FBで反響があったので、ブログにも載せておきます。


ムーブメントがムーブメントであるためには、AがBに影響を与える時に、同時にBがCに影響を与えていくことを同時に仕組んでいく必要がある。Bが何かを学ぶときに、それがムーブメントとして連鎖させるためには、学ぶということ自身が、他者に影響を与え、伝えていく行為なのだということを刻む必要がある。それがなければ、Bは得たことを自分のために蓄積することに留まってしまい、自分が受けたものの本当の価値を知ることなく学びを終えてしまう。自分がどんなに優れた知識やアイデアを持っていても、他者の中にそれが生きて実を結んでこそ、人は喜びを感じ報われるように人はそう創られている。そのことまで体験させてこそ、AはBに伝えるべき事を伝えたと言えるだろう。

このことは、学生時代の学習の中でも体験しているはずだ。学んだことを定着させたければ、誰かに教えるということをさせると良い。成績が優秀な者は、受けたものを常にアウトプットする過程で理解するものだ。自分ならそれをどのように語るかだ。誰かに教えるためには、自分の中に持っているものを整理せざるを得ず、またそれを相手の中に投影するために、相手の有り様も観察する必要に迫られる。その比較の中でまた深くその実体を理解するようになる。

私達は、こういうプロセスを省いた教育を受けてきた。いかにたくさん受け取るか。受け取る一方で、与えることの深みということを奨励されなかった。自分が何をどれだけ受け取るかを最終到達地点にして満足することで流れを止めてしまうと、ムーブメントは起こりようがない。それで、日本人は身動きがとれない国民になってしまったのだ。これは意図的に仕組まれたものだと私にはそう思える。

これは長い間の教育をベースとしてあらゆる世代、分野に当たり前に埋め込まれているため、そこに改めて違和感を感じる人間は少ない。だが、その一握りの人々が真の意味と可能性に目覚めて行くときに、爆発的な連鎖に至ることがある。こうして歴史が塗り替えられて来たことが幾度もある。どの場合も、時代が押し迫って緊迫した状態にあるということが条件となるのだけれども、現在日本の状態は、それを満たしつつあるのだと思う。
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# by dynabooksx | 2012-08-16 06:11 | 真也の視点

今回の旅で「八重山平和祈念館」というところに行って来ました。
ここは、
「戦争マラリア」の実相を後世に正しく伝えると共に、人間の尊厳が保障される社会の構築と、八重山地域から世界に向けて恒久平和の実現を訴える「平和の発信拠点」の形成を目指す。
という目的のために建てられた所です。
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~班那(バンナ)の森にて~
上の慰霊石碑にもありますが、「戦争マラリア」とは、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)に、沖縄県八重山郡の住民が、日本軍の命令によりマラリア有病地帯へ強制疎開させられ、多くの方がマラリアにかかり、3647名が亡くなった出来事をいいます。(羅患者は全人口の54パーセント、死亡者は全人口の10.4パーセント)
沖縄戦当時米軍上陸がなかった八重山の島々において、健康な島民達を日本軍の無知で浅はか、自己中心、愚かさから、マラリア有病地域にわざと強制避難させたという、非情で悲惨な過酷戦争体験は、遺族にとって重く忌まわしい事件として語り継がれてきたそうです。
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~班那(バンナ)の森にて~
戦争という国が大混乱した時とはいえ、同じ人間をこのような目に合わせる、そんな酷いことがあったのかと、平和ボケしている私はもちろん知らないことで、それを知り、胸が痛くて涙の止まらない祈念館見学の時でした。

*波照間島できいたはなし*
日本の敗戦が濃厚となり、米軍の矛先が沖縄に向けられた1945年3月末の事です。波照間島では日本軍の作戦で、全住民に西表島への集団疎開が命令されました。その指揮は、軍の特務機関から学校の指導者として派遣されていた山下(偽名)という軍曹によってなされました。
島民は、軍の命令直下で日ごろの態度を一変させ、住民の意見を無視して軍刀を振り回し、強制疎開を命令している山下の姿をみて驚きました。
日本軍の内に秘められた真の恐ろしさを見せつけられたのです。
日本軍は、住民を疎開させる一方西表島へ運べない牛馬、ヤギなどの家畜を、米軍の食料になるおそれがあるという名目で徴用し、自軍の食料として確保しました。のちに、波照間島住民への強制疎開は、日本軍の差し迫った食料問題を解決する為にとられた作戦だったといわれるゆえんです。
波照間島を追われ、西表島へ渡った人々の生活は悲惨です。食料難とマラリアに苦しめられ、多くの犠牲者を出したのです。強制疎開後5ヶ月目、食料は底をつき、マラリアは蔓延し、疎開者の生活は極限に達していました。

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『忘勿石 ハテルマ(波照間) シキナ(敷名)』
「この石ワスルナカレ(忘勿石) ハテルマ シキナ」と読むそうです。
波照間島から強制集団疎開をさせられた人々は、「同じ死ぬなら、ふるさと波照間島で」と、悔しさと無念悲しさを胸に亡くなって逝ったそうです。

原発避難している私も何か近いものを感じました。いや、「戦争マラリア」で亡くなった方々がどれだけ辛く悲しく死ぬ思いだったのだろうと推測さえする事が申し訳けなくなるおもいですが。。。
「戦争でマラリア」で亡くなった方々は、戦後50年経ってやっと戦中日本軍の大きな罪と認められ、亡くなった霊は慰められ、祈念館、慰霊碑建立など公に知られるようになったのです。

終戦記念日を前に、日本国中を悪魔が悲しみと大きな罪でおおった戦争、忘れない二度と繰り返さないという強い意志をもち続けたいです。
なお、戦後米軍が徹底した駆除を行った結果、マラリア原虫を持つハマダラカは、日本からは、いなくなりました。しかし、いまだにこのマラリアに感染し苦しんでいる人々の多くいる国もあります。

~ブログにでてくる途中の文は「八重山平和祈念館」で頂いたプリントより載せました~
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# by dynabooksx | 2012-08-10 23:56 | 愛理の避難生活

ツイッターで大変興味深い出会いがあった。ある方を通してこの2冊の歴史書を送って頂いた。
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↑この歴史をまとめられたのは、北陸は富山県の真宗大谷派大福寺住職であり、日本民藝協会常任理事、となみ民藝協会会長をされている太田浩史(おおた・ひろし)氏です。

♪ほんの一部内容をご紹介します♪
天明の大飢饉からはじまった双葉郡への移民。相馬中村藩主が積極的に北陸からの真宗移民を受け入れる政策を推進した事が大きいが、温厚で親切な双葉郡の住民、冬に温暖で雪の少ない双葉郡は、移住先としてはとても人気があったそうです。

双葉町に富山柿(富有柿)が多いのは、北陸からの移民が生の大根に枝を挿して持ち込み、それが多く根付いた事によるそうです。

「お殿様が土地をくれてやっても、水はやらない。。」その他移民に対して、地元民の心無い偏見差別なども残念ながらあった事。

相馬藩は土葬の習慣だったが真宗移民は火葬だった。移民が土着するにつれて、地元民移民との結婚も進んだが「あの家さ嫁に行って、死んだら、身体焼かれっちまうからやんだ。。」という女子もいたという。

二宮金次郎が相馬藩復興の際に、行動力ある最強のアドバイザーであり、救世主的役割をした事なども詳しく書かれています。


などなど、先祖達のぬくもりを近くに感じるような、その息遣いを聴く事が出来るような、素晴らしい歴史書です。この避難している時に出会えた事が偶然とは思えませんでした。
ありがたいことに、興味のある方には、この歴史書を送ってくださるという事です。もし読んでみたいと言う方は、ブログからメールでも良いですし、直接私に連絡を下さい♪

*ちなみに廣田家は、古くからの地元民で移民にも色々と良いお世話をしてきたようです。
享年105歳で無くなった潤身おじいちゃんの奥さん(ばあちゃん)の家は、北陸からの移民の家系だったと聞きました。人間の出会いは本当に不思議ですね♪

太田先生は、この歴史書の最後に
~2011年9月28日、相馬移民200年門徒交歓会を終えて 「この書を原発事故被災地の土徳復興に捧ぐ」と書き記されています~
約200年前の、さらにもっと前の先祖達の双葉郡でのあゆみ。
奇しくも相馬野馬追がはじまる熱い夏、
先祖達のたくましく、苦労と血と汗、涙多い、しかし生きる事をもっとも大切にした姿に、避難している私達も学ぶ事が多くある!そんな力の源を見つけたと感じました。

この出会いに心から感謝しつつ。。。
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# by dynabooksx | 2012-07-21 22:49 | 愛理の避難生活

震災直後からだいたいの機材は用意していて、最初は福島の自宅のライブカメラを稼動させるための電力に使うつもりでしたが、何度か帰宅するうちにもう見たくは無いという気持ちになってしまいそのままにしてありました。せっかくの機材を遊ばせておくのも勿体無いので車に載せることにしました。
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最初前側のやつ(50w)をシングルで載せたのですが、具合が良かったのでもう一個取り寄せて同じ出力のものを並べました。今は50Wクラスなら、オークションで送料込みで5~6000円で手に入れることが出来ます。一昔前からは、考えられない安さです。

オークションで検索

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取り付け部はL字のアルミ板。長いやつをホームセンターで加工して持ち帰った。今は、サンダーや電ノコなど全て工作ルームで貸し出してくれるので、事前に大体の見通しを立てておけば、必要な加工はその場で済ませることが出来ます。
ルーフテントの屋根部分がもともと局面なので、それにあったように側面のアルミ材をあてがい穴を開ける。テントの屋根に穴を開けたくなかったので、接着材を使うことを考えましたが、両面テープの中に極めて強力なものがあるようなので、それを使いました。匂いから察するに、瞬間接着材のような成分を使っているように思います。

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パネルの接続は直列か並列か迷ったのですが、結局直列に繋ぎました。繋ぎかえればシングルにすることも出来ます。おそらく変換効率は並列でバッテリーとの電圧差を作らない方が良いのでしょうが、このパネルはダイオードが入っていないようなので、電圧の低いほうに流れ込む可能性を考えました。直列だと、どこか一部が陰になっただけで出力が急に下がるという弱点もあります。

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ルーフテントは上に1m近くせり上がるので、配線をどう収めるかも大きなテーマでした。上部からいったん中に引き込んで、上げ下げさせるクロスのパイプの中を通しました。FRPの下部にはドリルで穴を開け、リアハッチの枠を回して引き込みました。

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充放電コントローラーとバッテリー、ACインバータ。バッテリーはもちろんディープサイクル。容量は一般用では最大の115Ah。インバータは二つ写真に写っていますが、一つは待機電力が多少大きかったので使っていません。3mの電源タップで車内外自由なところで100vを使えるようにしてあります。

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充放電コントローラーはこれ。
中国製ですが、MPPT方式で丈夫そうな造り。今は上位機種が良さそうな感じ。

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今日は日が照って来たのでテストしてみましたが、50wの扇風機や、スタンドライト。Iphoneを充電したりと色々使ってもマイナスにならない。
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うす曇でもしっかり発電します。モニターは助手席に取り付けていて、ここで電源の供給をオンオフすることも出来ます。晴れていれば、小型の冷蔵庫を連続駆動させるぐらいの動力を得られそうです。
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# by dynabooksx | 2012-07-14 10:17 | 真也の雑記帳

夏の逃れの場

梅雨の合い間にカラッと晴れたので、3人を連れて山の中の自転車コースにある小型のダムに連れて行った。放水路の落差は15mほど。打たれると痛い。ここにキャンプ椅子でも持ってきてゆっくり本を読みたい。30℃を大きく越えるようになったらまた来てみたい。

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# by dynabooksx | 2012-07-08 20:26 | 真也の雑記帳

未来を思うこと

‎6:25それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。
6:26空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。
6:27あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
6:28また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。
6:29しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
6:30きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。
6:31だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
6:32これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
6:33まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。 6:34だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

                           マタイによる福音書より


未来を心配し思い煩うという行為は、先のことを考える予知する創造的な行為であるようでいて実は、現在の自分に未来のそれを縛り付けてしまう行動である。だから、そういったことに捉われてしまうと、本来人がもっとも美しく、また力を発揮する創造していくということを忘れてしまう。行き詰まって退屈な今が、永遠に続くと決め込んでしまっているからだ。
汚染されて行く大地、暴走する社会は恐ろしくもある。だが、何が起こるか分からない未来がまだ残されているということが、生きているということなのだろう。
私達は多くのものを失った。しかしイエスが伝えようとするところを体現するもっとも近い所にいるのかもしれない。
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# by dynabooksx | 2012-07-07 07:09 | 真也の視点

かれこれ200匹ぐらいは釣ったでしょうか。半月ほど前から始まった小サバの回遊。サイズが大きくなって数が少なくなって来たとはいえまだ続いています。
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昼間は渋くなって来たので今朝は早めに、4:30に現着。もちろん誰もいない。朝日を眺めていると群れが近づいてきて6時ごろにフィーバー。30分ぐらい続いて50ぐらい釣りました。
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午後は西浦の反対側で始めるが釣れない…。暇なのでルアーを降るとぎゅーんと走る。1.5号のPEなので、切られることはないが近くの人にタモを入れてもらって中ぐらいのボラ。いい引きだったなぁ。
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もう一つのポイントを教えてもらってそこでまた当たって30ぐらい。少し小さめのやつ。今までは手で頭を離してはらわたを外したが、百均で小刀とまな板を買ってぬめりもしっかり落として持ち帰った。
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# by dynabooksx | 2012-06-08 18:52

天才釣り師

夕方次男が釣りに行きたいというので、いつもの野池に。

何度か使った針がなまって2、3度バラしたので新品に替えたところ…

爆発‼

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鯉だ、鯉だ。いや、違う。堤防用の長タモで回収。俺もこんなの2、3回しか釣ったこと無い…。そんなこともない⁇

その後リリースした後、この獰猛な奴は直ぐにまた釣られた。(−_−#)

その後、一回り小さい40㎝級をもう一匹仕留めて満足。

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こいつの方が走りが良かった。延べ竿が極限まで弧を描いた。

ついでにこれは別な所でのブルーギル。東北にはあまりいないので、実物は初めて見た。

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# by dynabooksx | 2012-05-04 18:26 | 釣り日誌

不幸中の幸いだったのは、まともな判断能力を持つリーダーが双葉町にはいたこと。身内にも彼のやり方を独善的だと評価した人がいたが、常に多数の中に安住しようと他人の顔色ばかり見ている人々は、知らないうちに自分の足場がどんどん流されていることに気づかない。コントロールしようとする側は、そういった国民が多数いることを熟知して情報を流す。

まさに、後は歴史が証明すると言うほかあるまい。長く重い歴史をもつ国の善意を信じたい。


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# by dynabooksx | 2012-04-26 00:48 | 真也の視点

海が荒れているので、近くのため池で。バスの捕食音がちょくちょく聞かれるようになった。
浅瀬で背中が揺れるのを見つけたので、ジグヘッドでユラユラ。す〜っと吸い寄せられて腹のでかいやつ。産卵前なのだろうか。最近魚ばかり食べているので、今日はさよなら。

この前買った4.5mまで伸びるタモに助けられた。今度これで次男とカニを取りに行くことにした。
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# by dynabooksx | 2012-04-23 15:18 | 釣り日誌

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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