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尊敬しているお兄ちゃん

 日曜日から仙台の救世軍のお友達が遊びに来てくれました。私たちが行ったついでに連れて来てしまいました。(もちろん、親御さんの許可済みです。)光希、知希が尊敬して大好きな小学5年生のお兄ちゃん♪本が大好きで頭が良くて、ピアノが上手♪ 大人が会話しても面白くてとっても博学なので勉強になるお友達です。あいにくの雨と曇りの天気続きでしたが、晴れ間に海へ行ってカニ取り磯遊び、真也君と一緒にバキュームカーに乗って社会科見学したり、プロレス、ゲーム、キャッチボール等々。うちの男の子二人は楽しくて嬉しくて夜遅くまではしゃいでいました。
 光希は、お友達とのお別れが苦手。今回もまた寂しくて駅のホームへ行けないでしょう。
 お兄ちゃんまた遊んでね!!      By 光希 知希
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       今日の収穫!プチトマトとシシトウ。神様にこの恵みを感謝!
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by dynabooksx | 2007-07-31 12:50 | 愛理の子育て日記

迫害

 先の記事でさらっと『迫害』という言葉を使いましたが、このことについて少し深く書いてみたいと思いました。

 キリスト教の歴史は、使途行伝から始まる初代教会から現代まで、迫害されることとすることの繰り返しだといえると思います。これは別にキリスト教会だけではなくどの宗教であってもあるでしょうし、そもそも人の集まりであれば多数が少数を駆逐することはどこでもある話でしょう。

 初期のキリスト教は、当時のヨーロッパ社会の一辺境地から生まれた宗教で、キリストが十字架につけられたことが示すとおり、反体制の意図を持つとして厳しく弾圧されたものでした。その頃キリスト教徒になるということは、まさに親を捨て、家族を捨て死をもいとわない覚悟のいるものだったでしょう。信徒のほとんどは水面下に隠れ、気付かれないように自らの信仰を守ったのでした。

 日本にキリスト教が伝えられて、数百年が経っていますが、過去にも同じような激しい弾圧が加えられた時代がありました。イエズス会によって伝えられた後の豊臣秀吉と江戸幕府の禁教政策、また太平洋戦争時に国体を守るために天皇崇拝を求められた時期などです。

 先日、ある人と戦中日本のキリスト教会の話をしていたところ、その人が『今は、良い時代だなぁ。そんな迫害がなくて』と話されていたのを聞きました。私は即座に『本当にそう思いますか??』と聞き返し、二言三言話したのですが、私の言いたかったことがどれほど伝わったかは分かりません。

 私の言いたかったこと、、。今の時代は本当に迫害はないのか? ということ。確かに国の権力などがあからさまにわかりやすい形で禁教しているわけではありません。(すこし雲行きが変わっては来ましたが、、) 私がもっとも警戒したいのは、外からは簡単には見えない、私達の魂に直接働きかける『迫害』です。私達の信仰を気付かないうちに内部から溶け出させようとする力です。これを通常迫害とは呼ばないかもしれませんが、これが最も巧妙で破壊力があるものです。目に見える社会的な迫害であれば、追い詰められれば追い詰められるほど、信仰者は神に心を向けてゆく結果になるが、この場合は、神の存在自体を危うくしていく。

 先日、知り合いの牧師と話していたとき、教派の集まりでこんな事を聞いたという。『人を集めるのに、十字架なんて血なまぐさいことを言うのはこの時代に即さないので言わない方が良いのではないか』とある教職者が言うというのです。一瞬耳を疑いましたが、事実のようでこういった動きは私が知っているだけではなく、日本の教会の各所に広がっているのだということが想像されました。人を集めるとか、教会を大きくするとかいう目的の下、世の人が世の基準で満足することを求めようとする。神は必要とされないわけですね。なんという迫害でしょう。もし、こんなところに真の信仰者がいたとしたら、その人の苦しみは想像を絶するでしょう。

 別に、こういった力は今に始まったものではないが、世の中が目に見えておかしくなってくるのと連動して活性化してきているのではないかと危惧している。このことと、先の記事で紹介した本の現象が結びついているような気がしてならない。

 毎週きちんと教会に通い続けている信徒の心を本人が気付かない形で神から引き離していく力、牧師や役員達自体が自分の立場に一生懸命になるばかりにそのことを見抜けず自らそこにはまり込み、信徒をまでそこに引き込んでゆく。そんな強力な力が働いているのを感じます。

 聖霊を強く感じると共に、暗闇の力も強く感じる次第です。しかも敵は圧倒的な数。しかし、追い詰められれば追い詰められるほど、信仰は純化していく。そんな迫害の時代にいるように私には思えるのです。
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by dynabooksx | 2007-07-30 16:49 | 真也の視点

日曜日

 月に1度は仙台の教会に出かけるようにしている。8月も、あちこち出かけることになっているのでこの時だと思い、朝7時に投票を済ませ100㎞北の仙台へと向かった。
 思いがけず、ほとんど初対面の姉妹と出会いそれぞれの信仰についてゆっくり話せた。これまでそれぞれ別の人生を歩んできていても、同じ神と人格的な交わりを持っていると、神に対して同じ印象を持つようになる。そしてもうずっと前から互いに知っているかのような交わりが即始まる。
 不思議なことだ。どこに出かけていっても仲間がいる。どこへ行っても自分の家に帰ってきたようだ。皆が同じ存在によって繋がる家族だからなのだ。

 学校、職場、地域、家庭という共同体が破壊され、その存在意味が薄れていく中で、人々はそんな交わりと安心感をどれほど求めていることだろうか? 天から流れてくる圧倒的なめぐみに皆が潤され、それを外に流さずにはいられなくなる。世の人々は、私達が思うより遥かに敏感に教会にそれがあるかどうかを期待し、注目している。私達が真に無限なる方と接続されていなければ、それが湧き出る泉なのか単なる水たまりなのかをすぐに見抜いてしまうだろう。

 つい最近、私のアンテナにこんな本が引っかかってきた。

レボリューション ~今、教会に起こりつつある革命~
ここでも紹介と説明があります。


 私から見れば当然といれば当然なのだが、米国の教会で新しい動きがあるようです。熱心な信徒達が次々と教会から離れていっているというのです。今日さっそくアマゾンで注文してみましたが、私が思うにこれは新しい動きではないんですね。ここに来て表に見えるほどの動きになってきたのでしょうけれど、もともと聖句主義者達は変に群れないんですよね。群れる必要がないといった方がよいかもしれません。聖書の神との繋がりを最優先しそれからつながる交わりだけでよしとする。後は何もいらない。初代教会のような状態の人達です。きっとその人達は、既存の教会に通いながら、足枷をはめられているような疑問と葛藤を覚え、神に熱心であるがゆえに教会から表からはわかりにくい形の迫害を受けてきた人達でしょう。聖書のみに基準を設け、組織や権力に組み入れられることをよしとしない人達です。
 結果として、そこを出ることによって自由な信仰や楽しさに目覚めていく。聖書、使途行伝が示す原点に還って行くわけですね。読む前に勝手にこんな予想をしてしまいました。違うのかなぁ? 楽しみです。


今回、お会いした方の旦那様は私と同い年でこういうことをなされています。(って知ってる人だけど、、、) ブログ見つけました。

目指せ、世界進出!の前に日本制覇!まずは新潟だ!
~一言メッセージ :新潟発信のパントマイミスト、なかすぺ!の世界!~

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by dynabooksx | 2007-07-29 22:28 | 真也の雑記帳

夏の前半2

 余市に到着してからの恵泉塾と帰り道の画像です。


a0023043_9562012.jpg私達の泊まった、宿泊施設。もしかして、恵泉塾って手作りの掘っ立て小屋(失礼)みたいなものかと想像していましたら、きわめて近代的な建物が並んでいました。水谷先生の息子さんに聞いてみると、『私達は自分達のためではなく、来られた方が最もリラックスしていただけるように、最高のものを使って作りました』との事。以前、汲み取り式トイレだったとき、なれないため何週間も便秘になられた方がいたとのこと。


a0023043_105269.jpg玄関を入ってすぐのところにある囲炉裏。実際に炭をくべることも可能であろうが、床暖房と循環型ヒーターを完備。ここに10人ほど輪を作って雑談することが可能。とてもすてきな空間でした。水谷先生と話したくてもんもんとしていた朝は、ここで聖書を読み、また文章を書いた。ここは、恵泉塾の建物で一番の高台にあり、終わり頃になってこの部屋の窓際が一瞬電波が届くことを発見し、喜んでブログにアップした場所でもある。


a0023043_10114313.jpg すぐ裏手には、犬が5~6頭と鶏小屋。私はリーダーの~(名前忘れた!!)担当で散歩をしました。この犬たち、なぜか仲が悪く、近づくと噛みついてしまうため十分離して繋いである。犬にも平安が必要であろうと思うのだった。私も、セミナーにあまりに没頭したためこの散歩の時間に、運動不足を解消した。犬といえどだんだんと息が切れてきて、上り坂は私に引きづられていました。リーダーファイト!!

a0023043_1021246.jpg 農園の風景、恵泉塾は約15万坪。山と二つの川が流れている。都会から来た皆さんは大変感動していたようですが、すいません。わたしも、ど田舎暮らしなものでなんかいつもの自分の家にいるような感じでした。でも、水田であるこことは違い、傾斜地であることで高低差の眺めがあり素敵でした。

a0023043_10315616.jpg 宿舎の裏にある木工ノア。様々な木工製品を作り出しています。大量生産ではなく手作りを心がけているとのこと。十字架のあわせのほぞなどは手で彫り込んでいるということです。


a0023043_1035341.jpgペンケースやめがねケース、その他。これがまた、良い感じの曲線でさわって気持ちが良い。開閉の扱いは磁石を埋め込むことで実現している。ああ、やっぱり買ってくればよかった、、、。


a0023043_10384889.jpgこんなものも、、。動物パズル。世界中の木を使ってある力作。値段も力作であったため家のガキどもにはもったいないと思い辞退。


a0023043_1040444.jpgスプーンやしおり、ペンダント等も作成している。大変細かい工作はレーザーとコンピュータで行っているのだろう。家族へのプレゼントも含めていくつか買って愛用している。あと、写真を撮ってくるのを忘れましたが、『死を見つめて生きる』とのコンセプトで、棺桶にもなる長いすというものも作っており、様々なオーダーメードに答えてもらえるようです


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 マナベーカリー、星の酵母(でいいと思ったんだけど、詳しいことはわからん)を使い作ったパンがものすごくおいしかった。パンの認識を変えてくれるほどのうまさだった。


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 隣の、テラスで食べたのも良かったのかも、、、。演出がにくい。

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 ここが、セミナーのメイン会場となった恵泉祈りの家。ここでの活動はまだ10年ほどのため、どの建物も新しい。当然、合併浄化槽だった。職業のためか、気付くとマンホールを開けている自分がいた。水質は良好だった。

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 これらの写真は、帰りがけにあわてて撮ったもので、いかに私がそこにどっぷりとはまり、記録をとることなど忘れていたのかを物語っている。よく見てみると、ここで日曜礼拝もしているようだ。
 a0023043_1053417.jpg 講壇の全景、ここで水谷先生の講義が行われた。別訳でびっしりと書き込みのある聖書を3つほど開いて、それを使ってメッセージしていた。
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下の方には今が旬のサクランボを供えてあった。この十字架もノア製作所であろうか? そうであればものすごくほしい。今度聞いてみよう。

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 ちょっと飛びますが、帰りのフェリーの中。台風のうねりがあり、私の泊まった一番安い船首の部屋は跳ねまくり、、。はじめにいた人達も逃げていき、100人は入れるかというその部屋に、総勢3人ほど、、、。それでも疲れていたので寝てしまった。


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 ほとんど、動画での撮影が多かったので静止画はこれだけ。三陸沖あたりでしょうか。いつも通り朝早くから3時間ほどここでもの思いにふけっていました。


a0023043_12231682.jpg 無事到着。光希も知希も嬉しくて一度しがみついたら離れない、、。出発前に収穫を迷っていた最初のスイカをゲットでパチリ。家族みんなで食べました。



あらためて恵泉塾のリポートをまとめて載せておきます。

恵泉塾1
恵泉塾2
恵泉塾3
恵泉塾4
恵泉塾5~驚くべき一致~
一致の続き

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by dynabooksx | 2007-07-28 12:18 | 真也の雑記帳

夏の前半で、、

 7月ももうすぐ終わるところまで来た。梅雨が長引いていたので、まだまだ夏にならないような感覚でいたが、ふと気がついてみると日が昇るのは随分遅くなり、あたりはひぐらしの声が響き渡っている。あれ、今年はすこしおかしい。真っ昼間だというのにアブラゼミの鳴き声があまり聞こえない。すでに夕暮れのような気配だ。

 今月も濃いプログラムが多かったので、記事ばかりになってしまったが、今日はちょっと落ち着いて夏前半の写真を整理しよう。

まず、余市行きから
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新幹線から岩手山が近づいてくる。山好きな俺にはたまらん。
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市内の名所から見た岩手山。う~ん見事な山だ、これは上らなくてはなるまい。

a0023043_141201.jpg本日の目的地の教会、予定より早めについたので、荷物を置かせてもらい。勝手に自転車であたりを散策してきました。岩手大学内を走り回ってきましたが、なんかほっとする感じがしました。
 まだ、私も学生で十分通じるだろう。みんなでの餃子作りと夕飯本当に楽しかったです。また遊びに行くからね。赤が私。
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 翌日は8時前に出発。青函トンネルにて北海道へ。これは、函館方面だったかな。海岸が何ともいえずきれいで、遠浅の海が広がってきました。

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 こんな感じで、聖書と携帯に入れておいたメッセージを聞きながら旅を続けました。ちょっとひらめくと、折りたたみの携帯キーボードでパチパチとはじきながら、、。


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 蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山が近づいてきました。これは遥か80㎞も向こう、函館から長万部に向かう途中から海越しに見えていました。


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 余市まであと数駅の所からのショット。この単線、単車両の各駅停車は14駅3時間というすさまじさ。常磐線に慣れている身でもさすがにこたえた。


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 余市駅到着おめでとう。皆に北海道に来ている旨メールしようと思いましたが、時間が迫っていたので、急いでタクシーに乗った所すぐに電波の圏外に、、、、。やられたー。
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by dynabooksx | 2007-07-27 14:13 | 真也の雑記帳

信仰の資産

 私の父が青年時代を過ごし、私の兄弟達も過ごしてきた隣町にある教会は、現在常駐の牧師はいないが、今もそこにある。来月、合同の昇天者記念会をしようということになったので、父の依頼で昔の写真を整理し、パソコンに取り込む作業をしていた。

 直接、逢ったことのない方々が多いのだが、写真の中の表情は、何ともいえず朗らかで自信に満ちたものだった。私も父からその方々のエピソードをいくつか聞いている。戦前、戦後と走り抜けたこの教会の基礎を創った信徒達は、一見愚直なまでにまっすぐな信仰を持っていたとその話から察せられる。

 ある方は、40歳を過ぎた頃に、キリストに出会ったのだが事業をしていた地元の名士の主人であった。回心した彼は、その足で大きな仏壇を背中に背負い近くの断崖から投げて捨てたのだという。ここは、保守的な農村社会。さらに今から70年も前の出来事である。地域や家族の衝撃は、想像を遥かに超えたものだっただろう。
 私の父は今から30年以上前その方の葬儀の際、近所の列席者の話を近くで聞いていた。『あの人は、かつて仏壇を投げて捨てるなんて、気の狂った事をしたこともあったけど、その後事業で成功し、多くの分家を作った立派な人だった』と、、、、。
 当然と言えば当然だが、世の人の評価はこうである。彼は、年老いて教会に通う際、このような事を私の父に語っていたという。『体もぼろぼろだが、信仰もぼろぼろになったよ』と、、、。私の父は、何もしなくてもあなたが居てくれるだけで良いんだと教会と自宅を送り迎えしたという。
 今となっては想像しか出来ないが、その時代になんと壮絶な人生を送ったのだろうかとその言葉から察せられる。世の人は、彼を狂ったと評価する。教会の人でさえも知恵がないと評価するかもしれない。しかし、私はその人のしたことが良いか悪いかという問題ではなく、その人の行動の裏にある熱い思いにキリストの姿を写す。

 神殿の中で商売をしていた者達の商売道具をすべてひっくり返しなぎ倒し、大声で『お父っつあんの家を、強盗の巣にすんな』と拳を振り上げ鼻息を荒くしている、あの姿である。

 写真を整理しながら、そういったまっすぐな信仰を生きた先輩達の姿を思い、私も胸が熱くなった。私も、直接出会ったことはないが、キリストを感じるようにその方々がすぐ側にいるような気がしてならない。私も、その信仰の資産を受け継いでいるのだ。

 
 日本は今、かつてない自殺者と考えられなかった犯罪に溢れている。聞くものも、驚きから慣れに移行するのではないかと思うほどだ。親は子を、子は親を殺す時代。単に生活に困ってとか、ものほしさにする犯罪ではないもっと根源的な人間の存在そのものを揺るがす事件だ。田舎も、都会ほどではないにしろこの時代の影響を受けていくだろう。私は今になって、ここが『陸の孤島』と言われるほど開発が進まない土地柄であったことを喜んでいる。疲れ、傷ついた人が喧噪を忘れ憩いを得、この囲まれる自然を司っている方に目を向けるには絶好の場所であると思うのだ。私も、そのための備えをしよう。
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by dynabooksx | 2007-07-26 14:41 | 真也の視点

浜通りは最高!

 皆様いかがお過ごしでしょうか?昨日から久しぶりの青空が広がり、清々しい気分で洗濯、布団干しと張り切っています。
      我が家の畑からは、『プチトマト!』レッド&イエローの元気ビタミンカラー♪
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 プチトマトは普通のトマトよりリコピン(抗酸化作用が期待されている)が多く含まれているそうです。
 毎回の食事で「赤と黄色と2つずつは食べること。」になっています。
 
 こちら福島県は浜通りは、海からのモヤが上がってきて、涼し~いっ!!です。この自然の与えてくれる快適感は他の土地では味わえないでしょうね。
うちに遊びにいらっしゃる皆さんにぜひ体験して楽しんで頂きたいです。

 私は、生まれる前からクリスチャンとしてたくさんの人々の祈りと祝福を受けて、救い主であるイエスさまを信じていたつもりですが、最近さらに深くイエス様を知り、近しくなり、自分の弱さを罪深さを感じることで、イエス様なしでは、この堕落している世の中を生きて行けないように、作り替えて下さっています。
聖書を読むことが食事をするように、好きな人に会うように、生きていくために空気を吸い込んではきだすように一層「欠かせない事、欠かしたくない事」になってきました。
 私が「ディボーション(密室)」~聖書を読み、お祈りをする事~と言われるとまず、
約9年前に天国に帰って行った牧師だった祖母の姿を思い出します。夏休みに遊びに行くと、早朝祖母が部屋で、大きな聖書を開きおいのりをしている。とても聖く、区別された空間と時間に思え、簡単に「おばあちゃん♪」と近寄って、声を掛けられないような感じがしました。
 最近私も祖母の信仰に近づけたかな。。。。と 純粋にイエス様に従いイエス様に生きること。
これは、何ものにも変えられないものです。この祝福に恵みに感謝しつつ。。

 
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by dynabooksx | 2007-07-25 16:04 | 愛理の子育て日記

慕う心

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 朝起きたとき、何ともいえない寂しさを感じることはないだろうか? 心にすぽっと穴が開いたように、、、。自分はあまりにも醜くて人の前に出ることが出来ない。自分の本質を見せれば、みんなそっぽを向いていくだろう。誰も本当の自分を知るものはいない。本当の自分に触れることが出来るものはいない。私自身でさえも、、、。

 こんな思いを、私はものごごろついたころから抱いてきた。生まれつきのものか、それとも幼少時代、忙しさのため何度も他家へ預けられた経験がそうさせるのかもしれない。ずっと側にいるといいながら、母は私が寝ている間に私を置いて立ち去ってしまう。きっと母は私以上につらい思いをしただろうが、その頃私はそれを知るすべをもたない。

 いつも、こんな空白を持ち続けながら生きてきた。自分には決定的に何かが欠けていると感じながら生きてきた。私の真の姿を知る方に出会ったとき、私の心は驚きと喜びに震えた。むさぼるようにその方をもっと知りたいと思った。聖書の言葉は生きていた。この聖書を書いた方は、間違いなく私を知り、私に呼びかけていた。私は、自分以外に自分の生きる意味を見いだした。涙に濡れ、大きく波打った口語訳の聖書が今もどこかの倉庫に眠っているだろう。

 この方に触れると、あまりに大きな存在に圧倒されるようになってきた。すべてを知り、すべてを治めるその方が、私の人生をすべて支配するのではないかとないかと思い恐れさえ感じていた。その方は、私の人生のその途中過程で、さらなる荒波の中に私を置いた。『本当にあなたの力で、人生を渡っていけるのか?』と、、、。

 私自身の力をすべて使い果たし、全く立ち上がれなくなった私は、すがるような思いでもう一度その方の導きにゆだねることにした。その瞬間平安が来た。私がどんなに勇んで計画、準備しようとも全く得られなかった思い。どんなことがあろうと、この方がいる限り私の人生は大丈夫だと、、、。『私とこの結婚を捧げます』と祈った私に、その方は『私はあなたを祝福する』と答えて下さった。あれから8年が経ったが、その延長線上に私と私の家族はいる。


 今もまだ、時折いいようもない寂しさの中で目が覚めることがある。以前は、なんでこんな思いになるのだとそれを呪ったこともあったが、いつの間にかその理解が変わっていた。その寂しさ、渇き自体が、私をこの方に向かわせる原動力になっているのだ。

 聖書は、キリストと私達を、『花婿と花嫁』にたとえている。私はこの方に恋をしている。毎日逢わずには、寂しくていられないのだ。もっとこの方を知り、この方にほほえんでもらいたいと願うのだ。かつて私はこの方を知らなかった。この方は私に片思いだったのだ。自分の命をかけるほどのその思いに気付いたとき、私はこの方を愛さずにはいれなくなっていた。

 それまでの私には全くなかった思いが、私の内に注がれてくる。自分が自分でないような感覚にさえなる。この方の、熱い思いに押しつぶさそうになり私は降参する。その思いが流れてくるのを、もはや自分で制御し止めておくことが出来なくなってしまった。神様、私の負けです。私もあなたの通った道を歩みます。あなたが切り開いた、世の人が呪い、だれも行きたがらなかったその道を、、、。あなたを慕ってその道を行きます。天の祝福へと続くその道を、、、。
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by dynabooksx | 2007-07-25 06:43 | 真也の視点

ラブソナタ

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 ついにこの日が来た。朝起きると、今までの梅雨が嘘のような快晴が広がり、朝日が輝いていた。今日埼玉アリーナで3万人規模の文化伝道集会が行われる。このためにどれほどの韓国の兄弟達の祈りが捧げられたことだろうか。日本の、霊的回復の流れは韓国から来る。彼らは数千人、自費でこのために韓国からやってくる。数日前、成田空港は韓国のクリスチャンで溢れかえったことだろう。

 私達も参加を考えたのだが、子供を同行では難しいのと、きっとこの時期は猛暑に襲われているだろうとの予測にて参加を断念した。招待状を出してくれたH君すまん。しかし、すでに救われている私達はどうだっていいのだ。このことは暗闇にいる人のための光でなければならない。私は、今回参加しない代わりに、11月の仙台集会に社員全員を連れて行くことに勝手に決めている。私がするといえば、この会社は決まるのだ。いや、神がそれをするのだ。

 きっとこの集会によって、聖霊の火が注がれ日本の教会にくすぶっていったものにも炎が燃え上がってゆくことだろう。このうねりは、何十にも重なる波となり、あたりを飲み尽くしてゆくだろう。私は、今晩CGNTVの生放送でそれを見よう。設置されていない方はWEB上のこちらにてご覧下さい。

CGNTV ラブソナタ東京LIVE
7月24日19時~(録画映像に切り替えました)


~東京ラブソナタ 早天リバイバル集会の模様はこちら~

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by dynabooksx | 2007-07-24 06:35

二人のQT(Quiet Time)

 私の朝は、4時~5時の間にはじまる。もともと、大学時代から朝練をしていたためかその後の結婚生活もそんな感じだった。私にとって朝早く起きて自転車で山に出かけるのは、『礼拝』だった。朝日が昇ると同時にレーシングジャージに身を包み、高速回転でペダルを踏む。体が温まった所で坂を上るのだが、どんどん下界が遠ざかって行き空が近づいてくる。低層にもやがかかっていたときなどは、霧を飛び越えるのだ。そんなわけで、私は山が大好きなのだ。さらに、少しマゾ的な所もあり、苦しい思いをするのも好きな理由の一つである。苦しければ苦しいほど生きている実感を感じる。そうして、大学時代は自転車競技にはまっていった。

 さて、今になると朝早く自転車で出かけることは少なくなり、変わりに誰も起きていない部屋で違う形の礼拝を捧げるようになった。静かな部屋の中で、主の高みに登る。その時間普段生きているこの世から、すべてを司る神のおられる世界まで駆け上がるのだ。すると、私の心は何ともいえない平安を得る。そこには完全な正義と支配があるからだ。神に従うものは、滅びることがない。どんなに強い圧迫を受けても、主が盾になり、また私が戦わなくても主が自ら戦って、敵を滅ぼしてくれる。
 その時間は、私にとって他の何物にも変えられない大切なときです。我が家の子供達も朝が早く5時半ぐらいになると一人、二人と起き出してきます。一人なら何とかなるのですが、二人になると手がつけられない。頼む、もう少し起きないでくれと祈る気持ちでその時を過ごしている。

 私は、朝の約2時間、御言葉と祈りによる至福の時を過ごす。誰かと一緒にしても楽しいのだろうが、わがままな私は一人でうっしっしと楽しんでいる。愛理は家事の合間合間に、時間をとっているようだ。最近彼女も聖書のおもしろさにはまりこんでいるようだ。ふと引っかかる文面があるとそこで立ち止まり、神に祈るとその意味が与えられるというのだ。感動をもって読んでいる。人ではなく神に直接解釈が与えられていく。これを経験すると、読むのが面白くてやめられなくなる。どんどん芋蔓式にはまりこんで行くことだろう。

 愛理は昨日の夜、これを見ていたようだ。

聖さを回復せよ   ラ・ジュンソク師


 朝、真也君、これ絶対見るといいよと興奮気味に話していた。私も今朝見てみた。ラ先生は、オンヌリ教会の中でも愛理が特に好きな先生だというのもあるが、なるほど喜ぶわけが分かる。『聖さ』とは私達がこの世と聖別されて、神の側に立つということだ。それによって私達は、新しく明確な目的、態度、力、情熱、ライフスタイルを獲得する。そして、聖なるものとして分けられると共に、世の中に出て行かなくてはいられなくなる。日本のすべての教会が聖さを回復することを願う。
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by dynabooksx | 2007-07-23 17:18 | 信仰者の歩み

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。