カテゴリ:お仕事( 15 )
仕事初めにて
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わが社は、本日から仕事初めなのだが、結局毎日なにかしらの呼び出しがあって私は正月も連続出動だった。みんな元気そうに出勤して来てくれて何よりだ。朝めちゃくちゃ寒くてみんな凍えそうな顔をしている。

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いつもの海も透き通っていた。ここの景色のファンはいがいに多いらしい。遠くにタンカーが見える。
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by dynabooksx | 2011-01-06 16:11 | お仕事
創り主を認める
 昨日の午前中は、大型の現場作業があってみんな一緒に連携して仕事をした。こういうときには司令塔が大切で、常に現場に張り付いて動きを見守ることで全体の効率を上がる。もう今となっては、さほど指示をしなくともそれぞれが自主的に考え動いてくれるのでありがたい。

 ちょうど隙間時間があったところで、そこに残った2人の従業員と縁石に座り込んでお茶をする時間があった。
 月曜の練習で130kmぐらい走った時は、100kmを過ぎた頃からガス欠になりはじめ、馬鹿にしてほとんど食べないで走っていたら、家に着いた頃は意識朦朧となった話をした。脳は血糖で維持されるのでそれがなくなるとダメージを受ける。まだ今もちょっとおかしいんだ。脳は体重の10分の1以下なのにその割にかなりのカロリーを使うんだよな  とか話していた。

すると社員がいう。『人間の脳はその一部しか使っていないのですよねぇ。』

私、 『うん、まったく使っていないということはないだろうけど、私たちが普段意識できているのは、私たちが考え、感じている全ての一部かもしれないねぇ。だから分かっているようで、自分のことほど分かっていないのかもしれないよ』と、、、、。 


 と、こんな何気ない会話から話は深まっていた。


 今の子供達はゆとり教育だとか個性の教育だとかいって、やりたいことをやらせるようにと変化してきている。でも、どうだろう。私たちが本当にしたいこととは何なのかな? もし、それをそのまますることが出来るのなら、きっと幸せな人生を送ることが出来るだろうね。それを求めて人々は、色々な事に挑戦し、どこかにちらつく空しさを埋めようと努力するのだけれども、それを追い求めれば求めるほどよく分からなくなっていくのが実情なのではないか、、、。よけいその空白が大きいことに気がつくばかりで、、、。だから、馬鹿正直にそこに行き着いてしまった人は絶望を感じて立ちつくす。多くの人はそこまで突き詰めないで、必死にそこを見ないようにと目を背けて別なことに夢中になって気を紛らわす。

 僕はこう思うんだ。どんなに我々が自分の内面を深く見つめてその内にあるものを実現しようとしても、結局は何も出てこない。それが正解だと思うんだ。例えばね、フォークやスプーンが私たちだとすると、自分で自分はどうしてこういう形をしているのだろう。どうやってこのとんがりや、丸いカーブを使ったらいいのだろうと試行錯誤しても結局は分からない。自分たちを創り、用いる方を認め。その方に使われてこそ、初めて自分たちの価値が明らかにされるのではないのか、、、と。つまり、道具である我々は単独では何も出来ない。聖書はそういう世界観をベースにしているんだ と、、。



 これまで人生の荒波に翻弄されて続けてきた2人は、その意味をよく理解していたようだった。ここから、彼らが創り主に用いられるという明確な実感を持つ所まで導くお手伝いをするのが群れのリーダーである私の役目である。



伝道 12:1 青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と/言う年齢にならないうちに。(イスラエルの王ソロモンの言葉)
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by dynabooksx | 2009-11-25 07:05 | お仕事
ひとこと、、
 あまりにも疲れた。疲れたと行ってもフィジカルではない。あまりにも疲れて19時に寝てしまい今起きて、そちらの方は久しぶりの完全休養になった。

 仕事上、大きく手を突っ込んだため現実を見て、失望し怒り感情が乱高下した。責任者として反省すべき所も多々あった。そうでなければここから進んでいけずこのままになる。自分自身の中で無駄なエネルギーを浪費したくはないから、現実を直視して今やれることをやる。一週間かかる所を一日でやるのは無理だろうが、3日ならなんとかなるかもしれない。1日、2日と積み重ねれば、3日目にはもっと効果を上げる何かをつかめるかもしれない。気持ちさえあれば何でも出来る。問題を放置していたのは、私の気持ちがなかったからだとも言える。自転車はちょっとお預けかもしれないけれど、やることやって気持ちよく乗ろう。
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by dynabooksx | 2009-05-08 02:58 | お仕事
朝のミーティングから、、。
 ここしばらく、『幸せな朝』を使って社員ミーティングの朝礼にて毎日5分ほどのメッセージをしている。1月から一年分の構成になっていて、後半ほどテーマがほり下がって行くように見えるので、救い主イエス・キリストの予備知識なしの大部分の社員達に分かりやすく語るのには工夫がいる。今日の箇所はこのような所だった。


10/16 聖さが最も大きな力です。
 あなたはどのような力を最も願いますか。あなたにはイエス・キリストの力がありますか。


人々は力を願います。ところで、何がちからでしょうか。
聖書は、罪のない聖さを指して力だと言っています。
聖さより、純潔より大きな力はありません。

 世の中で一番恐ろしい人は、お金があり権力のある人ではなく、きれいな人です。垢のついていない人、純粋な人、聖い人を見ると、襟を正さずにはいられません。その聖さから力が現れるからです。奪い取る人ではなく捨てる人を見ると、恐れを生じます。
 一番恐ろしい人は無所有を行う人です。

 イエスキリストは、徹底して所有から外れた生き方をされました。それにもかかわらず、完璧な力を所有しておられました。
 イエスは枕する所もなく生きられましたが、そのみことばの権威と力に、人々が驚き、悪霊も驚いて逃げていくみわざが起こりました。
 イエスこそ、まことの力を持った方です。
 私たちもイエスと共に歩めば、その力を所有できます。

★すると、イエスは彼に言われた。『狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。』(ルカ9:58)



 私は、この箇所を見たとき瞬間的に西郷隆盛の遺した言葉が浮かんできた。

命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末(しまつ)に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。
                   『西郷南洲遺訓』より


 『生命と権勢への執着の無さ』が彼の生涯を貫く特徴で、万民が豊かに幸福になれる政治を実践するはずの明治政府で官職を得た官吏の多くが、国家の繁栄や庶民の暮らしの向上よりも自己の出世や蓄財に関心を持ち、その実、明治維新後に庶民からの徴税が緩やかにはならないことを批判し、また国防の要となる重化学工業を発展させる為に明治政府が推進した政官財の癒着構造に対しても批判的なスタンスを取っており、三井財閥や三菱財閥などの政商に近づいて巨富を得る政治家を非常に軽蔑していました。
 確かに権力を持つ側にとって、なにものを持ってもコントロールすることの出来ない西郷のような人物は、空恐ろしくあったでしょう。結果、中央勢力から抹殺されて行きましたが、現在においてもその無所有でこの世のものに支配されない精神(クリスチャンであれば神にのみ支配されるのだが、、)は輝きをもっています。

 と、この国にも過去にはこんな人物がいたのだよと絡めながら話すわけです。
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by dynabooksx | 2007-10-16 08:34 | お仕事
何があるかわかんないな、ほんと。
 今日の午後、仕事で近所の家に行った。そこは道が狭いので、たまにしか使わない小型車でないと作業ができないのだ。社員がわざわざ自分の車を乗り換えるのもめんどくさいので、そういうときは私が代わりに行くことにしている。

 目的の家に到着して庭でターン、バックしていたところ、一瞬サイドミラーに子どものような影が家から転がるように出て行くのが見えた。驚いて車を止めて後ろに回ってみると、頭から血を流したおばあちゃんがうずくまっていた。ちょうど私が来たところに、あわてて家から出ようとしてドアに体重をかけようとしたら、ドアが半開きだったために体重が支えられず、そのまま外に転がったのだという。ミラーに映ったからすぐに車を止めたが、見えなかったらバックで轢いていたかもしれない。恐ろしや~。
 落差はさほどでなかったため打撲はそれほどではないだろうが、落ちたときにとがった石で頭を切っていてだらだらと血が流れてきた。急いで家に入ってタオルを持ってきて止血し、そのまま病院に運んだ。幸いなことにCT等に異常はなく、二針縫ったぐらいで済んだようだった。
 本人も、こんなケガをしたのははじめてだと言っていたが、私自身もつい半月前に真っ逆さまに落ちて流血しただけに他人事とは思えなかった。人生何があるかわからないですね、ほんと。一日一日大事に生きたいものです。
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by dynabooksx | 2007-10-04 20:05 | お仕事
私のお仕事
 私は現在、会社役員をしているがこの会社の業務内容は主に、浄化槽保守点検、清掃、一般汲み取り等である。ここ30年、田舎もトイレの水洗化はどんどん進み汲み取り式トイレ(いわゆる、ぽっちゃんトイレ。若い方々は知らないのではなかろうか?)からトイレの排水を処理する単独浄化槽、そして平成12年から新規設備を義務づけられた合併式浄化槽(家庭からの排水をすべて処理するタイプ)へと変化していった。

 その間に、私達の生活環境は大きく変わり、物質的な豊かさや便利さと引き替えに資源を乱用し環境を破壊してきた。そのツケが今になって自分たちに回って来たというわけだ。我が町に流れる川も、私の記憶にあるのはどんどん汚れていく姿だった。下水道と浄化槽の整備により、ここ10年ほどは回復してきたとはいえ、まだまだ本来の姿ではないだろう。

 私は、わが社の車のすべてに『水のリサイクルをお手伝い』と書き込んである。4,5年ほど前にさせたのだが、地域に私達の仕事の意味を伝えると共に、社員自身に働く意味を見いだしてもらいたいという気持ちがあったからだ。水はどこにでもあり、当たり前のものだが、私達の体を構成している大部分であり、これがなくなると生きてゆくことが出来なくなる。

 聖書では、万物の造り主なる神から来る恵みや命を『水』として表現している所が多々ある。通常、キリスト教の洗礼式は水によって行われ、キリストが最初にした奇跡は水を葡萄酒に変えたことであり、サマリヤの女は再び渇くことのない命の水を預かった。澄んだ水は、私達の汚れを洗い落とし、清潔にすることが出来る。私は、この事業によって地域の水を守るお手伝いをさせて頂いているが、本当は人々の命を甦らせる水の事業に引き込まれている。そのことのために私を雇用しようとする方がいるのだ。

 何だか、はじめに書こうと思っていたことと随分方向が違ってしまったので、それはまた別の機会にして、今回は最近新しく作った名刺の『裏面』をご紹介いたします。
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by dynabooksx | 2007-08-03 09:06 | お仕事
丸鳥披露
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 日が沈むのが随分早くなってきた。普通なら4時半には終わるわが社だが、それでも随分暗くなっている。最近社員のK君に、秋のお楽しみ会しないんですか? と何度か聞かれていた。この手の企画は、私や妻が計画しないと実現することはない。
 この時期になると、風向きにもよるがいつも焦げ臭いにおいがする。稲作特有のにおいで、脱穀したもみ殻を山積みにして燃やしているのだ。黄色い殻が燃え始めると黒くなり、その後白い灰になる。下から燃え広がって行くので下が白っぽくなっており、富士山とは反対だ。外見には静かだが中は何百度にもなっており、ゴム長靴などで入れば10秒ほどで穴が開く。先日から妻は、焼き芋にはまっていたのだが、私も久々にダッチオーブンを出してきた。西部開拓時代に活躍した、焼く、煮る、蒸すが同時に出来る万能なべだ。つくばにいた時は裏庭にかまどをこしらえしょっちゅう使っていた。こっちに帰ってきてから使うのは初めてかもしれない。この鍋の利点は、材料を突っ込んでおくだけで素材の味を十分に引き出してくれる所だ。水分を逃さないため、焦がすこともあまりない。下準備さえしておけば、後は出来るのを待つだけ、、、。
a0023043_2034997.jpg 今回は、丸鳥のおなかに豚レバーを仕込んだ。味付けは塩、胡椒、にんにく、バジルを使った。他にジャガイモ、玉ねぎ、にんじんを突っ込んだ。10人分をまかなうのには少し足りなかったが、夕食前のおやつとしてはちょうど良かっただろう。燃えるもみ殻の中(私達夫婦はこの燃え盛る様子から地獄のゲヘナ料理と命名したのだが)で3時間ゆっくりと調理したため、肉は軟骨も簡単に噛み砕けるほどに柔らかくなっていた。アウトドア料理には最強の武器だ。これを始めると太りそうだ。
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by dynabooksx | 2004-10-29 20:03 | お仕事
葛藤
 今、一番心に支えていること、両親達のこと、徒然なるままに書きます。これを書こうと思ったのは、私が本当に弱い人間であることを示されたからです。何から話して良いものか、8月も終わりででも書いたように、田舎に来て3年になり一つの区切りの時期に来ていることを感じています。親と子というのはいつの時代も難しいもので、初めから一対一の関係ではなく、完全に保護される所から徐々に自立して行くように成長するので、お互いそのことを良くわきまえていないと問題をより難しくしてしまいます。
 結論からいうと、今私が抱えている問題は、私の力で解決できる事ではありません。人が神に出会うということだからです。私の両親は、日曜日に教会に通うクリスチャンです。父は二十歳の頃、聖書の神に出会い慰めを受け、その後未信者だった母は結婚後7年ほどの年月を通して信仰の告白をしました。それから現在まで、同じ教会で礼拝を守っているのですが、牧師が兼任になったり無牧化し、信徒はほとんど自分達だけになりました。これは、この浪江の教会だけではなく、救世軍全体が抱えている問題です。私もこの救世軍で育ちましたが、現在この地で十字架を語るのに、救世軍を主張する意味を見出しません。親達は、自分達の教会だといって必死になっているように見えますが、私かた見て心がそこにあるとは思えません。今となっては信仰を義務としか考えられないのです。これは、日常生活全般に言える事で、あらゆる事を『やらなくちゃならないから、仕方ないから』と解釈して生活しています。そんな状況にあるのに、自分達はこんなに一生懸命やっているのだと、、、。
 以前、頑張る事に心底疲れて部屋に引きこもり、恵みによって生きる歩みを与えられた私にとって、信仰の先輩である両親が依然としてそのようであるということは残念なことです。彼らが満足するように、期待に応えるように振舞うことは出来るはずです。ですが、それをする事に価値を見出しません。神の恵みを否定する事になるからです。もっと私が賢いのなら、両親のあらゆる要求を満たしつつ権威を持って語るかもしれません。でもそれにも解決があるような気がしないのです。私が全てをしてしまえば、彼らは私に依存し、偶像とするでしょう。母は時折、『やっと子供達も大きくなり、生活も安定し、やっとゆっくり出来ると思ったのに、なぜこんなに次々と揺さぶられることが起きるのだ』と涙ながらに話します。(このあたりの表現方法は私と似てるかも、、、) 私に言わせると、揺さぶられるのは神が呼びかけているのであって、それまで信頼していたものに裏切られるように感じるのは、間違ったものを礼拝しているからで揺らされるのは良い事なのだと諭します。ですが、どこまでも自分の力、努力から抜け出せないのが現実です。高度成長以降それ一筋で突き進み、さまざまなことがありながらも代々の農家の長男、長男の嫁としてこの地を守り抜いてきたという自負がそうさせるのでしょう。本来それらは全てめぐみとして解釈されるはずなのに、それらは重荷であり彼らがまっすぐに神に向かうのを妨げているように見えます。今の私に出来るのは、はっきりと私の信仰を示し、十字架を語ることです。
 昨日の浪江の集会には、時間がありながらも行きませんでした。先週、『自分の教会の事もろくにしないで、他の教会にいって好きなことばかりして』と親に言われたこともあって、性格上義務付けられ強制されると、絶対に従いたくないのです。自分がいないとビデオを使った礼拝も、自由に意見を言い合う学びも出来ないのは分かっていますが、それを言われると『それでは、あなたはあなたが示される所をしなさい。私は私の道を行きます』と突っぱねてしまいます。親達が本当に、自分の教会に使命を感じているのなら、誰が何と言おうと自分の道を進めばいいのに、私がいると私にどんどん依存してきます。これはこの地方の特徴かもしれません。仕事でもそうです。自分(親)は会社の最高責任者のはずなのに、私のする事には無関心で、うまくいかなくなると『お前のやりたいように任せたのに、なに文句があるんだ』と来ます。任せるというのは任せたものの責任です。もしそれが悪い方向に行くものなら全力でとめなければなりません。それが責任というものだと思います。『家』に関してもそうです。彼らにとって私達が出かけるのは、都合の悪いことのようです。帰ってくると『あなたたちがいない間、私達が代わりに家を守ってあげたんだ』という言葉が返ってきます。いつの間に私達は家を相続したのでしょう。おかしな世界です。そのような自分達の現実をそのまま受け入れる姿勢があればそれはそれでよいのですが、問題はそれを幾重にも否定し、繕うために、自分でも自分が何に頼っているのかが分からなくなっている事です。田舎では、他から、世間からどう見られるかということが全てなのです。ここでしか生活をしていない親達が、そのようであることは仕方がないことなのかもしれません。しかし、この地にも神は恵みを注ぎ、御自身を示されると信じます。
 ローマ書にあるように、したいと願うのに出来ないのは私の弱さです。ですが、そんな出来ない私をもって神は十字架を伝えるのだと思います。ただその方に忠実でありたいと願います。
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by dynabooksx | 2004-09-06 12:43 | お仕事
8月も終わりで、
 この8月いっぱいで、実家(福島県浜通り)に帰って来てちょうど3年になる。石の上にも3年というが、次男が2ヶ月の時来て、メンバーがもう一人増えた。早いものだ。愛理は30、私ももうすぐだ。二十歳の頃書いた文章が、昔のパソコンに残っていたが10年後を予測してのもので、きっとその頃結婚をするだろうと書いてあった。予想は大きくはずれ、すでに3児の父なのだが、結びに興味深いことを書き残していた。その頃までには、本当にやりたいことを見つけていてほしい。  と、、、。その頃の私は、親や周りの期待に応えるのが精一杯で、自分の人生を生きてはいなかった。その時はその時で充実していたのだろうが、従来の生き方から新しいものへ変化していく時には、耐え難い痛みがあった。二十歳の時の私は、そろそろそこにぶつかってゆくことに気づいており、10年後にはそれを乗り越えていてほしいという願いをこめて文を記したのだろう。

 3年前、つくばに住んでいた私は郵便配達をしながらめぐみ教会に通い、心身を回復させて来ていた。大学時代からの仲間がいて、心から自由を感じられる教会生活は何物にもかえられなかった。家を継ぐはずだった長男が事情により家を出、ふとした思いつきから私達一家が入れ替わりで実家に帰る事になったのだった。親の会社で働き、それを引き継ぐ事になったのだが、仕事は仕事でやれるだけのことはやる。家を継ぐとか継がないとかは別問題、という条件だった。無論、未だに兄とはそのことについて何も話していないし、決めてもいない。我々はそれを人生の上でそんなに大事なことだとは考えておらず、自分が負えなかったものを人に負わせたくはないという気持ちがあったからだと思う。私の父は、7人兄弟の5番目の長男で上4人は女で頭の切れるおばさんもいる。父はいわゆるおっとり能天気長男タイプで、ばっさり人を切ってゆくタイプの人ではない。身体障害者の父(私の祖父現在98歳)を抱え、3ヘクタールもある田んぼを、自らがヘルニアで働けなくなる時(私が中学の頃)まで作りつづけた。豚や鶏もやっていたことがある。親類とのトラブルで祖父が大金を使ってしまい、それまでの貯金をはたいて抵当に入った屋敷を買い戻したこともあった。先祖からの引き継いできたものを必死に守り抜いてきたのだ。
 そんな彼と、最近激しくぶつかる。やっとぶつかれる所まで来たと言ってもいい。争いを好まない父は、口論も好まないのだ。昔からあらゆるトラブルの具体処理は、母がしてきたように見える。私達と母が、会話を楽しんでいる所に参加してくる事もほとんどなかった。正直、父親に叱られたという記憶もない。そんな父だから、激しく私とぶつかる事は相当なストレスなはずです。当然、これまで何度も私と向かい合うのを避け続けてきた。昔からそんな調子なので、あきらめもあったが、共に仕事をしている都合上見過ごせないものもあった。兄は田舎を離れ、姉は嫁いだ以上、直接関われるのは私だけ、父に本気で向かい合う使命が私にはあると思うようになっていた。田舎は、たいへん人目を気にする社会で、いろいろそれを助長するシステムがあります。互いに監視しあい、変わったことをしないようにさせる仕組みです。言葉上でも、『人に笑われる』だとか『体裁がわるい』だとか周りを気にする言葉が多く見受けられます。私から見ると、そんな実体のない世間を異常に恐れているように見えます。どこかに出かけるのにも『あの人が働いているのに何だか悪い』だとか『遊んでいるのを見たら人はどう思うだろうか』と考えるのでどんな事も手放しで喜ぶことが出来ません。
 私も、この地で生まれ育ったはずなのですが、つくばを離れかえってきた時、こんなにも違和感を感じるるものなのかと驚いたのを覚えています。田舎が変わったのではない、私がまったく変わってしまったからなのでしょう。律法、努力の世界から神の恵みの支配する所へ、部屋に引きこもり毎日おびえる生活を通して、私は生まれ変わっていました。生活の根本を支えているものが違いますから、律法によって人を奴隷にしようとする事には強く反発します。昔だったら反発しながらもその圧倒的な説得力に飲み込まれていっただろうけれども、人を活かす原動力を知った私は論理的にそれを考察、評価するのでした。しかし、いくら私が正しさ、正当性を聖書から主張したとしても、必ずしも人が必死に握っているものを放させることは出来ませんでした。それどころかもっと頑なにさせてしまったのかもしれません。

 先日、両親と激しくぶつかりました。ここ半年も何回がそういうことがありましたが、内容はいつも同じです。両親と私達とでは人生の向かう方向が違うのです。会社の経営一つ取ってもそうです。私の考える会社経営とは、危機管理をきちんとすること。半公共の仕事ですから、延滞は許されません。ですから、誰かに何かがあってもきちんと自立して業務を行っていける組織作りを最優先にしました。まず、仕事に対する情熱を持たせ(これがなければサービス業ではない)自分達が会社を構成し、動かして行くのだという自覚を持たせました。その上で私が形作りスムーズになった仕事を、次々と社員に委譲していきます。そうしてさまざまな業務を社員に任せて行きました。それは今までなかったことです。それまでは決められたことを決められたようにやっていれば良いと、自ら考えることは求められずそれぞれの部署の連携もありませんでした。ただ任せるだけでは、不十分なので全てを一括管理できるシステムを今年の1月から開発しながら導入してきました。顧客情報、お金のやり取りをはじめ、保守点検のデータなども全て一元管理できるものを目指したのでした。社員一人に一台ノートパソコンを持たせ、業務連絡やスケジュール管理もさせ、端末を通さなくては現金のやり取りを出来ないようにしたのでした。七転八倒しながらも、一通り順調にそれが動くようになってきた今、私の迫った仕事は大きく減りました。もともとそれを目指していたのです。最終的には私がいなくてもきちんと業務を遂行できるようにと、、、。
 このことは、自らに依存させる関係を持とうとする両親には理解できません。はっきり言うと、私をこの地に縛りつけておく事が出来ないからです。これまでも、新しい家を建てる計画などが出て、皆が乗り気になっていた時がありましたが、どうしてもその気になることが出来ませんでした。私の住むべき家(霊的な)が他にあることに気づいてきたからでしょう。先日の衝突の時、ちょうどいい機会だと思い、はっきりと言いました。もし、私にこの家を継がせるのなら、私は聖書の御言葉に従い、全て売り払って貧しいものに与えなさいと書いてあるその通りにします。それでも良かったら、継がせてください。と言ったのでした。あらゆるもの全て神が創られたものですから、私達が感謝して恵みとして受け取るのならどんなものも祝福になってゆくのだと思います。しかし、自力で必死に守って来て、それによって今の自分達があると考える両親に対して、厳しく叱責せずにはいられません。これが私なりの愛情です。それにしがみつく限り、恵みによる支配は訪れないからです。

 子供を3人も抱えている私は、独り身のように気楽ではありません。ここにいれば、生活の安定は得られ社長として平均年収の何倍もの収入を得られるかもしれません。ですが、一度捧げられた人生である以上、聖霊が促すように私は生きます。まず、神の国とその義を第一に求めなさいとあるように、私がそれを求めるのなら、私に必要なものは全て神が用意して下さるでしょう。もしそうでなければ聖書の言葉は偽りだと言う事になりますが、私は聖霊によって聖書が真理を語っている事を知っています。ですからなぜか不安はありません。前は、信仰というものは良く分からないものに身を委ねるような感覚がありましたが、今は聖霊がはっきりと道を示し、十字架が弱さを支えます。より確かなものに身を委ねるのです。私には当たり前のことのようです。山室軍平の言葉に『さびるより磨り減る方がいい』というのがありますが、そんな人生を送りたいです。私を創った方に、最大限に用いてほしい、そんな気持ちです。これから先の人生は、もっとも人間らしく、自分らしい、本当にやりたいことをやるものとなって行くことでしょう。
 
 長くなりました。これから土浦めぐみ教会に行きます。今月2回目ですが、あそこには私達の信仰の原点があります。故郷を思いこれからの道を備えます。
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by dynabooksx | 2004-08-29 03:40 | お仕事
サーバーいかれた
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行く道で撮ったお花畑(愛理作)

 現在、社員は一人づつノートパソコンを持って出かけて行く。何千件という顧客との現金のやり取りや点検データなどを全て一元管理するためのシステムで、今年の頭から試行錯誤しながらソフトを開発して来た。それらの端末のサーバーとして緊急に、3年前のボーナスに買ったバイオノートを充てた。長くメイン機種として酷使してきたため、ハードディスクには随分と負荷がかかっていたようだ。立ち上げ当初から、時々クシューンと悲しい音を立てて固まる事があり再起動で復活させていた。おとといで仕事が終わりほっとしていたのだが、昨日の朝アクセスしてみると、アクセスランプがつきっぱなし。再起動をしてもカシャンカシャンいうだけで、OSが認識されない。とうとうこの日が来てしまったのだと思った。困った、こういう時のために、仮想PC上で動作するようにはしておいたのだが、それではスピードが出ない。通販で頼んでも仕事日まで間に合わないので、急遽福島市までパソコンを買いに出かけた。福島市はここから70キロ程山道を走るのだが、仕事上の会議などでよく出かける。その帰りなどにOAシステムプラザに寄るのだ。田舎ではこういう店はありがたい。
 愛車オデッセイに家族みんなを乗せて向かう。あまりのくねくね道に知希が言葉を失っていき、吐きそうになる。見た目に反して頑強な彼は、眠いのに寝なさいというと寝ないのだ。何度か休みながら着いたのだが、社外気温は36度を指している。嘘だろ~と思いながらも、道路上の標記も同じ温度を、、、。やっぱり盆地の夏はすごいです。釜でゆでられているようです。急いで買い物をして帰ってきました。バイオノートを廃棄するのも悲しいので、換装用の2.5インチディスクも買っておきました。
a0023043_11301692.jpg 帰って来て一通り動くようになったのは午前1時、久しぶりの夜更かしだぜ。(いつもは9時) しかし、P4熱い、うるさいねぇ。普段超低電圧版PentiumMノートを使っている私は、この発熱量には驚きました。これは時代に逆行してるもんね。今後デスクトップPCもPentiumMのコアを使う方向にあるようです。時間があればファンレスPCでも作りたかったけれど、今回は余裕がありませんでした。バイオノートも復活し、我が家は私用、愛理用、子供用とパソコンだらけになろうとしています。サーバーの速度は圧倒的でした。

追伸 本当であると、夜は村の盆踊りをやっていたので、行くはずでしたがメンテナンスのためリポートできませんでした。
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by dynabooksx | 2004-08-14 11:31 | お仕事
  

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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