このことを書こうかどうかしばらく迷っていたのですが、私の知る限りの情報を述べることでより立体的になり、彼の存在が身近に感じ、またそれが現代に生きる私たちに投げかけられている大きな問いかけになっているような気がするので記しておきたい。

これは、晩年彼の死期が近づいた時に私の父に残した言葉。その言葉に対して父は父で思うところがあろうが、私の感じたことを書く。彼はこのように話していたという。


『廣田君、僕は制服もぼろぼろになったけど、信仰もぼろぼろになったよ』と、、、。


どうだろう。この言葉をどう解釈できるのだろうか。救世軍には制服がある。昔は詰め襟のまさに軍服のようなものだった。丈夫な素材で出来ているとはいえ、使い込めば徐々に古びていくのは仕方がないことだろう。しかし、信仰はどうだ。その主体は信仰をする我々ではない。日々新しい命を注ぎ給う生ける神である。その神に繋がっている限り、傷ついたとしてもボロボロで終わるわけはあるまい。

私が思うに、自分の人生は全く感謝で幸福なものであったという彼の告白の裏で、いくつか心残りな懸念材料があったのだと思う。確かに、村八分にされようとも、周りからどんなに後ろ指を指されようとも、彼は自分が真実と思うものに一直線に生きた。彼はその信仰で恵みと祝福を受け、本当に幸福な歩みをした。しかし、自分はそれで良かったのだとしても、周りの人間はどうだったのか、、、。確かに、地域からも祈念碑を建ててもらうほどに貢献を評価された。しかし、この信仰を次の世代に本当に伝達出来たのか、、、。それが、彼の心残りとしてあり、この言葉になったのだと想像する。
私はまもなく天に召されるが、この信仰は受け継がれていくのか、、、。これがボロボロの意であろう。

仕事先で貞美氏の娘さん(可愛いおばあちゃんである)の所に行くことがあるが、最近行く度に彼の事を色々聞いてみている。彼女はこう言う。『もう、爺さん(貞美氏)の事をいいように言う人は、ほとんど居なくなってしまった。』おそらく、親類の事を指しているのだと思うが、それはそうだろう。彼の生き方の基準と価値は、同じ信仰に生きる者でなくては理解できまい。しかし、、、そこから先が彼の懸念する所だったのだろう。その貫き通した正義が、周りの人を本当に豊かにしたのか、、、。自分の走った道は間違いがなく、ずれることがなかったのか、、、。そういう不安が、実直な彼の脳裏をかすめたのではないか。そう私には感じられる。

これは何も彼の親族に対してだけのものではない。自らが所属していた救世軍。そこに続く人々がそれからどのような生き方、信仰を続けていくのだろうか。私は、なんとか最後まで走りきってまもなく終わるのだが、まだ大事な何かをやり残しているような、、、。それを伝えなくては、、。そんな思いが私に迫ってくる。

私の父は彼の生き様から大きな影響を受けた。父の信仰の基礎は彼にあったと言っても良いだろう。目の前に、キリストの生き証人のような先輩がいたというのは何と幸いなことだろう。いくら耳で福音を聞いたとしても、イエスが目の前に現れでもしない限り、そういう人が身近にいなけば、聖書のリアリティーなど、理想論の絵空事にしかならないだろう。だがどうだ。信仰の継承の難しいこと、、。次の世代は、前の世代の生き方を目で見て模倣するが、それは外面の模倣に過ぎない。私の父も、貞美氏の姿から従順を学んだと思える。だが、彼の善と悪を明確に切り分けていく厳しさと基準までは受け取らなかったようだ。お陰で私がキリスト教アレルギーになることなく今に至ることができたのだが、それはその神との交わりが密であり、その性質が日々明らかでないと行えない事であるから、それを模倣することは出来ない。
父は、彼から集会に欠かさず出席することや、経済的に教会を支えることを学び、それを守っていくことを決めたのだという。その律法によって、我が家が守られたことは大いにあろう。しかし、それは模倣に過ぎないのだ。時間が経てばあっと言う間に風化する。その本質は何であったのかなど、一世代経れば別物になってしまうのだ。

福音は人から人へと伝えられ、その役目をイエスは弟子達に与えなさった。しかしよく考えて欲しい。キリスト教の本質はどこにあるのかを、、、。これは紛れもなく神からの啓示の宗教である。霊に始まり霊に終わるものである。その事を分かっているのか。人間が作り出したものとは、初めから性質が違っているのだ。もちろん他の宗教に部分的な真理が含まれていることは認める。しかし、私達の信仰の対象は無から有を起こされる方なのだ。この世の全てはその方によって創られ、その方の意思一つで生かすも自由、殺すも自由、与えるも自由、奪うも自由であり、『在りて在るもの、我は主なり』と自らを顕現なさる方なのだ。この主権と正義とが目の前に突きつけられれば、人間が頭の中でこねくり回す絵空事など吹き飛んでしまうだろう。こうして人は回心するのである。

パウロは繰り返し警告する。霊に始まったものを肉によって終わらせようとするのかと、、、。『霊』というのは、キリストの十字架によって現された自己犠牲のことであり、『肉』とはそれとは正反対の自らの欲を満たす生き方のことである。人々は、『霊』によって救いを受け解放され、命を受けるものとなったはずなのに、後に来た『惑わす教え』に簡単に引っかかり、それで得た自由を『肉』に対して消費し無に帰した。律法を行うことによって、人は神から義とされるのか。そこにどうしてもこだわるのであれば、滅びるのは自分一人にしてほしい。周りの人間を巻き込むな。そしてそこには、必ず神の介入があるだろう。

 年を取った先輩達が、霊に始まったものを、不安と恐れにとらわれ肉によって終わらせようとしているのをよく見かける。何によってあなた方の信仰とその行く道が開かれたのかを、ここでよく思い出してほしい。どこで妥協して、道を外れたのかをよく振り返ってほしい。多くの人を誤った道に連れて行けば、それはそのまま自分へと返ってくる。この恐ろしさを何と表現したらよいのであろうか。人を導く立場にある人は、大きな責任と戦いを背負わされているのだ。それが負いきれないと思うのなら、早く身を引いたらよい。新しい者を神はお立てになるだろう。その者が、あなたが受け取り流したものをきっと無駄にはしないだろうから、、。神が共にいる限り。


信仰の先達へ、安心して見守っていていて下さい。私も続きますから、、。



ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか。あなたがたに一つだけ確かめたい。あなたがたが“霊”を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも、福音を聞いて信じたからですか。あなたがたは、それほど物分かりが悪く、“霊”によって始めたのに、肉によって仕上げようとするのですか。あれほどのことを体験したのは、無駄だったのですか。無駄であったはずはないでしょうに……。あなたがたに“霊”を授け、また、あなたがたの間で奇跡を行われる方は、あなたがたが律法を行ったから、そうなさるのでしょうか。それとも、あなたがたが福音を聞いて信じたからですか。それは、「アブラハムは神を信じた。それは彼の義と認められた」と言われているとおりです。--ガラテヤ 3:1-6
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by dynabooksx | 2011-01-23 06:35 | いと小さき者の一人

約一ヶ月にわたって続けてきた、いと小さき者の一人も今回で最後となる。貞美氏が自分の体験をもとに、あとに続く人々のために箇条書きでポイントを残した言葉だ。



社会人への五訓
一、車に乗る時は絶体酒を飲まぬ事にしょう。
二、喫煙と飲酒は青年の強敵である。
三、博愛と家庭愛は禁酒禁煙から。
四、中学、高校時代は善に進むか悪に進むかの分岐点である。善に進む
  為にはかならずキリスト教に入門したい。
五、もしキリスト教を受げ入れないなら後年必ず後悔するであろう。


兵士への十訓
   
一、如何なる事があってもキリストに堅く根ざし動揺してはならない。
二、キリスト教の人生航路は最後はたとえ物質的には恵まれなくとも勝
  利である。
三、キリストの十字架を恐れてはならない、神は信ずる者と共にある。
四、神を待ち望むか望まないかが、人生の幸、不幸の分岐点である。
五、はっきリした個人的回心と聖潔があるかどうか反省しよう。
六、聖潔を維持する為には、常に聖書を読み祈り、出来る限り小隊への
  集会に出席する事である。
七、出来る限り家庭を開放して家庭集会をする事はクリスチャンホームを作る基となる。 
八、第一に祈り、第二に仕事をする事が大切である。仕事が忙しくて祈
  る時間がなくなった時は、その仕事は危険だと思え。
九、家庭の行事(出産祝、結婚式、新築祝、葬式等。)はなるべくキリ
  スト教主義でやろう。それは子孫をクリスチャンにする基となるか
  らである。
十、神と偕なる五十年の人生は全く感謝であった。安心して神に自分の
  人生をまかせて、おかれた立場で神の御旨を行う事が出来れば、こ
  れは「人生最大の幸福」というべきである。


あとがき

この小冊子を完成するにあたり、高橋一俊中佐、武藤エミ子大尉、

熊田小三郎曹長、石井小三郎特務曹長諸氏に容易ならぬ御骨折をお

かけしました事を深く感謝致すもので御座います。
尚人紙の題字は、高橋中佐の御厚竟により毛筆にて書いていただきました。
感謝致します。
筆者 堀 川 勝 義



+++++引用終わり+++++


極めて具体的で、かつ厳しさを含む訓示である。人々を労ると共に、人生の厳しさ、戦いの激しさがにじみ出ている内容だと思う。まず、酒とたばこについて繰り返し述べているが、これは彼がたまたま救世軍という団体と出会ったからというだけで、これほど強調しているとは思えない。確かに、彼自身過去の失敗もあろう。だが、彼が言いたかったのは単に肉体にあまり良くないからといった単純なものではないだろう。先にも、「依存」について述べた。酒もたばこも神が創られたものだが、そこに依存し、心を固着させてしまう若いうちに、そのエネルギーを確かなものへと探求することに向けて欲しいと願ったのだろう。

ここで私も彼の言に合わせて、繰り返して言いたい。


もしキリスト教を受げ入れないなら後年必ず後悔するであろう


脅すようではあるが、これはおそらく誰もが老年期に実感となって襲い来るだろう。教会に足繁く通えとか、献金をしなさいとかそんなことを言いたいわけではない。神は上っ面の捧げものを喜ばれる方ではない。あなた自身が、キリストのものとなり、新しい命によって生まれ変わり、全く違った生き方へと変えられることがなければ、彼は喜ばず、またあなたもその喜びに預かることもないだろう。これを私は、彼の後世への警告として受け取った。


後半は、神の義の戦いへと従事する兵士らへと向けた内容だ。なんと密度の高い内容だろう。間に私が差し挟む余地がないほどだ。これを読むと、彼の思いが迫ってきて涙がこぼれる。彼の生涯自体がそこに浮かび上がってくるからだ。たった五十年も経ってはいないこの地で、キリストが示す生き方を口先だけではなく、自らの生き様でもって目の前に示してくれた人がいた。この感動があなたに伝わるだろうか。口で神の愛を語る人は多くいるだろう。しかし、自らを犠牲にしてそれ一筋に殉じた人物を現代において目にすることが、あなたの身近にあるだろうか。荒れ狂う時代にあって、誰もが本物を求めている。

敵の攻撃はより激しさを増している。唯一の勝利である一点に集約された人生でなくては、とてもこの戦いを切り抜けてはいけないだろう。これまで必死になって築いてきた人生が、足下から崩されていくように感じている人がおられないだろうか。積み上げても積み上げても虚しく、どこか思いもよらないところから崩れて行きそうになる。そんな恐怖は神経をすり減らすだろう。

翻って私の人生などいたって気楽なものである。たった一点において集中して従順であれば、あとは何の心配も要らない。必要なものはいつも神がすべて用意してくださるし、自分で計画を立てなくとも、その時その時に最善のものを準備し与えて下さる。なんの不足も感じない。というより、豊かすぎて早くそれを外へと流さないとメタボリックのように身動きがとれなくなってしまう。たとえ、この世で評価をまったくされず、うち捨てられたとしてもそれも喜びだ。私が打たれることによって、いくらかの人に自由が訪れるのなら、それこそ望むところだ。出来れば、長く太く、最短で駆け抜けたい。神が私に望むところを全て為し終えて、「よくやったしもべだ」との言葉を頂きたい。


あれ? 最後なのにまた貞美氏の本文を無視してしまったような、、、。


三、キリストの十字架を恐れてはならない、神は信ずる者と共にある。
四、神か待ち望むか望まないかが、人生の幸、不幸の分岐点である。



自らの変革を迫られるような出来事、十字架が迫ってきて罪があぶり出されることを恐れないで欲しい。そこにもたれ掛かれば、あなたの罪はすでに処理されていることの実感を得るであろう。自分の罪が赦されているなんてとても信じられなくとも、あなたのうちにあるかすかな望みにかけて、一度受け入れてみて欲しい。目の前の覆いが取りのぞかえて、真実が見えてくるだろうから。

神を知りながら、未だ暗い闇を手探りで歩いているように感じる兄弟達、神か待ち望むか望まないかが、人生の幸、不幸の分岐点である。神が道を示すことを感じられないからといって、焦って自己で判断し重大な決定をしてしまうのを思いとどまって欲しい。どこまで道を間違えても、そこから悔い改めて立ち返ることは出来るが、道なき道のその道を先へ先へと進めば進むほど、心は頑なになり、より神の御声が届くことは難しくなろう。滅びが目の前へと迫る、、、どうぞその前に。心を翻してほしい。その人が私を打ち砕くことで、その事に気がつくことが出来るのだとしたら、神よどうぞ私をお用いください。人に喜ばれ、また憎まれるために私の人生はあるのですから、、、。キリストが歩き切り開いたその道を、貞美氏に続き、私もまた続きましょう。



この祈りと願いをイエスキリストと故前田貞美氏へと捧ぐ。
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by dynabooksx | 2011-01-20 06:53 | いと小さき者の一人

青年へのすすめ

 終戦後世界は日一日と科学の進歩がめまぐるしく、今や月にロケットが到着出来る
時代になりました。家庭に於ても電化製品が並び働くにも又機械が用いられ全く物質
万能の時代の感があります。たしかに現代は便利な時代になりまして、昔に比べ幸福
な時代のように思われますが果して本当でしょうか、凡て物質が開題を解決してくれ
るでしょうか、今多くの青年は若さと情熱をもって、勉強に享楽に闘争に打ち込んで
いる。今の青年達は思いきって考えた事、思った事を行動に現わす事の出来るのはす
ばらしい事と思います。然し一歩あやまれば命取りにもなりかねない、何故なら世の
中は物質文明ばかりでなく精神文明もあると言う事です。青年も人間である以上当然
考えなければならない問題がある。それは人生の根本問題である。何故人間は悪い事
をするのだろうか、何故人間は生れて、生活して死ななければならないのか、これら
の問題は、数学や語学の問題、又は大学紛争の問題以上に重大であり、この世の享楽
以上に興味があるものであります。それは青年が凡ての情熱を傾けても傾け甲斐があ
るものです。
 私も今から五十年前、瓦屋の職人とし情熱をもって仕事に精出しました。当時二十
二才の若さでありました。良心に忠実で真面目に働きさえするなら幸福な人生が送れ
るものと思って頑張りました。聖書の言葉に”人が見て自ら正しいとする道でも、そ
の終りはついに死に至る道となるものがある”という言葉がありますが、この言葉の
様に私は行きづまりの壁にぶつかりました。二十七才の時酒で失敗をし、酒を飲む金
があっても子供達にエンピツを買ってやる金は無いと小言を言う愚者になってしまい
ました。
 或る時救世軍下士官の熊田小三郎さんにキリストの贖いの話を聞かされ、神の愛によ
って救われ酒は一切断める事が出来、子供達に学校へ通学させるに必要なものは何一
つ不自由させないようになり、人生に希望と喜びと自由が与えられ感謝の生活を送る
事が出来るようになりました。それ以来私の若い情熱は神と人との為に捧げようと、
神様から与えられたこの体を害する酒、タバコはぴったりと断め現在まで五十年続け
て参りました。何と喜びに満ちあふるる人生でしょう。御陰様で男の子六人とも皆禁
酒禁煙主義で生活出来る事を感謝致して居ります。私は声を大にして、はっきり言え
る事は、もう残り少ない余生を目前に控え神と共なる生涯は、すばらしい喜びと自由
と平和の生涯であると言う事です。
 青年の皆さん、自分が決して正しい人間でない事位は知っているでしょう。それは
決して犯罪を犯していると言う事ではない。然し少くとも物事を深く考える人なら自
分が、うそを云わず、ねたみ心も抱かず、自己中心的でない等と言えない事は承知の
筈でしょう。人間を不幸にし、悲しみと苦しみへ追いやるのは聖書で言う”罪”のし
わざです。この罪は子供にも大人にもあるもので、そしてそれから解放されなければ
いつもその罪が我々を苦しめるのです。
 皆さんにおすすめ致します。どうかその罪を悔い改めて、神のただ一人子であるイ
ェス・キリストを受け入れて、信仰生活に入る事を望みます。神第一主義で生活され
る事は全く新しい霊的出発をなさしめるものです。それで人間の生れて来た意義が解
り、何の為に勉強をし、仕事をし又最後に死に、死後どうなるかも解ります。私達が
本当にこの事を知る時、人生はすばらしく楽しいものになり、感謝に満ちた一生を送
る事が出来ます。又喜んで禁酒禁煙を実行する事が出来、社会の為には博愛的な奉仕
に一生を捧げる事が出来、父母兄弟又は世の人々にも喜ばれ、この世で最高の幸福な
人生を送る事が出来ます。
 どうか青年の皆さんキリストを心の王座に迎えて出発して下さい。救世車では士官
の方が皆さんのおいでをお待ち致し親切に導いて下さいます。又小隊へ来ますと良い
友達が色々と御世話をして下さいます。



+++++引用終わり+++++


長く続けてきた、この特集もいよいよ終わりが近づいてきた感じがします。今回の場所は、自らの人生の終わりに、地上の生涯の終わりが近づいてきた貞美氏が、自分の若かりし日と、それからの人生を思いながら、現在青年期を送る若者達へと残した言葉です。

先の世紀は科学の時代とも言われ、技術、医学はめざましい発展を遂げ、私達の生活は大きく様変わりしました。世界中が繋がり、世界が小さくなりました。20世紀の初め、著しい発展を続ける科学技術を背に、私達の先達は思ったものです。この調子であれば、今世紀の終わりには天国のような世界になっているだろう、、、。そう信じて、多くの人々が努力を重ねました。その結果、私達の生活は大変便利に、苦しい肉体労働をせずに日々の糧を得られるようになった。

しかし蓋を開けてみると今世紀。社会全体を見回してほしい。この現状をいったい何と表現したらよいのか、、。それまで確実だと思われていたあらゆる共同体、国家、地域、学校、そして最小単位であって私達が最後に心を寄せることの出来る家庭までもが崩壊していく、、。団塊の世代は、日本の復興、経済の躍進のために身を献げた。確かに日本は豊かになった。でもその結果得たものは何だったのだろう。彼らは仕事場から引退し、穏やかな老後を過ごそうと思った矢先、心を通わせることの出来る家族はもういない。それまで家族のためだと思って、身をすり切らして殺伐とする社会の中で、叩かれながら戦ってきたのだ。その報酬がこれなのか、、、。絶望的な気持ちで死を選びたくなるのもわかる。

女性とて同じだろう。自分の分身のように愛する自分の子供は、どんなに可愛がっても自我が育ち自分の下を離れていく。これだけ世話をしたのなら、きっと老後の自分の面倒を見てくれるのではないか、一緒に暮らしてくれるのではないかと内心期待しているが、一方でこんな用無しになった自分はお荷物にしかならないのではないかと悲観する。

人間の価値は一体どこにあるのか。現在若さと体力に溢れ、活気があるあなたも、いずれ先輩方と同じ命題に向かい合わなければならない。いや、もうすでに目の前に突き立てられてているかもしれない。バブル以降を思春期に迎えてきた私達の世代は、この世の中がどれだけ不安定で頼りにならないかを体験として知っている。それを見通せてしまうからこそ、自分の未来をいち早く予想して絶望し、死を選ぶ、、、。それは、最もなことだろう。

創り主なる神を認めない学校教育において、いったいどのようにして生きることの尊さ、意味を伝えることが出来るのというのだ。偶然、アメーバから発展して、自分はたまたま猿から進化したと考える中で、自分の存在の位置づけをどのように求めたら良いのか。教育者の皆さん、どうぞ教えてください。たまたま、偶然、なにかの間違えで、人間はこの世に生まれついたと言うのか、、、。間違えであれば、生まれながらにある自らの醜さに直面したとき、それを消去したいと思うのは当然ではないのか。宗教者のみなさん、よく向かい合ってください。私達の生きる意味はどこにありますか? 何がこの死に行く体から救ってくれるでしょう。早かれ遅かれこの肉体は朽ち果てていくのです。それを永らえようとして医学を用い、あらゆる健康に関する努力をしても早かれ遅かれ一緒。この虚無感をどうして生きていったら良いのでしょうか。


この答えを創造主でおられる父なる神はお持ちです。この方に出会ってからそれまでの私の人生は一変しました。常に自分のことばかり考え、他の人と仲良く過ごしたいと思いつつも、いつも自分の自己中心性、自己愛が邪魔をして関係を壊す。だからこそ、他人と距離をおいていつも過ごしてきました。それなら、自分を守ることが出来るし、他人を大きく傷つけることもなかろうと考えたからです。しかし、孤独な毎日でした。自分でそれを選んでいたのは知っていましたが、他にすべがないのです。そのもがきがピークに達したとき、神は私の人生に介入してくださいました。

お前を知っているぞ、、、とその方は言われる。誰も知り得ない私の隠れた部分、もしそれを人に見せたら、嫌われて棄てられるのではないかと思うような汚れた部分を知りながら、それでも私に目を留めてくださると言う。なんということだ、こんな事があってよいのかと、18歳の時、受験勉強の最中、涙を流しながら聖書を読みまくった感動を今もありありと思い出せる。

それからというもの、私はその方に心を奪われてしまった。大学でそれまで出来なかった様々なことに取り組んでも、なぜかどれも虚しかった。夢中になってやればやるほど心の中は冷めていた。その方と触れること以外のことで満たそうとすればするほど私の心は渇き、よりその方を求めるのだった。

やはり私は教会が好きだった。人が好きだった。大きな違和感を持ちつつも通い続けた。信仰を持ち始めてからの10年間は、キリスト教会との戦いのようであったが、それが何を意味していたのかは今になってよく分かる。今に至るための神の訓練であったことに他ならない。もし、わたしが、それなりに居心地のよい教会で、それなりの信仰生活で満足することがあったなら、きっとそこで成長は終わったことだろう。神は私に堅い食べ物を与え続けなさった。私は、一人の友人のここまでに至る壮絶な人生を思うに、私もそれに重ねて、「特殊訓練コース」だと呼んでいる。神はいつまでも、私を乳飲み子のままにはしておかずに、より難しいところ、困難な所で神の栄光を現すようにと導いた。それまで、私はどうして自分ばかりこんなに大変な事にぶつかるのだと不思議だった。でもよく考えてみると、私自身がそれを欲していたようでもある。なかなかいやらしい神様だ。最後には逃げ出せない私の生真面目さを承知で、それをうまく利用して導いたのだ。

結婚もまたそうだろう。どうやってもうまく行きそうにない。引きこもりで未来に何の希望も持てない私に、それでも「お前の行く道を祝福する」との言葉を与えてくれた。その言葉一つで私は立ち上がることが出来た。世間的には何の根拠もないのだけれども、死んでいたはずの私の心が瞬間甦った。不思議な安心感が体を包む。初めての経験ではなかったが、そういう体験を繰り返すうちに、私を支配するその領域が増して行くことを感じていた。

今から6年前、「わたしの言葉をそのまま伝えなさい」との召しを受けたとき、その意味するところが何であるのかを知って恐ろしくなった。牧師として献身するとか何とかそんなうわべの事ではない。神の言葉を預かるということの重大性にだ。それが、私のこの世の命を危険にさらすことになることでもあることは、過去の経験から知っている。それでもなお、神は私を召そうとするのか、、。断ろうとすると「お前は直接わたしの声を聞いているのにそれを伝えないというのか。」と凄んでくる。逃げ場かないことは知っていても、私は逃げた。それから聖書を読むこともきっぱり止め、どこかで神に出くわしてしまいそうな教会に足を踏み入れることも止めた。その彷徨の旅の途中、私とうり二つのように見える友人との運命的な出会いをしたのだ。私の心は大きく励まされた。一直線であたりにぶつかりまくる、こういう人生を送ってきたのは自分一人ではなかった。同じようにもがき苦しむ中で、本物に出会った仲間がいた。そういう人は、会えば直感で分かる。おそらく向こうも同じものを感じていただろう。

それから、私はこのような人がいることの出来る救世軍なら時代が変わったのだろう。私は10年登場が早かっただけだったのだと思い、先の召しの意味を「救世軍士官として尽くせ」の意味だと受け取った。気持ちはそれで燃えていて、そこに向かっていったのだったが、祈りながら求める中で、決定的な出来事がいくつか重なった。普通、神が道を開くのなら、どんなに困難に見える物事でも、一歩き始めると次々に扉が開いて、考えられなかったような未来が開けて行くのが普通だ。しかしこの場合はどうだ。こんなに私の心は燃えて願っているのに、そちら側には巨大な壁がこしらえてあるように感じる。パウロさんほど頑固者ではない私は、これを用意したのは神だ、、と直感した。

それから、その召しの意味を問いつつ現在まで至っているのだけれども、ついにその意味が明確になろうとして来ている。聖霊がわたしに望んで、その命の血をバプテスト(注ぐ)することによって、私はそれまで人生の真の意味を悟るようになった。父なる神が私に求めておられること、私のこの地上に生まれてきた意味、使命を知るようになった。ここからが、私の人生のスタートであろうと感じている。そう私は生まれ変わったのだ。ここまでが長かった。神の忍耐強さは半端ではない。いや、まだ私は若いと言うべきか、、、。あとどれぐらい残っているのか分からない地上の人生を、それに集約して生きることが出来る。長々と過ごしたいとは思わない。最短距離で、駆け足で走り去りたい。神が私に注いで下さるあらゆるものを全て流し尽くして走り去りたい。きっとそのための力を日々与えて下さると信じる。前田貞美さんともいずれ会うことが出来るでしょう。いまも、すぐ後ろに立っているように感じますけどね。皆さんに、祝福がありますように。
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by dynabooksx | 2011-01-17 04:42 | いと小さき者の一人

いと小さき者の一人⑬

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挿絵の便所ってのが気になるなぁ。


十一、建碑式の挨拶
                          昭和四十五年一月八日
                            前  田  貞  美

 本日、御後援者の皆様や発記入の皆様の御心尽しにより不肖私の為に、記念碑建立
祝賀会を救世軍東北連隊長小林中佐の司式により浪江小隊長鈴木大尉、三上中尉、小
隊下士官多数御臨席を賜わりましてこの除幕式を催されました事は誠に感慨無量有難
い仕合せで御座います。ふり返えってこの赤瓦製造五十五年の歩んだ道を考えてみま
す時、私は大正二年二月生家より道路ぞいの畑五畝歩をもらいうけましたが、当時は
この周囲は全部三大字供有地の原野でありました。その中に四間と二間半の馬小屋を
七円五十銭で買いヽわら葺きの工場を建てて創業致しました。その当時を考えますと
夏は朝日と共に原野の各所から空高く舞い上るひばりの声で賑やかでありましたが、
何時の間にか原野も無くなり、耕地となり今日では、ひばりの声すら聞く事が出来な
い時代の移り変りで御座います。私の人生も苦難と忍耐との連続で、創業当時はこの
世をはかなく考える事もありましたが、二十七才の時幸福にも救世軍下土宮熊田小三
郎氏よりキリスト教を聞き、一時は強く反対致しましたが考えれば考える程、すばら
しい宗教である事を知り、聖書に従って神と共に歩み続けました。現在七十七才にな
りますが神の御恵みにより皆様の御後援により、与えられた天職として本焼赤瓦を専
門製品として広く社会に供給して参りました甲斐があり、「救世軍の瓦屋」として現
在に及びました。
 現在私は老年になると共に、片目不自由にて御得意様に御逢いしても失礼する事が
多いのでありますが、先様より「前田さん」と声をかけられますと創業時代の苦難の
時に助けられた事等が思い出され、感涙にむせぶもので御座います。この度は身にあ
まる立派な記念碑を建立して下され、御後援者の皆様と共に御祝い出来ます事は誠に
嬉しく感謝の外は御座いません。私もこの世に何時まで生き長がらえさせて戴けるか
わかりませんが、残る生涯を神様に喜ばれるべく、最善を尽して生き抜きたいと思っ
て居ります。本日のこの記念碑は「神の僕の証しの碑」として子々孫々まで永久に残
る碑となる事でありましょう。
 皆様各位の上に神様の御恵み豊ならん事を聖名によりまして御祈り申し上げる次第
でございます。

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碑の前が愛理のおじいちゃん。


+++++引用終わり+++++


少し間が開きました。この続きの所が本題なのですが、長くなるので切りました。「いと小さき者の一人」も今回を含めてあと3回ぐらいで終わります。ここで、私は人生の不思議というか、巡り合わせ、人の出会いの不思議を述べたいと思います。

救世軍とは、日本全国に50にも満たないぐらいの教会を抱える団体なので、どこかで誰かか繋がっている内輪のグループだと言えばそれまでなのですが、それにしては出来すぎだという巡り合わせがあります。

まず、私と妻のこと、、。妻の旧姓は「小林」と言います。先代も先々代も救世軍の士官ですけれども、冒頭に出てくるこの建碑式の司式をしているのは、彼女のお爺ちゃんなのです。当時関東東北連隊長で仙台にいた彼は、この式のために駆けつけてたのでしょう。その時の集合写真には沢山の人々が写っていますが。記念碑の側に立つその風貌は独特なので、小さくてもすぐわかります。

東京育ちで、全く環境の違う育ちから、しがらみの多い田舎の旧家の嫁として暮らす妻を心配して様々な人が声を掛けてくれます。とくに比較的都会に住むクリスチャンの皆さんは、田舎で信仰を守っていく困難さをよくご存じの方が多いようです。はっきり言いまして、彼女に素直なところ、どうだ? と聞けば、「今すぐにでも、こんな所捨てて逃げ出したい!!」と語ることでしょう。

それぐらい、この土地で生きていくということは彼女にとって困難があることでしょう。私も、これまで何度もその訴えを聞いてきました。「私は真也君と結婚しただけで、こんな田舎に来るつもりも、こんな風に親や親類達と付き合いをするつもりもなかった」と、、、。その人個人の人格を圧して迫り来る土着の考え方。知らず知らずのうちに、個性を殺してしまう「家」や「嫁」の考え方。曲がりなりにもクリスチャンホームではあるとはいえ、隠れキリシタンのような(用法を間違えている)我が家にとって、一般の家庭と異なっている所はほとんどありませんでした。ある程度、私が防護壁になるとはいえ、これまで一箇所に定住したことのない彼女にとって、土地に縛られて生きることは本当に苦痛なものであったでしょう。

親との関わりのこと、仕事での衝突で私も限界になり、皆で家を飛び出そうとしたとき、私だけでなく彼女も不思議な体験をしました。亡くなった自分のお爺ちゃんとおばあちゃんが現れ、存在を感じるというのです。この土地に自分の孫が、住むことが出来るように先に立っていると感じる。そうすると、不思議ともう少しやれそうな気がしてくると言うのです。


今では、かつて妻の祖父母が我が家と関わりを持っていたのは明らかな事ですが、気がついたのは全く後になってのことなんです。今から7年ほど前のことでしょうか? 彼女は、蔵にしまってあった廣田家の古いアルバムを見ていると、なぜか自分の祖父母が写っている。さらに驚いたことには、私の両親の結婚式の場に写っている。これには驚きました。それまで、私の両親自体もそれが誰なのかよく分からなかったからなのです。当時私の母は未信者でしたし、慌ただしく行われた式だったのでしょう。そこに当時仙台にいた小林中佐が司式をしていたらしいことが、写真から明らかになってきた。

彼女は、運命的な何かをここで感じたようです。私と彼女の結婚は、周りの反対を押し切ってのものでしたので、誰に勧められたわけでもありません。また、現在のように次男である私がこの地に戻ってくるという事自体、その時点からは考えられないことなのです。同時に私も不思議な縁を思いました。

彼女は現在、いつもお爺ちゃんとおばあちゃんが側にいる感じがすると言います。なんとなくそのようなものが、彼女の周りを取り囲んでいるような気もします。私以上に、地域の人々に愛され、たくさんの人が彼女に寄り集まってくるのは、同じくたくさんの人々を扱った伝道者であった祖父母の力なのでしょうか? 


確かに結婚にいたる際、ギリギリの所で祈り求めた時、「あなたを祝福する」という声を聞きましたが、今のような時が来るとまでは想像しなかった。正直、最初彼女と結婚することで、私の霊的なリソースは一生全て彼女のために消費されるのだと考えていた。現在、彼女の信仰は完全に私の手を離れた。もし私に何かあったとしても、ダイレクトに父なる神へと深い繋がりを持ち続けられるだろう。

今、最高の自由と喜びを味わっている。こんな風に彼女と一緒に神を、そしてお互いを喜びあえる時が来るとは思わなかった。ここから祝福は川のように広がっていくだろう。長男光希君は、完全に行き詰まった当時の私達に、希望を与えるという特殊任務を与えられて来たわけだから、やはり普通ではない。恐ろしいまでの素直な性格とバイタリティーを持ち、気がかりな子供を見つけ次々と我が家に連れてくる営業部長だ。次男知希君は、人と人の間に入り仲を取り持つ天才で、隙間に入ると存在を感じない。うん、それはあまり褒め言葉ではないだろう。でも、光希が連れてきた友達と実際に遊んでいるのは弟の彼なのだ。兄貴は、自分の友達のはずなのに、連れてくると安心するのか、勝手に自分の事を始めたりする。そして、三番目の愛乃は、これは想像がつかない。知性が飛び抜けていて末恐ろしい。すぐに私も口で言い負けるようになるだろう。性格は一番下で顔と共に私に似ているが、会話や仕草を見ていると、とても就学前の子供だとは考えられない。


こんな楽しく穏やかな時がいつまで続くかは分からないが、子育てに関して、未来に対して何の心配も感じないのは、クリスチャンの特権であろう。私が神との約束を忘れない限り、我が家は子々孫々にわたって祝福されていくだろう。そしてこれは、私達に関わる人々皆が預かるべきものだと信ずる。そのために、これから私の人生の残りを用いるつもりだ。前田貞美氏のように、、、。
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by dynabooksx | 2011-01-15 05:57 | いと小さき者の一人

十、記念碑の碑文

碑文の内容は次の様なもので筆者堀川勝義が撰文したものである。
    前田貞美翁歴伝
 翁は明治二十六年十二月二十五目、大字棚塩字北沢七十番地。父前田作二郎、母ハ
ツの五男として生れた。明治三十三年四月一日。幾世橋小学校第一学年に入学。明治
三十七年三月二十五日。同校四学年を卒業。同年四月一目。浪江高等小学校第一学年
に入学。明治四十一年三月二十五目。同校四学年を卒業。明治四十一年八月十五目。旧
苅野村大字酒田、前田美見氏の徒弟となり粘土瓦製造を修業す。大正二年二月。大字
棚塩字南鶴子谷地十一番地に独立開業す。大正三年四月十九日。旧苅野村大字立野字
中島。島抜元治と妻トクの長女トクヨと結婚。大正七年二月。「木焼赤瓦」に変更し
赤瓦製造をもって社会に尽さんと固く決心せるも「成焼」に経験なき為め、重ぬる失
敗にて師弟共々に失望しつっある時、救世軍下士官熊田小三郎氏を通じてキリスト教
の救いを経験し、霊なる真の神を知るに至る。以来信仰をもって聖書に教えられ「神
は愛なり」と伝道を始め平民の宗教家として、神の国と神の義とを求め、需要家を愛
し正直に誠を尽して徒弟七人を養成し、息千娘六人を見ながら瓦業研究、精神修養に
勉め、社会福祉に貢献し禁酒禁煙を実行して家庭教育に務め独立の指針に尽力し、身
を以って博愛に心を尽す。昭和二十一年民生委員を委嘱され連続十三年感謝状並びに
記念品を贈らる。昭和二十二年一月二十五日。幾世橋村「農地委員会委員」に選任さ
れ同年三月。幾世村「教育審議会委員」に委嘱さる。昭和二十三年十一月二十日。同
胞援護会県支部幾世橋村分会長に委嘱さる。昭和二十三年十一月二十三日。農地制度
改革事業の完成を記念し農林大臣より感謝状を贈らる。昭和二十六年四月二十三日。
幾世橋村々会議員に当選し昭和二十七年九月。永年待望の県道北泉請戸線一部編入。
蛯沢、浦尻、大原、南小熊田、植畑、村会議員地元代表として活躍。昭和二十八年三
月゜北幾世橋土地改良区第一期隋道工事の理事会計係として活躍し昭和二十九年五月
完成す。その功績大なり。昭和二十九年五月三日。浪江町幾世橋村、請戸村一町二ヶ
村合併推進浪江町議会議員となる。その功により感謝状並びに記念品を贈らる。幾世
僑共同組合、共済組合の監事に選ばれ、理事一期感謝状並びに記念品を贈らる。昭和
二十九年十二月一目。救世軍浪江小隊会計に任命さる。昭和三十年三月。北幾世橋土
地改良区第二期隋道工事理事会計係として再び活躍し同年五月完成す。その功績大な
り。昭和三十一年五月。浪江町苅野村、大堀村、津島村、一町三ヶ村合併完成し、そ
の功績により感謝状並びに記念品を贈らる。昭和三十九年一月十七日。県立浪江高等
学校々舎環境整備委員会委員としての功績により感謝状並びに記念品を贈らる。昭和
四十三年三月三日救世軍下士官四十年勤続章を授与さる。浪江町議員二期活躍し多忙
なる赤瓦製造業のかたから、公共の為めに奉仕されたる翁の功績をここに永久に賛め
伝う。

 昭和四十三年十一月十目

                救世軍浪江小隊書記  堀 川 勝 義 撰文
                光葉(書道の号)   神 長 倉 光 世 書




+++++引用終わり+++++


よそ事を書いていると、こちらが進まなくなる。今日の箇所は、ここで区切るとマタイの最初のところみたいで面白くないかもしれないが、私はここで、彼がその地域のためにいかに尽くしたのかということに注目したい。貞身氏にとって、クリスチャンとそうでない人との区別はほとんど無かったかと思われる。というのは、彼にとってはこの地域で自分がほとんど唯一のキリスト者だったからというのもあるだろうが、神に愛されている一人一人だという点において違いを見出さなかっただろうと思うからだ。だから、彼はよく地域に隣人に奉仕した。キリスト教会の中の活動に留まるような人ではなかった。無論、何もないところから始まった彼の信仰なのだから当然と言えば当然だろう。同じ最前線にいる私にとっても、ごく当たり前のことだと思う。

でも教会に通われているみなさん。よく考えて欲しい。たまに教会に顔を出してみると、あなたは日曜日どこに行っているの? とそれぞれ何度も聞かれる。そんなこと重要なのか? 露骨には言わないが繰り返されるとそう問いかけたくなる。俺が興味があるのは、人が救われるかどうかだけだ。自分が日曜日に恵みを受けられるかどうかなんてそんな事にはもう関心がない。放っておいても神は向こうから恵みを注いで下さる。だから違うんだよ。僕が教会に行くとすれば、それは自分の為なんじゃないんだ。気がついてください。もう、私の恵みを受けるタンクはいっぱいいっぱいなんです。もう止めて、分かったよという感じ、、。私にとっては日曜日が聖日ではない。全曜日だ。そしてそれらの日は、わたしのためにあるのじゃなくて、神のためであり、その思いを果たすためにある。

救世軍の信仰なんてものがあるんじゃない。救世軍なんてものにこれっぽっちもこだわりなんてもってはいないよ。そんなもの本物がやってきたら、どれも写し絵みたいなもので、全て消し飛ぶんだ。私が救世軍を取り上げるのには、そこで育ったからということもあるけれども、そこに聖霊の残り香を感じるからだけなんだ。恵泉塾だってそうだよ。全部神の業の陰だよ。それを追って見ているに過ぎないんだ。本物が皆さんの中に来たら、もうじっとしていることなんて出来ないはずだよ。皆さんが日常いるその場所で、神の栄光を現さないではいられなくなるでしょう。水谷先生が特別に見えますか? わたしから見たら、そこら辺にいる普通のおっさんですよ。ただ、聖霊付きのね。それはみなさんも全く同じ事です。それが来れば、同等のことをすることになります。それ以上かもしれませんよ。先生は意思を働かせぇ~って言うけども大丈夫。聖霊は土石流のように私達を押し流します。その時がくれば、手を離して素直にその流れに乗るだけで大丈夫です。

あれ? 誰に話してるんだっけかな、、。世俗と教会、うんいいメッセージだった。でも見てごらん。まもなくそんな所に教会なんてあったっけ? ていう何もない所、これまでの教会のイメージから遠く及ばないところから神は人を起こし続けるから、、、。本当はそんな区別はないんだ。神の目からはね。「世」は善いものも悪いものも、この世界全てです。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、
ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。  ヨハネの福音書 3章 16節 



今回の記事はずいぶんくだけたな、、、。
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by dynabooksx | 2011-01-10 04:38 | いと小さき者の一人

九、夫人の横顔

 聖書の言葉に「妻たる者よ、主に仕えるように自分の夫に仕えなさい」 (エペソ人
への手紙第五章二十二節)とあるが、前田夫人こそこの言葉の通り、身をもってそれ
を実行した人はなかったと思う。大勢の子供を育てながらよく貧乏と戦い、彼の妻と
してよく仕え、どんな困難にも黙々として当ってそれを克服した人であった。貧しい
が故に弟子達に着物を買ってやる事が出来ず、よく夫人の着物を縫い直して(注・昔
田舎では男も女も細い縞の本絹の反物で着物を作って着たもので、男女共同じような
柄で作ったものだそうです)弟子たちに着せてやったと言うことである。すでに記述した
様に、主人の気質は、人をすぐに泊めたり、食事を食べさせたり、金を恵んだり、又職
人の出入りも多かったので、陰ながら布団の世話やら食事の世話には骨を折られた。
殊に一時は赤貧洗うが如き状態になった頃は、よく近所から米を借りに走ったり又布
団借りに大童であった。後になって息子の「徳美さん」が語っていたが「俺が子供の
時によく母に近所から米を借りて来るように、ざるをもって走ったものだよ。俺は子
供だから恥かしくはなかったが、母はどんなにか苦しかった事だろうな。今考えると
本当に感慨無量だ」と言っている。本当に前田夫人はよく働く彼の陰の力であった。
つまり彼の事業が成功した裏には、このかくれた夫人の力が尽大に加わった事は見の
がす事が出来ない。しかし惜しくも「老人の新居」を造ってもらって、残る生涯を安
楽に過そうと思っていたのも束の間、昭和四十三年の三月三日夜、救世軍河合大佐
の家庭集会後に脳溢血で倒れ、一年三ヵ月療養されたにも拘らず、残念にも家族の手
厚い看護を受けながら、四十四年の六月十五目、七十四才でこの世の務めを終えられ
て昇天されたのであった。
 ”一粒の麦が地に落ちで死ななければ、それにただ一粒のままである。しかし、も
し死んだなら、豊かに実を結ぶようになる” (ヨハネによる福音書十二章二十四節

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+++++引用終わり+++++


よき働き人の側にはよき助け手がいるものだ。優れた働きをする人の周りには、いつの間にかそれを実現するために必要なスタッフが整えられてくる。志があるものが集まってくるといえばそれまでなのだが、人との出会いは予想できないものがある。

もう一歩深めたものの見方をしよう。これまでずっと取り扱ってきた貞美氏にとってもそうなのだが、ここでの前田夫人の卓越した働きや姿勢の裏に何か見えてこないだろうか。現代に生きる皆さんの身近に、時代は違うとはいえ、このような人物の姿を見出すことが出来るだろうか。そういう人がいるという方は幸いだろう。
私が言いたいこと、、、。よき働き人にはよき助け手がいるものだということ。前田夫人の背後にもよき助け手がいたのだということ、、。このブログを読むクリスチャンならば、その事を見出し、感じ取るに至ってほしい。主イエスは、私が天に昇ってあなた方の所からいなくなるからには、助け主を送ろうと約束された。単にその人の優れた性質と実績を讃えて、あの人は立派な人だったとすることは簡単だろう。でも、キリスト者の見方はそれとは異なる。力の源、命の源であり、栄光を受けるべき方を知っているからだ。その方を見出さない限り、過去の信仰に生きた人を理解したことにはならない。もし、それを本当に理解したのなら、あなたのうちに働く湧き上がるような同じ力にうち震えることだろう。

いと小さき者の一人の小冊子には、ことさらにその助け手のことを明示してはいない。だが私がこの冊子を紹介したくなったわけは、この助け手、聖書で言う「聖霊」について表現したかったからにほかならない。私はこの冊子を読んだ際、陸の孤島と呼ばれるこの田舎、大変保守的で、互いの顔色ばかり見ていて、いつ周りから非難を受けるのかと恐れの中に暮らしている人々が大半であるこの地で、突き抜けるようにと働いた聖霊と、それを強力な追い風として人生を駆け抜けた貞美氏とそこに関わった人々の生き様を見た。聖書にあるような、不治の病が瞬時に治ったり、死人が甦ったりした超自然的出来事が描かれているわけではない。だがここには、どうやっても人間の努力ではたどり着くことの出来ない、人が別人のように生まれ変わるという奇跡があった。いや、このことを死人が甦ったというべきであろうか。はるか遠い時代の出来事のようだが、それはたかが半世紀も経たないすぐ前の出来事なのだ。もう、我々にはその風は吹かないのか。しおれ、干からびていくような大地を前に、ただうなだれ、自信をなくし、手をこまねいているしかないのか。もう、神は死んだのか。そのような呻きが地の底から聞こえてくる。


主よ、私達を哀れんでください。あなたの怒りはもう十分です。確かに私達はあなたに背き、罪を犯しました。しかし、そのままあなたが御顔を向けて下さらないのなら、私達は本当に滅び去るでしょう。いや、知っています。あなたがこちらを向いて下さらないのではなく、私達に問題があるのだということを、、。でも、その事に気がつかないのです。ですから、あなたが霊を送って直接その事を分かるようにして下さい。サタンの呪縛から解放し、その策略を打ち破って下さい。力を失って、眠ったようになっている聖徒達を呼び起こしてください。そして、永遠にあなたと共に住む、約束の地へと私達をいざなってください。私達が堕落し、恵みを見失った前の、回復されたその場所に、、、。あなたがそれをお出来になることを信じます。私の呻きと願いとを聞き、受け入れて下さったと信じます。感謝します。イエス・キリストの御名を通して祈ります。アーメン。
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by dynabooksx | 2011-01-08 06:04 | いと小さき者の一人

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八、前田貞美氏の横顔

 前田貞美氏は「赤瓦製造」では全国に名の通った事業家であり、又町の公職につい
て町の発展に活躍された人であった。然しそれにも増して、彼が尊敬されたのは彼が
「信仰の人」であったからであった。「義人は信仰によって生くべし」と聖書にある
が、前田貞美氏は全くこの聖言通り、一生涯キリストと共に歩んだ信仰の人である。
事業に、公職に又救世軍小隊の為に、キリストの愛の精神をもって働かれたのであ
る。今、前田貞美氏の人物評価をして見ると

一、約束を守る人である。
 ヤコブの手紙第五章十二節に「”しかり”を”しかり”とし、”否”を”否”とし
なさい。そうしないと、あなたがたは、さばきを受けることになる」と書いてあるが
前田貞美氏は約束は必ず守る人であって、約束の出来ないと思う時は「出来ない」と
はっきり断る人である。或る日の救世軍での伝道集会「救霊会」を担当してくれる事
になり、我々兵士達もその夜の集会に出席すべく心掛けて居ったところ、丁度台風が
来て大雨が降り、請戸川が氾濫しそうになり、とても集会には出られそうもなく自分
達はとうとう欠席してしまった。ところが前田貞美氏は、その大雨の中を「棚塩」か
ら夜道を三粁を歩いて浪江町に来られ、六十四才になる彼が約束を守って出て来られ
たのに、若い者が約束を破って「救霊会」に出なかった事が本当にすまなく思ったの
である。彼の約束の堅い事は彼に接する多くの人々の奨励となった。「一事が万事」
であって商談にも又日常の茶飯事にも「定めた時間」「承諾した用件」は必ず守る人
である。

二、仕事に忠実な人である。
 テサロニケ人への第一の手紙第四章十一節に「あなたがたは、つとめて落ち着いた
生活をし、自分の仕事に身をいれ、手ずから働きなさい。そうすれば、外部の人々に
対して品位を保ち、まただれの世話にもならずに、生活できるであろう。」とあるが
前田貞美氏は、全く良く働く勤勉家であった。昔、貧乏のドン底から立ち上る事が出
来たのも一つにはこの仕事熱心にあったと思う。今、瓦事業も地元は勿論県外よりも
多くの注文を受けて、半年前に注文しなければ出来ない程の忙しさは、実はこのたゆ
まぬ努力にあるのだと思う。

三、厳正禁酒禁煙主義の人である。
 エペソ人への手紙第五章十八節に「酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとであ
る。」と書いてあるが前田貞美氏はもとは大酒飲みであったけれども、キリストを信
ずる事によって酒煙草は悪であり、物事は損得で考えるのではなくて、善悪から考え
ねばならないという人生観で終始したので、酒は自分も飲まないし又、人にも勧めな
い主義であり、叉自分家も「酒飲みの場」にしない事で、現在までその主義を貫ぬ
き通して来た。酒煙草が現在どれ程の害があるか誰でも承知しているのに、仲々やめ
られない世間に自分から生きた模範を卒先して示す所が偉いと思う。

四、博愛的な人である。
 ペテロ第二の手紙第一章五節に「それだから、あなたがたは力の限りをつくし
て、あなたがたの信仰に徳を加え、徳に知識を、知識に節制を、節制に忍耐を、忍耐
に信心を、信心に兄弟愛を、兄弟愛に愛を加えなさい。」とある。前田貞美氏は接す
る人々に愛の精神を及ぼした。貧しい人達を恵み、心配事のある人には良き相談相手
となり、困った人には力をつけ、忙しい仕事のかたわら良く人の面倒をみる人であ
る。接する人々に何か良い香りを与える愛の人であるから誰もが尊敬するのである。

五、よく学ぶ人である。
 テモテヘの第一の手紙二章十一節に「万事につけ従順に教を学ぶがよい。」と書い
てあるが、前田貞美氏は良く色々の事がら学ぼうと努力し、どんな事からも学ぶ人で
ある。例えば年下の者でも又、人から省りみられないような人からもよく学ぶ。貧乏
する事がら、困難な事から、謙遜、忍耐、険約、神の愛、祈りの応験、その他万事に
っけ従順に学ぶから、より豊かな徳が加えられた。「学ぶ人は常に新たなる事を知
る」というが、彼は七十になった今でも「こんな事を知らなかったョ」と、よく自分
のひざをたたいて感激している様子をたびたび見かける。人物の見分け方に「人間が
若いか年寄りかは、その人が感激するか感激しないかで決る」と言われているが、実
に若者が感激するように色々の面で感動する。この精神が常に彼に希望を与え、若さ
を保たせている秘決であると思う。

六、よく教える人である。
 テモテ第二の手紙二章十五節に「あなたは真理の言葉を正しく教え、恥じるところ
のない錬達した働き人になって、神に自分をささげるように努めはげみなさい。」と
あるけれども、前田貞美氏は又良く教える人である。彼を尊歌する人々は色々な相談
事を持ちかけてくるが、彼は何時も親切、丁寧に語りかけ、面倒をみるのに苦労をい
とわなかった。そしてその口から出る言葉はすべて聖書の引照句であった。彼は聖書
こそすベての問題を解決する鍵である事をよく知って居り、どんな問題にも適切な聖
句を引いて教え導いて居られるのにはつくづく感心する。



+++++引用終わり+++++


ここは「前田貞美氏の横顔」と題して友人である筆者の堀川氏が貞美氏の特徴を列挙した部分だ。まだまだ続くのだが、ここでいったん切った。今日は冒頭の所の貞美氏が愛した言葉「義人は信仰によって生くべし」の部分を掘り下げたい。これは「信仰義認」として繰り返し聖書で述べられている、信仰者にとって最も重要だとも言える中心的内容を含む。ここでは、私の好きな個人訳聖書からローマ1章16、17節を引用し、パウロの告白に耳を傾けよう。


わたしは福音に絶大なる確信を抱いている。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人その他信ずるすべての者を救いにあずからしめる神の力だからである。福音はまた、何によって人間は神の前に義(ただ)しい者とされるか、を示している。それは徹頭徹尾、信仰によるのである。「信仰によって神の前に義しいとされた者は、生命(いのち)を見出すであろう」と書いてある通りである
          柳生直行訳


「義人は信仰によって生きる」だと最初に「義人」と呼ばれる人がいて、その人が信仰を持って生きるように受け取られてしまう可能性があるが、言葉を補いつつ日本語として意味が通じるように訳した上記の訳だとそのまま読み取り易いだろう。ここで言う「信仰」とは言うまでもなくイエスをキリスト(救い主)だと信ずる、信頼することだ。この手紙を記したパウロは、この信仰によって人は、神の前に義しい者だ(それで良いのだ)と認められ、その事によって、信仰者は生命(いのち)を見出すのだと言う。神に認められ、受け入れられたことを知るということはつまり、罪を許されたという実感を得ることになる。この事によって人は、神との関係を回復し、そこから流れ出る尽きない命を見出すようになる。前田貞美氏も、この命によって生きたのである。その結果として表れてきた性質が列挙されていると見るべきであろう。きっと故貞美氏が、今ここにいたとしたなら、「あんた、よく分かるねぇ~」と私の頭をなでてくれることだろう。私は特に5と6項目に心惹かれるが、一つ一つの項目に関しては、読んだ如くなので私の説明は要らない。彼のような人生を歩めたら幸いだと思う。
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by dynabooksx | 2011-01-05 09:11 | いと小さき者の一人

七、救世軍浪江小隊の経緯

 前田貞美氏の次男に「徳美さん」と言う子供が居る。戦時中、千葉の戦車隊に応召
になり、後に盛岡に転属になった。或日休暇が出たので町を歩いて居ると、或る家の
縁側で子供達が少年雑誌の附録の偉人の写真を見ている前を通りがかった。ところが
その内の一人の子供が写真を指して「これは救世軍のイーデー中将だ。」と言ってい
るのを耳にして、心がひかれた。彼もクリスチャンを父に持ち彼白身もクリスチャン
であったからである。殊に故郷をはるかに離れていると、何でも故郷で聞いた事のあ
るものや故郷に関連のあるものは全てなつかしいものである。彼は早速その家を訪れ
てその家の主人に逢った。その人は「田中誠」と言う方で、その兄が「救世軍の士
官」をやっているとの事であった゜そこで縁側にいる子供に「どうして救世軍を知っ
ているの」と聞くとその子供は「僕の叔父さんが救世軍士官だからサ」と言ったので
ここにも「救世軍」の感化が及んでいる事を驚きもし又感心もしたのであった。そし
てこれが田中氏との接近する縁となり、休暇毎に田中氏の家庭を訪れて話を交すよう
になったのだそうである。
 その後「徳美さん」は、千島に転属、終戦は、樺太の大泊からシベリヤに抑留され
て、昭和二十二年九月に故郷へ帰えって来た。或る日、且て盛岡で逢った田中氏が母
親を兄の「田中貞一氏」という救世軍士官のところへ送って行く途中に「徳美さん」
を尋ねた。田中誠氏はその時前田貞美氏にも逢われて「戦時中クリスチャンが色々迫
害され、救世軍平小隊も閉鎖されて以来戦友は、散りくとなって自分一人が困難の
中に信仰を持ち続けている事、又何とか昔の救世軍小隊を復活させたい事、その為に
常に祈っている事」等を前田貞美氏は田中誠氏に語った。ところがその事を田中貞一
氏が弟さんから話を聞いたといって、前田貞美氏に手紙が届いた。それには「何とか
昔の平小隊を復活する為に御尽力を願いたい」旨の事がしたためてあった。
 その頃東京連隊長添田中佐が東北に救世軍の足場を作る為に奔走していた。「東北
南部には何とか「平」小隊をと思ったけわども、仲々足がかりがなく、浪江より
も約八十粁もある場所なので平小隊の復活は困難であった。そうこうしている内に河
合少佐が東北連隊長に任命された。少佐は前田貞美氏に「何とかこの浪江の町に救世
軍の子供の集会をする場所がほしい、それには広い場所はいらない。わずかな狭い場
所にむしろを敷いただけでも結構である」との言葉に動かされて、彼は真剣に探し廻
った。丁度その頃浪江町北深町に、黒木氏所有の古家があった。彼はその家を十五万
円で買うべく交渉したけれども公けに救世軍会館にする為に買ったりしたら、迫害さ
れる恐れもあるので、外見は「製瓦事務所」として買う事にした。そこでその家を買
った後で早速「救世軍」に貸した事になったけれども、仲々開戦は苦労が多かった。
昭和二十七年八月浪江で始めて救世軍の日曜学校が開校された。最初に河合少佐と前
田貞美氏が小学校々庭の南酉の隅で子供集会のチラシを配ったが、神は不思議な摂理
をもって人口二万二千の浪江町に救世軍小隊等は出来そうもないと思っていたところ
に福音の足場を与えて下さったのだから、前田貞美氏は「長年の祈りが聞かれたの
だ」と大いに喜んだのであった。こうして救世軍浪江小隊が形をととのえていったの
であった。



+++++引用終わり+++++


これは今日、浪江駅から歩いて5分ほどの所にある、救世軍の会館を取得するまでの箇所だ。あっさりと書かれているが、この間には太平洋戦争が内包されている。この間に、日本のキリスト教会は大きな弾圧を受けた。多くの教派が、天皇への忠誠を誓わされ戦争への協力を求められた。ほとんどの教派が日本基督教団として統合されていく中、名称を変えながらも独立を保ってはいたが、皇室との繋がりもあった山室軍平が没した後、解体され同じ道をたどった。

そこらあたりの事は、こちらでよくまとめられていました。勝手に取り上げさせてもらいます。

長野県の単立キリスト教会 マラナサ・グレイス・フェローシップ(MGF)の型破り牧仕のキリストバカ一代

山室軍平について書き始めると、これまた連続特集になって先に進めなくなりそうなので、ここでは扱わない。現在のいわきにあった、当時の平小隊も戦時中の困難の中にあって、閉鎖を余儀なくされていったのだろう。

本文に出てくる次男、徳美さんは現在でも健在で、時折我が家にも来て下さる。戦時中に各地に配属されるその中で、故郷の父を思い出す事柄に触れたのは嬉しいことだったろう。そんな繋がりで、平小隊が復活するかわりに、浪江小隊が興されたというわけだ。その土地を入手した経過は、脚色がついているとはいえ、繰り返し亡くなった祖父からも聞いていた。


ここらで一つ不思議な名称である「救世軍」についてあっさり説明したい。歴史的な経過等に着いてはウェブで検索すれば事足りるだろう。私が書いておきたいのは、時代錯誤に感じる「軍隊」の名称を使ったその意味についてある。これは、救世軍発生の当初の国家が軍国主義で植民地支配を進めていたから、そういう名称が馴染んだとかそんな単純な話ではない。現在救世軍に属している人がどれほど意識をしているかは定かではないが、その捉えるところは、「霊の戦い」である。

聖書で描かれる人間模様の背後には、全てこの事が背景としてあり、パウロの残した手紙にもはっきりと述べられている。

わたしたちの戦いは、血肉(人間)に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。エペソ6章12節

救世軍の創立者はじめ、それに追従し協力していった者達は、明確にこの戦いを意識し、実際に戦った。山室軍平も然りその通りであり、それは彼の著書を読めば明らかに分かる。現代に生きる私たちが、目には見えぬこの戦いを感知出来なければ、戦い、勝負にすらならないだろう。この時代はクリスチャンにとって、かつてのような迫害のない、いい時代だと映るだろうか。日曜日に教会に集まれば気の合う仲間達がいて、楽しく過ごせるのだと満足しているのだろうか。では、戦いはどこにある? パウロが戦った、ウィリアムブースが戦った、山室軍平が戦ったその戦いはもう終わったのか。終戦を迎えたのか。終わった、もしくは分からないという人がいるとすれば、大勝か大敗にて終了したのだろう。

こちらが戦うことを止めたからといって、敵は攻撃の手を緩めない。戦うことを止めたら最後、攻め込まれ蹂躙される一方だ。そうでなくて、戦闘能力を失った多くのキリスト教会の現状をどう説明できるというのだ。

なんだか、途中で急激に熱くなってしまった。そんな流れのつもりではなかったのだが、書いてしまったのだから仕方あるまい。霊の戦いに赴く者達に祝福がありますように。
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by dynabooksx | 2011-01-04 09:42 | いと小さき者の一人

六、愛 の 実 行

 前田貞美氏は愛の人であった。困っている人があれば自分を省みる事なくよく尽し
たものである。或る時、日照が続いて田植をするのに農家では困っていた。何処でも
色々苦労をしてやっとの思いで田植えしたのである。ところが彼の田圃の下の方に田
を持っている人は、他の家では田植えが出来たと言うのに水が無くて植えられないで
いた。事実空を仰いで見ると毎日晴天続きで、雨雲が出る気配さえないのだから、彼も
やっと苦労して田植えを終えたのである。しかし下の田の事を思うと胸が痛かった。
彼は今植えたばかりの自分の水を放水して下の田圃に流してくれた、近所の人達はこ
れをみて彼に語った。「今すぐ雨の降りそうもないのに田圃の水をくれてしまったら
…田が枯れてしまうだろうに」。しかし彼は平然として空を見上げながら言った「神様
は見捨てまい。神様は全てを御存知である」この確信し切った勇気のある態度には皆
驚いてしまった。ところが不思議にもその晩大雨が降って、さしもの水騒ぎは終った
のであった。そんな同情ある計いが一度ならず三度もあったが、その都度雨が降って
くれて作田が枯れてしまうような事は全くなかった。昔イスラエルに日照が続いた時、
予言者エリヤはヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに身を隠した。しかし飢饉で食
べるものがなかったので「からすが朝毎に彼の所にパンと肉を運び、また夕毎にパン
と肉を運んできた。そして彼はその川の水を飲んだ」 (列王記上十七章六節)と聖書
にあるが、これは信仰のあついエリヤに神は奇蹟を現わし給うたのであった。エリヤ
と共におられた神が前田貞美氏の上には又奇蹟を現わして下さったものと思われる。
人は順調な時にはどのような立派な言葉も言い又、行動も出来るものであるが、困難
な時には人間の本性が現われるもので、とかく自分本位になり勝ちであり、他人の事
を省みる事は出来ないものである。然しキリストが我々の罪の為に十字架にかかって
尊い血潮を流された大愛を悟る時、不思議に自分を捨てて他人を生かす事にためらう
事なく行動出来るものなのである。聖書に「隠れた所においでになるあなたの父に祈
りなさいと、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。」
 (マタイによる福音書六章六節)と言う言葉があるが、この言葉を確信して実
行したのが彼であった。又彼が若かった時、よく「御詠歌を歌って廻ってくる乞食が
いた。彼はどうもその人が普通の人と違ったように見えたのであった。或る時やはり
その乞食が歌いながらやって来たので、その人の後を追いかけて行き双葉郡と相馬郡
の郡境の付近で追いついた。そこで「ちょっとあなたに尋ねたい事があるが、腰をド
ろしてくれないかネ」と言って色々その人の身の上話を聞いた。貞美氏は「あなたは
昔、何か仕事をした事があるのでしょう。」と聞いた所「私は元キセルのラオすげ替
をした事があるが金が無くて材料が買えないのでこのような事をしているのです。五
円位いあれば又元の仕事が出来るのですが」と言うのを聞き「ではちょっと待ってい
てくれ、私が家へもどって金を持って来てやるから。」と言って彼はその乞食に「五
円」与えたそうである。そして「どうかこの金で立ち上って下さい」と言って別れた
と言うがその当時の五円は大金であった。
 その後暫くたってその乞食がキチンとした姿で前田貞美氏の家を尋ねたが丁度その
時は仕事に出かけて留守だった、ところが、その人は何とかして彼に逢いたいとて仕
事先の現場まで出向いて彼に逢った。その人は立派に厚生して他の商売を始め「お陰
様で私も何とか暮して行けるようになりました。本当に色々有難う御座いました、今
日はその御礼に参りました。」と言って「うどん一箱」を置いて去ったと言う。彼の
喜びも又大きかった。彼はその人のこれからの人生を祈り将来に期待をかけて居った
が、その後病気の為に若死にをしたと言う事である。
 又彼はよく乞食の世話をして食物を加えるばかりでなく、泊めたりもしてやったの
で村の人からも「前田貞美さんのところへ行けば泊めてもらえるから」と教えられて
「乞食がよく泊まりに来たものだ。」と彼は語っていた。ところが或る時、盗みを働
いてきた者を泊めたという理由で警察から始末書をとられて以来、乞食を泊めるのは
やめることにしたそうである。そのかわり夕方泊りに来た乞食には、「安宿屋」を教
えて金を与えてやったと言う事である。



++++++引用終わり+++++


私は、この箇所を読むときに身震いを感じる。どこに強く感じるのか。世の中に「立派だ」と言われる人は様々で、たくさんいることだろう。人を感じ入らせる性質はそれぞれだろうが、前田貞美氏に見られる特徴とは何なのだろうか。タイトルは「愛の実行」となっている。ではその「愛」とは何を意味するのだろうか。

彼の為した事柄を、「あの人は立派な人だったからなぁ」と彼に特異な性質だったと片付けることは簡単だろう。しかしそれでは、マザーテレサしかり遠い存在であるその人物の特殊性を感じただけに終わってしまう。私が知りたいのは、その必然性、その人をそこへと駆り立てた、その人の内側で働いたその動機についてなのだ。

ここでは二つの事柄が描かれている。彼の行為を見て、単に道徳的に優れた人物と映るだろうか。私にはそうは見えない。よく考えて欲しい。それが徳のある行為だからといって、当時の生活の根源である米作りを放棄することが出来るだろうか? また、乞食に施したという行為も、彼が裕福でありあまって不要に思えたものを恵んだわけではない。後の箇所で出てくるが、隣の家に米を借りに行ってまで目の前にいる困った初対面の人に食事をさせたりしてしまうのである。一歩間違えば自らの破綻を来すかもしれないこの状態を、道徳として理解することができるだろうか。


彼が今もまだ生きていたのなら、きっとこのように言うだろうと思う。
「私がしていることではないんだよ」と、、、。

周りから見て特異に見えるその行動は、彼にとっては当たり前のことで、そうせざるを得ない、内側から彼を突き動かしていったものがあるのが私には見える。それがあるが故に、彼は自らが手にしていたものを喜んで放棄した。その行為がどのような結果になるかは分からないが、彼が信頼するその存在に従えばどんな窮地に立ったとしても絶対に悪いようにはならないという確信が、一度は崖から身を投げようとした所から立ち直らされた彼にはあった。とそういう事だろう。

彼が愛した聖書の箇所を引いて、これに彼は従ったからだと説明する事は出来るだろうが、ここでそういう事をしたい気持ちにならない。この時代のこの地域で、彼がこの信仰で生きようとすることは、まさに命がけだった。村八分にされるどころか村十分にされたよという彼の言葉に見られるように、自分の生命を放棄しなくては、選び取ることは出来なかった。それを信じることによって、仕事がうまく行き生活が安定するからだとか、周りの人に評価してもらえるからといったものからではない。それをここでよく考えてみたいのだ。

単なる外面から見える立派さとは、全く違う何かが彼の中を支配し息づいているのを感じはしないだろうか。



追記 旧約聖書のエリヤにあったような出来事とほとんど同じような内容が描かれているが、たいていの人にとってたまたま、偶然このようになったと考えるのが普通だろう。もちろん物事をどう捉えるかということは、結局はその人の主観で理解され、それはその物事への信頼、信仰によって処理されるのでそれぞれなのだが、正確に結果が分からなくとも、神が為すことに間違いはないと貞美氏は確信していた。夜に雨が降った際にも、やはりそうであったかとさらに確信を深めたことだろう。

このような事があり得ることを、私も経験から知っている。端から見れば無謀に見える行動でも、信じて進む本人にとっては、全くの心配不安がない。自分の人生とその行く末を神へと放棄しているからだ。このような生き方が現実にあり得る。世の中が提供する自己実現とは、正反対の方向へとのびていく生き方が、、。
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by dynabooksx | 2011-01-02 07:37 | いと小さき者の一人

五、迷 信 打 破

 前田貞美氏の隣部落に「浦尻」という半農半漁村がある。或る時、耕地整理を行っ
たが田圃の真中に三百年程もたったと思われる松があった。村の人達はこの松を「送
り松」と称して、正月に飾る門松や手綱を納める神木として居った。古い松で、昔乞
食がたき火をたいて当っている内にその木に燃え移り木の中が大きく燃えて穴になっ
たがその中に土が一杯つまって、梢には大鷹雀が巣をつくっている大木であった。と
ころが困った事に、耕地整理の邪魔になるので切り倒したく思っても、誰も「神木だ
から罰が当っては恐ろしい」と手をかける者がなく、この「田割り」に当てられた人
は、他の田は整理を終ってもそこの田圃の木の周囲だけは未整理で、区長はその分だ
けでも二年間も小作料を払っていた始末であった。ところがたまたま「その木を切ら
れる者は、誰も居ないが、前田貞美さんなら、そんな事にはこだわらず切ってくれる
だろう」と村の人達が言い始め、当時の区長阿部氏が彼のところに頼みに出かけた。
「何かと村ではその木の為に困っている、小作料として、その田圃を割当てられてい
る人には米を年々若干づつ支払っている有様なのだが何分神木というので皆恐ろしが
って切る人がいない。前田さんならそんな迷信をかつがない人だと聞いたので御願い
に来た訳である。もし切って戴ければその木はあなたに差し上げるが如何なものだろ
うか」と言われ、彼はその困っている様子を見て引き受ける事にした。
 ところが彼は木樵でないので鋸がない。近くに住む木樵をしている従兄に手伝いの
依頼をした所、従兄はすぐに引き受けてくれたが、家の者に「何だって神木を切るの
を引き受けたのか」と猛烈な反対に逢って手伝う事を断わった。そこで彼は仕方がな
いので鋸だけを借りる事にして、八才になる長男と六才になる次男を連れて何かの手
伝になるだろうとその田圃にやって来た。時は昭和元年正月二日で、雪が真白に積っ
た日であった。正月休みで人々は何処でも家の中でノンビリして居った、彼も仕事が
忙しくて暇な時といえば正月一日、二日位いしかなかった。白い雪辺を踏みしめながら
「送り松」の根本に到着した。

 村の人達も罰が当らないように、前々から神主に拝んでもらって松には「しめな
わ」が廻らされてあった。彼は天の父なる神に祈って「私は今、村の人達の困ってい
る大木を切らんとして居りますがどうかあなたの御旨で御座いますなら無事に怪我も
なくこの木を切り倒させて下さい。この祈りを主イェス・キリストの御名を通し御前
に捧げます。」と言った。ところが多くの村人達は陰ながら遠くの方でこの様子か伺
がっていたのであった。さていよいよ、切り出したがなかなか大きな木であり、中に
は土が入っている為においそれと倒す事が出来ず長時間苦労してやっとの事でそれを
切り倒した。前田貞美氏は一生懸命汗を流してその大木を切ったので次の日から風邪
をひいて三日程寝てしまった。この事が「浦尻」の村に知れ渡り「やはり前田さんも
罰が当って寝てしまったワイ」と評判になった。しかしこれは単なる風邪で三日程で
直ってしまった。彼が迷信を打破したので村人達も喜び、彼の勇気ある態度に感謝を
した。この田圃は見ちがえる様によくなって米が毎年沢山とれるとの事である。



+++++引用終わり+++++

今回の所も実はじっくり扱いたい所です。これを科学の発達したこの時代において、単なる「迷信」として片付けるのは簡単でしょう。これまで、私達日本人の先祖は「八百万の神」としてたくさんのものを「カミ」として扱ってまいりました。信じない人にとっては、私がいう「万物の創造主なる神」と同一で全くの迷信であり、思いこみだと考えることでしょう。しかし、先祖達が様々な物事や事象を取り上げ、恐れていたのはそこに霊的勢力が実在するからです。

最近テレビ番組や雑誌等をみるとどこでも占いが載っているのを目にします。こういったものが、これほど浸透していた時代があったでしょうか。社会不安があるためでしょうか。これもたんなる迷信だと片付けるのは簡単ですが、人を惹きつけるにはそれなりの理由があります。本物、偽物色々あるでしょうが、実際に当たるとことがあるのです。クリスチャンなのに、真也はなに馬鹿な事を言っているのかと忠告なさるキリスト教会に通われている方もいることでしょう。そういう人は、よく聖書を読んでおられないのでしょうか? 使徒の働き16章16節以下を読んで頂きたい。実際に聖書を読んだことのない方のためにもせっかくなので引用しましょう。興味が出てきた方、是非聖書を手に入れて前後や全体を読んでみて下さいね。


使徒言行録16章16節~19節(新共同訳)
わたしたちは、祈りの場所に行く途中、占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会った。この女は、占いをして主人たちに多くの利益を得させていた。
女は、パウロやわたしたちの後ろについて来てこう叫ぶのであった。「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」
彼女がこんなことを幾日も繰り返すので、パウロはたまりかねて振り向き、その霊に言った。「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。」すると即座に、霊が彼女から出て行った。
ところが、この女の主人たちは、金もうけの望みがなくなってしまったことを知り、パウロとシラスを捕らえ、役人に引き渡すために広場へ引き立てて行った。



これで明らかになるでしょうか。この女占い師の主人達が生計を立てる事が出来たのは、占いが当たって信用を得ていたからでした。その背後にはそれをサポートする霊的存在があることが示されています。さらに興味深いことは、その存在はパウロ達がどのような者達であるかを正確に言い当てていることです。福音書内でも、イエスに対峙した霊が彼の本質を言い表した箇所があります。
この霊的存在は、人が簡単に知り得ない事を最初から知っているのです。ですから、パウロがそれを女から追い出してしまうと、占いが当たらなくなってしまって、この女の主人達は金もうけの望みがなくなってしまったのです。
例えば、恐山のイタコ等でも知り得ないような事実を言い当てたりということが実際にあるでしょう。インチキも多いと聞きますが、、、。信じない人にとってはないという事になるでしょう。そう思っていて近づかないのがよろしいと言いたい所ですが、そう言う人に限って大きな不幸等に直面した時に、大きな不安に襲われ、拝み屋等に行ってしまいます。これは、かなり危険です。それがよく当たると評判で信頼があるものほど危険です。次々と分かるはずのないことを言い当てられて、心を開いたら最後捉えられます。最初は自分に益になるような事を言われ魅力的に思うかもしれませんが、心を支配されたら最後、破滅するまでコントロールされます。力の強いやつ、弱いやつ色々いるでしょうが、それがその霊的勢力の目的だからです。

確かに聖書に書いてある事ですが、普通、平均的なキリスト教会ではこういう所は読み飛ばします。扱いたくないわけです。しかし、私に言わせるとこういう箇所が事実として浮かび上がって来ないのは、聖書の神を信じていると言いつつも、聖霊を実際には知らないからなのではないだろうかと思います。聖霊も悪霊もどちらも霊的存在で、表裏一体のようなものですから、聖霊が見えて来れば悪霊も見えてきます。聖霊が見えなければ悪霊も見えてこないのです。でも、悪霊も聖霊も見えなくて、一番得をするのはあ誰だと思いますか? 彼らの目的は、自分たちが存在しないかのように見せかけて裏から支配することです。それを感知出来なければ、しないうちに絡め取られがんじがらめになってしまいます。だから、聖霊と悪霊が説かれないキリスト教会も危険なのです。霊的盲目の中では、無抵抗ですし、信徒や苦しむ人の現実に対処できるはずはありません。


今年一年の最後の日に、いと小さき者の一人を餌に、ひと演説ぶちあげてしまった感がありますね。それで、本文に戻りますと、村の人たちが前田さんに大木を切ることを依頼したのは賢明かと思います。彼の中には全く違うものが生きづいていますから、仮にその大木に何かが作用していたとしても、それが彼に手出しすることは出来なかったでしょう。ルカによる福音書11章24~26節にあるように、誰も主人のいない家には喜んで入りこんできますが、すでに確かな主人がその人の内にいる場合はどうにもならないのです。

それにしても、祈りによってその作業に入るという貞美氏の扱い方は完璧です。単なる迷信として考えて何も知らない人が気軽に扱ったら危険があったかもしれません。ちょうどこの話の舞台も正月だし、大晦日の記事としてはふさわしかったでしょうか?? 今日から兄一家が帰省してきます。色々話し込んで、しばらくゆっくり書くことが出来なくなるかもしれませんが、すぐに再開します。
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by dynabooksx | 2010-12-31 06:18 | いと小さき者の一人

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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