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元東電社員の証言(高知)



大熊で標高550mって言うと中屋敷しかないんだけど、うちのお客さんで木村さんっていたかな? 高知まで逃げたのか、、、。データベースにアクセスしてみないとわかんないや。

昨日は、子供の運動会で裸足で校庭を走り回ったり、腹ばいになって組み体操をしたり、福島の子供達のことを思うと、複雑で言葉がなかった。放射能は大人ではなく小さな子供に大きな影響をもたらす。それも世代をわたって、、。しみじみ子供は希望であり宝だと思った。この世代を繋ぐ未来がなかったら、私達の生きる意味はどうなっていくのだろう。大人は生き残って子供が次々と死んで行く社会。そんな現実を大人達もどうやって受け止めることが出来るというのだ。

動画の内容は、地元住民の私などからすると別段新しい話ではないが、具合が悪くなったというのは気になる。事故後、どれくらい現地に留まっていたのだろうか。どうも各地で喉の異常や鼻血の報告が相次いでいるようだ。私も地震の後、しばらく極度の集中状態を続けていたので、あとで気が抜けてきたときに、疲れがどっと来た。
今年に入ってから以前のように十分なトレーニングを積んでいなかったというのもあるけれども、それだけではない重~い何かにしばらく引きづられていたような気もする。本格的に自転車で調整を始めて2週間。徐々に負荷をかけて、途中でいったん風邪で寝込んでそこから超回復したあたりで、ぐんと元の調子が戻ってきた気がしている。
感受性の差はかなりあるとしても、もし放射能の影響があったとすると、体調が悪化した人は遠い圏外に出ない限り回復は難しいだろう。

元東電職員でこういう人は多いんですよ。もう嫌になっちゃって早期退職して山の中とかに自給自足で住むことを選ぶ人。気持ちはよく分かりますね。心の中が現実と分離して途中で耐えられなくなってくる。人間としての良心が耐え切れなくなってきてしまうんですね。

ここ三河に来て、子供の運動会に出て人の動きを観察しながら、なんとなく一つ気が付いたことがあった。自分は、福島のあそこの場所に生まれついたわけだが、小さな時からなんともいえない違和感というか、無理なものを感じていた。これは日本全体の問題でもあるのだろうが、過去のエントリーで何度も『本音と建前』の話を書いてきた。これがあまりにも酷く横行していて、誰も物事をまじめにまっすぐに考えようとしないのだ。最初から諦めてしまっている感がある。

確かに、東北人は厳しい自然の中で、現実を受け入れつつ忍んで生きてきた。その辛抱強さと来たらなかなかのものだ。しかし、貧しくとも自給自足で生活していたその地に、都市に電力を供給するという大事業が舞い込み、生活は現金収入になり、人々は都会人の真似事をするようになっていった。地に足をつけて、自分達の裁量の範囲で責任を取れる持続可能な生活を送っていたのに、それを捨て制御不能の欲の世界に埋没していった。それが現在の結果をもたらした。

でも、必至になって戦後を復興し、豊かさを求めて邁進し続けた先人達を責めることばかりは出来ないだろう。だがそこに大きな偽りとゆがんだ現実があり、それから目をそらしつつ目先の利益ばかり求め続けてきた、根本的な視野の欠損と過ちを認めざるをえないだろう。そこに立たなくては、私達の町にもはや未来はないだろう。

今が大いなるチャンス、めぐみの時だ。ここで方向を転換出来なかったら、もはや二度とその機会を失うだろう。どこで行く道を間違えてしまったのか。これは双葉町や福島県だけの問題ではない。この国全体の問題だ。いったい、何が私達の本当の幸せ、豊かさと言えるのか。そんなこと決まっているだろうと、そういう前に頭をリセットしてもう一度、まじめに真っ正直に考え直して欲しいんだ。今更そんなことをと言わないでほしい。それこそが、最も大切なことではないのか? 人はなんの為に生きるのか。自分の存在目的は何か。答えはないとか、人それぞれだから自由だとか、簡単に投げ出さないでほしい。人間には人間の創られた目的があるんだ。その目的を見出し、その通りに生きることが出来れば、それより幸福な人生は存在しない。


私は完全に敗北したのか、、。ここ数日そのことを考えていた。危機を知らされながら、現実を止めることは出来なかった。日本全体が放射能に汚染されていくという現実を目の前にして、絶望的な気持ちになりながらも、なぜかふつふつと湧き上がるものがある。打ちのめされたままにはしておかない、突き上げてくる何かがある。私の敗北を神の勝利に変えてくれる奇跡が必ずあるはずだ。経験上、世の中はそういうことになっているということを何度も思い知らされてきた。だから、これから日本がこれまで以上のより良い社会になって行くために、産みの苦しみを味わっている。その先に、必ず誕生の喜びが待っているはずだ。その訪れを感じて、なんだか黙ってはおれなくなってくるのだ。


この動画を見て、なんだ最後はそうなるのかと思った。どこかですでに知り合っている人なのかもしれないとも思った。私は何度か、この世界は見えないものに見えるものが支えられているという構造で出来ているという話をしてきた。これは現実そのようになっているのだけれども、実はここに、この祈りが大きく作用している。聖書にはこのような一節がある。


「義人の祈りは働くと、大きな力があります。」ヤコブ5:16


義人とある『義』とは、聖書では神が義しい(ただしい)と認めるという意味がある。要するに神の思いに適っている人の祈りだということですね。この祈りには大きな力が発生する。なぜならば、それは神ご自身がお墨付きを与えて、それを実現しようとなさるからです。だから、私達はここで耳を澄まして聞かなければならない。私達を創った方が私達に何を求めておられるのかということを、、、。静まって、力を捨てて、ただ静かに聞き入る。そうすれば、多くの人にうっすらと聞こえてくるはずです。今はそういう時代だからです。

ブログを読み返してみると、震災が起こる前までも、今年に入ってから何度もこの箇所を引用していました。


使途行伝2章
こう仰せになる
終りの時には、
わたしの霊をすべての人に注ごう
そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、
若者たちは幻を見
老人たちは夢を見るであろう。
その時には、わたしの男女の僕たちにも
わたしの霊注ごう
そして彼らも預言をするであろう。
また、上では、天に奇跡を見せ、
下では、地にしるしを、
すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、
見せるであろう。
主の大いなる輝かしい日が来る前に、
日はやみに
月は血に変る
であろう。
そのとき、主の名を呼び求める者は、
みな救われるであろう』。



大いなる輝かしい日が来るその前に、日はやみに、月は地に変わり、全土を暗闇が覆うようになる。あなたの内側に語りかけられるその声に正直に応答してください。私は宗教という概念、理念、ものの捉え方を言っているわけではありません。現実に存在する、私が体感したそのままのことを言っているに過ぎません。なぜそんなに躍起になるかというと、私の存在目的は、そのことを伝えることだと使命を与えられているからです。
このことを十分に果たしてからでないと、いくら向こうの世界に戻りたいと思っても、まだまだ帰らしてもらえないようですので諦めて本分を果たしましょう。
主がいずれ必ず来られます。その日に、それを待ち望む人と、それを恐れて打ち消したい人とに、目には見えない世界は二つに分かれているでしょう。光と闇、いのちと死との戦いは、これまで以上に表面化し激しくなっていくでしょう。そういう時代に生まれついたことが、嬉しいような悲しいような、、。


今日の日も、御声に聞き入りつつ、、、、。


なんか、今回も最初にイメージしたものと全く違うことになってしまいました。タイトルと関係ないんじゃないのってね。でも一番伝えたいことを伝えたい。その思いは内に閉じ込めておけるものではありません。


証言動画の最後の所にある話は、前にも紹介しましたが、これです。



これを双葉町、または他の市町村の避難所で上映したいと思っているのですが、私のブログをご覧になっている方々、動ける方いらっしゃいませんかね。見せて、今すぐ帰るとか言い出されるとそれも困っちゃうのですが、、、。汚染された地で生きる希望というのが、チェルノブイリの過去から透けて見えてきます。



これも先日近くで上映されたのを見に行って来ました。大間で世代を超えて原発の反対運動をしてきた人の話が週刊誌にも載っていましたが、本気で30年にもわたって必死の活動をして郷土を守り続けてきた人達がいたと知りました。故郷を、そして日本を取り戻すことはまだ出来ると信じている。
by dynabooksx | 2011-05-22 18:03 | 地震、原発関連

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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