ハングアウトを記録することにして、今日で3日目になりました。ICBCの牧師、雄くんも迎えて4人体制も板についてきました。
やはりfacebookでは、タイムラインがすぐに流れてしまって、必要なファイル等にたどり着きにくいので、ここでこれまでのものを一度まとめてみます。

まず初回に引き続いて、昨日と今朝の動画。






※ 聖書箇所googleドキュメント(マタイによる福音書5章)

※ 聖書箇所googleドキュメント(マタイによる福音書6章)

※ PDF版 文語訳(大正改訳)新約聖書(1950年版)

※ 日英対訳聖書  英語対訳聖書 全文掲載

※ 黒崎幸吉註解新約聖書Web版
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by dynabooksx | 2012-08-24 09:45 | 日本の未来を考える座談会

名前はひらめきで適当に付けたのですが、新しいことに取り組みはじめています。

まぁキリスト教的に言えば、ネット上の教会ですが、外に発信し、周りを巻き込んでいくことを主眼にしています。これは、Googleハングアウトというテレビ会議のシステムが手軽に出てきてはじめて出来るようになったことですが、うまい具合にyoutubeと連携していてストーリーミングや保存ができるというのが素晴らしい。

今朝のやりとりでは、そこにgoogledocumentを挟み、共同編集することで、その場でやり取りのエッセンスをファイル化する作業もできることを発見した。これは明日の朝、実際に試してみるつもりです。

現在、私の町双葉町では7000人の復興会議というのが行われていて、各地で今後についての話し合いが持たれます。こういう場所にも、これはまさに適切なツールです。そしてこういったものがあちらこちらでも当たり前に持たれることによって、人の知性は活性化され、意識も変化していくでしょう。そういうことを私たちは仕込みたいのです。


facebookでグループを作りました。

日本の未来を考える座談会

次回の資料

マタイによる福音書第5章

最新の動画


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by dynabooksx | 2012-08-22 11:24 | 日本の未来を考える座談会

今の私を動かすもの

いま、双葉町の家族が2組蒲郡に遊びに来てくれています。総勢7名がわが家に寝泊りしているので、なかなかの迫力です。初日は、地元の人に案内していただいて、森にカブトムシ取りに出かけましたが、大興奮で0時近くになってやっと寝たようです。でも、実際に興奮していたのは私かもしれなくて、こんな時間に目覚めてしまっているというわけです、

ちょっと仰々しいタイトルをつけましたが、今の私の行動の源泉になっているものを書いてみようと思います。

震災における影響は、当たり前のことではありますが、私の心に繰り返し繰り返し津波のように衝撃を与え続けていたようです。最初の一年ぐらいは、無我夢中でどんどん変化していこうとする世の中の動きを追いかけました。避難することに徹したのですね。追加の地震や、原発の様子も急変する可能性もあるので、常に情報に目を配りつつ、次にどのような行動をすべきかを考えていました。以前から当たり前のように言われていた浜岡の可能性と関東圏の汚染状況を考えると、愛知県が最低ラインかといったんそこに留まりましたが、震災直後からの動きのように、いつ何時同じ状況に直面するか分からないので、安全を確保しながら瞬時に対応できるようにと気を配っていました。

さてそれからまたしばらく経ってくると、世の中はあの災害など何事もなかったかのように、元どおりになろうと、元どおりであったかのように振舞おうとします。まるで私達の存在などなかったかのように、あっという間に原発の再稼動は決定し、相変わらず汚染された場所に人を住まわせ、警戒区域もどんどん解除して行きます。政府が収束宣言をしたように、まるでスケジュールどおりに復興に向けて進んでいっているかのようです。

でもこんなものは虚構なのです。多くの人がこれに気が付きつつあるでしょう。もちろん元の何事もなかった生活に早く戻りたいと願うでしょう。でも残念ながら現実はそれを許してはくれません。これまでも原発は絶対安全なものなのだと通されてきました。それが今回の結果なのです。上辺だけ平静を装った世の中が、本当に平和であるはずがありません。実情は何一つ変わってはいない。全体としては、むしろ悪い方向に流れていっているように見える。人々が、虚構の平和を願い秘められている危機に関心を持たなくなればなるほど、危機は高まることになる。追い詰められた、絶望的な気持ちで事の成り行きを見ていた。日本人とは、これほどまでに他者に無関心で、盲目な民族なのかと、、、。

様々なことを思った。原発事故など、まるでなかったかのように装っていく世の中を前に、同時に自分の存在も消えてゆけばよいと思った。どうしてあの津波や事故で終わらなかったのだろうか。もういっそのこと、他の原発と共に世界が終わればよいとも思った。そうなる可能性は、今でもある。繰り返し言われているように4号機のプールに何かあれば、年間20mSVの地域など日本列島全てを覆うだろう。

だが、そうはならない。破滅へ真っ直ぐに向かっているようにも見えるが、奇跡的なところで皮一枚で留まっているようにも見える。まるで何かの手が働いているようにさえ、私には思える。とすると、まだこの世界はしばらく続く。私のほうが軌道修正するしかない。だが何を目標に、支えに生きてゆく。どれだけのものをその場所で築いたとしても、一瞬ですっ飛ばされるんだ。以前にも増して、消えてなくなることのないものの為に動かなくてはと思った。

でも自分は抜け殻のような状態で何もする意欲が出てこない。搾り出そうとすれば何かは出てくるかもしれないが、その先にあるものなどたかが知れているし、良い結果を生まないことは経験から知っていることだ。しかしどうする、、、。

そんな時に、ある誘いによって人を通して、これからの自分の行くべき道、あるべき姿を垣間見る出来事があった。その中心の言葉は「休みなさい」だった。震災後から、私の中では自分は抜け殻のようになっているから、何もしない、休んでいる状態になっていると思っていたのだが、実際には全く休んではない。常に心で苦闘して悶々としていたのだ。かといって、それを展開させて具体的な何かにしていくことにどうしてもゴーサインが出ない。単に力がないとも言えるが、何かを押さえ込まれているような気さえする。

そこに「休みなさい」という言葉が来た。ちょっと概略を話すと、私はその時関西で行われていたクリスチャンの事業者達の集いに参加していた。その集まりが終わった頃、つかつかと私の所にひとりの女性が来て、「神からあなたに預かった言葉があるので、話します」と言うのだ。まぁ、私も奇妙な世界はかなり見てきたつもりだけれども、初対面の人にいきなりそんなことを言われて驚くが、内容が「神から」だというので内容を聞いたのだ。それがまぁ、いきなり私と神様との間でしか知りえない、誰にも言ってない内容をつらつらと冒頭から話し始める。普通の常識からいったら、とても相手に言い得ないような内容を当たり前のようにぶつけてくる。さすがに恐ろしいと一瞬思った。今更ながら、神を畏れるという感覚を思い出した。

様々な内容について15分ほど聞いたのだけれども、その中で心に残っていたのがこの「休みなさい」。確かに
、私が福島の実家に帰ってからの毎日は戦いだった。12年前、久しぶりに帰った故郷は、自分が育ったところだとは思えないぐらい異質な空間に感じた。あれから私自身の方が変わっていたのだろう。感じる違和感を押し返すように抵抗することで最初は精一杯だった。それが5年ほど過ぎて、後で育った社員達にいつも私の足りないところを助けてもらうようになり、会社は遥かにやりやすくなっていた。内側に戦いがなくなって来れば、外側に展開して行くときだというところで震災だった。社員は日本中にバラバラになった。家族同然に感じていた私には、手足がもがれたような思いだった。

福島県内にも数人残っているし、もちろん友人もたくさんいる。一時帰宅やその他の用事で県内に戻ると、そのまま居たいような、早く離れたいような正反対の思いがぶつかり合う。でも、あそこまで出て行ったからには、何かを持ち帰らなければ、出てきた意味がない。そんな思いで過ごしていたのだ。

「休みなさい」この言葉は、何かをしなければと盛んに思って自分で自分を駆り立てていたのに対して、実際何も出来なくなっているその姿でよいのだと、そう語りかけられたような気がした。「謙虚になって、私が与えるめぐみを素直に受け取れ」と、、、。神が私に願っているのは、そういうことなのかもしれないと考えをシフトした時、私が最初に出会った時からここに至るまで、特に震災によって、手にしているものを放棄させられた意味が分かったような気がした。

神はこれまで以上に、私が受身で相手に寄りかかり、信頼せざるを得ないところに追い込むつもりなのだ。とすると、それに応じてこれまで以上の物事を預けてくるということは、これまでの道のりからわかること。これまでのものを全部放棄させたということは、練習ではなくいよいと本番になるのであろう。つまり

神の前に休む⇒自分の(自分のための)活動を停止させる⇒自分に死ぬ

ということなのだ。ここまできて、私の進むべき道が見えてきた。行くべき道は神の手の中にある。必要な準備もその中にある。私はそれを受け取って行く。まぁ、言われてみれば当たり前のことなのだけれども、こんな単純なことを忘れてしまうのだ。

このことを思い出したおかげで、私の身はぐっと軽くなり、活動の焦点が絞れるようになってきた。これまでは、自分の身を守る、自分の利益を守ることを考えていたので、神が私に求めることと相対するために、綱引き状態になって身動きがとれなくなっていたのだ。神の中に自分を放棄していくことをしない私は、やはり私ではなかろうと、この避難生活の中で思い知った。


すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。

                  マタイによる福音書11章



負いやすいくびきを思い出したのである。
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by dynabooksx | 2012-08-17 03:10 | 真也の視点

FBで反響があったので、ブログにも載せておきます。


ムーブメントがムーブメントであるためには、AがBに影響を与える時に、同時にBがCに影響を与えていくことを同時に仕組んでいく必要がある。Bが何かを学ぶときに、それがムーブメントとして連鎖させるためには、学ぶということ自身が、他者に影響を与え、伝えていく行為なのだということを刻む必要がある。それがなければ、Bは得たことを自分のために蓄積することに留まってしまい、自分が受けたものの本当の価値を知ることなく学びを終えてしまう。自分がどんなに優れた知識やアイデアを持っていても、他者の中にそれが生きて実を結んでこそ、人は喜びを感じ報われるように人はそう創られている。そのことまで体験させてこそ、AはBに伝えるべき事を伝えたと言えるだろう。

このことは、学生時代の学習の中でも体験しているはずだ。学んだことを定着させたければ、誰かに教えるということをさせると良い。成績が優秀な者は、受けたものを常にアウトプットする過程で理解するものだ。自分ならそれをどのように語るかだ。誰かに教えるためには、自分の中に持っているものを整理せざるを得ず、またそれを相手の中に投影するために、相手の有り様も観察する必要に迫られる。その比較の中でまた深くその実体を理解するようになる。

私達は、こういうプロセスを省いた教育を受けてきた。いかにたくさん受け取るか。受け取る一方で、与えることの深みということを奨励されなかった。自分が何をどれだけ受け取るかを最終到達地点にして満足することで流れを止めてしまうと、ムーブメントは起こりようがない。それで、日本人は身動きがとれない国民になってしまったのだ。これは意図的に仕組まれたものだと私にはそう思える。

これは長い間の教育をベースとしてあらゆる世代、分野に当たり前に埋め込まれているため、そこに改めて違和感を感じる人間は少ない。だが、その一握りの人々が真の意味と可能性に目覚めて行くときに、爆発的な連鎖に至ることがある。こうして歴史が塗り替えられて来たことが幾度もある。どの場合も、時代が押し迫って緊迫した状態にあるということが条件となるのだけれども、現在日本の状態は、それを満たしつつあるのだと思う。
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by dynabooksx | 2012-08-16 06:11 | 真也の視点

今回の旅で「八重山平和祈念館」というところに行って来ました。
ここは、
「戦争マラリア」の実相を後世に正しく伝えると共に、人間の尊厳が保障される社会の構築と、八重山地域から世界に向けて恒久平和の実現を訴える「平和の発信拠点」の形成を目指す。
という目的のために建てられた所です。
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~班那(バンナ)の森にて~
上の慰霊石碑にもありますが、「戦争マラリア」とは、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)に、沖縄県八重山郡の住民が、日本軍の命令によりマラリア有病地帯へ強制疎開させられ、多くの方がマラリアにかかり、3647名が亡くなった出来事をいいます。(羅患者は全人口の54パーセント、死亡者は全人口の10.4パーセント)
沖縄戦当時米軍上陸がなかった八重山の島々において、健康な島民達を日本軍の無知で浅はか、自己中心、愚かさから、マラリア有病地域にわざと強制避難させたという、非情で悲惨な過酷戦争体験は、遺族にとって重く忌まわしい事件として語り継がれてきたそうです。
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~班那(バンナ)の森にて~
戦争という国が大混乱した時とはいえ、同じ人間をこのような目に合わせる、そんな酷いことがあったのかと、平和ボケしている私はもちろん知らないことで、それを知り、胸が痛くて涙の止まらない祈念館見学の時でした。

*波照間島できいたはなし*
日本の敗戦が濃厚となり、米軍の矛先が沖縄に向けられた1945年3月末の事です。波照間島では日本軍の作戦で、全住民に西表島への集団疎開が命令されました。その指揮は、軍の特務機関から学校の指導者として派遣されていた山下(偽名)という軍曹によってなされました。
島民は、軍の命令直下で日ごろの態度を一変させ、住民の意見を無視して軍刀を振り回し、強制疎開を命令している山下の姿をみて驚きました。
日本軍の内に秘められた真の恐ろしさを見せつけられたのです。
日本軍は、住民を疎開させる一方西表島へ運べない牛馬、ヤギなどの家畜を、米軍の食料になるおそれがあるという名目で徴用し、自軍の食料として確保しました。のちに、波照間島住民への強制疎開は、日本軍の差し迫った食料問題を解決する為にとられた作戦だったといわれるゆえんです。
波照間島を追われ、西表島へ渡った人々の生活は悲惨です。食料難とマラリアに苦しめられ、多くの犠牲者を出したのです。強制疎開後5ヶ月目、食料は底をつき、マラリアは蔓延し、疎開者の生活は極限に達していました。

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『忘勿石 ハテルマ(波照間) シキナ(敷名)』
「この石ワスルナカレ(忘勿石) ハテルマ シキナ」と読むそうです。
波照間島から強制集団疎開をさせられた人々は、「同じ死ぬなら、ふるさと波照間島で」と、悔しさと無念悲しさを胸に亡くなって逝ったそうです。

原発避難している私も何か近いものを感じました。いや、「戦争マラリア」で亡くなった方々がどれだけ辛く悲しく死ぬ思いだったのだろうと推測さえする事が申し訳けなくなるおもいですが。。。
「戦争でマラリア」で亡くなった方々は、戦後50年経ってやっと戦中日本軍の大きな罪と認められ、亡くなった霊は慰められ、祈念館、慰霊碑建立など公に知られるようになったのです。

終戦記念日を前に、日本国中を悪魔が悲しみと大きな罪でおおった戦争、忘れない二度と繰り返さないという強い意志をもち続けたいです。
なお、戦後米軍が徹底した駆除を行った結果、マラリア原虫を持つハマダラカは、日本からは、いなくなりました。しかし、いまだにこのマラリアに感染し苦しんでいる人々の多くいる国もあります。

~ブログにでてくる途中の文は「八重山平和祈念館」で頂いたプリントより載せました~
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by dynabooksx | 2012-08-10 23:56 | 愛理の避難生活

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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