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清くなりたいのか。。。

 
過ぎ越しの日
「主は、・・・言われた。家ごとに小羊を取らなければならない。・・・そして、イスラエルの会衆はみな、夕暮れにこれをほふり、その血を取り、小羊を食する家の入り口の2つの柱とかもいにそれを塗らなければならない。そしてその夜、その肉を火に焼いて食べ、種入れぬパンと苦菜を添えて食べなければならない。・・・その夜わたしはエジプトの国を巡って、エジプトの国におる人と獣との、すべてのういごを打ち、またエジプトのすべての神々に審判を行うであろう。・・・その血はあなたがたのおる家々で、あなたがたのために、しるしとなり、わたしはその血を見て、あなたがたの所を過ぎ越すであろう。わたしがエジプトの国を撃つ時、災いが臨んで、あなたがたを滅ぼすことはないであろう。この日はあなたがたの記念となり、あなたがたは主の祭りとしてこれを守り、代々、永久の定めとしてこれを守らなければならない。7日の間、あなたがたは種入れぬパンを食べなければならない。・・・7日の間、家にパン種を置いてはならない。・・・もし、あなたがたの子供たちが『この儀式はどんな意味ですか』と問うならば、あなたがたは言いなさい、『これは主の過越の犠牲である。エジプトびとを撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越して、われわれの家を救われたのである』」(出エジプト12:1~27より抜粋)
(もっとくわしく知りたければネットなり、聖書なりで調べてみて下さい。)
 
 東電福島第一原子力発電所から、5キロ圏内の我が家でしたが、旧約聖書に書かれている過ぎ越しの日
子羊の血を玄関の外に塗った神の民が災いから守られたごとく、我が家は、高濃度放射能汚染という災いから遠ざけられて、線量計は、ほとんど放射能を感知できないほど、清く保たれていました。

 時間をさかのぼって思い起こして見ると、大地震、原発大災害の前約一ヶ月は、午後三時ごろから山に出かけて、祈っていた私でした。神様にお願い事をするのではなく、ただ神様のみ心を知りたくて、み声を聞きたくて、心静かに山から天に向っていました。
その一ヶ月の間で神様から受けた事が三つありました。

1、長い間気になっていた私の手が癒され、痛みから解放してくださった。
2、「清くなりたいのか。。。。?」という問いかけを受けた。そのときは、すべての罪と汚れのことだとおもい、この世のどんな幸せを受けるよりもあなたに似たものとされて、あなたの清さにあずからせて下さいと、祈り続けていました。
3、一日一日を大切に生きなさい!と強く励まされ、前に進みなさいという思いを受けました。

 今年の元旦の日に廣田家の氏神を祈りとともに葬ってから、私たち夫婦の日々の祈りがそれからは変えられ「渋川の人々が救い主イエス・キリストの救いにあずかって、清くされますように。唯一の神であるあなたを受け入れない人々を赦し、救ってください。」と。

 清くされるとは、本当にすべてのものから聖別されて、清く保たれるということなのですね。
天のおとうさんは、私を私たち家族を愛して下さり、分かりやすい形で教えて下さっていることがわかります。
これは、私たちだけのものでは、ありません。
とっても簡単で、分かりやすくて、この世で唯一つの真理なのです。
創造主であり、この世の救い主であるイエス・キリストを自分の救い主と信じ、受け入れること。
それだけです。あとは、上からの恵みが分かるように道が示されていきます。
この道は、この世を天国のように生き、この身体が死んでなくなっても魂は、天国へ行く道なのです。

 自分がこの世的に幸せになることを願うよりも、神に似たものとされて、清くなることを求めるときに、答えてくださる愛の神さまの導かれる人生に感謝ささげつつ。。。

*追記
避難生活2日目の朝、祈っているときに「家は、守っている。」と聖霊様に語られました。
それで大丈夫だと安心しながら、避難生活をところどころですることが出来ました。
聖霊様の声に、導きに、守りに、ただ賛美ささげます♪
ハレル ヤハウエ!

by dynabooksx | 2011-04-10 11:08

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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