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主を喜ぶこと~命を救われたからこそ~

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詩編

146:1 ハレルヤ。わたしの魂よ、主を賛美せよ。
146:2 命のある限り、わたしは主を賛美し/長らえる限り/わたしの神にほめ歌をうたおう。
146:3 君侯に依り頼んではならない。人間には救う力はない。
146:4 霊が人間を去れば/人間は自分の属する土に帰り/その日、彼の思いも滅びる。
146:5 いかに幸いなことか/ヤコブの神を助けと頼み/主なるその神を待ち望む人
146:6 天地を造り/海とその中にあるすべてのものを造られた神を。とこしえにまことを守られる主は
146:7 虐げられている人のために裁きをし/飢えている人にパンをお与えになる。主は捕われ人を解き放ち
146:8 主は見えない人の目を開き/主はうずくまっている人を起こされる。主は従う人を愛し
146:9 主は寄留の民を守り/みなしごとやもめを励まされる。しかし主は、逆らう者の道をくつがえされる。
146:10 主はとこしえに王。シオンよ、あなたの神は代々に王。ハレルヤ。



今朝の聖書箇所である。詩編は比較的誰にでも味わいやすい箇所だ。語句については「長らえる限り」の意味がなんとなく分かる気がするが、よく分からないとか、「ほめ歌をうたう」とはどんな様子だ? とか質問があった。「長らえる」は日常語ではないかもしれないが、日本語能力の低下が問題だ。しかし「ほめ歌」は確かに独特表現だ。当たり前のように受け入れている語句のこういう質問が大切だ。ここまでの話と関係ないが、ふとパウロの言う「自己推薦する者」という言葉をこの辺りの方言で訳す語が浮かんだ。「てめほめする者」だ。てめ~(自分)の事を褒めようとする者という意味です。ただそれだけです。

次に、詩なので独特のリズム、繰り返しや韻をふんでいるということを説明した。日本語だと分からなくなるが原語では掛詞になっているものもあると話したら、一人が「~~YO!! とか言ってるかもYO」と発言して笑わせた。この箇所も2度同じ内容を繰り返している。「命ある限り」は「長らえる限り」と同義だし、「主を賛美し」は「神にほめ歌をうたおう」と同じだ。

「嬉しい様子が伝わってくる」と社員が言うので、「よほど嬉しかったことがあったんだろうねぇ。数日前の詩編の箇所も窮地を救われた所だったもんね」と話していたところでふと犬のココの事が浮かんだ。

度々登場する名犬ではない、ココ。月水金と出勤してくる人恋しいココ。ココは、私と愛理には、凄まじいほどのなつき方をする。見かけたときの騒ぎ方と喜び方と言ったら普通ではない。普段世話をしてもらっている飼い主さんへの表現を越える。何故だろうか、、、。そもそも、アイツは俺に命を救われたからだろうな。危なく保健所送りにされる所だったんだからな。とここまで話した所でピーンと来た。同じ事を社員の一人も気がついたようで、瞬間互いに目を見合わせた。犬が飼い主に忠誠を尽くすのは、窮地にいた所から命を救われた体験があればなおさらだろう、、、と。ココはそれまでほとんど躾も散歩もしてもらえずに過ごしていた。だから、どれほど新しい飼い主が、精魂込めて世話をしているか肌で分かるに違いない。一緒にいたのはほんのちょっとで、それからずっと事務のおばちゃんの所で飼ってもらっているのだが、その喜びを忘れないのだろう。

愛理のことを好きなのは、いつも内緒で美味しい物をもらえるからだ。そのためか見かけた時の騒ぎ方は俺のソレを上回る。とてもカワイイやつなのだが、躾が足りなくて自分勝手な方向にあちこち行ってしまうのが難点だ。主は愛する者をむち打たれる。これも必要なことだ。主人と共に歩むには、これも大事なことなのだ。
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by dynabooksx | 2011-02-26 19:12 | 聖書の言葉

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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