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地震発生から避難までのこと①

今日で、神経の消耗はほぼ回復し、災害前の体調までもどった。その上で落ち着いて、今回の流れを書いておこうと思う。

まず、これを書くと最初にぶっ飛んでしまいそうだが、
今帯同している友人は地震の一週間前に今回の災害に気がついていたようだ。
私には、「もうだめなんだ俺、会社もなにもうすぐ終わるわ、俺おかしいんだ」と話していて、
わたしもちょっとおかしくなったんだと思っていましたが(お前が言うなって思ったでしょ?)、こういうことだったとは、、、、。
もともと彼は会社の人たちを大変気にしていたので、じゃあ社員全員が救われるように祈ってみたらと一ヶ月前ぐらいに話したばかりでした。わたしは、時間がないと迫りを感じつつも、たのむからあと10年ぐらいは穏やかにしておいてくれなどと悠長なことを祈ったりしていたのは過去の記事で分かるはずです。感度が鈍いですね。
わたしは、双葉町の全員が創り主に出会うようにと救われるようにと祈っていまして、敷地内の鉄塔にLEDの十字架をもうすぐ乗せる予定でした。

 地震発生の3月11日午後、事務所の傍の自宅で昼寝をしておきた後、しばらくしてそろそろ犬のココの散歩をしようかと思ってその前にトイレに入っていた所で、地震。完全に酷くなる前に愛理の声がする台所へ、廊下を抜けて向かった。
すでに愛乃はテーブルの下に隠れていて、そのテーブルを愛理が抑えているという構図。
30秒ぐらいで少しだけ揺れが収まったところで、強烈な横揺れ。
棚のあらゆるものが落ち、あちこちでガラスの割れる音がする。大丈夫だ。動くなよ!! と声をかけて自分に倒れてくるガラス戸を受け止め、続いて倒れてくる残りの二つも受け止めた。揺れが減速していくと同時にサンダルを履いて外に飛び出し、事務所の様子を見に行く。
すると犬のココをつれて南側の社員駐車場に事務員のタカヨちゃんがココを連れて出ていた。浜の爺さんが心配だというので、俺が行くといって即座に車に飛び乗る。

 母屋の前は大谷石が倒れて通れなくなっていたので、事務所の前から道路に出た。
すぐにラジオをつけて流れて着たのは、津波予想到達時間。15時30分。宮城の方が早いようなことを言っているが、実際はわからない。時計をみてあと30分。ここから浜まで約5km。間に合うかどうかは一つの賭けだった。
東に向かって吉田家前の橋は、前後が大きく崩れていた。多少腹をこすりながら、ゆっくり通り抜け、鴻草方面に向かうがあちこち地割れだらけだ。国道六号を使おうとすると、どうもちょうどそこを工事していた作業員が通り抜け出来ないような信号を送っている。ターンして、旧道を行こうとしても壁や門柱が倒れて封鎖されている。仕方がないので、裏の農道を使って抜け出した。中田のクランク状の緑橋でも、片側が大きく崩落している。降りることは出来るが、帰りにそこを上れないかもしれないさらに余震があれば完全に、、、という思いが一瞬頭を掠めるが、ここまで来て引き返すことなど出来ないので、無理やりに乗り越えた。出来上がって間もない光希の同級生、中村さんの外壁も吹き飛んでいる。道路はいたるところが盛り上がっている。4駆の軽でこなかったのを後悔した。

 浜街道を抜けて中浜の細道に入るところで3台ほど続けて車が出てきた。同時に交差出来ないのでそれを見送ってから先を進んだ。うまいことに中浜のブロック塀は崩れていなかった。あれが崩れているような状況だったら、車をターンさせることも出来ないので、救出を断念していたかもしれない。あとで母に聞いた話だと、あそこには子供の頃、たくさん鉄筋を入れてブロックの積み方を手伝わされたようだ。

 中浜の西原家は、驚くほど損傷が少なく、塀が全て倒れた我が家よりははるかにマシに見えた。
一番奥まで車を突っ込んで、信一じいちゃんを連れ出す。じいちゃんは全く危機感を覚えておらず、そこらへんに落ちたものを立てかけたりしているので、絶対津波が来るから早く!! と無理やり車に引き込んですぐに折り返した。
途中アスファルトの盛り上がりに車の腹が引っかかったようで、思いっきり音を出して噛んでいた。バックに入れて少し引き返したら外れたようなのでまた先を急ぐ。みどり橋はまだそのままだった。
ゆっくり段差の少なそうなところを乗り越えたら、ちょっと腹をこすっただけで乗り越えることが出来た。日立レミコンの建物は斜めになっている。帰りは、農道を通らずに旧道を覗いてみたら、すでに手作業で片道だけ通行できるようにしてあったので、そこを通って帰った。

これで十分長い話になったので、続きは明日にしましょう。 
地震発生から避難までのこと①_a0023043_0495445.jpg
全て倒れた大谷石。死んだ爺さんがこれを買い付けて来たときの事をよく話していました。

by dynabooksx | 2011-03-17 00:50 | 地震、原発関連

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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