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福音の力

 愛理のフィリップ女の記事に触発されて私も書きたくなってきました。山室軍平著の『平民の福音』はなぜか我が家に転がっていたようで、それを見つけた彼女は感動し、涙を流しながら読んでいたようです。『リバイバルの前夜に』というカテゴリーも作ったようですので、きっとここからもう2つ、3つエントリーを書くことでしょう。私も、一つ寄稿します。

 私が注目したいのは救世軍の創立者ウィリアムブースが言った言葉だ。

『真一文字に魂に行け、極悪人に行けよ。これがすなわち救世軍である。』

 極悪人という言葉は、現代に馴染まない言葉だが、言い替えると『最も救いがたく、人間社会から見捨てられた、また最も福音を必要としている人々に行け』ということだろう。私は、この精神に心から共鳴する。なぜなら、この原理はイエス・キリストから来ているものだからである。

 福音の力とは、上から下に流れる『死の原理』によって発生する力である。自分の持っているものを放棄し自我に死ぬことによって発生する驚くべき力である。こんな有名な逸話がある。

13世紀にアッシジの聖フランシスコという人物がいました。彼は弟子達とともに物ごいをしながら生活し、日々神様のことを黙想していました。このフランシスコがあるとき、弟子達に『一緒に三週間断食しよう』と呼びかけたそうです。
 しかし、断食が10日以上過ぎたある日のことです。皆で道を歩いていると、お粥を持っている人に出会いました。するとあまりにもお腹を空かせた一人の弟子が、つい無意識にそのお粥を取って食べてしまったのです。それを見たほかの弟子達は彼を取り囲み、いっせいに彼に軽べつのまなざしを向けました。『おきてを破ったお前はもうこのグループから出なければならない』という雰囲気が漂いました。お粥を食べてしまった弟子もわれに返り『あぁ、俺は何てことをしたんだ!!』という顔をして、弟子達の間に緊張感が走りました。
 ところが突然そこへフランシスコが割り込んできたのです。そして自ら『実は私もめちゃくちゃお腹が減っていたんだよ』と言い、自らお粥を食べたのです。そしてほかの弟子達に向かって『みんなもお腹が空いているのだろう、一緒に食べよう』と言って皆で食べました。


 フランシスコは断食の目的が、神への悔い改めと謙遜にあるのであって、決して見せかけの修行ではないことを身を持って示した。集団が律法主義に陥って行ったとき、一人の人が自らの存在を懸けて本当の事を語り、罪の雰囲気をかぶるとき、全体が生きたものへと変化する。
 このことは、キリストの十字架での赦しがどのようなものであるかを現している。弟子が罪を犯すと当然責められるが、リーダーが罪を犯した弟子の立場にへりくだる事によって解放の力が発生するのだ。神の子であるイエス・キリストが地上に来られた事によって、私たちが救われた事と同じ原理なのだ。
 福音の力が発揮されるとき、人々の間に本当の『権威』が発生する。現在社会のあらゆる共同体は、本当の権威が失われたために崩壊の一途をたどっているが、福音が輝くときに共同体も回復していく。もうすぐ多くの人がそのことを見るだろう。
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by dynabooksx | 2007-08-31 14:49

 朝方、ちょっと嬉しいニュースを見つけました。最近、濃い記事ばかりなのでこういうのも一種の清涼剤となるでしょう。記事、本文載せます。出展はこちらから、、


   セブンイレブンが売れ残り弁当を飼料に
 コンビニ最大手のセブン-イレブン・ジャパンは29日、東京23区内の約1000店舗で売れ残った弁当や総菜などの期限切れ商品を、9月から家畜用飼料として活用を始めると発表した。

 これまでは堆肥(たいひ)に使ってきたが、飼料にまでリサイクルするのは流通業界内でも珍しい。フランチャイズ加盟店全体での取り組みを促す改正食品リサイクル法が年内に施行されるのをにらんで、今後茨城、埼玉、千葉の3県の店舗でも飼料化を進めていく方針だ。

 飼料化を委託するアグリガイアシステム(千葉県八街市)が、1日に250トン処理できる工場を同県佐倉市で9月から本格稼働する。売れ残った商品を冷蔵車で毎日回収。工場ではラインに手作業を多く取り入れ100%の活用を可能にしたという。

 セブン-イレブンの山口俊郎社長は「(売れ残り弁当の)リサイクル後も、(その飼料を使って育てた豚などを)商品として使えないとリサイクルは定着しない」と説明。この飼料で育てた豚や鶏を、店頭で売る弁当の食材などに使うことを検討する。

 セブン-イレブンの1店舗から出る1日当たりの生ごみは約15キログラムで、全加盟店では150~180トンに上る。



 これまで、膨大な量を廃棄していたことを考えれば、大きな一歩である。私も、廃棄物処理業者として嬉しいニュースである。がしかし、本文で書かれているように、この飼料で育てた動物を消費者がどう認識するだろう。コンビニの食品加工工場で働いていた経験がある人は、自らがその食材類を食べることはないと聞く。化学薬品を多用した弁当類を食した動物の影響はどうなるのであろうか?
 それとも、そんなことを考えること自体がナンセンスであろうか。魚介類のほとんども汚染されているという。食物連鎖の頂点に立つ人間は、生物濃縮を避けられない。考えられる最も現実的な対処法は、自給自足による作物中心の生活であろう。やはり、私は他の人々のためにも、そういった世界を確保しておく必要があるのだろう、、、。
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by dynabooksx | 2007-08-31 08:42 | 真也の雑記帳

フィリップ女 

a0023043_1457144.gif 救世軍初代士官及司令官 山室軍平著 平民の福音 明治32年初版(著者27歳の時執筆)より抜粋

 。。。。。フィリップは英国人である。目下ある家に女中奉公をしておる。いわば平凡なる一奉公人に過ぎない。しかしながら彼女は最も勇敢なる神の兵士である。又忠義なるキリストの僕である。全てを捧げて同胞の救いのためにに働いておる敬虔な女丈夫である。奉公先が非常に忙しいため毎週ただ一晩だけ、気ままに用いうる時間があるのをのぞいては、年中しばらくも暇な時とてはもたない。朝から晩まで汗水たらして、絶えず主人の用事をしておる。そしてその一週にただ一晩の休暇の来るのを待ち兼ね「ときのこえ」を携えて、あまねく近辺の居酒屋を廻り、牛のごとく飲み、馬のごとく食い人間の値打ちも品性も取うしなっておるあまたの放蕩者、不孝者、酒酔いなどを相手に。救世軍軍歌を歌い、祈りをなし、キリストの救いを説き聞かせ、悔い改めを促し「ときのこえ」を買うて読まんことを勧め、一意ただ、彼らの救いのために戦うておる。そうして彼女がこの毎週の一夜、すなわちわずか数時間の活動において、売る所の「ときのこえ」の数は50部70部に及ぶ。。。。さても勇敢なる神の兵士!

 英国において罪とがの第一歩はいつでも居酒屋から始まる。。。かのフィリップ女は、なんでもこの一週ただ一夜のとうとき時間を最もよく用いたいと思うものから、いつも単身この罪とがの巣窟(そうくつ)に攻め入り、いわゆる虎穴に入りて虎子をうることを、その務めとしておるのである。もとより居酒屋の主人は、これを好まない。酒酔いはこれを迫害する。しかしながら彼女はキリストの名のため攻めをを受くるを喜びとして、大胆に、しゅうねく、しかも快活、親切に、同じ働きを続けておる。

 ブース大将の言葉に『真一文字に魂に行け、極悪人に行けよ。これがすなわち救世軍である。』

。。。。。思うに救世軍の救世軍たるゆえんは、ひとりブース大将の力にあらず、その組織、主義にのみよらず、別に人の家の下女下男たり、商家のでっち小僧たり、職工たり、農夫たり、車夫馬丁たる人々のうちまことと血と火の精神を持って、大胆に信仰の戦いを戦う。たとえば、前の女兵士フィリップのごとき人物の力によるところが最も多い。立てよ、わが軍人諸君、諸君の大部分は皆フィリップ女よりも身が自由で、フィリップ女よりも多くの便宜を有し、フィリップ女よりも恵みがあり、力ある人々ではないか。なぜフィリップ女同様、否 むしろ彼女以上に活動をすることができないであろうか。(「ときのこえ」第四十七号)



 聖霊が導く救世軍!聖霊が知恵を下さる救世軍!聖霊が癒してくださる救世軍!聖霊が奇跡を起こしてくださる救世軍!
 ただ聖霊の導きに頼る救世軍に立ち返ってくれたら。。。。。
                        レポート by愛理


 余計なお世話かもしれませんが、夫の追記です。愛理は唐突に『聖霊』と書いたので違和感を持たれたかも知れませんが、きっとこれは他に書きたいものがあったのに、途中でいったん記事を区切ったからでしょう。しかし、この表現は彼女の心からの思いでありましょう。偶然我が家で見かけた救世軍の出版物の中に、本物を見た思いだったのでしょう。教会の主は聖霊です。なぜなら教会は聖霊によって生まれたからです。ペンテコステは、聖霊が教会を生んだ誕生日です。聖霊によらなければ、教会は呼吸することはありません。山室の時代に彼の目から見た世界に彼女は共感したのでしょう。何を書きたかったんだか良く分からなくなってきたので、このあたりで終わります。
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by dynabooksx | 2007-08-30 17:55

特殊訓練コース

 随分前から、このテーマについて書こうと決めていた。これまでの文章の中にもちりばめられてはいるが、このことに集中して書いたことはなかったように思う。

 ある人は、ここまでの私の歩みを知り、神の偏愛だという人がいる。私も、確かにこの神様は随分私にしつこく関わる方だなぁと思う。なぜだろうと考えてみても分からない。あまりに哀れだっただからだろうかぐらいのことしか思いつかない。
 この神様は、私が彼に従うかどうかなんてことはお構いなく呼びかけてくる。もう滅びますから相手をしないでくださいと、両手を離してバイバイしているのにほおって置いてくれない。ありがたいのか何なのか、大変しつこい方である。

 この方は最初、大変強烈な登場の仕方をしてきた。人生の意味を模索しつつも翻弄される私に、強烈なインパクトで迫ってきた。ただただ一方的に流されてくる恵みを溢れるほど浴びた。
 そんな経験をすれば、二度と忘れることなど出来ないはずであろうに、その後私を荒野へと導いた。何もないところで、次第にもがきはじめ、私の中には本当に何もないことを知り絶望するに到った。何もないはずなのに、私のいのちの炎は消えきってはいなかった。相当小さな光だったかも知れないが、一度植えられたものは消えないで確かに残っていた。
 それ以外に、一度壊れてしまった私を形作るものはないのだと悟ったとき、その小さな光の中に私は吸い込まれていった。中に入ってみるとそこは外からは考えることが出来ない世界だった。あんなに小さく見えたものが、全てのいのちの源だった。そのいのちは全てのものを生かしていた。それに拠らないで創られた物は一つもなかった。

 これまでなんでこんな事に気付かなかったと後悔したのだが、一つ一つこれまでの歩みを振り返ってみると、これ以上に適切な道はなかったのだと、逆に納得させられた。

 私の歩んだ道のりは『特殊訓練コース』であった。以前、お世話になった牧師先生に私の歩んだ道のりを話したとき、『それは体験したいと思っても、誰も体験できるものではない』と言われたことがある。それは、荒野というか砂漠の経験であり私の人生の内で最も苦しいときであり、また恵みのときでもあった。
 誰が自分でそんな歩みを計画できるだろうか? 誰が喜んでそんな道のりを歩むだろうか? 私は、なぜ自分がそんな苦しい体験をするのか、その時は理解することが出来なかった。しかし、この経験がなかったら、主の歩んだ道の意味を体験として知ることはなかったであろう。

 荒野の経験は、それまで私が自分を鍛錬し、うまく作り上げてきた私の外殻を吹き飛ばした。たいていの力ではびくともしないだろうとタカをくくっていた人格の骨組みを破壊した。本当は大変もろく、柔らかで、壊れやすい私の内面をむき出しにさせた。全ての人間的努力を全て吸い尽くし、それ以上何もないというところまで私を追い込んだ。
 私は随分とそのことを憎んだが、今はその背後にあった神の計画を思い、心から感謝している。

 神は、私の理解を常に超えたところで働かれる。随時その業の深さをかいま見せてはくれるが、到底読み切れるものではない。ただただその圧倒的恵みと力に屈服するのみで、嫌だといっても最後は降伏せざるを得なくなる。この方の計画以上に確かなことはないことを体験から知っているからだ。

 神は、私に特殊訓練コースを用意した。当然、その後に特殊任務が待っているのだろう。
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by dynabooksx | 2007-08-30 10:26 | 真也の視点

リバイバルの源流

 リバイバル(wiki参照)という言葉を聞いたことがあるだろうか? キリスト教用語であろうが、日本語で言う『信仰復興』の事だ。説明を読むと、一度信徒となったものの情熱を失った信仰が再び回復する意味のようだ。

 クリスチャンだったらしばしばこの言葉を聞いたこともあるだろう。教派によっては盛んにこのことを呼びかけているかも知れない。私が、この言葉を書くのを読んで、皆さんどんなお気持ちになるでしょうか? それにしても、最近の私の文書は濃すぎますね。遊びがないっていうか、何というか、、、。何か、福音以外の事を考えられないんですよねぇ。何をしていても心の中を占領しているっていう感じで、、、。愛理も、キリストと共にある喜びと、そこから断絶を感じている人々へのキリストの悲しみを感じて、泣き笑いの生活をしているようです。

 リバイバルという言葉。想像されるに『盲目的な熱心さ』とイメージされるのではないでしょうか? とにかく、現状を見ることを止めて熱狂的になるというような、、、。確かにそういう見方も出来るでしょうが、そこにある源流はきわめて単純なものであるようです。

 アンテナを張っている人は聞いているでしょうが、今から100年前、当時クリスチャンがまだ1%にしか満たなかった朝鮮で平壌から始まるリバイバルの波が起きました。その波はどんどん大きくなり、朝鮮半島全土を飲み尽くしていったのですが、今年韓国から日本へ来る宣教団体が多いのはこのためです。オンヌリ教会をはじめ、韓国の同胞達が、日本の福音化のためのビジョンを神から与えられ、そのために時間、お金、労力を捧げています。

 このリバイバルの基となったものは何でしょう。昨日のQTの場所にエッセイがありました。一部抜粋します。

 1903年、元山では二人の女性宣教師が集まり、朝鮮にリバイバルが起きるように切実に祈りました。二人が始めた祈り会はだんだん大きくなって、多くの宣教師たちが集まり、神に叫び求めるようになりました。そんな中、祈り会で朝鮮のリバイバルのための集会を企画し、江原道で働きをしていたロバート・ハーディ宣教師が講師として招かれました。神は説教を準備するハーディ牧師に聖霊を強く注がれました。みことばを伝えるハーディ牧師を通して、集会に来ていた人たちが次々と悔い改める御業が起きたのです。
 『おお、主よ! お許し下さい。朝鮮人達は未開民族だと思っていました。彼らが本当にあなたに出会うことが出来ないと思っていました。主よ、私の傲慢な心を悔い改めます、、、。』
 ハーディ牧師はトロント医大を卒業した秀才でした。そんな彼が江原道での宣教活動では何の実も結ぶことが出来ず失敗ばかりしていました。彼は、失敗の原因が朝鮮民族のせいだと思っていました。しかしそんなハーディ牧師が泣きながら悔い改めると、他の宣教師たちも告白し始めました。『私もそうでした。』『私たちもそう思っていました。』
 このことによって罪がなんなのか、悔い改めとは何なのかを知らずに生きていた朝鮮の人々が、罪を悟り、憎んでいたことを悔い改め、赦すことを学び、涙を流しながら祈るようになりました。
 そしてこの熱い悔い改めの涙が集まって、1907年には『平壌大リバイバル運動』が起こります。1886年、トーマスの殉教をはじめとし、ジェームス・ホール宣教師がいのちを捨てたピョンヤンの地、神は殉教の血を流したこの地ですばらしいリバイバルを起こし、塩と光の情熱を持った神の人々を立てられました。



 ああ、全文載せちゃったよ、、。私のくど~い説明はいらないでしょう。神よ、私に律法からではなく、恵みによる悔い改めを与えてください。
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by dynabooksx | 2007-08-29 06:26

集約された人生

 人の一生は大変はかないものである。どんなにたくさんの努力をし、多くのことを成したとしても、たいていのことは時代の流れと共に廃れ、消えてゆく。一生に与えられた時間は限られており、日々それを消耗していく。地上で何を成したら、誇ることが出来るであろうか。全知全能の神の前に、何を弁解できるであろうか。

 はかないように見える人の一生でも、キラリと光る生き方をする人がいる。夢に向かって突き進む人がいる。その人はどんな困難な中にあり、高い壁が前に立ちはだかろうとあきらめない。目標に向かってまっすぐ一点に力を注ぐからだ。
 どんな誘惑も、その人を捉えることが出来ない。目標以外の価値に関してその人は全く関心を持たない『死んだ人』だからだ。
 その人は、誰よりも大きく崇高な目的を持っている。それ故にその人は自分の全人生を懸けようとするのだ。
 そういう人を身近に持つ人は幸いだと思う。その人を見るときに人生は捨てたもんじゃないなと力をもらう。一点に集約された生き方は、周りにいる人の人生に意味を与え、生きる力を発生させる。

 私は、そういう人を知っている。その人と出会ったとき、私の内面に大きな変化が起こった。あまりに自堕落で、破滅を願う自分の内面に辟易していたとき、その人に出会った。その人の生き方は、私に希望を与えた。瞬時に私もそんな生き方が出来たらとあこがれる気持ちを持った。


 その人の名はイエス・キリスト。この人は、初めから一つの目的を持って地上に生まれてきた。その目的だけに彼は生まれ、育ち、活動していった。その目的は、人の思いつかないような壮大な目的だった。
 その目的は『死ぬこと』だった。人々の痛み、憎しみ、呪いをその背中に負って死ぬためだけに彼は生まれてきた。
 彼は初めからそのことを知っていた。彼は、弟子達や民衆達に囲まれ華やかな時を送った時もあったが、だれも彼の真の目的を知らなかった。彼は孤独だった。誰が彼の心の内を知ることができただろうか。彼は、神の身分でありながら、滅び行く人の姿となり、そのはかない姿を憐れんだ。時には怒り、時には堪えられずに泣いた。

 一点に集約された人生は、力を持つ。仮にその人の成したこと自体が大変小さなものであったとしても、周りに与える影響力、感化力ということにおいて他を圧倒する。
 彼が十字架で死んだ後、彼と共に時を過ごした弟子達は、後に神から送られる命の聖霊、キリストの御意思を受け取ったとき、ただ一つの目的に集約された彼の人生の意味を知り、生き方が一変した。自分の命が危険になるかも知れないという恐れはどこかに飛んでいき、主(あるじ)と同じように他者のために、他者の魂の救いのために、キリストがご自身の命を懸けて目の前に見せたその人生の意味と、為すべき生き方ついて伝えるためにだけ人生を用いるように変わったのだ。

 もはや彼らを止められるものはこの地上にはなかった。その一人はこう証している。

私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。

 キリストの命に預かるという喜びを経験した者にとって、この世の困難は問題ではなかった。殺されても、殺されても彼らは突き進んでいった。迫害に会えば会うほど、彼らは、主人の歩んだ道を想いさらなる喜びに溢れるのだった。


 集約された人生は力がある。何も人に誇ることがなくとも、どんなに非難されようともキリストの拓いた道へと一点に向かってゆく人生は、敗北することがなく、滅びることがない。
 
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by dynabooksx | 2007-08-27 20:06 | 真也の視点

 ある書籍のハ・ヨンジョ先生の紹介文より。。。 
  若い頃、神様が吹き込んで下さった福音の情熱によって、「使徒の働き」そのままの教会の夢を立ち上げていく、ビジョンメーカー。現在ツラノ書院代表、オンヌリ教会主任牧師。韓国・建国大学と長老会神学大学を卒業しアメリカ・バイオラ大学名誉文学博士とアメリカ・トリニティー神学大学名誉神学博士学位を取得。2005年、韓国教会史学研究院が選定した「韓国教会10大説教者」に選ばれている。等々経歴は素晴らしいのですが。。
 
 それよりも。。。。 
 ハ・ヨンジョ先生は重い糖尿病で、週に3,4回の透析を一回4時間しています。
肝臓ガンも患い6回も手術を受けています。その他肉体の病、痛みを数々患っています。しかし、ハ・ヨンジョ先生は、2000年前に救い主イエスキリストの十字架によって完結された、罪の赦し、病の癒し、呪いからの解放により、自分の病も既に癒されたと、治療しながらも完全な癒しを神様が取り扱って下さると信仰によって宣言されて、そのように導かれています。悪霊に苦しめられている人をイエスさまの名によって悪霊を追い出し、数々の病の癒しをされています。
 ハ・ヨンジョ先生のメッセージは、聖書そのまま語って下さり、イエスさまのあたたかい愛が神様の御心がそのまま心に流れ込んでくる感じです。心揺さぶられる感動の涙が溢れてきます。全ての栄光を神様にお返ししようとする、謙遜なメッセージです。聖書を読み祈ることがクリスチャンの生活の最重要チャージで、それを導いて下さる聖霊の事がよーく分かるので、信仰生活が日々祝福されていると実感できるようになります。
 キリスト教書店などで先生の書籍を、ネットなど私達のブログでメッセージ等。
要チェックです!

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by dynabooksx | 2007-08-26 19:04 | 愛理の子育て日記

カニ捕り

a0023043_17374539.jpg 
救世軍御一行が来られているときも近くの海に出かけ、小ガニ数十匹とでかガニ数匹を捕まえたが、皆で出かけたのがこれまでにもまして楽しかったらしく、昨日と今日、次男知希君に何度もせがまれ、同じ所に連れて行ったのだった。

 私達が行くのは通常の海水浴場ではなく、母の実家の側にあるテトラポットの積まれた浜だ。複雑に積まれたコンクリートの隙間にたくさんの生き物が隠れている。小さいカニほど動きが素早く高度な技術が必要になる。反対側を刺激して逆側から逃げてきたところをガバッという具合で捕まえる。いくら頑張っても無理なものは無理で、いけそうなやつを瞬時に判断して一気に捕まえる、これが肝要である。

 ふと、これは伝道に通じると思った。神が望まれない所に我力でいくら力を投入したところで、成らないものは成らない。いったん力を抜いて全体を見渡すように眺めてみると、チャンスがたくさん転がっている事に気付いてくる。要は、神が与えるその決定的チャンスを逃がさないことであろう。

 また、テトラポットに上って水しぶきを浴びつつ、波の動きを見ていた。後を付いて長男が上ってくることもあるが、私は気にしない。まずこの子の運動性能では落ちる事はまずないからだ。普通に考えて、こんな場所は学校では危険場所に指定されていて、親がいればともかく奨励される遊び場ではないだろう。テトラポットは2重3重に積まれているので、高さは一番高いところで5メートルほどある。4つ足のタイプのため様々な姿勢で複雑な形を作っている。表面も注意しないと、腐食して玉砂利やカラス貝が尖っている所もあり、うっかりすると足を切る。
 そんなところでも、上まで上ると遥か見渡せる海が見える。波が打ち寄せる場所には、反対側では考えられないほどのカニや貝がびっしりある。

 収穫は、一歩遠くへ、予想できない危険な場所に出なくては発見することは出来ない。初めから安全が保てる所でやすらぐだけでは、まだ見ぬ畑を刈り取る事は出来ないだろう。鍵になるのはこの神様なら絶対に大丈夫だという安心感と、ちょっとの冒険心なのだ。

 絶え間なく波が迫ってくる。波は浅いところに来ると急激に高さを増し砕けてくる。ここ太平洋の波は荒い。サーファー達が見えた。楽しそうに波と戯れている。
 浅瀬を、自分の足で歩いて移動することを目的としていたら、打ち寄せてくる波はどんなにか邪魔なものだろう。行く手を阻むように次々打ち寄せ、足下をすくってくる。

 しかし、波に乗ることを目的に考えてみたらどうだろう。とたんにその意味は変わる。うねり自身が楽しみとなり、より大きな波や嵐が来ることを望むようになるだろう。
 私は、霊的な波に乗りたい。それを遠くにある時から発見し、間髪なく最適なポイントで乗りこなす者になりたい。波は私が起こさなくても良い。神がそれを絶え間なく用意して下さる。それを感じる感性と一気に加速し飛び乗る勇気があれば、あとは波が好きなように運んでくれる。自分の足で歩くことと比べたら楽々である。そんなことを考えていたカニ採りであった。
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by dynabooksx | 2007-08-26 17:26 | 真也の雑記帳

真也からの言葉

 おはようございます。今日も気持ちの良い朝です。昨日までこちらに来られていた皆さん、朝夕寒いとおっしゃっていました。本当に秋ですね。同時に光希も一泊のキャンプに出かけたこともあり、皆さんが帰ってしまった我が家は、秋の雰囲気と混じり合い廃墟となったようです。
 本当に楽しい時を過ごさせてもらいました。ゆっくり話しをすることができなかったと愛理が言っていましたが、彼女の方が私以上に嬉しかったのだと思います。かつて救世軍での生活は彼女にとっての人生そのものでした。葛藤し苦しみながらもその団体を愛し、力の多くをそこに注いできました。
 表に見える働きと、心の内面がずれはじめ、そろそろ限界を迎えるというときに私と出会いました。私は、彼女の信仰姿勢を批判し、救世軍の現状(その時見ていた範囲ですが、、)を非難し続けましたが、それでも彼女は救世軍を愛していました。彼女は祖父母、父母とを牧師に持ち、その長女として多くの重荷を負っていたのでしょう。彼女は、仕事の傍ら、目の回るような奉仕をこなしていました。きっと、次第に言うことを聞かなくなってくる内面を押さえ込むように必死に働いていたのでしょう。

 私にとって、愛理を背負うと言うことは、多くのものを捨て去り、私の能力以上の事をするのを意味していましたが、結果言葉に表すことができないほどの恵みを味わいました。振り返るとなんとも不思議な世界です。皆さんがこちらに来て下さるのも、愛理がいればこそだと思います。
 あれから10年が経ち、彼女の信仰は私の先を行こうとしています。彼女の内に流れる伝道者としての血がそうさせるのかも知れません。一度は呪った人生に、神が新しい意味を与えるとき、彼女の喜びは内に留めておくことができないほどになりました。彼女は、あう人を次々祝福し福音を伝えることにのみ人生の意義を感じています。
 パウロのような人生は、私というより彼女を指した方が適当かもしれません。以前の姿を考えれば、驚くべき事です。神は彼女の内に聖霊を送り、常に御心を示し続けます。その為すことは次々と実を結んでいきます。私は、その実りをただただ喜んで眺めるばかりです。

 今回のキャンプ、本当に楽しかったです。こちらはしばし、もとの渋川祈祷院に戻ります。次に来られるときは、この世の抑圧に苦しんでいる人を連れてきて下さい。私達は、その人を神に預けることしかできませんが、それ以上に確かな事はないと確信しております。
 最後に、戦うことを止めないで下さい。祈ることを捨てないで下さい。あなた方を手枷、足枷して身動きができないようにする力から解放して下さるように祈り求めて下さい。霊的な戦いは事前の祈りの中で勝敗が決します。私達の戦いが、霊的なものであることに皆さんが本当に気付いたとき、祈らないではおられなくなるでしょう。キリストを土台に人生の全てが再構築されていくとき、時間がないということもなくなることでしょう。神を知り、神と交わることのみに全ての力を使うようになるでしょう。
 皆さんの上に聖霊が望みますように。皆さんが聖霊によってをもち、病をいやし、悪霊を追い出し、サマリヤ、日本の全土に福音が伝えられますようにお祈りします。すでにあなた方は世に勝っています。私達の主がそれを為されたからです。この方に不可能なことはありません。この方だけに期待する限り、私達は失望し敗北することはありません。主イエス・キリストの御名だけがあがめられますように、、。アーメン

農村キャンプ出席者のレポート見つけました。

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by dynabooksx | 2007-08-25 06:00 | 信仰者の歩み

  この3日間我が家に、東京から救世軍の士官(献身者及び牧会者、牧師)のお友達を迎えて、ワイワイがやがや東京からの10名うち子供4人を迎え、総勢18名と楽し~~く♪過ごしました。
 神様の御心をおこないたいと自分の全てを神に救世軍に献げた人々をもてなすという特権と祝福を頂き、本当に感謝です!
 救世軍という看板を掲げていても、士官という組織の牧会者であっても、この地上で個人が接する家族親戚友人等、出会う方々を大切にして(もちろんすでに大切にしていらっしゃるかと思いますが!)、救い主イエス・キリストの十字架による罪の赦し、病の癒しの奇跡、この世での呪いからの解放を伝えキリストの香りを放つ方々でいて下されば♪と思います。
 明日からの御用も健康が支えられ、神様のみこころに従順でありますように、、、、
  また遊びに来て下さいね!特に可愛い子どもたち~!「スーパーひたち」でね~
                         (含む、N江ちゃん)
                                   シャローム        愛理より

 今回もう少しお話がしたかったのですが、最近夜は、寝ないと生きていけなくなってしまい(まだ33歳なのに悲しい。。だね。。)
 聖日(日曜日)の夜にでも時間が空きましたら、ご覧になってみて下さい。
 私がアーメンと魂うたれるメッセージです♪ではでは。。。。

罪の赦しの祝福   ハ・ヨンジョ師

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by dynabooksx | 2007-08-24 17:31 | 愛理の子育て日記

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。