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給料をもらうような牧師にだけはしてくれるなや!!

たぶん、今回の受けた衝撃と喜びを今後忘れることはないだろう。別に隠すような事ではないから、これから牧師や福音伝道を志す人たちに向けて発信したいと思い、この事を記す。


内容は、今回知り合った友人の父(牧師)の話、、、。息子の一人は、現在ある有名教会の副牧師をしていて二年ほど前に結婚した。その結婚式での話だ。たくさんの人々と、そうそうたる牧師達が集まる和やかな会場で、その日、父親は言葉数が少なかった。何かをじっと考えていたのだろう。祈っていたのだと思う。そしておもむろに前へと出て行き、話し始めた。


「うちの息子を、給料をもらうような牧師にだけはしてくれるなや!!」と、、、。


会場はシーンと静まりかえったという。神への献身を志す皆さん。牧師として働いておられる方も、これからそれを目指そうとする方(どれだけ対象が狭いんだ、俺のブログは、、、)も、このことに注目してもらいたい。これは、福音を伝える正当な報酬をもらう権利はあるが、神からただで頂いたそれを無報酬で伝えたいとする「パウロの誇り」である。

あなたが、神に従うことを真に求めるならば、組織に属し、人に屈服することをしなくても、神は道を開き、必要なものは全て与えてくださるだろう。世の中にたった一人であろうとも、クリスチャンはクリスチャンだ。上との繋がりがある限り、地上の生涯をまっすぐに走り抜けることが出来るだろう。妥協をしないでほしい。どこまでも単純に、愚直に神の示す生き方を求め続けて欲しい。私はそういう人々を応援したい。また、そのような人でなければ、私と共に労することは出来ないだろう。

私は、この事業を抱える限り、無報酬で福音を伝えることの出来る自由を有する。与える一方でいることが出来るとはなんという恵みなのだろう。でも、実際には受けることがあまりにも多いのだけどね。

神学校への入学を考える皆さん。どうぞここでよく考えてもらいたい。あなたは、何を欲して、何に従うためにそこへと向かいますか? あなたの心の向かうところがあなたの未来になりますよ。人はだませても神に偽ることは出来ません。神の目から見て、心が曲がっていればそれ相応のしっぺ返しをくらうでしょう。あなたが、向かおうをしている現場は、あなたが思うほど生やさしい場所ではない。まさに命をかけた戦いになります。もし、この霊的戦場が見えて来なければ、本当に「命」を奪われていくでしょう。

そこまでの厳しさを求めないという方、何か自分にとって有益なものを求めようとする方、どうぞおやめ下さい。厳しい戦いの場に出る必要はありません。地方伝道はそんなに甘いものではありませんよ。後方待機で十分です。最前線は私達が戦いますから、、、。別に都会と地方を分けて表現したいわけではない。霊的戦いの激しさを述べたいのです。自分の欲を満たすために、指導的な立場につこうとする者は、次々と敵の軍門に下っていくでしょう。わたしはそんなことで、知り合いをこれ以上失いたくはない。だからここで宣言する。

牧師として献身しようとする愛する人々、または自分自身を養おうとする牧者の前に、私は立ちはだかるつもりです。神がそれを望むのならの話ですが、それでもその道を行きたければ、私を乗り越えて、踏みつけてお行きなさい。もし私が壁とならなくても、神がそうなさるでしょうし、実際に体験するでしょう。現在、多くのキリスト教会が直面している壁はそれなのです。本当に神に従い切るのなら、障害は障害にはなり得ません。多くの指導者の皆さんは、私が何を言っているのかわけが分からないでしょう。




主の言葉がわたしに臨んだ。
「人の子よ、イスラエルの牧者たちに対して預言し、牧者である彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。災いだ、自分自身を養うイスラエルの牧者たちは。牧者は群れを養うべきではないか。
お前たちは乳を飲み、羊毛を身にまとい、肥えた動物を屠るが、群れを養おうとはしない
お前たちは弱いものを強めず、病めるものをいやさず、傷ついたものを包んでやらなかった。また、追われたものを連れ戻さず、失われたものを探し求めず、かえって力ずくで、苛酷に群れを支配した
彼らは飼う者がいないので散らされ、あらゆる野の獣の餌食となり、ちりぢりになった。
わたしの群れは、すべての山、すべての高い丘の上で迷う。また、わたしの群れは地の全面に散らされ、だれひとり、探す者もなく、尋ね求める者もない。
それゆえ、牧者たちよ。主の言葉を聞け。
わたしは生きている、と主なる神は言われる。まことに、わたしの群れは略奪にさらされ、わたしの群れは牧者がいないため、あらゆる野の獣の餌食になろうとしているのに、わたしの牧者たちは群れを探しもしない牧者は群れを養わず、自分自身を養っている
それゆえ牧者たちよ、主の言葉を聞け。
主なる神はこう言われる。見よ、わたしは牧者たちに立ち向かうわたしの群れを彼らの手から求め、彼らに群れを飼うことをやめさせる牧者たちが、自分自身を養うことはもはやできない。わたしが彼らの口から群れを救い出し、彼らの餌食にはさせないからだ。
まことに、主なる神はこう言われる。見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする
わたしは彼らを諸国の民の中から連れ出し、諸国から集めて彼らの土地に導く。わたしはイスラエルの山々、谷間、また居住地で彼らを養う。
わたしは良い牧草地で彼らを養う。イスラエルの高い山々は彼らの牧場となる。彼らはイスラエルの山々で憩い、良い牧場と肥沃な牧草地で養われる。
わたしがわたしの群れを養い、憩わせる、と主なる神は言われる。
わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。しかし、肥えたものと強いもの滅ぼす。わたしは公平をもって彼らを養う。
お前たち、わたしの群れよ。主なる神はこう言われる。わたしは羊と羊、雄羊と雄山羊との間を裁く。
お前たちは良い牧草地で養われていながら、牧草の残りを足で踏み荒らし、自分たちは澄んだ水を飲みながら、残りを足でかき回すことは、小さいことだろうか。
わたしの群れは、お前たちが足で踏み荒らした草を食べ、足でかき回した水を飲んでいる。
それゆえ、主なる神は彼らにこう言われる。わたし自身が、肥えた羊とやせた羊の間を裁く。
お前たちは、脇腹と肩ですべての弱いものを押しのけ、角で突き飛ばし、ついには外へ追いやった。
しかし、わたしはわが群れを救い、二度と略奪にさらされないようにするそして、羊と羊との間を裁く
わたしは彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。それは、わが僕ダビデ(後のキリストの事)である。彼は彼らを養い、その牧者となる。
また、主であるわたしが彼らの神となり、わが僕ダビデが彼らの真ん中で君主となる。主であるわたしがこれを語る。
わたしは彼らと平和の契約(信仰による義の事)を結ぶ。悪い獣をこの土地から断ち、彼らが荒れ野においても安んじて住み、森の中でも眠れるようにする。
わたしは、彼らとわたしの丘の周囲に祝福を与え、季節に従って雨(聖霊の事)を降らせる。それは祝福の雨となる。
野の木は実を結び、地は産物を生じ、彼らは自分の土地に安んじていることができる。わたしが彼らの軛の棒を折り、彼らを奴隷にした者の手から救い出すとき、彼らはわたしが主であることを知るようになる。
彼らは二度と諸国民の略奪に遭うことなく、この土地の獣も彼らを餌食にしない。彼らは安らかに住み、彼らを恐れさせるものはない。
わたしは彼らのためにすぐれた苗床を起こす。この土地には二度と凶作が臨むことはなく、彼らが諸国民に辱められることは二度とない。
そのとき、彼らはわたしが彼らと共にいる主なる神であり、彼らはわが民イスラエルの家であることを知るようになる、と主なる神は言われる。
お前たちはわたしの群れ、わたしの牧草地の群れである。お前たちは人間であり、わたしはお前たちの神である」と主なる神は言われる。

                    エゼキエル書34章

by dynabooksx | 2011-01-14 06:02 | 驚き、発見

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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