『十字架と無私』
「さいわいだ、たましいの貧しい人たちは、天国はその人たちのものだから」

とは、実にその言の奥に

「私の霊は無一物、何ものでもない、全く神のものだ。そしたら有難いことに、天の父が全く私を支配して下さっている。私はそんな天国になった」

という自身の体験の告白が秘められてあるのだ。「天国」という原語の「国」(バレイシア)「支配」を意味する語で、神意の支配するところが「天国」である。漢訳聖書には「虚心者福矣以天国乃其国也」とある。すなわち「虚心なる者は福なり、天国はすなわち其の国なるを以ってなり」とよむ。
霊の貧者を虚心なる者と訳した。虚心とは無私の謙虚な心ばせの意であるから、なかなかよい訳語だと思う。
とにかくこの山上の垂訓の第一言をイエスの告白と気がついたら、要するにイエスの言はすべてその本質においてイエスの告白であると実感するに至り、私はふしぎな力にうたれた。そして私はイエスの中に投げ身するより仕方がなくなった。「キリストに倣いて」ではなく、「キリストの中へ」という棄身の衝動にかられた。するとまたこの第一言はふしぎに次のようにひびいて来た。

「幸(しあわせ)だよ。おまえは、たましいが貧しくなったね。天国はお前にやるよ」

と。ああ何かをのぞもう! このイエスのみ言のほかに。
 私の投身したのは、キリストの聖言(みことば)の中に。それは「貧しさ」の極地なるキリストの実存の極みたる十字架の中への投身であった。キリストの中に入って、キリストの愛の十字架に十字架され、私がすっかり罪から解放され、「私」からすっかり脱落している無私、無我を体受したとき、何とそれは楽な、鴻毛よりも軽い、深山の霊気よりもすがすがしいたましいの誕生を見たことか。その十字架の無言の言で、「私」はすっとんでいることに気がついた。十字架という事実にまさるいかなる烈しい強い愛の言が天上天下いずこにあるか。行即言である。
事実をもって迫る無言の言、事実という言が人間のたましいを動かす。「十字架の言」とパウロがいったのはこのことである。

 私はキリストの十字架で、すっかり自分の霊が「無私」とされ、「貧しく」されているのを発見した! 私はもう何も憂えない。霊的傲慢やパリサイ的信仰や御利益や観念は、真にキリストにつく者の世界にはない。山上の大告白のこの第一言は、これらの逸脱や転倒や安易やズレに対する最大の否! である。イエスの全福音は実にこの第一言で喝破されている。キリストの福音は何だと問われるなら、私はイエスのこの第一言をもって答えるに躊躇しない。

「霊が貧しい」とは、私たちの霊がすっかりキリストの十字架で贖われ、砕かれている恩恵をうけとることをいう。そして「砕け」そのものを「貧しさ」そのものを「無」私そのものをわがたましいの姿となすことである。それは第一のアダム、旧き我の「死」の相である。

       小池辰雄  「無者キリスト」より
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# by dynabooksx | 2013-03-04 21:24 | 聖書の言葉
「神の国は近づけり」
洗礼のヨハネが先ずユダヤの荒野で、

「なんじら悔い改めよ、天国は近づきたり」(マタイ3:1)

と宣言した。今までの生活態度を転ぜよ、転向せよ、という積極的な勧めの言葉が、「悔い改めよ」(メタノエイテ)である。天国を迎える準備は心魂の転換である、というのである。
 ヨハネはたたみかけて烈しい言葉で、現在の生活態度を責めた。最後の預言者として烈しく審判の言を投げ、特に王ヘロデが弟ピリポの妻ヘロデヤを奪ったことを非として難じた。そのためにヨハネは捕えられ牢に投げ込まれた。

 この知らせに接するや、イエスはガリラヤに退いて深く祈り、故郷ナザレをあとにして、ガリラヤ湖の北辺のカペナウムを根拠と定めた。そしていよいよ伝道に立ち上がったのである。

 その第一声が洗礼のヨハネの悲願を受けて、

「なんじら悔い改めよ、天国は近づきたり」(マタイ4:17)
「時は満てり、神の国は近づけり。汝ら悔い改めて福音を信ぜよ」(マルコ1:15)

 時は満ちた、機は熟した。ユダヤ教がゆきづまったからである。神の国、すなわち神の威光と恩寵のあふるるところ。天国、すなわち神の意志が自由に体現されるところ。そういう天来の霊気が漂うときが、到来した。その何よりの証拠は、かく宣言するキリスト自身がそのような天国体であり給うところにある。

 ヨハネ福音書第一章にある如く、キリストは神の霊言の実体で、不滅永遠の生命であり、罪の世を照破する光であり、神の恩恵と真理に満ちた体現者であり、惜しみなくこの一切を与える救主である。すなわち彼が天国体そのものである。

 彼が「悔い改めよ」「回心せよ」というとき、それはおのれを問題とするな、人を問題とするな、右顧左眄はいらぬ、ただ私にひたむきに来よ。無条件に私自身をやる、という気合である。「福音を信ぜよ」とは、この福音体なる私を体で、全存在で受けよ、全存在を私に投げ入れよ、ということである。

キリストの言や行を福音書でいくら研究しても、研究といった角度でそれがわかるものではない。それらの言や行の発言体そのものたるキリストの中におのれを投げ入れ、祈り込んでゆくことこそ肝腎である。キリストの言行は本体の現象面である。この現象面を媒体として本体を体受しないで何で「福音を信ずる」ということができるか。イエスのこの伝道の第一声はこのような気合で受けとめてかかることが大切なのである。

   小池 辰雄  「無者キリスト」より

++++++++++++++

キリストは神の霊言の実体で、不滅永遠の生命であり、罪の世を照破する光であり、神の恩恵と真理に満ちた体現者であり、惜しみなくこの一切を与える救主である。すなわち彼が天国体そのもの
ただ私にひたむきに来よ。無条件に私自身をやる、という気合である。「福音を信ぜよ」とは、この福音体なる私を体で、全存在で受けよ、全存在を私に投げ入れよ、ということ
キリストの言や行を福音書でいくら研究しても、研究といった角度でそれがわかるものではない。それらの言や行の発言体そのものたるキリストの中におのれを投げ入れ、祈り込んでゆくこと

文体もあるのだろうけれども、どこにも無駄がない。信じ受け入れた人にとっては当たり前の内容だけれども、それを体験したことのある人物が、どういうわけか現代のキリスト教会にはかなり少ないことがわかってきた。それで世の人々は戸惑いを憶えてしまう。イエスが感じたユダヤ教の行き詰まり、とはそのようなことだろう。
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# by dynabooksx | 2013-02-21 12:43 | 聖書の言葉
救いと行い
人は誰しも自分から見える世界は当たり前に捉えられてしまうので、その中に没入してしまうと他人のリアルな感覚を感じられなくなるものである。
あからさまな他人の反応を見て、おおそういうことかと気付かされることが多い。今回落ち着いてみてあらためて感じることは、僕の中にある「平和」だとか「愛」「喜び」「救い」「信仰」「神」の理解とそれに過剰反応してくる人々との間の認識には、きっと大きな開き、違いがあるだろうということだ。とすると、同じ日本人だと思って話していたら、方言がきつくて分からない単語で⁇となるぐらいのやり取りになってしまう。

先日キリスト教で言う処のこの「救い」ということに関して、僕に「違う、違う」と表現してくれる人がいた。それも実際のところその人がどのようにそれを捉え、生きているのかは、その行動全般から判断するしかないのだけれども、彼は「救いには行いは必要無いんだ」と力説していた。そして、それを理由に関係を断たなければならないと結論づけていた。

多くの人々にとってはこんなやり取りに関心は無いでしょうが、僕もあまり関心がありません。でも他人から言われてはじめて気がつくこともあるというものです。それを聞いて、最初は何を言いたいのか分からずにいたのですが、なぜそういうことを言わざるを得なかったのかがだんだん見えてきました。

まずこのキリスト教が言うところの「救い」について、何が人間が抱える諸問題の解決となりえるのか、この座談会でも繰り返し扱ってきました。但し、ここに一人ひとりの認識に大きな差があるのは、それを信じたかどうか、それを信頼して受け取ったかどうかでまったく違ってくるからです。

こういったわけで、上にも書いたこの「信仰」という言葉一つとっても、それはその人の世界観を浮かび上がらせますが、同じだろうと思って話しているととんでもないことになることもあります。

「救われることに行いは要らない」と主張する人も、その言葉には現在の心情が写し出されているのでしょう。自分は救われているはずだが、それに伴った行動が生まれて来ない。むしろそれとは正反対のような感情や思いに支配されて身動きが取れない。いやいやそんなはずはない。「自分はキリストの贖いによって罪赦されいるはずだ…」と自問自答しているのでしょう。

そんな時、僕だったらこう言うんだけどな。「それって信じていないってことなんじゃないの?」って。

キリストの十字架なんてのは方便で使っているだけで、本気でそれに寄りかかってその中に人生を投げ込んで行くことはしていないしするつもりもない。それは信じていないと言った方が適切。
それともう一つ。キリスト教は是か否かを迫るものであって、その中間はない。信じたいんだけれども信じられないというのは、信じていないということ。当たり前のことだけれどもね。この「信仰」というものはイエスの内にあったもので、彼を突き動かしていた本質。彼の霊の現れ。日本人が一般に「鰯の頭も信心から」といったそれとは一線を画する。

ちと話がそれたかな。イエスを信じるということは、彼の実存に飛び込むということ。聖書に残されている彼の言葉のとおり、そうすれば安らぎを得られる。

すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。(マタイ11章)

こっちの訳はは安らぎではなく、「魂に休み」でしたね。この「魂に休み」をもって「救い」としたらどうでしょうか。きっと多くの人が、これを求めて探し回っていると思うのです。それで人を見て、直感的にそれが得られそうか否かを判断するのではないかと思います。
単に「信じる」とすると皆好き勝手に分かったつもりになろうとするので、定義を一度この辺りに定めておくと少し軸が分かりやすくなるように思うのです。

すると見えてくるものがありますね。キリスト教会では、上の句、「あなた方を休ませてあげよう」までをよく看板に貼ってありますが、僕はここで文章を切り離してしまうのはあまりに不親切だと思うのです。続きは中に入ってから…としたいのかもしれませんが、要らぬ誤解を生むというか、その後適切に扱われないと詐欺というか、聖書に出てくる追い剥ぎにあった人のようになってしまう気がするのです。

話が長いですね。言いたいことは「わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば…」のところなのです。くびきというのは、家畜や奴隷に労働をさせるための道具ですから、イエスが負っているそれと一緒に繫れて歩いてみる、傍で彼の荷の負い方を学んでみる。

それを体得すると、魂に安らぎを得られるというのです。そこに至って、人は「本当に自分は救われていたんだ」と感じ入る。自己愛の塊で、自分の利益や身を守ることばかりに夢中になっていて、心が休まることがなかったのが、いつの間にか変わっていたということにはたと気づくのでないでしょうか。

それはイエスのくびきを負うことをしているからです。彼を「信じる」のなら、自ずとそのようになるはずだからです。
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# by dynabooksx | 2013-02-18 13:47 | 真也の視点
聖霊の火
『聖霊の火』

彼はまたこうも言った。

「私は火を地に投ぜんために来た。この火がすでに燃えた以上、私はまた何をか望もう。けれども私には受くべきバプテスマがある。それを成就するまでは、何と思い迫ることか。私が地に平和を与えんために来たと思うか。私はあなた方に言うが、そうではないのだ、反って分争である。父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に、姑は嫁に、嫁は姑に分れ争うことになる」(ルカ12:49~53)

 火は何か。聖霊の火である。聖霊の火が点ると、生き方、考え方がちがってくるので、この世的な生き方の人々と分裂が生ずる。しかしこれも分裂のための分裂ではない。真の和合への分裂現象である。しかし、他の者たちがこの不滅の火を受けようとしないならやむを得ない。しかし聖霊は愛の火であるから、聖霊を受けた人は、愛をもって荷い、耐え、望んでゆくのが本当である。
キリストと共に十字架を負う光栄を賜る。聖霊の力はよろこんで十字架を負わしめ、天国をそこに現じつつ歩かせる。このような霊燈を万里のかなたまで運んで人々の胸に点火することが本当の伝道あって、「伝燈」と申したいくらいである。

     小池辰雄 無者キリストより
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# by dynabooksx | 2013-02-18 13:41 | 聖書の言葉
井戸川元町長より拡散希望だそうです!
井戸川双葉町町長への手紙
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# by dynabooksx | 2013-02-15 00:21 | 愛理の避難生活
2013年 明けましておめでとうございます!
 新年迎えてずいぶん経ってしまいましたが、色々と忙しくてこちらのブログの更新をおこたっていました。
でも、年賀状のせいなのか、新年に入ってぐ~んとまた訪れてくれる人が増えているようで♪
私たちに関心を持ってくださってありがとうございます!
この年も心も身体も健康で、日々過ごされますように、心より祈りつつ。。。。


最近、今までにないすばらしいメッセンジャーに出会いました。
このブログの著者は、女性の方です。メールでやり取りしながら、貴重な情報をいただいています。
どの聖書のメッセージも、この地上のリアルな問題と少しも狂いない素晴らしい内容です!
ぜひ、ひとつひとつ味わいながら読んでみてください!
めんどり通信
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# by dynabooksx | 2013-01-09 20:16 | 愛理の避難生活
家は建つもの!
 震災以前から私達夫婦は、
「家は自分達で建てる事はないね。賃貸で良い。それとか中古の家で良い。家と云うのは建つものだから。」
そしてたとえ家を購入できる収入があったとしても、家を新しく建てる事はない。
それはこの震災後も、双葉から避難している生活でも、今後も家を建てる事はない。
とお互い理解しています。

どこに期待しているのか?と言えば、
この短い地上の生活を終えた後、永遠に続く天国に神さまが一番良い家を用意して待って下さっているから。という超単純な理由です。
この地上で自分の暮らしている環境を天国のように生きられない人は、本当の天国に行った時さぞかし暮らしにくいところだろう、地獄の方が快適かもしれないとある人は言っていましたが。。。

私達には、日々生きるのに必要なものは、神様が何一つ足りないものなく、用意してくださっている、足りないものは、すでに用意して下さる、そういうことを震災前も震災後も実感する毎日です。

もちろん生きるのに必要なだけのお金は必要で、子供がある程度の歳に成った時、
自由に移住したり、体験したり学ぶ為に使えるお金を残して置く事を、親なので当たり前にしてあげたいと思うし、原発事故の為に避難生活していようと、どこで暮らしていようと、自分の周囲に助けが必要な人がいればすぐにお手伝いできるように、生きることさえゆるされない様な海外の貧困に苦しむ子供が居るとわかればそこに必要なものを送れる、その為にきちんとためていたものがある、そういう自由な生き方でいたいです。



家を建てるというのは、ていの良い借金を負わされるという認識です。
(うちはテレビを捨てたのでおかしい情報に洗脳される危険は無いのですが)
マスコミなど日本の情報操作の恐ろしさは、すごいですね。
家についてだけでも、
家に対する夢を持たせ、膨らまさせ、家を持たないと何か悪いような、遅れるような、人より劣るような、財産としての家を持てば安心できるという偽りの妄想を抱かせ、自分の家では主人(あるじ)でいられるとどこまでも欲を膨らまさせ、最終的に欲の結晶家を建てさせたら大成功!
真面目で働き者の私達日本人は、一生何故かわからないが金を搾り取られる。
大手ゼネコン・政府・原子力ムラの連中にどこまでも支配され続けます。
操られている事にはやく気が付かれると良いと思います。

今回の震災で家が財産ではなく、負債になってしまったという事実があります。
私の周囲の(原発事故警戒区域内の)人々の話ですが。。。。
震災の日の午後に新築された家の引渡しがあった、
新築してから間もなかった、
リフォームして綺麗にしたばかりだった,など等大変な状況です。
その家のローンは、住んでいないのに払い続けているのだそうです。
そんなおかしな話通用するのか?!って思いますけど、実際月々の負債を、借金を払い続けているのです。
汚染されて、もう家として人が住めない、住むのに危険な家なのに、毎月ローンを払い続けているのです。
復興金無駄に使っているなら、緊急にこういう人たちが他の場所でやり直し出来るように、もう少し救済する必要があると思います。背負っているものがあまりにも多額過ぎます。

警戒区域内だけでなく、放射能で汚染された地域(東北・関東・東京)の家は、
賢い先見の明がある人はとっくに手放して避難。しかし、手放しても汚染されているので買い手がなかったり。
家を建ててしまった為に汚染されていても暮らすしかなく、避難したくてもできない。
もっと広く言えば海外から日本の不動産・土地を評価すると、放射能汚染された事でほとんど価値がなくなっているのではないでしょうか?



実は、うちの長男君の将来の夢は「大工さん」。ずっと小さい時から何故か言い続けています。双葉の大自然の中で暮らし、福島県の豊かな自然の山・森林の良さを知って育ったからでしょう。
(私は「お母さんたちの家は、要らないからね。」と言ってますけど。)
ツイッターでこの事を知った住宅関係の指導者の方が
『それはすばらしいですね!人が生活する空間を如何に快適な場所にするか。腕のいい大工さんは家を「造る」のではなく家を「創り」ます。そんな職業が夢だというご長男は優しいお子さんなんですね。』とコメントを下さった。


その人の中心に神さまへのおもい、神様のおもいを知り、意識しながら祈り感謝して生きる事が柱として建てられている生活がある。そうしているとお互いを大切にする事がわかり、生きる意味がわかる。
神様とその人の関係が修復された後、家族の生きる方向が定まって、自然に家は建つものなのだと。
またまた、超簡単に言ってしまうと、家を建てる事が悪いのではなく、順番ということでしょうか。



昨年長男が作文でもらった国土交通大臣賞の内容も震災前、私達が暮らしていた双葉町の古いシロアリだらけの大きな家について書いたものでしたが、そこでの私たち家族の営みが評価され、裏山の木を切り出して約40年以上前に建てられた家を綺麗にメンテナンスしながら大切に暮らしていたという生活のおもいが、
この国の天下りで金と名誉にしか興味が無いような人々の心にも響いたのだとおもいます。
でも、ほんと家は、人が住んで居ないとダメになりますね。
警戒区域になってから行く度に形はしっかりしていても、空気が入れ替わらないから劣化していく。
すっかり汚染された家を見る度、みんなが楽しく暮らした古い家に数時間だけ滞在する度に劣化。
この地上にあるものは、いずれ朽ちて滅びるんだなとわかる気がします。



「大工さん」といえば、神が人の形をとってこの地上で生活していた時は、貧しい百姓大工だったことを思う。
救い主イエス・キリストが神が語れという時がまで、大工として日々の生活を送っていたことを思う。
。。。40年以上かかって建てられた神殿を「三日で建て直す!」とか「天に家を用意しに行く」、「砂地に建てられた家、岩地に建てられた家」のたとえ話。その他聖書を読むとイエス・キリストが大工として人間の営みをしたのだな~と生活に密着した話しをするんだな~としみじみする。



農耕民族の日本人は、日本の土地が狭いと言う事もあって、自分の土地だと思えば大切にし、そこに土着し先祖代々暮らすという生活が私達のDNAに組み込まれている。
アメリカ・ヨーロッパ等狩猟民族だった国の人間は、子供が大きくなれば、仕事が変われば、家が気に入らないとあっさり土地を離れ、家もより住み易い所に引っ越すことが当たり前。未練などなく、個人主義自由主義のまま我がままに消費・使い捨てを繰り返す生活をしている、なので、原発のような核エネルギーにまで頼らなければまかないきれないような生活になってしまうのだろう。

日本は、元来狭い土地の中で、ものを大切に、自然に感謝しながら、あるもので工夫しながら生きてきたので、本当は原発など必要のない民族だった。日本に54基も原発があり、どこからかミサイル一発着弾すれば、地震大国日本のどこにでも原発があり、地震が起きると壊れる可能性のある原発がある、次に原発が稼動されていようとなかろうと原子炉が壊れれば、本当に日本は終わり。日本国民すべて国外に避難しなければいけなくなるでしょう。戦後アメリカの奴隷として騙され続けてしまった日本の無残な姿、否は否、ならぬものはならぬという事を実行できないで、流されてきてしまった悲しい日本の真の姿です。


テレビや情報垂れ流しで洗脳しようとする事柄をきちんと見分けて、
今、いる場所で何をするのか?
今、あるものを感謝して、命に感謝する。
人間は今日しか生きられない、必要以上に不安にならず、
1日いちにちを生きてほしいと思います。


新約聖書ルカ福音書12章15~34節
それから人々にむかって言われた、「あらゆる貪欲(どんよく)に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである」。

そこで一つの譬(たとえ)を語られた、
「ある金持の畑が豊作であった。
そこで彼は心の中で、『どうしようか。わたしの作物をしまっておく所がないのだが』と思いめぐらして
言った、『こうしよう。わたしの倉を取りこわし、もっと大きいのを建てて、そこに穀物や食糧を全部しまい込もう。そして自分の魂に言おう。たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ』。
すると神が彼に言われた、『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか』。
自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである」。

それから弟子(でし)たちに言われた、「それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようかと、命のことで思いわずらい、何を着ようかとからだのことで思いわずらうな。
命は食物にまさり、からだは着物にまさっている。

からすのことを考えて見よ。まくことも、刈ることもせず、また、納屋もなく倉もない。
それだのに、神は彼らを養っていて下さる。あなたがたは鳥よりも、はるかにすぐれているではないか。
あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
そんな小さな事さえできないのに、どうしてほかのことを思いわずらうのか。
野の花のことを考えて見るがよい。紡ぎもせず、織りもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
きょうは野にあって、あすは炉に投げ入れられる草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。

ああ、信仰の薄い者たちよ。

あなたがたも、何を食べ、何を飲もうかと、あくせくするな、また気を使うな。
これらのものは皆、この世の異邦人が切に求めているものである。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要であることを、ご存じである。

ただ、御国(みくに)を求めなさい。そうすれば、これらのものは添えて与えられるであろう。

恐れるな、小さい群れよ。御国(みくに)を下さることは、あなたがたの父のみこころなのである。

自分の持ち物を売って、施しなさい。自分のために古びることのない財布(さいふ)をつくり、盗人(ぬすびと)も近寄らず、虫も食い破らない天に、尽きることのない宝をたくわえなさい。

あなたがたの宝のある所には、心もあるからである。
アーメン



*何を食べる、何を飲む。。気にするなとありますが、放射能汚染された日本では、
汚染されていない食材や食品を摂取できるように、努力する必要はあると思います。
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# by dynabooksx | 2012-11-27 10:14 | 愛理の避難生活
叫び、、
この雨続きの天気の問題だけではない。何か悶々とし続けて持って行き場のない思いを噛み締めている。きっとこれは自分だけの問題についてではない。誰かのことを思い煩悶しているんだ。喜ぶ者と共に喜び、悲しむ者とともに悲しむ、、、。

頭で分ってはいるはずだが、人々の孤独や寂しさ、氷のような冷たさに直面すると、その冷たさが伝わって背筋に響く。あまりにも長い間、たった一人でその孤独と向かい合いながら生きてきた人生を思い、その厳しい現実に声を失う。

どれほどの人々が今、持って行き場のない心の呻きを押し殺しつつ、人前で必死に笑顔を作りながら生きているのだろうか。それでそもそも、生きていると言えるのかい?? 誰もその人の心の内など知る者はいない。いや、その人自身も自分の真の姿を遠い押入れの隅に押し込めて、探し出せないことにしているのかもしれない。

だがある日、突如として思いも寄らなかったところから、隠していた感情が吹き上げて本人も周囲も驚かせてしまうことがある。何かの間違えかと思い慌てて繕うが、通り魔事件の殺人犯のように、そいつは突然人格を奪っていく。

ああ、だんだんその殺人犯の足音が近づいてきて、もはや私の屋根裏部屋に住み着き始めているようにさえ感じる。理性で押さえ込んでいるのにも限界がある。誰か私を救ってくれないのか。救われることがないなら、この殺人犯の思うがままにして人間関係を破壊し、他人を傷つけるよりは、自分の命と道連れに葬ってやろう。そうして人は自ら死を選ぶんだ。

仏教でもキリスト教でも何でもいい。その道を行く人は、このことをはっきり示して欲しい。いったい救いは本当にあるのかい? 救いがあるのかないのかはっきりさせてほしい。もしあるのなら、それを必要とする人の前に真っ直ぐに示してほしい。今はもう余裕がない時代なんだ。残す時間もない。今日を生きなければ明日はないということが分らないのかい? 頼むから動ける人、声を聴いている人よ、応答してくれ。今動かなくて、いつその機会がくるというんだい? それほどに神の忍耐が悠長だと思っているのか。能書きはもういいから、助けを必要とする人のところへ行ってくれ。

もしあなた自身が最も助けを必要とする人間だと思うのなら、素直にそれを認めて助けを求めて叫んでくれ。その声を受け取る人物は必ずいる。助けが来るまで叫び続けるんだ。途中で諦めるんじゃないぞ。どうせダメなんだから、力尽きるまで、声がかれるまで続けるんだ。

そのうちに貴方の叫びが、人々の救いになることに気がつくだろう。そんなあなたの存在が、他の人のためになることがあるのだということに気がつき始める時、あなたの苦しみは煙のように消えてゆくことだろう。そうなったら、あなたと同じように声を出せずに苦しんでいる人を見つけてあげてほしい。

たのむ。あなたが、自分は救われたのだというのならば、、、。


++++++++以下、引用ローマ7章(リビングバイブルより)+++


15私は自分が全くわかりません。 ほんとうは正しいことをしたいのに、できないのです。 反対に、したくないこと、憎んでいることをしてしまいます。 16自分の行ないが誤りであること、破っているおきてそのものは良いものであること、それは、よくわかっています。 17しかし、どうにもできません。 それをしているのは、もはや私ではないからです。 悪を行なわせるのは、私のうちに住みついている、私より強力な罪なのです。
18古い罪の性質に関する限り、私は自分が全く腐敗しきっていることを知っています。 どんなにもがいても、自分で自分に、正しいことを行なわせることができません。 そうしたいのですが、できないのです。 19良いことをしたいと思ってもできず、悪いことをしないようにと努めても、どうしてもやめられません。 20自分ではしたくないことをしているとすれば、問題点は明らかです。 すなわち、罪がなおも私をしっかり捕らえているのです。
21正しいことをしたいと思っているのに、どうしても悪いことをしてしまう、これが人生の現実であるように思えます。 22新しい性質をいただいた私としては、神様の意志どおり行ないたいのです。 23-25ところが、心の奥深くに潜む低劣な性質には、何か別のものがあって、それが私の心に戦いをいどみます。 そして、ついに私を打ち負かし、いまだに私のうちに住みついている罪の奴隷にしてしまうのです。私は、心では、喜んで神様に従う召使でありたいと願いながら、実際には、相変わらず罪の奴隷となっている自分に気づくのです。
これで、私の実情がおわかりいただけたでしょう。 すなわち、新しいいのちは、「正しいことをせよ」と命じているのに、いまだに住みついている古い性質が、罪を犯したがるのです。 ああ、私はなんとみじめで哀れな人間でしょう。 いったいだれが、このひどい低劣な性質の奴隷状態から解放してくれるのでしょうか。 ただ神様に感謝します! 主イエス・キリストによって、私は解放されました。この方が自由の身にしてくださったのです。

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# by dynabooksx | 2012-11-26 20:21 | 真也の視点
ネット署名をお願いします!
【大緊急署名】>福島原発事故による避難者の住宅支援新規受付を打ち切らないで!↑クリックすると署名画面に移ります。


とっても簡単なネット署名です。

福島県内で甲状腺がんの疑いのある子供が数名見つかりました。
福島県内は子供や妊婦さん、もちろん大人も暮らし続けるには、危険!
人間が放射能汚染まみれの中で暮らす、人類はじめての実験地のような事になっています。

避難の為に県内もしくは、県外の汚染の低い場所に避難できるよう。
子供達が放射能から守られて、健やかに成長できるように。

今は、大丈夫だと避難しない人もいるかもしれませんが、いずれ
これから健康被害が目に見えて出てくるでしょう。そのときすぐに避難できるように!

民間賃貸借り上げ住宅の新規受付を本当に原発が収束できるその日まで、できるように、
ご協力下さい。
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# by dynabooksx | 2012-11-20 16:00 | 愛理の避難生活
号外!
先日避難を勧めたばかりですが、いよいよ、愛知県も福島県の命令で新規の福島県避難者を受け入れやめるようです。

東日本大震災 被災地支援等に関する情報
新規の民間住宅借り上げ住宅制度、
平成24年12月28日で受付を終了。

福島県、本当に福島県民を追い詰め、被曝しに帰って来いという事でしょうか?
少なくとも、うちの家族は、帰ることは、無いですね。
放射能汚染された東日本、被曝しに帰るという自殺行為をして誰が喜ぶのでしょう?

私が、先日、避難を勧めたのですが、状況が変わってしまった為、ご報告しておきます。
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# by dynabooksx | 2012-11-16 15:30 | 愛理の避難生活
  

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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