしまっていて、普通一年ぐらいかけてやるものを一ヶ月ぐらいでしてしまう。家に帰ってくるとすぐに聖書をひらいて、まだ一年生で習っていない漢字がたくさんあるものを、当たり前のように読んでいる。まぁこの子の場合、言語能力が飛びぬけていて、4歳にして幼稚園の他の子に手紙を書き続けていたのでそういうこともあるだろうと思うのだが、一件荒唐無稽に見える聖書の言葉に子供を夢中にさせるなにかがあるのだということを改めて思わされた。

 子供というのは単純なもので、親が興味を持っているものには理由なく関心を示すのかもしれない。小さな頃から気が付くと、なにやら分厚い書物とあーだこーだ言いながら会話をしている私の姿を見ていたのだろう。よく、子供達には、「真也君、楽しい?」と聞かれたものだった。私が聖書に目が開かれたのは、18の時であったから、こんな子供に聖書の奥深さがわかってたまるかいと思っていたが、自分の子供達を見ていると考えを改めなくてはという気もする。大人は経験や理屈でもって、信じるに値するかどうかを判断しようとするが、子供は幼子のような素直さと直感でもって真実を捉える。だから信頼の基になる、親のあり方は重要なんだろうな。

 子供達がはまったもう一つは、暗唱聖句だ。聖書の言葉、一句を暗唱することで、それが出来ると教会内だけで使えるお金をもらえて、それでお菓子等を買うことができる。下の女の子はもちろん、上のお兄ちゃんもそれに負けじと必死に覚えた。本気になれば、子供の記憶力はたいしたものである。下の子は、次々と新しいものをやりたいようだ。この教会では子供に一つの聖句に2ヶ月メッセージをし続けるので、自ずと内容は深まって行く。一度記憶に刻まれた言葉を何度も反芻するうちに、違った味わいが生まれてきて、納得したり、意外性が出てきたり毎回新しい発見がある。子供が夢中になるのは、教会の色々な工夫もあるだろうが、それ以上にこの言葉自体に人を惹き付ける何かがある。


 遅まきながら、子供の姿から学んで私も暗唱聖句に夢中になりそうだ。記憶しているのが口語訳とかぶりそうになるが、新共同約で一生懸命覚えようとしている。読まなくでも、頭の中からいつも引き出せるのは、コンビニに行かなくても、いつでも補給食を携帯しているようなもので便利だ。食べたい時にいつでも取り出して食べることが出来る。しかも、これは減らないどころか噛めばかむほど味わいを増していく。


 聖書の言葉の凄いところは、変な言い方だが、簡単に納得出来ないところだ。素直にそうだろう、うんうんと頷けるところもあれば、いったい何を言っているんだ、いい加減しろという所もあるだろう。実際大事なのは、この簡単には読み進めない違和感を感じるところで、この同意できない部分を、暗記していつも頭の中においておくと面白いことが起こる。言葉自体が、私に影響を発揮し変化させるため、以前は同意できなかったことが、いつの間にかそれまで見えなかった側面が開かれ、そのとおりだと同意するに至るようになる。言葉が変わるのではない。それに向かう人間の固定概念が打ち砕かれ、新しくされるのだ。聖書にはこの内容と力がある。

 暗唱聖句よりというカテゴリーをつくろうかと考えている。
by dynabooksx | 2011-10-18 06:14 | 真也の視点

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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