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五、迷 信 打 破

 前田貞美氏の隣部落に「浦尻」という半農半漁村がある。或る時、耕地整理を行っ
たが田圃の真中に三百年程もたったと思われる松があった。村の人達はこの松を「送
り松」と称して、正月に飾る門松や手綱を納める神木として居った。古い松で、昔乞
食がたき火をたいて当っている内にその木に燃え移り木の中が大きく燃えて穴になっ
たがその中に土が一杯つまって、梢には大鷹雀が巣をつくっている大木であった。と
ころが困った事に、耕地整理の邪魔になるので切り倒したく思っても、誰も「神木だ
から罰が当っては恐ろしい」と手をかける者がなく、この「田割り」に当てられた人
は、他の田は整理を終ってもそこの田圃の木の周囲だけは未整理で、区長はその分だ
けでも二年間も小作料を払っていた始末であった。ところがたまたま「その木を切ら
れる者は、誰も居ないが、前田貞美さんなら、そんな事にはこだわらず切ってくれる
だろう」と村の人達が言い始め、当時の区長阿部氏が彼のところに頼みに出かけた。
「何かと村ではその木の為に困っている、小作料として、その田圃を割当てられてい
る人には米を年々若干づつ支払っている有様なのだが何分神木というので皆恐ろしが
って切る人がいない。前田さんならそんな迷信をかつがない人だと聞いたので御願い
に来た訳である。もし切って戴ければその木はあなたに差し上げるが如何なものだろ
うか」と言われ、彼はその困っている様子を見て引き受ける事にした。
 ところが彼は木樵でないので鋸がない。近くに住む木樵をしている従兄に手伝いの
依頼をした所、従兄はすぐに引き受けてくれたが、家の者に「何だって神木を切るの
を引き受けたのか」と猛烈な反対に逢って手伝う事を断わった。そこで彼は仕方がな
いので鋸だけを借りる事にして、八才になる長男と六才になる次男を連れて何かの手
伝になるだろうとその田圃にやって来た。時は昭和元年正月二日で、雪が真白に積っ
た日であった。正月休みで人々は何処でも家の中でノンビリして居った、彼も仕事が
忙しくて暇な時といえば正月一日、二日位いしかなかった。白い雪辺を踏みしめながら
「送り松」の根本に到着した。

 村の人達も罰が当らないように、前々から神主に拝んでもらって松には「しめな
わ」が廻らされてあった。彼は天の父なる神に祈って「私は今、村の人達の困ってい
る大木を切らんとして居りますがどうかあなたの御旨で御座いますなら無事に怪我も
なくこの木を切り倒させて下さい。この祈りを主イェス・キリストの御名を通し御前
に捧げます。」と言った。ところが多くの村人達は陰ながら遠くの方でこの様子か伺
がっていたのであった。さていよいよ、切り出したがなかなか大きな木であり、中に
は土が入っている為においそれと倒す事が出来ず長時間苦労してやっとの事でそれを
切り倒した。前田貞美氏は一生懸命汗を流してその大木を切ったので次の日から風邪
をひいて三日程寝てしまった。この事が「浦尻」の村に知れ渡り「やはり前田さんも
罰が当って寝てしまったワイ」と評判になった。しかしこれは単なる風邪で三日程で
直ってしまった。彼が迷信を打破したので村人達も喜び、彼の勇気ある態度に感謝を
した。この田圃は見ちがえる様によくなって米が毎年沢山とれるとの事である。



+++++引用終わり+++++

今回の所も実はじっくり扱いたい所です。これを科学の発達したこの時代において、単なる「迷信」として片付けるのは簡単でしょう。これまで、私達日本人の先祖は「八百万の神」としてたくさんのものを「カミ」として扱ってまいりました。信じない人にとっては、私がいう「万物の創造主なる神」と同一で全くの迷信であり、思いこみだと考えることでしょう。しかし、先祖達が様々な物事や事象を取り上げ、恐れていたのはそこに霊的勢力が実在するからです。

最近テレビ番組や雑誌等をみるとどこでも占いが載っているのを目にします。こういったものが、これほど浸透していた時代があったでしょうか。社会不安があるためでしょうか。これもたんなる迷信だと片付けるのは簡単ですが、人を惹きつけるにはそれなりの理由があります。本物、偽物色々あるでしょうが、実際に当たるとことがあるのです。クリスチャンなのに、真也はなに馬鹿な事を言っているのかと忠告なさるキリスト教会に通われている方もいることでしょう。そういう人は、よく聖書を読んでおられないのでしょうか? 使徒の働き16章16節以下を読んで頂きたい。実際に聖書を読んだことのない方のためにもせっかくなので引用しましょう。興味が出てきた方、是非聖書を手に入れて前後や全体を読んでみて下さいね。


使徒言行録16章16節~19節(新共同訳)
わたしたちは、祈りの場所に行く途中、占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会った。この女は、占いをして主人たちに多くの利益を得させていた。
女は、パウロやわたしたちの後ろについて来てこう叫ぶのであった。「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」
彼女がこんなことを幾日も繰り返すので、パウロはたまりかねて振り向き、その霊に言った。「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。」すると即座に、霊が彼女から出て行った。
ところが、この女の主人たちは、金もうけの望みがなくなってしまったことを知り、パウロとシラスを捕らえ、役人に引き渡すために広場へ引き立てて行った。



これで明らかになるでしょうか。この女占い師の主人達が生計を立てる事が出来たのは、占いが当たって信用を得ていたからでした。その背後にはそれをサポートする霊的存在があることが示されています。さらに興味深いことは、その存在はパウロ達がどのような者達であるかを正確に言い当てていることです。福音書内でも、イエスに対峙した霊が彼の本質を言い表した箇所があります。
この霊的存在は、人が簡単に知り得ない事を最初から知っているのです。ですから、パウロがそれを女から追い出してしまうと、占いが当たらなくなってしまって、この女の主人達は金もうけの望みがなくなってしまったのです。
例えば、恐山のイタコ等でも知り得ないような事実を言い当てたりということが実際にあるでしょう。インチキも多いと聞きますが、、、。信じない人にとってはないという事になるでしょう。そう思っていて近づかないのがよろしいと言いたい所ですが、そう言う人に限って大きな不幸等に直面した時に、大きな不安に襲われ、拝み屋等に行ってしまいます。これは、かなり危険です。それがよく当たると評判で信頼があるものほど危険です。次々と分かるはずのないことを言い当てられて、心を開いたら最後捉えられます。最初は自分に益になるような事を言われ魅力的に思うかもしれませんが、心を支配されたら最後、破滅するまでコントロールされます。力の強いやつ、弱いやつ色々いるでしょうが、それがその霊的勢力の目的だからです。

確かに聖書に書いてある事ですが、普通、平均的なキリスト教会ではこういう所は読み飛ばします。扱いたくないわけです。しかし、私に言わせるとこういう箇所が事実として浮かび上がって来ないのは、聖書の神を信じていると言いつつも、聖霊を実際には知らないからなのではないだろうかと思います。聖霊も悪霊もどちらも霊的存在で、表裏一体のようなものですから、聖霊が見えて来れば悪霊も見えてきます。聖霊が見えなければ悪霊も見えてこないのです。でも、悪霊も聖霊も見えなくて、一番得をするのはあ誰だと思いますか? 彼らの目的は、自分たちが存在しないかのように見せかけて裏から支配することです。それを感知出来なければ、しないうちに絡め取られがんじがらめになってしまいます。だから、聖霊と悪霊が説かれないキリスト教会も危険なのです。霊的盲目の中では、無抵抗ですし、信徒や苦しむ人の現実に対処できるはずはありません。


今年一年の最後の日に、いと小さき者の一人を餌に、ひと演説ぶちあげてしまった感がありますね。それで、本文に戻りますと、村の人たちが前田さんに大木を切ることを依頼したのは賢明かと思います。彼の中には全く違うものが生きづいていますから、仮にその大木に何かが作用していたとしても、それが彼に手出しすることは出来なかったでしょう。ルカによる福音書11章24~26節にあるように、誰も主人のいない家には喜んで入りこんできますが、すでに確かな主人がその人の内にいる場合はどうにもならないのです。

それにしても、祈りによってその作業に入るという貞美氏の扱い方は完璧です。単なる迷信として考えて何も知らない人が気軽に扱ったら危険があったかもしれません。ちょうどこの話の舞台も正月だし、大晦日の記事としてはふさわしかったでしょうか?? 今日から兄一家が帰省してきます。色々話し込んで、しばらくゆっくり書くことが出来なくなるかもしれませんが、すぐに再開します。
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by dynabooksx | 2010-12-31 06:18 | いと小さき者の一人

 今回のところも特に好きな箇所です。


四、クリスチャン事業家となる決心

 大正十四年ブラムエル・ブース大将来日、仙台の東八番町にあった衆楽館で大集会
があった、その時、前田貞美氏はこの救世軍特別集会に出席したく万難を排して、こ
の地方からは只一人、腰弁当で出席した。
 大将の話の中で彼の心をとらえた所は「私は日本を訪れて一番感じた事は、日本と
言う国は誠に風光明媚の点と又何処でも私を心よく迎えて呉れて心から感謝をしてい
る。今日は、かくも多くの方々が私の話を聞く為にお集り下されて感慨無量である。
この中には、県知事の奥さんが居るかも知れない、又紙屑拾いの奥さんも居るかも知
れない。然しこの人々の本当の価値はどこにあるのだろうか、もしこの知事の奥さん
が自分の与えられた仕事をせずに一日を過したとする。又一方紙屑拾いの奥さんが自
分の与えられた仕事を精一杯したとすると神の前に真の価値を発揮したのは、この紙
屑拾いの奥さんであると思う。今、ここにお寺の庭掃き坊主が十人居たとすると、こ
の中で「頭」となるものは誰よりも仕事に熱心で十人の中で模範となる者である。こ
れは一国で例えていうと総理大臣であろうが彼は国の中で一番政治に明るい人でなく
てはならぬ。即ちこの庭掃き坊主の「頭」も、総理大臣と何ら変るところがない。大
切な事は自分の与えられた仕事に忠実に最善を尽してやる事である……。」と言われ
た所であった。当時三十才の彼の心は燃え上った。そこで彼は帰りの車中秘かに決心
をした。
 ブース大将の言われた「与えられた仕事に忠実なものは一国の総理大臣と同等の資
格がある」という事が妙に彼の心を狩り立てた。その頃彼は財政も苦しく、事業も一
大苦境に立っていた頃であったが、青年前田貞美氏の心は 「神と共なる人生」のすぱ
らしさに魅力を感じ、キリスト教と事業が結びつく、本当に神に喜ばれる事業をやろ
うと決心をした。つまり損得で物事を判断するのではなく神様から見た善悪で考えて
行動をしようと思った。又それは例え、損になる事であってもやろうと決心した。彼
は言った「私は今まで自分のやっている瓦事業に、はっきりした使命観をもっていな
かったが今はもうはっきり決ったぞ。私がこの界隈で”十人の中で一番すばらしい赤
瓦を作る奴だ”と言われる様になればそれは総理大臣と同等の資格がある訳だからナ
と」、だが彼には一つの悩みがあった。それは一方では「瓦事業をやろうとする意
思」と一方では、熊田小三郎氏の様に「救世軍士官にならねばならない」と思う二つ
の心の戦いであった。その頃彼は目が悪く、近くの眼科に通っていた。彼はキリスト
教に熱中して居った折りでもあり、又接する人にキリストを証言して居った時でもあ
り”機を得るも機を得ざるも常に励め”(テモテ後書四・二)という聖言に励まされ
て、彼は機会を捕えて伝道に励んでいた。折りしも彼は病院の待合室で、自分の順番
が廻って来る間、そこに居合わせた人々に福音を語り始めた。それを患者の治療をし
ながら聞いていた院長の栃久保先生は非常に感動した。いよいよ彼の番になって彼が
治療室に入って行った時先生は言った「君もクリスチャンかい、実は私もクリスチャ
ンだよ。私も一時は牧師になるか、医者になるか迷ったものだ、然し私は神様に召さ
れて牧師となって人を救うのも、また医者となって人を救うのも同じであると考え、
私は遂に医者として立つ事に決心したのだ。」と。
 それを聞いた彼の気持は一層かきたてられて自分の職業を通じて神の栄を現わそう
と決心したのであった。斯くして彼は祈りに祈った末に神様から示されて、「クリス
チャン瓦事業家」として立つ事に専念したのであった。この栃久保先生は、当時小高
町の教会の牧師であった杉山元治郎氏(後の衆議員副議長になった人)の教えを受け
た人であった。この牧師の感化を受けた人々の中に、元小高町長をした半谷専松氏
や、元幾世橋村の村長や農業協同組合長をした志賀一郎氏等があって、これらの人々
は町の発展の為に尽力されたのである。この志賀一郎氏と彼とは無二の親友であった
から、村会にあっても又農協理事時代にも互に力を合せて助け合い常に前田貞美氏の
味方になってくれたそうである。志賀一郎氏は其後教会を離れて救世軍の軍属となっ
た為に、志賀氏が亡くなった時は遺言によって救世軍司式で組合葬の盛大な葬儀が営
まれたのだがこれも前田貞美氏との関係が深かったからであったと思う



+++++引用終わり+++++


与えられた仕事に忠実である。当時来日した二代大将ブラムエル・ブースの講演から感銘を受ける。神に仕えるというと、何か日常ではない特別なものを想像する人が多いのではないか。確かに、聖書にあるように再び生まれ変わって(born again)新しくなった者にとっては、人生の意味、価値観が変わるので、それまでと同じものを見ても全く違って見えるようになる。平凡でなんの変化も感じなかった毎日に、日々息づいて働き、背後から促してくるものを感じる。貞美氏は、自分が現在与えられている瓦事業の意味に、そのような価値観の変化を感じたのだろう。

人はうわべを見るが主は心を見る 第一サムエル記 16:7

人は見た目の立派さや実績で評価をするだろう。しかしこの方はそれとは違うところを見ておられる。何をしたのかが重要なのではない。その方の意思に従い、自分の心、動機を献げて今与えられている職務に忠実に歩めばよい。困窮し苦闘している瓦事業の中で、そこに突き通す光を見たのだろう。

信仰によって人生を歩み、一生をそこに献げたいと思った貞美氏が、これからの展望を考えた際、自分に最も影響を与えた小三郎氏のように、救世軍士官になるべきかどうかを悩んだのはよく分かる。これは私自身もそうであったし、遙か前に私の父も同じ事を考えていたからだ。父の場合は、農家の長男で身体障害者の父親(私の祖父)を抱えて、それを捨てていくことは出来なかったという。私の場合はどうかというと、可能であり、私自身もそれを望んだが、どうもそれは許されないらしい。それはどういうことかと興味のある人は私に直接聞いて下さい。

この地に戻ってきて10年が過ぎた。不思議なきっかけで戻ってくることになったのだが、ここまで様々な事があった。途中で壁にぶつかって立ち止まらざるを得ず、投げだそうとしたこと。その一つ一つの中で、主に信頼し、そこに問い続け、聞き従うということで、道が開かれるという事を体で学んだ。様々なことをしてきたが、私も妻も、ふと振り返るといつの間にか一つのことにしか興味がなくなってしまった。結婚以来、激しく互いの主張をぶつけ、戦いを繰り広げてきた私達夫婦も、不思議とこの事に関しては、ピタリと意見が一致する。互いが最も大切にしている事柄が同じだからだ。

これから先、どんなことが待ち受けているかは分からない。しかし、私達が道を切り開いて用意しなくとも、すでに「私が道であり、真理であり、命なのです」という方がおられる。その方の後をついていくだけの人生とはなんと楽ちんなものであろうか。今日はその方と、何を話しながら歩こうか、そう思うとまた楽しくなる。
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by dynabooksx | 2010-12-30 06:08 | いと小さき者の一人

大風のため、早朝からの自転車でも出動はなくなりました。じっくり書くことが出来ます。今回の所は、ちょっと長いでが、ひとくくりの部分ですから続けました。酒とたばこに関する部分ですが、これと、キリスト信仰と本質的にどのような関係があるのかと思われるかもしれません。まぁ、読んで下さい。

+++++以下引用+++++

三、厳正禁酒禁煙の実行

 熊田小三郎氏はいつも「あなたは酒さえ止める事が出来たら、博愛的な人物になれ
るのだがナ。」と言ったが、彼は自分自身では誰よりも真面目な正直な男だと思って
いたけれどもどうしても酒は止める事、が出来なかった。
 或る夜彼は村の一青年と酒を飲んだ末に、その青年の家に行って色々と語り合つて
いたが、話のはずみで彼は何げなく「それはそうと時代は、もう君達の時代であって
老人の時代ではないぞ」と、その青年の父が側に居る事をすっかり忘れて言ってしま
った。ところがその青年の父はその言葉を気にして「年寄りと釘は引っ込んだ方が良
いな」と言って、サっと座をはずして次の部屋へ行って「こたつ」の中に入ったきり
出て来なかった。この老人は村で相当の有力者であっただけに、貞美氏のショックは
大きかった。「これは大変な事を言ってしまったワイ」と思った彼は、老人のいる部屋
まで行ってあやまったが「何も前田君があやまる必要はない。君の言っているのは悪
い事ではないのだから」と言って相手にしてくれなかった。そしてその老人は風呂に
入って、隠居部屋に入ったまま寝てしまった。困つたのは彼である。翌日謝りに行っ
てもその調子であった。それを見かねた奥さんが、中に入って「こんなに謝っている
のだから貞美さんを許してやったらいいのに」と言われて、その老人はやっとの事で
前田氏の失言を許したと言う事である。それからと言うものは、彼は「酒を飲むと失
言が口をすべって出て来て人を傷つけるものだから、何としても酒は飲むまい」と思
ったのだそうである。そんなわけで熊田氏から貰った 「禁酒のすすめ」を読んで、煙
草の方はそれ以前に止めたが、今度は酒を止める事に踏み切る事にしたのであった。
丁度その時分”だのしみ会”と言う「無尽」が出来て、彼もその仲間に入る事にし
た。然しどの会合でも初会の時は「洒を出すのがきまり」で、その「たのしみ会」の
初会合も例に違わず酒と魚が出された。貞美氏は「飲助」だと近所の人々から言われ
ていたから、側に座っていた人々は酒を彼にすすめたのは当然であった。ところが彼
は「実は感ずるところがあって禁酒を断行する事にしたのです。」と言って断った、
ところが会衆の一人が「何だ。前川君。アメリカの真似をしたのかい。幾らアメリカが
禁酒国だと言ったところで、飲むやつは人の居ない海へ船を出してこっそり酒を積ん
で行っては、飲んでいるそうではないか。君に禁酒が続くものではない。」とあざ笑
った。そこで彼は憤然として「私か禁酒するのは、詰るところはこの村の為なのだ。
私が酒を止める事によって村の発展に金銭をささげて、博愛衆に及ぼす事にしたの
だ」と言ったので、その時から彼に酒をすすめる者は一人もいなくなったのであっ
た。そこで彼は「自分の家庭を酒飲みの場所にはしたくない」又「この家の主人はキ
リストでなければならない」という信念からはっきりと禁酒の旗色を鮮明にする事に
したのであった。
 元来この村では一年に一度「人足勘定」という村の集会が、年の暮に催される事に
なっていた。そしてその集会の場所は毎年「廻り番」になっていて、その年は前田貞
美氏の家でする事になっていた。ところがその集会の後は「酒宴」がつきもので、集
る人々は大びらに飲めるものと決めていたのであった。だが彼はこれを機会に「家の
に酒を持ち込むのを禁ずる事」に意を決して祈りをもって、その宿になる前日「酒を
持ち込む事を禁ずる手紙」と「禁酒のすすめ」という救世車の出版物々を各家庭に配布
して廻ったのであった。その時配布した手紙の内容は次のようなものであった。

  「御祝福を祈り上げます。
 愈々本年も残り少なく相成り、さぞ御多用の事とお察しいたします。さて本年人足
勘定の宿は私宅で致す事になり皆々様と、楽しく御面談の出来ますのを喜んで居りま
す。其の集会の折、北沢組の壱長持殿から御話をして戴く事になって居りますが、こ
の際貴殿にも誠に無躾なる御願いながら、是非共御諒解願いたい事がありますので申
し上げさせて頂きます。それは皆々様の御承知の様に、私は大正十一年六月に、世界の
「禁酒団体」である「救世軍」の厳正禁酒主義に立ち、禁酒する事を約束したのであ
ります。若し酒類を用ゆる時は、この主義により、自分自らその救世軍々籍を抜け
ねばならないのであります。これは皆々様の御気に召されない事はよく承知していま
すが、それでも私は勝手がましく、今回の私宅に於ける会合にも酒を出さない事にし
て居りますので左様御承知下さい。今やわが法律も青年禁酒法を二十五才まで延長さ
せたいものと、将来の日本が禁酒国になる様にと祈り続けていますので、この意のあ
るところを御諒解の上、酒類の代りに他のもので間に合わせ慰労の御祝いが出来ます
れば、この小さき私にとりましては誠に感謝の外はございません。ここに年末人足勘
定の慰労の「祝日」に先立ち、誠に失礼の御願いながら折入って御願い申上げる次第
でございます。尚貴家の上に神様の御恩寵を祈りあげます」
 いよいよ翌日はその集会の日であった。予定の時問に前田家には組の人達が大勢集
った。区長は「人足勘定」が始まる前に集まった人々に相談をかけた。「前田君から
前日御依頼の件につき御審議を御願いします」と言うと、皆しばらく沈然しておった
が、元老の一人から発言があって「前田君の処だけは酒を入れない事に承認したら良
いではなかろうか」と言ったので、二、三人が賛成の手をあげると、これに全員が和
して遂に満場一致で、元老の意見がパスしたのであった。
 彼はその頃少々養鶏をやっていたので鶏五羽をつぶして「鶏御飯」をたいて皆に御
馳走した。彼の禁酒は損得づくではなくあくまで主義に徹した行動であったから、む
しろ酒を出す以上に金銭のかかる会合であったのだ。村の人達は「こんなに御馳走を
受けては気の毒だから、かかった経費分皆で出し合おう」と相談したが「いや、あの
がんこな堅い人だから金は受け取らないだろうから、後日改めて何か御礼しよう」
と言う事になって、集会はなごやかに終ったのであった。
 その後村の人たちは金を出し合い、反物を買って御礼に来たそうであるが彼は「か
えって鶏より高い品物を戴いたよ」と苦笑していた。それ以来彼の家では、「集り
事」 「儀式一切」どんな場合でも家の中には酒を入れた事がなく、五十年後の現在も
厳正禁酒主義で通っているのである。
 ”一粒の麦地に落ちて死なずば、唯一粒にして、死なば多くの実を結ぶべし”
                       (聖書)



+++++引用終わり+++++


正直、我が家のことだけで捉えれば、この酒とたばこの件に関して、救世軍と関わらなくてもたしなむ文化がほとんどない。というのはおそらく、私の曾祖父(明治一桁生まれ)が残した遺言にそのような旨が書かれており、当人もほとんどそれをしなかったので、今年4月になくなった祖父もまたそうだった。このような文化は、おそらく他家からの養子であった曾祖父が、その実家が酒のことで苦労していたことで、養子の身である自分はそれでは失敗すまいという強い思いがあったのだと予想される。実際、現在残されている我が家の田(農地解放前は現在の数倍だった)、その他のほとんどは彼一代で築いたという。

明治維新直後に農家の子として生まれている彼だが、倉に残されている書物を見るに大変な勉強家であったことが分かる。たくさんの書物を読み込んだ彼が、もしかしたらかなり早い段階で聖書に触れているのではないかと思わせられる部分もある。本文ではない、曾祖父の遺言の話になってしまいそうだが、良い機会なので載せておこう。
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どうでしょう、冒頭から繰り返し飲酒に関することに言明しています。また、3項目の「努めて陰徳を施し、決して応報を求むるなかれ」等は、そのまま聖書の「右手のしていることを左手に知らせるな」に通じている。現在我が家に残っている土蔵は曾祖父が残したもので、その建立のきっかけは、当時の飢饉に困った村人を助けるための事業としてだったのだという。
聖書と我が家の繋がりは、かなり古いのではないのかと密かに思っている。

というわけで本文に戻る。貞美も酒に関しては苦労したようで、本文にも一つの失敗談が載っている。酒というのは如何なるものだろうか。私はこれ自体が害悪だとは思わない。これも立派に神の創造物の一つであり、だいたいにしてイエスは「大食漢の大酒飲み」と言われていた。私自身は、普段から全く遠慮なく言いたいことを言い、やりたいことをしているのでほとんどストレスがないので必要を感じないのだが、酒を飲むことで、普段の緊張から解放されリラックスできるという側面はあるだろう。しかし、種類の精神依存性がかなり高い事は広く知られている。問題は、酒、ドラッグにかかわらず、この依存性についてだろう。
初めは、寂しさや不安を紛らわすためのものであったが、いつの間にか抜け出ることが出来なくなった例は身近でも多く聞く。精神レベルで見ると、酒やたばこ、麻薬等の分かりやすいものばかりでなく、金や権力、名誉等々も同様の効果があるように思う。聖書に拠るならば、創り主以外に寄り頼む結果になるこれらのものの全ては、人にとって害になり、身を持ち崩し、命を失う結果になるという。ただ、これは人間を霊的存在として捉えて初めて明確になってくる事柄で、目に見える現世を中心に捉える限り、意図するところは理解し得ないであろう。
そういう人は、自分の人生を自分の好きなように使って何か悪いのだと思われるだろう。それはそれで当然のことで、自分の主人は自分だと理解しているので、仕方がない事だ。だが、一見自由に見えるその生活には平安がなく、いつの間にかその欲するものに縛られ、がんじがらめになっていく、、。

あれ? 本文に沿っていますかね。禁酒禁煙にこだわりながらも、その背後にある彼が大切にした一貫した生き方が読み取れるでしょうか。そこを読み取ることが出来なければ、禁酒禁煙もなんの意味もありません。ただの不自由です。要は、何を禁止するかではなく、何に信頼するかです。その結果、優先順位の低いものは不要となっていくでしょう。それがなければ、どうしても埋めることのできない空虚な部分を、代わりのもので埋めようとするしかなくなるでしょう。そこには、依存に陥る可能性が高くあります。

それにしても、貞美氏の慎重さと知恵の深さが光りますね。ここで、背後に流れている彼の祈りが読み取れるでしょうか。この大きな転機をきっかけに人生のより大きな部分を捧げ、その信頼の中で安らぎ生きるようになっていた姿が目に浮かびます。問題が大きければ大きいほど、彼は生きた神との交わりの中に、確かな道を見いだして行ったのでしょう。


一方で、こういう指摘もあるでしょう。そういうあなたも依存症ではないの? と、、、。それには胸を張って答えたい。その通り、私はキリスト依存症であり、十字架依存症であり、聖霊依存症であると、、、。一度味わってしまうと、この中毒からはほとんど逃れられそうにはありません。

あれ? やっぱり本文を無視しているような、、、。
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by dynabooksx | 2010-12-29 07:00 | いと小さき者の一人

次に行く前に、、、。

生活のリズムが崩れて朝の静かな時間が取れなくなると、落ち着いて文章を書くことは難しくなる。明日の朝も早く出かける予定なので、続きを書くことが出来るかどうか分からないが、先に進む前に一箇所振り返っておきたかった。

それは前回の

キリスト教を信ずれば、(一)誘惑に勝つ事が出来る。(二)志を立てる
事が出来る。(三)自分が人間として生れてきたわけがわかる。」


という部分。ピンとこないですかね。そんなこと、人それぞれだから、何か志なのかなんて固定されないし、生まれて来た意味なんて偶然でしょ? と考えているかもしれない。

しかし、キリスト教信仰によって、私達の創り主を見いだし、活きて働くその方との関係を回復していくとき、自分が自分として形創られた存在の意味を見いだし、その目的によって生きるようになるでしょう。

何をして生きるのかよりも、何のために生きるのかをよく考えてみたい。少し記事が離れたので、再度先日の講演を紹介しておきたい。

・苦しみの意義 2010年12月17日いわきにて

・質疑応答



追記 音声データは引き取りました。
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by dynabooksx | 2010-12-28 23:53 | いと小さき者の一人

心に響く言葉

 こういうわけで、わたしたちは信仰によって義とされているので、わたしたちの主イエス・キリストを通して、神に対して平和を持っています。
またその方を通して、わたしたちも、いま立っているこの恵みの中へ信仰によって入ることができ、そして神の栄光の望みのゆえに勝ち誇っています。
それだけでなく、わたしたちは患難(かんなん)の中でも勝ち誇るのです。
それは、患難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生み出すことを知っているからです。
そして希望は、わたしたちに恥をかかせることはありません。
なぜなら、わたしたちに与えられている聖霊を通して、
神の愛がわたしたちの心の中に注がれているからです。
      新約聖書(回復訳)ローマの信徒への手紙5章1~5節



忍耐といえば普通辛いことと思われている、我慢することと思われている。
キリスト信者の忍耐とはそんなものではない。
キリスト信者の忍耐とは優に耐えるということである。
すなわち神によって、希望をもって、喜びつつなんの苦をも感じることなく、耐えるということである。大きな船が波濤に耐えるように、大きな家が地震に耐えるように、一種の快味をもって世の苦痛に耐えることである。
これを忍耐というのは耐えるという意味からそういうのである。忍ぶという意味からいうのではない。
もしキリスト信者の忍耐を意義なりに表そうとするならば、これを歓耐(かんたい)というのが適当であると思う。
彼の信仰の充実するときには、我慢、辛抱の意味においての忍耐は彼にはないはずである。

                         内村鑑三著書「感想十年」より


私は、もちろん「キリスト信者」「クリスチャン」なのだけれど、「イエスっ子」だな。
私の全体に聖霊の息吹が流れている。イエス様の思いが胸にあたたかく迫ってくる。
心が苦しいとき、問題に直面したとき、悲しみにであうときでも、他に心をうつりそうになると迷ったり、不安でいっぱいになりそうになるけれど、
いつもその手前で心が「あ~大丈夫だ~」とまるで温泉であたたまっているようにホッとして、安心感が満ちてきて、心が落ち着く。
心も体も、魂も全部しみついているんだね。この方の血が。イエス様に愛されすぎている。この安心できる愛の中で自由にのびのびしている私、嬉しい~♪
私は、生粋のイエス・キリストっ子だなぁ。イエスっ子だ~!

*江戸っ子といわれるのは、江戸で生活する家のだいたい3代続く長男のことや、3代前から江戸(東京)で生活してきた人のことをいうようで、私も祖父母からキリストを受け入れて生活してきた3代目で長女なので、やっぱりイエスっ子。という感じでまとまったかな?
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by dynabooksx | 2010-12-28 08:40 | 愛理の子育て日記

酒に関することで意見の衝突があり、小三郎氏を解雇した親方。その後、頼みにしていた事業が急に立ちゆかなくなり、追い詰められる中で弱く高慢な自らの姿に直面する。しかし、ここからがこの親方の並の人でない所。いったん間違えを認めたら、身を翻し、真理だと思った道を直進する、、。


+++++引用開始+++++

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写真はずっと後のものです。

 熊田氏はその頃、平の南町に住み瓦屋の職人をしていたが、蓄膿症手術の為に病院
に入院して居た。そこで貞美氏は御見舞金三円を熊田氏に送ると同時に「救世軍」を
知りたいから、何か本を送って貰いたいと別に五円か同封した。熊田氏は早速彼に
「聖書」と救世軍発行の「五十二文集」「平民の福音」「十字架の救い」などを送っ
たのである。貞美氏はこれらの書籍を夢中になって読んだ。そしてかつてパウロがキ
リスト教徒を迫害した様に熊田氏を迫害した事を悔い、パウロがダマスコ途上で稲妻
に打たれ馬上より落されて、キリストの声を聞いた様に、彼の霊眼は開かれたのであ
っだ。そこで熊田小三郎氏に「もう一度来て働いて呉れぬか」と一筆依頼状を書いて
出したのであった。今度は熊田氏を職人としてではなく、キリスト教を教えてくれる
「先生」としてであった。つまり貞美氏の偉大さはここにあった。主人が職入の言い
分に耳を傾けてその教えに従うと言う事は、よほど自分を無にしてヘリ下らなければ
出来ない事である。神に仕える事は謙遜に自我を捨ててイエス・キリストの弟子にな
る事であって貞美氏はこれをやろうとしたのである。早速熊田氏はやって来た。もう
その時は、熊田氏は「救世軍士官学校」へ入る決心をして居り、その為の「入校費」
を蓄える為に彼の工場にもう一度働く事になった。熊田氏は前田家の一員になるやい
なや、伝道をしはしめた。彼は「人間の罪」という問題にふれ、その罪から救われる
にはキリストの十宇架による人間の為に流された尊い血汐によらなければならない事
を教えたので、貞美氏は今までの罪深き生前を悔い改めると共に、酒、煙草をすてて
断然禁酒禁煙主義を実行する旨を決心したのである。一方熊田氏のキリスト教伝道熱
は盛んなもので彼が、前田家に来るや否や「今晩前田貞美さんのところでキリスト教
の伝道集会を行います。」と近所にふれ歩き、瓦の干場に筵を敷いて薄暗いところで
「ヨセフ物語り」其他を語って聞かせ、霊魂の悔改めを迫ったのであった。神と共に
歩む信仰は勇気を与えるもので、近所の人も熊田氏の大胆さに驚異の目を見張ったの
であった。この部落には昔から「地蔵様の御祭」というのがあって参拝者も多くて栄
え賑わった。或る七月二十四日の縁日の前夜、例年の様に盆踊りがあった。お堂は太
平洋に面した崖の上に建てられ(今は海岸が荒浪に削られ、昔からくらべると五十米
も西に移動して今日まで三回も移転している)その前に櫓が建てられて、笛や太鼓の
賑やかな盆踊りが始まった。その時、熊田氏は只一人「救世軍」の名入りの赤提灯を
提げ、制服制帽姿で、野外伝道を始めたのだからびっくり仰天した。軍歌を歌い始め
ると人々は皆、何事ならんと熊田氏の周囲に集って来たので、彼は集った人々に福音
を宣べ伝え始めた。キリスト教を信ずれば、(一)誘惑に勝つ事が出来る。(二)志を立てる
事が出来る。(三)自分が人間として生れてきたわけがわかる。」と語り始めると踊りの
場所が白けて盆踊りが出来なくなった。村の青年会の若者達は怒ったのも無理がな
い、その内の誰かが「その野郎を海にたたき込んでしまえ。」と怒鳴った。「へびの
如く聡く、鳩の如く素直なれ。」と言う聖言があるが熊田氏は廻りの状況をみて、へ
びの如く聡く鳩の様にその場をのがれて、難をのがれたのであった。当幾世橋村では
救世軍を誰も知らなかったので珍らしがられた一方、誤解もされて迫書もされた訳で
ある。或晩前田貞美氏宅で救世軍の集りをする事になったので、赤バンドの付いた帽
子をかぶっている救世軍人が村にやって来た。村の人々は「共産党がやって来た」と
早合点をしたのだ。村の一部の人達は相談して「この村に共産党員が入って来たから
今晩前日瓦屋の家を取り囲み共産党の話が出たら皆で共産党員を追い出そう。」と言
う事になって集会に、スパイをを出席させた。ところが何時まで経ってもキリスト
教の話ばかり出てきて「共産主義の話」をしないので弥次るつもりで来た村のスパイ
達はかえってキリスト教に感銘し、その時の回心者は五名もあって良い集会であった
そうである。その時分「小高町」の戦友で、二本松兵士というのが土曜学校の集会で
迫害に逢い、窓ガラスに石を投げられて、集会を中止した事もあった程であったから
前田瓦屋における集会は大成功といっても過言ではなかった。然し熊田氏も又貞美氏
も信仰一途の人なので、迫害されればされる程神により頼み、信仰から信仰えと進ん
でいった。当時「キリスト教に入信する」と言う事は「生か死」の問題であった。親
類からは見捨てられ、ののしられ世間からは、つま弾きされた。それ故貞美氏は「よ
く(村八分)と言う事を言うが私は(村十分)にされたよ」と当時の村民の冷たさを
今でも語っている。前田貞美氏が晩年になる迄、燃えるような信仰の恵みに満たされ
る事の出来だのは、一つには困難、迫害、貧乏、事業の不振などに逢う度に神に近ず
き、ヘリくだる事を教えられ、忍耐を学び、錬達を教えられ、平穏無事の時に受ける
喜び以上のすばらしい、神の恵みが与えられたからである。この力こそ誰も奪う事の
出来ないもので、強い信仰と希望と愛を生み出し、外見は普通の人間と変らないけれ
ども、心の中は全く別人の如く、神と人との奉仕の為に働いたからだと言えよう。



+++++引用終わり+++++

前回、窮地に立たされる貞美氏と、今回の続きの間で切ってしまいましたが、ここで回心した親方の取った行動が、最も感動を誘うところです。いったん、小三郎氏が筋の通った真理に生きていると認めるやいなや、自分の立場を投げ打ってへりくだります。乾いたスポンジのような貞美氏の魂は送られた書物をむさぼるように読み、ごく短期間の間にキリスト教の真髄の神学を身につけた事が想像されます。

同時に私が注目したいのは、熊田小三郎氏の変化。あり方は前と一貫していますが、貞美氏の回心と連動するように、彼の大胆さも一気に増して行っているように見えます。このように、キリスト者は一人でもキリスト者でありますが、互いに高め会う友を得ることでそれまでに無かったような深い霊性が現れることがあります。このような友人を得ることができた人は幸いでしょう。

私は以前、口頭で貞美氏の話を父から聞いていた際、何故戻ってきた小三郎氏が舞台からいなくなるのかが不思議でした。これを読むとその理由がよく分かります。彼はその後、士官学校(救世軍の神学校)への入校を決めていたのですね。その限られた期間のなかで、なすべき事をなすという思いがより小三郎氏を奮い立たせたのでしょう。

後半の内容については、何か付け加えようとする気になりません。彼らを取り巻くどんな社会的状況も彼らが出会った真理を妨げ、喜びを奪うものにはなり得なかった。
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by dynabooksx | 2010-12-27 06:48 | いと小さき者の一人

飛び出した!

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只今、用事でお出掛け中だったのに。。。
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by dynabooksx | 2010-12-26 14:38

二、熊田小三郎氏との出逢い

 彼の職人に、熊田小三郎氏と言う熱心なクリスチャンが居た。当時、平市に救世軍
小隊があって彼はそこの軍曹であった。「着物に袴」が救世軍の制服で、帽子は今で
も使用する赤バッドに「救世軍」と記されているものであったがそれを買うのが大変
で「消防の帽子」を借りて粘土で救世軍の記章を作って、色をぬって使用していた。
何時も、只一人で野戦(救世軍の路傍伝道)をやり、至る処で証言(信仰をもってか
らの喜びの体験談)をしていた。元来貞美氏の事業契約は酒がつきものであった。勿
論貞美氏自ら酒が好きで、彼を訪れる人を呼び止めては、 接待」に事よせては、よ
く酒を飲んだものである。ところが彼は酒癖が悪くてよく酒を飲んでは、暴れたもの
であった。或る時薪を馬車で二十五台分程買って馬車曳き五人を家に引づりこんで酒
を飲もうとした時、熊田氏は台所に大きな字で「真実の人 酒を好まず」と言う字を
書いて貼った。これには彼も非常に驚いた。今、酒を飲もうとした矢先でもあり「な
まいきな事を書きやがった」と心に憤りを感じた。然しよく考えてみると、癪にもさ
わるが本当の事なのでその紙を剥すにも剥されずに、そのままにしておいたが、後目
酒宴がある毎に、その貼紙が目ざわりで心が責められた。熊田氏は仕事も真面目でよ
く働いたが、主人の彼にとってはどうも「救世軍人である事」が気に入らず遂に熊田
氏を追い出す事にしたのであった。ところが熊田氏は彼の家を去る時「あなたには色
々御世話様になりました。この御恩は決して忘れません。特に仕事の面では善い勉強
かさせて頂きました。もし何時でも何事かがあった時は一筆下さい、何でもあなたの
為には飛んで参ります。お別れに際してあなたにて一言申し上げておきたい事がありま
すが、それは聖書の言葉に”自ら立てりと思う者は倒れぬように心せよ。”と言う事
であります。」と言って立ち去ったそうである。ところがあとに残った職人達は、あ
の真面目な人を追い出した主人のもとに居る事は将来性が無いとみてとったのだろ
う。彼が仕事を山程引き受けた頃合か見計らって、ストライキを起した。彼の困り方
は大変なものだった。丁度蟹の足をもぎ取られた様に、身動きが出来なかった。彼の
生活は苦しくなり瓦造りも頓挫してしまった。そこで彼は「一思いに三枚岩の崖から
飛びおりて死んだ方がましだ」とヤケ酒を飲んで、或晩ほろ酔い機嫌で断崖の上まで
行ったが、子供や妻の事を考えて死ぬに死なれず帰ったそうである。その時思い出さ
れたのは、熊田氏が別れる時に言った「自ら立てりと思う者は倒れぬように心せよ」
と言う聖書の言葉であった。絶体絶命になった彼は、苦しくなればなる程自分の性格
の弱さ、自分の高慢さが、悲しくなり遂に「兜」を抜ぐ様になったのであった。

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我が家の作業場もそうなのですが、この辺り一帯の赤い瓦の家はほとんど前田瓦店で葺かれたもの。ヤソの赤瓦として有名だった。

+++++引用終わり+++++

ごめんなさい。続きを読みたいでしょうが、ここは一番盛り上がる場所なので、続けるとどこまでもいきそうなので区切りました。ここは、私の下さらない説明は要らないですかね。当時ここ福島県浜通りでの救世軍の拠点は、「平」今の「いわき」にありました。人口の数から言って当然でしょう。現在でも人口2万人程度の町にあるのは、ここ浪江と北海道の遠軽ぐらいだと聞きます。

貞美氏は、ここで熊田小三郎氏との運命的な出会いをします。彼は平小隊の軍曹だったようです。当時どこに住んでいたのかは分かりませんが、普段は前田氏の瓦工場で働いていたのですから、60km程度離れた平まで日曜は通っていたのでしょうか。

ここで酒の話が出てきますね。特に酒は仕事上のコミュニケーションにおいては欠かせないものだったのでしょう。ただ、後にその記事が出てきますが、その生活の道具である酒のために、彼はいくつかの失敗を経験したようです。繰り返し、目にすることが出来るようにと、その酒盛りをしている場所に張り紙をする小三郎氏の知恵と度胸が光ります。また、癪に触りつつも、書いてあることが本当の事だと認めているが故にそれを剥がすことが出来ない貞美氏の「曲がったことが嫌い」な性格もよく表れています。

そこから先の話はまさにドラマですね。去り際に残した小三郎氏の言葉。まさに、そこではそれしかないというポイントをずらしません。感嘆しますね。私もこのように時と場所を逃さない者になりたいものです。

文字通り崖っぷちに追い込まれる中で劇的な回心をした貞美氏。ここから、物語は急加速していきます、、、。
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by dynabooksx | 2010-12-26 06:12 | いと小さき者の一人

一、前田貞美氏の生立

 彼は、西は阿武隈山地が南北に走り、東は太平洋の怒濤逆巻く荒波を目前に眺むる
福島県双葉郡浪江町大字幾世橋字棚塩北沢において、中農の父前田作二郎、母ハツ氏
の五男として、明治二十六年十二月二十五日呱呱の声をあげた。

 高等科四年を卒業して、兄の美見氏のところに、瓦戦を習うべく弟子入りをした
その頃、村の楽しみの一つに「夜ごもり」と言うのがあった。村祭りの晩は、やぐら
の下に集って盆踊りが始まり、笛や太鼓で夜中まで踊りまくったものであった。彼の
友達もよく「夜ごもり」に出かげ、彼もよく誘われた。然し彼は青年の頃から、漠然
としてではあったが「真の神様は、どこにおられるかは解らないが、確かにおられる
筈だ」と思っていた。それ故、皆が担ぎ廻っている神輿と称するものは偶像の宮であ
つて、そんなものは拝む気にもなれないし、担ぎ廻る事も馬鹿らしくなって奉納の
「盆踊」をする「夜ごもり」にも行く気にはなれなかったと言っていた。彼は根が正
直であったので、理屈に合わない曲った事は大嫌いであった。

 そうこうしている内に
六年の月日は流れ去って、金三十五円の奨励金を兄の芙見氏から貰って「弟子の年
期」を終り、独立して製瓦事業を始める事になった。父から僅かばかりの土地を、同
村の「原田」と言う処に貰って、浪江町の「樋渡」に住む石川太吉氏から、古い馬小
屋(二間半に四間の建物)を七円五十銭で買って来て瓦工場とし、それに九尺二間の
先掛を下ろして住いにした。杉皮ぶきの非常に粗末な家を建てたのであった。(前付
写真参照)後日彼が人々に語って、”自分は非常に情けなく思ったのは、ある時俄か
雨があって、二粁程先の「浦尻」と言う村の人々が雨宿りに立ち寄った時であった。
この急造の家は雨漏りがひどく、炉の中にも出水がたまる始末で、居るところがなく
て家の隅の方で家内と二人でかがみ込んで居た。その様子を見て、いつも一冗談をと
ばす彼等もびっくりして、ただ呆然として同情して立ち去っていったが、この時ばか
りは自分の腑斐い無さにつくづく涙がこぼれたと言っていた。雨が降る度に折角
乾かした未完成の「平地瓦」が倒れてくずれてしまった事が幾度もあり、彼の当時の
製瓦事業は悪条件の連続の戦いであった。

 当時「五円」の金を借るのにも証文を入れなければ、借りる事が出来なかったそう
で、後日「記念の為に」と証文を保存しておいたが、時々彼は「話の種」にそれを出
して私にも見せて呉れた。ある時「五百円」の金を借りるのに、保証人をつけたほか
に、家や、屋敷を抵当に入れ、一年契約で借りたのであったが、それが期限が来ても
支払う事が出来ず、他の人から借りては支払い、又別な人から借りては支払い、家や
屋敷が転々として他人の手に渡って、自分の名義になるまでには大分手数が、かかっ
たそうである。

 この町には、昔から「十日市」と言ってて旧の十月十日に「市」が立って賑わったも
のである。村の人々は「一年中で一番の楽み日」として前からこの日の為に仕事を急
いで、一段落させて町へ出かけたものであった。或年、彼は子供にせがまれて丁度四
人目の子供が生れて、夫人が床についている時だったので、七才と五才の子供を両手
に、三才の子供を背負って子供可愛さのあまり町へ出たものの、小遣銭が無く、店の
並んでいるところは通らずに裏通りを通って自宅に帰って来た。子供達は「十日市」
とは露店のある賑かな所とは知らずに「ただ花火が鳴るもの」とばかり思っていたと
言う事であった。その夜、彼は聖書を開き、「狐は穴あり、空の鳥はねぐらあり。さ
れど人の子は枕する所なし」と言う箇所を読み、イエスキリストは枕するところも無
ト程御苦労された事を思い、未だ自分の苦労はそれからみれば小さい事だと思って、
どんな苦しみでも忍んで行く決心をしたのだそうである (三十四才の貞美氏と三人
の子供の写真参照)
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奇しくも、写真の彼は現在の私と同年である。


++++++引用終わり+++++

貞美氏の生い立ちにあたって、その前に前提として聖書が示す世界観、空間認識についての話をしておこう。私たちが通常認識出来る範囲はたかがしれていて、現在は飛行機で世界中を飛び回れる時代になっているが、まだ宇宙に飛び出すことの出来る人は少ない。しかしその宇宙には膨大な空間が広がっていることが確認されている。それでもそれは、現在主流の物理学でも、無限ではなく有限な空間であると考えられており、聖書でもそれを支持する。

まぁ、通常の人ならばどこまで広げたとしても、空間認識の範囲はここまでだろう。しかし、探索範囲を物質世界から霊的世界にまで引き上げると、その範囲は一気に拡大する。この宇宙(SPACE)は数多くの天体が輝く漆黒の闇。聖書はその外側に天(天国)というさらに膨大な空間があると説く。かつて、万物を創られた神(天国空間も創った神、実際に活動をしたのは実はイエス)は、そこに自らを賛美する天使(被造霊)を創られた。ある時、神に対抗するサタンがその勢力の三分の一を率いて反乱を起こしたのだという。神は、その勢力を閉じこめるために、暗やみの空間、物質空間である「宇宙」を創った。創世記の天地創造はそこから後の話となる。

ですから、私たちの生活している宇宙は、霊的働きによって顕在化し物質化した被造物と、その土の成分を使って神の形に形取った肉体に、神の息「自由意思をもった被造霊」を吹き込まれて生きるものとなった「人間」。そして、宇宙に閉じこめられている神に反抗する霊的勢力と、その諸勢力に完全に支配されるこの世界において、創造主の意図を反映する霊的存在である、天使、聖霊、と聖霊が肉体に宿ったイエスが舞台となる。
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あったあった。春平太さんの所から拝借しました。



どうして、こんな長たらしい理屈を最初に述べるのだろうかとお思いかもしれないが、実はこのグランドデザイン、世界観がキリスト教、聖書の柱なのです。これがないと、聖書は現世での処世術を書いてある単なる道徳書のように捉えられてしまう可能性があるからだ。もし、十字架や復活というものが語られなかったとしても、この世界観が提供されただけで、人の精神活動は一気に安定する。現在の科学では実証できない種の問題だが、生と死のこと、私達や私達を囲む世界がどのような位置づけになっているかを知ることで、私達は自分の立つ足場を確保する。これをもっとキリスト教会でも強調して欲しいと思う。また、世界を飛び回るビジネスマンにとっても、キリスト教を受け入れるからどうかは別として、欧米人がいかなる世界観をベースに持っているのかを知識をして持っておくことは、彼らを理解すること、また交渉事等において大変有益になることだろう。


と、本文に戻る。私が最初になぜこの世界のグラウンドデザインについて述べたのか、、。それは、物質世界の背後にそれを重なるように支える霊的世界があることを示しておきたかったからに他ならない。

「神は霊ですから、神を礼拝する者は霊とまことによって礼拝しなければなりません。」ヨハネ4:24

また、聖書の巻頭である創世記の天地創造の場面では、霊的存在である創り主とそこから発せられる言葉によってこの物質世界が創り出されていく様子が描かれている。どれも「霊→物質」の流れで事は起きる。

多くの人は目に見える物質世界にしか目を留めないが、まれにそれとは違う感度を持った人物が現れることがある。第六感と呼んだらよいだろうか。理屈では説明が難しいことだが、霊界とやりとりをすることが出来る高い霊的センスを持つ人がいる。これをもっている人は、後で開発されてくる面というのもないわけではないが、さかのぼってみると、ほとんど生まれつきであるといっていい性質があるのが普通だ。その人は、誰に教えられたわけでなくても、漠然と直感で物事の本質を見抜く能力を所有する。この前田貞美氏もキリスト教に全く触れずとも、幼い頃よりそういったセンスを持ち合わせていたのだろう。このような人は、目に見える世界だけでは違和感を感じ飽き足らず、真実を求めて探し続けることになるのが普通であろう。だから、後に聖書の神に出会うことになるのは当然だとも言えよう。
私が思うに、こういった特質は、子孫へも反映されていくものだと思われる。現れ方や向かう方向が違ったとしても、我が家でも4月に亡くなった祖父、父、そして私へと受け継がれているように思うからだ。ただ、この感度を持っている人が、真実へとたどりつけなかった場合、その人生は苦しいものとなるだろう。どこまでも違和感を感じつつも、それを押しとどめて無理やり自分を曲げて生きなくてはならなくなるだろう。だから、私は先にそれを知った者として、自分の親族やまた前田家の子孫への使命を感じているし、貞美氏が後ろから呼びかけているような気がしてならない。

ここからは、笑い話なのだが、子供の頃我が家も本当にお金がなかったので、私はいつも3人ぐらい着古したものを着ていたし、めったに親からおもちゃ等を買ってもらったことはなかった。上の記事と同じく「十日市」に行った際、あれが欲しい、これが欲しいといった挙句、何も買ってもらえず、最後におやき一つぐらいを貰って帰ってきた覚えがある。そのことを小学校のとき作文に書いた所、そのリアルな書き味が先生に大変評価されたことを憶えている。そんな所も時代が違うとはいえ、貞美氏となにか繋がっている気がして笑える。
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by dynabooksx | 2010-12-25 07:07 | いと小さき者の一人

無事帰ってきました。

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 前日に突然ひらめいて、24日の夜はキリスト愛の福音教会 Christ Loving Gospel Churchに行ってきました。集会後、話が盛り上がって家に帰ったのは午前1時過ぎ、、。郡山は結構な雪で、ノーマルタイヤがちょっと心配だったけどやはり浜通り、全く雪の気配はありませんで、家は街灯と部屋の電気を付けておいてくれていました。クリスマスイブの日に出かけちまってごめんな。でもいい時間だったよ。

ここでは、いつも礼拝の様子をブロードキャストしていますが、私も勝手にiphoneでライブを流していました。途中から手に持っているのが疲れて、高い棚の上に置いておきましたが、下が映っていなかったようですね。でも雰囲気は十分伝わるでしょう。郡山のみなさん、ありがとうございました。

http://twitcasting.tv/hama_kaze/movie/843528#
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by dynabooksx | 2010-12-25 02:13 | 真也の雑記帳

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。