2004年 09月 21日
保守バプテスト合同集会で
キリストの弟子、これほど適切に私の存在を表現する言葉はありません。そしてこれは新たな弟子を生み出すためであったと、、、、。この事においてこれまで教会は何をしてきたのでしょうか? ただ、日曜日教会に通わせ牧師の言うままに従順に奉仕し献金する、そういう牧師の奴隷を作って来たのではないでしょうか。そうだとすれば教会は、牧師にとっても信徒にとってもまさに悲惨な場所です。そこでキリストの弟子は強い迫害に会い生き生きと活動する事が出来ないのですから、、、。
千田先生の話を話を聞いて時間が押していましたが最後に一つ質問をしました。
先生の教会はいわゆる信徒が責任者になることもあるのですが、そういった場合従来の神学校に行って学び按手を受けるという牧師というものはどういう意味合いになりますか? と、、、
これは、今の私にとって一番タイムリーな質問です。答えはこうでした。
やられました。確かに、千田先生が渡した大教会の後任牧師は神学校を出ていません。腰の低い素敵な若者でした。彼のような牧師には教会員は、気兼ねなく本音で話すことが出来るでしょう。とすれば、これまでの牧師を育ててきた神学校は何をして来たのでしょうか。学べば学ぶほど教団の制度に従順に従っていく僕、キリストに直ではない僕に作り替えていたのではないだろうかと思わされます。ごく最近、先日行った仙台バプテスト神学校はカリキュラムを一新しました。学生を神学校に閉じ込めるのではなく教会主体で神学教育をするのだと、、、。これは前にも聞いていましたが、千田先生の話を聞いてその意味がよく分かりました。
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追伸 騒動の後、妻が随分原文をいじってしまったようです。ちょっと繋がりおかしいかも。
by dynabooksx
| 2004-09-21 02:18
| 真也の雑記帳