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偉大な神、偉大な信仰

自転車に乗りながらポッドキャストで時々ホープチャーチのメッセージを聞いているのだが、昨年の終わりにとても印象に残ったものがあった。先ほどCGNTVでも掲載されていることが分かったので紹介しておこう。

http://japan.cgntv.net/_inc/player.asp?pid=2442&type=vod&player=8&bit=high&vid=50716&dreamon=Y


実際は、この話の中に出てくるウェンデル・スミスという人物に心惹かれたのである。それで、その著書を読みたいと思った。たぶん明日あたり『偉大な神、偉大な信仰』というタイトルの本が届くだろう。また、もう一つの『繁栄の目的』の方は全6話の形でポッドキャストで配信されている。まだ聞いていないが、あとで自転車に乗りながら聞こう。

ホープチャーチに通っている友人がこの本を紹介してくれて、内容の要旨をまとめてくれた。それを紹介しよう。どれもいちいち納得で、みなさんも実際に手にして読んでみたいと思うことでしょう。


http://www.hopechurch.jp/site/store.html


+++++引用開始+++++


1. 賛美について

私たちが抱えている問題や敵に注意するのでなく、創造主のご性質と力に焦点を当てることが重要です。
創造主の存在を大きくすることで、問題は小さくなります。
逆に、自分の敵や問題に目を留めるなら、不信仰が私たちの心を支配するようになってしまう。

教会の第一の目的は、神様の栄光をほめたたえ、神様を大きくみせることにある。
そして、私たちの信仰が人の知恵に支えられず、神の力に支えられるようになることです。

神様をあがめるためには、み言葉を読むこと。
声に出して読む、自分の心をとらえるようになるまで読む、み言葉が個人的に自分のものとなり、自分の思いを影響するようになるまで読むことです。

主は決して私を見離したりしないから、
私が主の教えを思い巡らすなら、私の道は栄える。

主はイスラエルの賛美の上に座しておられる。
賛美には大きな力がある。

すべてを所有される方に、人間ごとき存在が差し上げられるものなど、何かあるだろうか?
主を賛美することがそれだ。 私たちが主を喜ぶことを、主もまた喜ばれるからだ。

2.信仰について

苦しい状況だからといって、「主の御心だから(仕方ない、我慢しよう)」として、完全に受身になってしまうのは誤り。

自分の力でどうしようもない状況であることを主に叫び求め、寄り頼み、大いに助けを期待すべきです。

もし主から語られることがあれば、耳をすませて、聞き従うこと。不思議なことをする用意が私たちにあれば、主もまた不思議なことをされる。

私たちが主によって祝福を大いに受けるとき、その目的は、私たちが祝福の源になることである。
アブラハムの足跡を思い、その信仰に学ぼう。

信仰とは、見える世界を超えて、見えない世界、超自然的な霊の世界を見ることです。信仰は、有限の世界に無限の力をもたらします。

信仰は、ただ神様の存在を信じるだけではない。
主に信頼し、イエス・キリストによって与えられる超自然的な力を確信することです。

もし日々の生活を送る上で、人の教えや教理だけによっていて、聖霊の導きを体験していないなら、信仰の道を踏み外しているかもしれない。

信仰は思い込みでなく、まして目に見える現実を無視することでもない。
日々、キリストのために生き、神様の計画に目を留め、御霊によって歩み、昼も夜も御言葉を思い巡らし、敬虔な生活を保つことです。

私たちの行くところどこにおいても主を認めるときに、主が私たちの道をまっすぐにされる。

信仰によって、私たちは引き上げられ、神様の視点で物事をみつめることができるようになる。

主を恐れる人は、人の顔色を気にしない。
人を恐れる人は、主をないがしろにしていることになる。

自分が与えられて、豊かになってから与えようと考えるのはあべこべです。
何もないところからでも、まず種を蒔くことが大切です。

信仰が養われるためには、単に聖書を読んで、ロゴス(書かれた言葉)として理解するだけでなく、ロゴスを読む中から、レイマの言葉(語られた言葉)として受け取る必要がある。

真理は代価を伴います。
真理を知ることだけでは不十分なのです。
真理に従順になること、真理に従って行動することで、初めて自由が得られるのです。

3. 信仰の敵について

パリサイ人は、宗教的に熱心で、伝統に忠実なまじめな人々であったことに留意すべきです。
いつの時代も、彼らは、まことの信仰に生きようとする信者たちを、自分たちの思いと人間の伝統が作り出した小さな神様のレベルに引き下ろそうとします。

悪魔は確かに、人々を用いて、信仰に揺さぶりをかけてきますが、その人々を敵と考えてしまう過ちを犯してはなりません。

「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗闇の世界の支配者、また天にいるもろもろの悪霊に対するもの」 だからです。

4. 心で信じること

人は頭で信じるものではありません。心です。
私たちは、人間の肉的な思い常に刷新する必要があります。
昼も夜も御言葉を思い巡らし、キリストの思いを持つことです。

思いの一新によって、自分を変えましょう。

信仰は常に成長の過程であって、私たちが完全な御言葉の啓示を得られることは決してありません。 つまり、一生の間、学び続け、発見し続ける余地があるということです。

謙遜な心は、学び続ける心でもあります。

5.祈りについて

主の祈りは、祈りの基本であり、エッセンスでもある。
・感謝と敬う心と、主を喜ぶ心を持って、御前に出ること
自分の思い主の思いに変える、主に従う心がまえをする。
直面する問題に、主が介入されることを願う。
・私たちの必要が、物質的に満たされることを願う。
人を赦すこと、それによって自分も赦されること
・今後、激しくなるであろう霊的な戦いのため、神の国と神の義を第一に求めること

かしこまった立派な祈りを捧げようとするのでなく、ありのままの本当の感情を神様にぶちまけることが大切です。
主は、私たちの避け所なのですから、自分の環境のすべてを注ぎだしても、神様はそれを完全に受け留められます。

主の前に素直になって、素直に主と向き合うことで、信仰が成長します。

あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。
そうすれば、あなた方のためにそれがかなえられます。

御言葉をとって、日々の生活の言葉に織り交ぜるようにしよう。
唇に見張りをおいて、口から出る言葉に注意しなくてはなりません。
周りにいる人々に命ある希望を語るだけでなく、自分に向かっても語ることです。

クリスチャンの力とは、主を喜ぶことです。

信仰の人とは、このような人です。
・目標を持って生きる人
・歴史を作りかえる人
・人々の徳を立て上げる人
・命ある言葉を語る人
・喜びを作り出す人
・正しいことを追い求める人
・悪魔の働きを打ち破る人
・約束を守る人
・山を乗り越える人
・水の上を歩く人

by dynabooksx | 2011-01-26 16:05 | 真也の視点

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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