カテゴリ:聖句主義について( 13 )
聖書を読み合うことの喜び
今日は平たいことを書こう。私は聖書を読むことが好きだ。好きだと言う表現が最もまっすぐだろう。ちょっと読みかじったことがある人ならば、あんな支離滅裂で荒唐無稽なものの何が面白いのだと感ずるかもしれない。それももっともなことなのだが、一方でこれまで世界中で何億冊も印刷され続けているということに異常さを感じないだろうか? 単なる何かの案内のピラをとにかく大量に印刷してばら撒くのとは分けが違う。世界中に流布しているが、それぞれの言語に翻訳しようとする作業自体膨大な労力の要るものだし、それを読みたいと思う人間がいなくては、二版、三版と続くことはない。また、数百~数千年の時を経ても廃れなかったということも脅威的なことだろう。

そんな魅力がどこにあるのか。私が思うに、言語能力に長けた一級の文化人でも、そこに行き着くことは稀であろうと感ずる。最初にこれを書いてしまうと元も子もないのだが、この本は書き手の啓示を持った信仰の書であって一種の封印がしてあり、内容が人間の業では解析できないようにされているからなのだと思う。

うん、これで全く平たくない文章になってしまったが、最初にこれを書いておかないと、いくら敷居を低い雰囲気にして、引き込もうとしてもどこまでも的外れのままで、だまし討ちのような形になるのではないのかと危惧するからだ。


っと、しばらくチャットしていたら、ずっと時間が過ぎてしまった。


この文章を書こうとしたのは、聖書の自由解釈前提の上で、スモールグループでやり取りする形を普及させようと奮闘してきたある人の姿を思ってのことだ。アメリカの言論の自由や信教の自由というのもここから生まれてきたものだ。初代教会から綿々と続く、この聖書吟味の歴史を知り、実現されなければ、おそらくこの国の言論の自由は発露しないだろう。

聖書が自由に読まれ、それが互いに共有される。そんな単純なことなのだが、私の経験からしても、そういった環境が担保されることは難しい。既存の多くのキリスト教会の内部に於いてそれを実現することは、極めて難しい。性質上難しいのだ。社会安定装置としての宗教、なるほどそうだ。私が受け取っているものとは大きく違う。聖書を読む度に見えてくる新しい発見と突き上げてくる衝動。そういうものは、誰かに発信しないではいられなくなる。また誰かの発信を受け取りたくなるものだ。こうして言論の自由は形成されて行く。

そういう可能性がこの書物にはあるのだけれども、創り主の主権でないと中心にアクセスできないという封印がそれを阻む。だが、読んで受け取ってみる事をしてみなくては、そこまでも気が付かない。言論の自由が熟成されている社会であれば、今回の原発の悲劇のようなことは置き得なかっただろう。教育にしても、理想とするモデルがなくては、育てようがないのだ。これからの日本を生きる人々は、自分達の社会の未来に、何を描くのだろうか。言語を封じられ、思考を封じられ、未来を封じられどう生きて行くのだろう。


どんな解決法があるのか。他にアイデアがあったら教えて欲しい。時間を挟んだせいで、スタートと全く違った文章になってしまった、、、。
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by dynabooksx | 2011-09-15 01:09 | 聖句主義について
地球は出来てからまだ約6000年☆~見つけた!創造論の動画~
 映像が古そうですが、日本語音声が入った創造論についての動画を見つけました。一本10分で15本あります。まぁ、古いとは言ってもすでにほとんど廃れてしまった進化論などより、はるかに歴史のあるものですから、許しましょう。日本人でもまともな学者が出るようになってほしいですが、もし出てきたとしてもメディアが取り上げることはまだまだないでしょう。それが島国というものです。思想、言論における鎖国は未だ解けておりません。

 初めて見る人はびっくりするかもしれませんが、進化論も創造論も論であって実証されたものではないのです。こう考えると理解しやすいという種のものです。19世紀から20世紀にかけて進化論がもてはやされ、人類は自ら進化していき、科学技術の発展とともに、20世紀の終わりごろにはパラダイスが実現されているだろうと100年前の人々は考えました。しかしその結果、第一次世界大戦と続く対戦。民族は民族に対抗して立ち上がり、あらゆる共同体は機能不全を起こして行く、、、。そして現代に至ります。現在は、もう先頭に立って主張をリードする進化論学者は国内ですらいなくなってしまいましたが、まだまだ学校教育ではこの状態が続くでしょう。それで命の尊さとか教育とか言うのですから、驚きです。まぁ、目を通してくださいな。私もまだよく見ていませんが、、、。以前韓国のオンヌリ教会で創造科学論の番組がCGNTVで見ることができました。それも分かりやすかったですけどね。



動画全てをチャンネルで見るならばここ
*進化論は、「悪魔から人類への最高のプレゼント」という事が実感できます。
私も高校の時に国語の先生が進化論をあまりにも熱く語っていたので、その先生に手紙を書いて、「そのような間違った考え方を当たり前に誰もが信じる話として授業で話さないで欲しい。」と抗議しておきました。進化論は、恥ずかしくなるような間違った宗教です。 By愛理


こんなのもあります。
創造説再評価HP
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by dynabooksx | 2011-02-28 15:28 | 聖句主義について
聖句、日めくりカレンダー
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ここ数日、昼夜となく友人達と語り尽くし、通常の三分の一も寝ていない。さすがにここらで休めておかないと体が持たないだろう。もう寝ようかな、、、。



新年に入ってから、わが社は朝のミーティングの形を変えつつある。より礼拝的指向が強く変化してきている。参加している者達のニーズが自然とそのように変わってきているからだ。

仕事始めから、ある牧師さんから頂いていた「日めくり聖書カレンダー」を使ってやっている。やり方は、一人が三回ゆっくり朗読して、疑問に思ったこと、気付いた事などの感想を他の二人が述べる。そしてそれを私が最後にまとめるといった手法。


このことをする意味を、私は最初に次のように述べた。


文章読解とは、書き手の意図を読み取る作業である。もちろん、読み手のそれぞれが読みたいように好きな理解で読むことは出来るし、それも楽しい。しかし、ある目的をもって書かれたものであれば、書き手の語りたかったことをうまく読み取れなくては、何回繰り返しても読んだ事にはならない。

日めくりカレンダーは聖書の一句を切り取ったものだが、この限られた文面を使って、書き手が伝えたかったことは何であったのだろうかと思いめぐらし、以前に知った内容も駆使しながら考察していく。これは、日常生活のコミュニケーションにおいて、生きてくると私は考える。相手と交わした少ない言葉の背後にある意味や、これまでの関わり、または表情からその人が真に考えていること、伝えようとしていることを読み取る能力。それがなければスムーズなやりとりは生まれず、相手のニーズに応えることも出来ない。聖句を材料にあ~だ、こ~だ考察することで、それを類推する能力を身につけるのだ。

聖書にはそれぞれの箇所を書いた何人もの書き手がいる。しかし、全体の一貫した内容の中に、その背後で働いた同じ性質の人格を感じる。朝のこの時間は、この人格がどんな存在で、何を考え、いま何をしようとしているのかを思考する時なのだ。


社員達は出勤してくると、集まってきて最初にその日の聖句を眺める。あまり大きな字ではないので近づかないとよく見えないのだ。最初に見て思考する時間を用意しておかないと、いざ問いかけられた時に答えられないので、朝一番に読み込んでおこうとしているようなのだ。


今日などは、、、。

聖書箇所「神は従うもの行く道は平らです。あなたは神に従う者の道をまっすぐにされる。イザヤ書26章7節」

でしたが、一人は「ここでいう道とは、人生のことを言っているようだ」と発言し、もう1人は「俺の通ってきた道はジグザグだ、、、。」と答える。


そして私がまとめる。ここでいう「平」というのと「まっすぐ」というのは同じ意であろう。これが人生のことだとすると、まっすぐな生き方というの存在する。それは、「神に従う」という行為によって成立するようだ。現在、本屋などに行くと、様々なHOW TO 本が売られていて、「こういう時にはこうするとうまく行くよ」ということが紹介されている。しかし、人生には様々なシチュエーションがある。それぞれの場所でそれなりに効果のある対応方法があったとしても、それが別の場合にうまく対応出来るとは限らないし、時代を経ることで内容がずれてくることもある。

しかし、この場合は極めてシンプルだ。「神に従う」たった一つのファクターだけで、人生の行く道が「まっすぐ」になるのだという。数学や物理法則を研究している人は、優れた表現ほどシンプルなものになることを知っているだろう。この場合もそうだ。注目するところはたった一つだけのことなのだ。

後半のところは離さなかったが、社員達は興味をさらなるそそられたようだった。次に問題になるのは、「神はどのような方で、何を望んでいるのか」だろう。これが分からなくては、それに従うも従わないもなく、従いようがない。次はこれを考えながらやろうな、と話しておいた。

朝の楽しみにしているので、この箇所において、私は事前の準備を一切しない。社員の切り込み方と、読んだ瞬間のインスピレーションで話す。明日は、何が出てくるだろうと思うと、ドキドキして待ち遠しい。


追記 「あなたは、神に従う者の道を~」という所の「あなた」は、父なる神とは別な存在、子、または聖霊を思わせる。神の思いの沿って、神に従って生きようと祈り求める者を、聖霊が実際に働いてその人の人格に作用をする様子が目に浮かぶ。瞬時に出てくるこんな読みは、あの出来事の前には現れなかった。聖霊、おそるべし。
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by dynabooksx | 2011-01-13 18:04 | 聖句主義について
教理を捨て聖書に帰れ
取り上げようかどうか一度迷ったのですが、主張する内容がその通りだと思うので、旗色を鮮明にするという意味でも書いておこうと思った。

タイトルはそのままもらった。捨てなくても、、、と思うが、本当に聖書に帰っていくのなら、教理のガイドなど必要を感じなくなって行くのが実際だろう。この一連の文が、いつ頃からアップロードされたものなのかは分からないが、文を書く際私が検索するとなぜか何度も引っかかってくる。見てくれ、見てくれと言わんばかりだ。

ニューインマヌエル

名前がちょっとあやしい。ニューインマニューエルとか言って妻と笑っている。それはさておき、よく読んでみると、韓国の教職の方が書いているようなのだが、私が直感するに、一部預言的内容を含む聖霊の器だろう。今回はその中から、聖句主義にも通じる所を一つ取り上げたい。

教理を捨て聖書に帰れ

いやいや、良く書けていますねぇ。いったい何者なんでしょうという感じです。これまで私は、聖句主義と教理主義という二つの対立概念として書いてきました。普段教会に通われている平均的なクリスチャンであれば、教理主義が色濃く根付いているはずですから、二つを意識するというよりも別な存在を意識することすらないかもしれません。でも、これまでの議論ではっきりと述べてこなかったことが一つあります。私のスタンスは、聖句主義だとも言えますが、実際には聖霊主義だと言った方分かり易いと思う事です。最近あることをきっかけに、聖書の中の聖霊に関する記述(聖書全体がそのことを述べているのだが、、、)が急激にクローズアップされて見えてきた。肌に触れ感じるほどになってきた。例えば、どのような所が浮かび上がってくるかというと

ヨハネの手紙一 / 2章 27節
しかし、いつもあなたがたの内には、御子から注がれた油がありますから、だれからも教えを受ける必要がありません。この油が万事について教えます。それは真実であって、偽りではありません。だから、教えられたとおり、御子の内にとどまりなさい。


あえて議論になるであろう所を引きました。「油」というのは聖霊のことです。こういう所を引用するのを見ると、良識あるクリスチャンの方々は、あ~、真也君は盲信、狂信かな??になってしまったと思うかもしれません。でもそういう人はそもそも聖霊がどうの、とかいうことを話すことすら嫌がるのではないでしょうか? 私達には教理があるのだとか言って、、、。聖書に普通に書いてあることなのに、なぜそういうことになるのでしょうか。本文を引用させてもらいましょうかね。


 教理は、論理という道具を使って聖書の事実を論証し、信仰に到達させる。ギリシャ文化の影響下にあるこの世は、論理という方法で検証、確認されたものを信じるため、この方法でなくては何事も理解させることも説得もできない。この世はこの方法によって他人を理解し、事物を分別、認識する概念を持つようになったのである。
 しかし聖書は、こうしたこの世の方法ではなく、ただ聖霊の導きと教え絶対的に信じその信仰の方法で人を理解判断し、事物の真偽と善悪を分別する認識と概念を持つよう語っている。

教理の発達は、つまり聖霊なくとも救いに至ろうと言う、人間のはかりごとから出た人間の計略であり徹底した人本主義である。

教理は、信仰の最後の断崖絶壁の端に掛けられた手すりであり、防柵線の様な最後の信仰の手段と方法なのだ。


あ~、そこまで言っちゃいますかという感じですが、教理主義は人本主義であろうという見方にアーメンです。もし、スタートはそうではなかったとしても結果そのようになりました。教理こそがという方は、これまで十分頑張って来られたのですよ。お疲れ様でしたと心から言いたい。何とかキリスト教会が消えてなくならないようにと必死で戦い守ってきた。それが最後の砦だと思ったからでしょう。

でも、私は言いたい。聖霊が来たら、もうそれは必要なくなる。それなしに人々にダイレクトに真理を悟らせるようになる。それまで聖書に全く触れたことがなかった人も、いきなり聖書の中に真理があることに目覚め、それを確かめようと読みふけり没頭するようになる。その際に、もはや教理のガイドなど必要を感じないだろう。そういうタイプの信仰者がこれから、急激に増えてくると私は予感する。実際私自身がこのタイプなのだが、この時代に神は、直接その霊を多くの人に注ぐのを感じるからだ。


教理こそが、という方々へ。確かに、一見荒唐無稽に見える聖書に立ち向かうに際して、長い間議論され編み出されてきた教理を用いて食いつくことで、足がかりを得、中に進入する事が出来るかもしれません。ただ、こうして私が説明に用いている言葉のとおり、これは人間の側からのアプローチなのです。これが人本主義を言われる所以です。どういうわけか、この方向のアプローチを取る限り神から流れる豊かな命は、流れてこないような構造になっているようです。
実際、教理を積み上げて人に教えて、どれほどの人が救われたでしょうか。仮にあなたの努力によってその人が救われたのだとして、その救われた人はさらなる救いへと赴きましたか?

これまで教理によってキリスト教会は、聖霊の働きが乏しいと感じる厳しい時代をなんとか乗り切って来ました。それが「信仰の最後の断崖絶壁の端に掛けられた手すり」だったのです。パウロの時代に教理はまだ存在しませんでしたが、彼が生きていればきっと律法と同じく、教理についてもそれは養育係に過ぎないのだと言ったことでしょう。ただ、まもなくその時代は終わるでしょう。いや、よく気がつかないだけで音を立てて目の前まで変化が迫っています。聖霊が強力な息吹になってあたりを飲み尽くす時が日本にも来るでしょう。もし、そうでなければ一時経済大国だとしてもてはやされたこの国の未来は、見るも無惨な姿になるでしょう。それは、多くの人が不安の中に予感として持っているはずです。

続いて異端について書こうと思いましたが、別な機会にします。自転車乗ってる暇がねぇなあ、まったく。
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by dynabooksx | 2011-01-06 06:10 | 聖句主義について
聖句主義を形作った私の背景〜番外編〜
これは私自身の体験とは異なりますが、信仰は別個のものとはいっても影響は多分にあるであろう私の父の信仰についてと、それを形作る上で大きな影響を与えたであろう人の話です。

実はこの文は、もう半月以上前にほとんど書き終えていたものでしたが、いろいろ資料を調査してから載せようと思っていたところ、タイミングを逸してしまっていました。今回の東京行きで、救世軍に触れることにより、再度掲載の意欲を取り戻しました。




どこから書きましょうか。我が家が一番最初にキリスト教に関係を持ったのは今から約90年前に、若くして病気になり身体障害者になった祖父(今年105歳で召された) が親戚からキリスト教の機関誌を受け取ったところから始まる。

だか、その流れと父が信仰を持つに至る経緯は直接繋がってはいない。もちろん影響はあるだろうが、それは私も同じことだ。父は二十歳の頃、身体障害者で肉体労働の出来ない父親(私の祖父)と多くの田んぼを抱える長男として身を粉にしながら生きる意味を探していた。

当時通っていた床屋さんがクリスチャンだったようで、髪を切る間に聖書の話をするのだという。髪を切ってもらっている手前仕方なしに聞いていたのだが、ある日どうしても気になって、その帰りに古本屋に寄って文語約の聖書を買って帰ったのだという。

やはり、親子と言うものである。教会に足繁く通っていたとかなにかでなく、私と同じように突然気になって聖書を手に入れて読み始めるようになるのである。父の場合は、その床屋さんの感化が大きかったのでしょうね。


今回書きたかった本題はここから、、。こうしてその床屋さんが所属していた近所の教会に行き始めた父は、その群れの中心的役割をしていた人物に大きな影響を受けたのだと言う。

その人はこの辺りの地域で有名な実業家であって瓦職人をしていた。我が家の建物の一つも赤く丈夫な瓦が今も残っているが、ヤソの赤瓦といって、ここいらの赤い瓦の家は皆その瓦屋で葺かれたものだ。

その人は私が生まれる前に亡くなっているので直接会ったことはないのだが、父から断片的にではあるが、その話を聞いていると、存在を遠くに感じない。その行動を追うと、他人の気がしないのだ。口頭で聞いただけでは、いまいち不透明な部分があるので、残っている資料を調べることにした。ここからは、浪江町にある小さな教会の礎になった人の話しです。



瓦職人の親方だった彼は、よく酒を飲む豪放な人だったという。そこに、あるクリスチャンの奉公人というか従業員がいた。その人は親方の良き右腕として信頼され、また多くの仕事を任せられていた。

親方は、その奉公人から多くの影響を受けるのだが、この仕事は、お付き合いと営業が重要な仕事であって、親方自身も酒がかなり好きな人であったので、近所の人や仕事上の付き合いでよく酒を飲んでいたという。実際それはかなりのことのようで、それが元でトラブルになったり、経済的なものにも支障をきたしていたようである。

 それが気になっていた奉公人は、ある日家の柱に次のような張り紙をする。「真実の人、酒を好まず」

そこ頃、親方自身もどうにかして酒をやめることは出来ないかと苦心していたところであったので、破り捨てたくても出来ないで、それが張られた部屋で宴会をしていたという。ある日、どうしてもそれが目に付いてたまらなくなり、それがもとで口論になり、怒りのあまりその奉公人を解雇してしまう。

それでその奉公人は、次のような言葉を残してその場を辞していった。
「あなたには本当にお世話になりました。ここを離れる前に一つ言っておきたいことがあります。聖書にはこのようなことが書かれていることを覚えていて下さい。”自ら立てりと思ふ者は倒れぬやうに心せよ”とあります。そして、あなたが私を必要とするときが来たら、いつでも飛んで参りますと、、、。こうして去っていった。


 その後、奉公人が去った後、あんなにいい人を辞めさせてしまう親方には付いていけないと、丁度仕事を大量に受け付けた頃に、全員がストライキを起こし仕事を放棄してしまった。たくさんの仕事を抱えて呆然とした親方は、途方にくれて家族を連れて棚塩(海岸線の断崖)から身を投げて死のうと進んでいったのだという。そこでどうしても死に切れずにいたところで、先の奉公人が残した言葉が胸に迫ってきたのだという。自分はなんという思い違いをしていたのかと、、、。
 
ここからが、この親方の優れたところ。いや、親方が優れているというよりも、彼の心の奥深くに呼びかけた方の真実さだろう。そうして、親方は離れている奉公人に手紙を書く、『以前は、奉公人としてあなたを雇っていたが、今度は信仰の師匠として迎え入れたい。また、キリスト教について学びたいので書籍を送ってくれないか』と、旅費その他を封じて送った。

 それで、平民の福音等数冊の書籍を送られてきて、彼はむさぼるようにそれを読み、奉公人も帰ってきた。ただ、奉公人はその後救世軍の神学校に行く予定になっていたので、期間限定でお手伝いするという条件の上でのことだった。


それから彼は変わりました。大好きだった酒をピタリとやめ、質素倹約な生活をするようになったという。また、その家のある所は『棚塩』と言いまして海の側なのですが、海岸は2〜30mもある断崖が連なっています。そして自分の家の仏壇を背中に担いでいって、そこから投げ捨てました。それが当時、どういう行動であったか想像できるでしょうか。田舎の名家として最も大切とされるそれを海に投げ捨てたのです。近所の人は気が狂ったと思ったでしょう。評価は様々でしょうが、その親方が亡くなった時、葬式の場で近所の人が話していたのを父は聞いたのだという。

『あの人は立派な人であった。一生懸命働いて家業を盛り立て、分家をたくさん出すまでになって体したもんだ。一時は気が狂ったけれども、、、』と。

やはり、なるほど世間とはそういう評価をするものなのだと父は思ったという。


親方がかたい信仰をもったのは、40歳近い頃。すでに成長した子供達がいた。親方は私の父にこのように話していたという。『廣田君、若いうちに創り主に出会えたことは幸いなことはなんだよ。そこからずっと人生を積み上げて行けるのだから』と、、。
信仰を持つようになってから親方は、子供達が教会に通うようにと強く勧めたらしい。もともとワンマンな性格の人だったようだから、おそらく半強制のような形ではなかったかと想像される。
それぞれ自我をもって自分の価値観生き方を構築していた子供達は、あとで変わったとはいえ、もとは飲んだくれていて強権を振るった父親の言うことは聞きたくなかったのではないかと思う。まして個人のものである信仰を強制されては、、、。

なんとかして信仰を自分の子供達に伝えたいと願っても思い通りにはならない。そんな歯がゆい気持ちが私の父への言葉になったのではと思う。

父はそのやり取りを見て、自分の子供には教会に行くことを強制することはしないようにしようと心密かに思っていたという。でも、そんなことをしなくても私の兄弟の上の二人は違和感なく素直に足繁く通ったんですね。最近蔵を整理していたら出てきた、兄貴が小学校の時に書いたキリスト教を弁護するような内容の作文、面白かったなぁ。

話はそれましたが、親が言うには私は小さい頃から他の兄弟とはちょっと毛並みが違っていたという。気性が激しく、一筋縄ではいかない。小さい頃はいつも怒ってわめいていたと年上のいとこも言ってたっけな。人と同じことをしたくない性分だったので、家族が全員教会に出かけて行けば、俺は残るといって家にいた。そういう子供でした。でもそれを父はなんとしようともしなかったんですね。

結果的にそれが良かったのだと思います。強制されれば間違いなく反発することに多くのエネルギーを使ったことでしょうし、きっと後々までアレルギーを持ったことでしょう。私が、教会文化に馴染んでいないのも、クリスチャンくさくないのもそのためだと思います。こうしなくちゃならないって前提が少ないんです。これが聖句主義を生み出す上での大きな土台になっていると思うのです。最後は一気にまとめました。

そんなことで、番外編でした。たぶん完結です。



この瓦職人の話は、資料に当たるにつれ、たった50年足らず前に、この地にこんなにも豊かに聖霊の風が吹いたのかと思わせる内容で感動してしまって先に進めなくなってしまった経緯がありました。今、それをデジタルデータに起こしているので、正月に、新春時別企画として3~5夜連続で載せていこうと思います。
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by dynabooksx | 2010-12-20 06:29 | 聖句主義について
こがちゃんへ、、もう少し。救世軍のこと、聖霊のこと、
 聖句主義と教理主義について

>>必ずこの2つのどちらかに分類?されるのかしら???


ということに関して、昨日アマゾンでオーダーしていた春平太さんの本がちょうど届きましたので、その巻末の資料を載せます。

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 これは、キリスト教会の歴史を時系列で分類したものです。春平太さんはここで大きく2つではなくて3つに分類していますね。聖書主義と記されている部分は聖句主義と同義です。図で分かるように、聖句主義が源流になって、そこから教理主義教会が枝分かれしていった様子が描かれています。

 救世軍は創立者ウィリアム・ブースが、元メソジストの牧師でしたから、メソジストから分派して来ていると位置づけるのが妥当でしょうが、私の中にあるイメージ(現在の姿ではなく創業時代)はむしろ(3)の霊感主義または、聖霊主義ゾーンに組み入れたいです。

 救世軍にも色々な人がいて、それぞれのイメージで『救世軍とはこういうものだ』と自分の考えを話すでしょうが、こんな主張をする人を見かけたことはありますか?

 『救世軍はムーブメントなのだ』とか『救世軍は湧くのだ』とかね、、。

 歴史を調べていくと、実際そういう様子が確認出来ると思います。この言葉が意味するもの。もちろん理解は様々でしょうが、私には、救世軍はもともと、強い霊感主義の性格をもった群れだったと思うのです。本当は、教理などを使って教会組織を整え、その統率力を使って活動するような団体じゃない。『湧く』というのは昔、何もないところから自然発生して来ると思われていた蛆(うじ)とかと同じなのです。表現が悪くて怒る人もいるでしょうが、日本の例を見ると、明治時代に最初の救世軍士官が横浜に降り立ったとき、『救世軍』を名乗って、後にすることとなる活動を先に勝手にやっちゃってる人たちがすでにいるんです。私に言わせるとそれこそがまさに救世軍なんですねぇ。

 これは初期の救世軍を構成した人々に、聖霊の促しに敏感な、高いセンスをもった人達がたくさんいたために起こったのだと私は考えます。そこから来る、聖句の探求、吟味にも熱心な人たちもね、、。そういう人達は、誰になんて言われても、聖霊を通して神にやれと言われれば一人ででもやっちゃうんですね。だから、うじのように勝手に湧いてくる。


 今ね、先に書いたように貞美さんの資料を読み込んでいるんだ。そうしたら、たったほんの50年前に、この地でこんなにも激しく生きた神が働いていたのかということが見えて、感動して泣けてきて先に進めないんだ。うちの親父はそこから強い影響を受けているけど、それ以上に影響を受けているのは私かもしれないね。温厚で争いを好まない父よりも、私のほうが性格が似てるみたいだし、、、。

 そんなこんなで、もう少し、追加でした。
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by dynabooksx | 2010-12-04 05:21 | 聖句主義について
教理主義の特徴
 いちおう①から⑤にて、私自身の信仰の系譜をざっと説明したのですが、友人のこがちゃんから適切な質問がありまして、今朝ほど長々と返答のコメントを書きました。あまりに良い質問だったので本文に載っけちゃいます。いいよね。

~質問~

真也さん

全編読ませてもらいました。
教理主義と聖句主義、正直今まで知らない言葉でした。
必ずこの2つのどちらかに分類?されるのかしら???




返答のコメントはココにありますが、それも起こしてきましょう。その後で、もう少し聖句主義を浮かび上がらせるために、反対に教理主義の特色を書いてみようと思いました。要するに現在のキリスト教会の姿ですね。


~以下返答~


あ~、いい質問だなぁ。さすが俺が見込んだ人だわ、なんてね。極めて適切な質問をしてもらて嬉しいです。

実際、生身の人間ですからデジタルで区分け出来るものではない。しかし、信仰は人の最も深いところにある究極的な部分を扱うものなので、突き詰めていくと白か黒かというところまで行ってしまいやすいものなのです。あなたの曾叔父いさんが、仏壇を投げたようにね、、、。私はこれを肯定的に捉えていますし、そうでなければ私がこんなに夢中になることも無かったでしょう。

一気に引き込まれてビューっといきなり端っこの方まで行ってしまう人もいれば、おっかなびっくり足下を確かめながら行きつ、戻りつしている人も、周りの人の顔色を気にしている人もいる。人間ですからね、様々な人がいますし、みんな不安を抱えていますからね。

しかし、聖書を丹念に調べていくとイエスの言っている真理は、中間の所を飛び越えた、大きく飛躍して究極の所に立つことで実現されるし、筋が通ってくる事が分かります。

 補足ですが、聖書を調べていくという行為(興味)が起こるのは、すでにその人が聖霊の影響下に入り始めているからですが、ある一定の所まで来ると、シーソーのように見える世界がひっくりかえり、一気に真理への理解が進みます。多くの人は、延々と続く上り坂にいるんですね。あまりに深遠で果てしなくまたあまりにも実現不能で荒唐無稽なようにも見える。でも、重心軸が変わるポイントまで行くと、バタンと倒れて力の原理が変わるのです。これは、人が人生の中心に自分自身を据えるのか、それとも神を据えるのかという境目だと思います。連続しているように見えますが、そこには実際大きな飛躍がありますね。自分を相手に投げ出すなんて普通は出来ませんから、、、。曾叔父いさんは、神の存在の大きさとその愛に触れた故に、勇気をもってそこを飛び越えられたのでしょう。いま書いたことも、初めに予想して書いているわけじゃあなくて、途中で突然そのイメージが流れ込んできたんだ。

こがちゃん、あんまりいい質問するから、なんかまた違う方向に行っちゃいそうだよ。

そんで、教理主義と聖句主義ね。本来は聖書のエッセンスである教理でも人を変化させる強力な力があるんだ。ただ、それはおおもとではないので、時間が経つと本文で書いたように、人々はその背後にある意味を見失い色あせていく。そういった特徴がある。彼らは、『俺たちは聖書をやってる』といっても、それは聖書自身に取り組んでいるわけではない。自分の見方に合うように聖書をはめ込もうとしているだけだ。これが教理主義ですね。その状態で長く経つと、人々は『なんだ、聖書なんてそんなものか』と思うようになり、そこへの情熱、興味を失っていく、、、。そういう状態みられませんか? あなたの周りでも、、。現実どう写りますか?

現在の行き詰まりつつあるキリスト教会の中で(特に日本は)、原点に還ろうという動きがあります。行き詰まると、最初の所に戻って、もう一度自分たちの来た道を振り返り、何が真実なのかを確かめようとするものです。最初の所、これが聖書に出てくる教会、初代教会です。

 じつはこの『教会』の姿が聖句主義なんです。キリスト教会の源流と言ってもいい。隠れた本流なんですね。その事に、現在思いっきり教理主義に振れている多くの日本のキリスト教会が気付いて行くときに、この国は変わると思います。

 エレミヤのこの聖句をここで当てはめるのは、いささか厳しすぎたかもしれませんが、もしかしたら神はもっと厳しい視点でご覧になっているかもしれません。もともと白か黒かってそういう方ですからね。だからあえて引用をしましたが、それぐらいして表からは極めて分かりにくい聖句主義(ほんとにいったん中に入ってみなくては狭い門なんだ)を強調しなくてはと思うのです。詳しくは、まだ断片的に続くでしょう。

 実はね、このシリーズは番外編があるんだ。まだ、資料にも当たってからと思ってアップしないけど大部分を書き終えているのがある。それが、直接逢ってはいないけど、私や父に大きな影響を与えていると思うあなたの曾お爺さんのこと、、、。それが、一番の大作になりそうだ。楽しみにしていてね。

また質問ちょうだいな。



それでですね。再度、春平太さんの教理主義に対する文を抜き出して引用しておきます。

<教理主義①>

 教理とは聖書の解釈のことです。教義ともいます。
 聖書の解釈はいろいろにできます。ほとんどの場合に、複数の解釈が成り立ちます。

教理主義ではそのうちの一つ(の解釈の言葉)を正統なものと決めます。
誰が決めるかというと、教団の本部にいる上層部の人が決めます。
そして、この解釈(教理)が正統ということでもって、
教理書をつくってキリスト教活動をやっていこうという行き方が「教理主義」です。
 米国でも、過半数がこの方式の教会です。
(これが聖句主義の影響を地盤から受けながらやっているという風景です)

<教理主義②>

 キリスト教活動の最初は、みな聖句主義でした。
「使徒行伝」に出てくる初代教会の時代は、みな聖書解釈の自由でもってやっていました。
しかし、この方式ですと、教団に統率がとりにくい、ということで、教理主義でやるグループも出てきました。
もう、教団として正しい解釈(の言葉)を一つ定めて信徒にはそれを教えてやっていこうという行き方です。
 信徒さんにもその方を好む人がいたようで、こちらの教会も繁盛しました。


<教理主義は聖句を吟味しなくなる>

 教理主義ですと、聖句を吟味しなくなります。なぜ?
聖句を吟味するのは、それがどういう意味かを理解したい、
すなわち妥当な解釈を求めたいからでしょう。

だけど、正統な解釈がもう決まっていたら、吟味する必要有りますか?
ないですよね。聖書を読む必要がない。だから、聖句を探求しなくなります。
教理書は読むかも知れませんが、聖書は読まなくなります。
これは自然にそうなりますよね。



今回書き加えたかったのはコレなんですよね。教理主義は聖句を吟味しなくなっていくと言うところ。これも聖句を吟味し続けていく人たちを知らないと比較のしようがないかもしれないけれど、私みたいなのは、実は全然特別じゃあない。私から言わせると、聖書に対してそういう探求心を持たないというほうか不自然というか不思議に見えるんですね。毎週教会に足を運んでいるのにね、なぜ?? って、、。私が田舎から出て行ったときに感じた『違和感』のほとんどはこれでした。
 教理主義も時間が経って風化していくと教理にすら関心ももたなくなっていきます。教理は聖句に当たって初めて意味が立ち上がってきますから、教理主義というのは、本当は聖句主義の土台というか供給を受けないと維持できないんです。だから歴史は振れるんですね。
 教理主義は、教理を理解の柱にしていますから、それを集会で朗読したりするかもしれません。また熱心な人なら、教理について聖書を引用しながら解説してくれる牧師さんがいるかもしれません。しかし、教理が聖書に対して、それで本当に妥当なのかどうかという検討はしないはずです。そうであると、その部分については、聖句に直接当たって吟味しなくなります。教理になるようなところは、大変重要な内容を含みますが、大切なそこに対して深く考えるということをやらなくなってしまうのです。こがちゃんさんの行っているところはどうですか? 



<聖句主義と教理主義は絶対に相容れない>

 聖句主義と教理主義が両立することは絶対にあり得ません。
このこと、じゅんこさん、以上の説明でおわかりになるでしょうか?
 ここがポイントなのです。

 聖句主義は、個々人の「聖書解釈の自由」を認め、大原則にします。
教理主義は個々人がそういうことをするのを許しません。
正統な解釈がもう決まっているのですから。
あとは教団の教理書(解釈書)を学習すればいいのですから。
だから、教理主義者は聖句主義者を撲滅しようとしていきます。
これも自然な流れです。


<日本人は無意識の教理主義者>
 
 日本の信仰者は、そういうことを自覚していません。
最大の理由は、日本にはまだ教理主義のやり方しか入っていないことにあります。
聖句主義は日本にはまだ入っていないのです。

 照らし合わせるものがありませんので、
自分たちのしていることが特徴あるものだという自覚すら出来ないのです。
(鹿嶋はそれを知らせるために『キリスト教のことが面白いほどわかる本』中経出版、を書きました。
じゅんこさん、よかったらお読み下さい。
たしかテキサスの方に、日本の商品をとってくれる通信販売業者がありました)

 世界が女ばかりで出来ていたら、女は自分が女であるということを自覚できません。
日本に教理主義だけしかなかったら、教理主義者は自分が教理主義でやっている
という自覚が持てません。

 それでいて、実際には教理主義でやっている。
 だから、じゅんこさんが通われた日本の教会のようなことが
(元旦に親族の会合に行ったらもう送り迎えしないというような)、
ごく自然に起きるのです。

教職者の方々は、一つの解釈を正統で、他は正統でない(異端)と信じるのです。
聖書を信じるのではなく、自分の解釈を聖句の代わりに信じるのです。
そして信徒をきつく縛ります。

 カトリックが国教だった欧州では、縛るどころか、宗教裁判にかけて火あぶりにしました。
それを自分が「神に奉仕している」と信じて行いました(イエスが預言した通りのことです)。
いま、火刑にはしないけれど、質的には同じことをやっています。



 日本にまだ教理主義しか入っていないというのは言い過ぎかもしれませんが、一般的に私たちが『教会』として認知できるもののほとんど全ては教理主義教会と言ってよいでしょう。問題はこれなんですね。比較的できるものが分からないので、自分たちはこういうスタイルでやっているという自覚がないんです。それが絶対正義だと思いこんでしまいやすいんですね。また、そういうあり方には自由がなく、キュウキュウとしてやっていますから、しきたりにとらわれず自由に聖句に向かい続ける聖句主義者が目障りで仕方がなくなるんです。実際、自分たちのやろうとする方向を妨げますしね。
 こういった構図ですが、よほどの事がなければがっぷり四つに組み合って衝突することはないでしょう。なぜなら聖句主義の人たちは、教理主義の人たちを『異端』だとは思わないからです。当然反発はしますが、別にそれをどうこうしようとかまでは思わない。まず、自分たちの自由が守られるのが優先ですから、それを確保するためにぶつかるよりは、その場を離れることを選ぶでしょう。


 聖句主義か教理主義かというカテゴリー分けは、カトリックかプロテスタントかという分け方よりもはるかに根源的で古くおおもとになる分類です。カトリックは教理主義の親分みたいなものでプロテスタントはそれに対抗するための教理を打ち立てた、これもまたバリバリの教理主義です。春平太さんは聖句主義の伏流水が、バプテストとして表層に出てきたという理解をしていますが、私も妥当な考え方だと思います。でも、それは一対一で対応するようなものじゃあないんですね。実は、聖句主義者なんて世界中の水面下に圧倒的な数がいますから、、、。教理主義傾向の強い教会の中にも、どこか浮いている聖句主義者がいるかもしれません。いませんか? どこか教会の流れに乗りきれなく、いつも足を引っ張るような発言とかばっかりするようなやつ、、、。もしかしたら、隠れた聖句主義者なのかもしれませんね。
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by dynabooksx | 2010-12-03 20:23 | 聖句主義について
聖句主義を形作った私の背景⑤
 さて、はやく完結させないと内容が逸れていっちまうわい。今度こそです。


 最後は恵泉塾のことを書きたかったのです。内容的にはかぶるので以前の記事を載せておきます。

惠泉塾


現在私が知っている所で、聖句主義と聞いて真っ先に思い浮かべるのはここですね。昨日久しぶりに読み返していましたが、これいい本ですよ。

手渡そう子どもに生きる力―北海道余市「恵泉塾」での体験から

生きることに疲れている人、子育てに途方に暮れている人、どうぞ読んでみて下さい。あなたが本気で変わりたいと思うのならば、きっと光が見いだせるでしょう。


 それでですね。聖句主義にもどりますと、恵泉塾には全国から社会よりドロップアウトした、行き場を失った人たちが集まってくるのですが、そこでの生活の中心は早朝から始まる毎日の聖書研究が中心なんです。聖書になどまったく触れたことのなかった人たちの多くが、すぐに夢中になっていき、医者にも見捨てられた彼らが、それと共に驚くような回復を見せるというのです。なんなんでしょうね、これは。私に言わせると当たり前、そこに命があるからだ、となりますが、世の牧師先生が一生懸命やっているのに不思議なことです。

 この核心が『聖句主義』にあると私には思えるのです。そこでの塾頭、水谷先生の聖書に対する知識、洞察は圧倒的なのですが、押しつけられている気がしないんですね。それは単に、あなたと彼のあり方、見方が似ているからだろうと言われてみればそうかもしれませんが、もちろん表現その他で食い違う部分もある。そうするとすぐに私は噛みつきます。それをとても喜んでくれるんですよねぇ。そして的確にそれを打ち返してくれる。彼は彼の読み方というか解釈をはっきり自覚している。しかも、大変多面的なんです。器なんでしょうねぇ。流れとしては無教会主義の流れでしょうが、教理、教義に縛られていないんです。こだわらずにいたって素直に聖書自身を読み込んでいく。それでいて、しっかりと核心をつかんでいく。不思議なことに、どんな読み方でも可能な聖書が、勝手に読んでいった私の方向と、寸分の狂いなくぴったりと合わさっていくんですよねぇ。正確には違う角度からなんだろうけど、指し示す方向が同じというか、、、。これには驚きました。

 私が育ち親しんだ所は救世軍っていうんですけど、今から100年以上前の創業時代、強いうねりが起こった頃にあっただろうと私が想像できる霊的うごめきと同じものがここにはある。そう直感させました。

 水谷先生は、癒しの能力も持つ周りから見れば飛び抜けた霊的器ですが、威圧的な感じが私には全くしないんです。もちろん、大変重圧を感じるという人もいるかもしれませんが、ごく普通のおっさんだと思います。ただ彼の背後には並々ならぬものを感じますね。私の背後にあるものと変わらないと思いますが、、、。だから心地良いのでしょう。

 それで聖句主義に戻りますと(なんか頑張ってるなぁ)、その手法は個人の自由解釈を前提にしているのです。真理は確かにある、読み切れるとまで言いますが、個人が自分で原典に触れ、試行錯誤しながら読み進めることを第一としているのです。そのための手法を余市で行われた第一回のセミナーで学んできました。それもまた聖句主義なんですねぇ。
 複数訳の聖書を並列に並べ、比較していくというやり方なのですが、こうするとそれぞれの訳者の特徴というか強調したいところが浮かび上がってくるんです。解釈ともいえるかもしれません。それを持ち寄ってそこに自分も参加してあ~だ、こ~だやるわけですから、これはまさに聖句主義の一人小グループです。先生の聖書研究はこれを土台にしているわけですね。
 だから朝の1時から毎日何時間もやるという生活になる。塾生の学びが5時、スタッフのやつがその前の時間とかなると自分の為の密室はそんな風になっちゃうんでしょう。


 これを見ると、教理、教義で人を縛らなくてもきちんと体裁をなすというか秩序が保たれ大きな力となるということが分かると思います。教理を使って人の知恵で組織を動かそうとすると、神の働く余地がなくなるんですね。必要なくなって行くんです。本来逆ですからね。そこに気がつかないと、命から切り離されてどんどん干からびていく。現在の教理主義にあるキリスト教会の泉は、もう枯れきってきていると言ってもいい。厳しい言い方をしますが、聖書的に言うなら、泉ではなくため池なんですね。


 まことに、我が民は二つの悪を行った。生ける水の源であるわたし捨てて、無用の水溜めを掘った。水をためることのできない こわれた水溜を。(エレミヤ2章13節)


 教理でもって人を縛り付け、自分たちに都合のよい聖書解釈に限定し、人々から自発的な聖書解釈を奪っていった。確かに、教理は生ける神の言葉である聖書を源泉としていてそこから汲み上げたものだ。しかしそれは源泉ではない。汲み上げてプールしておけば、自分の使いたい時にその目的に沿って自由に用いることは出来るが、こんこんとわき出る泉ではない。時間が経てば腐敗し、悪臭が漂うこともあるだろう。泉の水は、それが湧き出る所まで自ら出向いて、その湧き出る井戸に自分自分の方を合わせなければ水は流れてはこない。順序が逆なのだ。私たちは聖書がつくられた目的に還らなくてはならない。私たちにとってどうかと言うことよりも、神にとってどうなのかと言うことを、、、。誰かが言ったことやったことを受け売りするのではなく、これを一人一人が探し求め、吟味し続けて行くのが聖句主義であると私は思う。


    ~完結~

ぱちぱちぱち。
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by dynabooksx | 2010-12-02 04:50 | 聖句主義について
聖句主義を形作った私の背景④
 ここまで書き進めてくると、私が聖句主義ばかり強調し、教理主義を撲滅しようとしているように見えるかもしれません。でも、私がどうこうしようと両者が無くなることはないのです。確かに、春平太さんが言うように、『日本のキリスト教会が現在の教理主義のままでは、これ以上人々に浸透していくことはなく、ビジネスマンに馬鹿にされ続ける』との意見はもっともですし、一般の人が、現在目にすることが出来るキリスト教会の姿を見て、キリスト教ってこんな物なのかつまんねぇ~なとこれだけで終わってしまったら残念です。

 しかし、私に言わせると両者は表裏一体であり、ヨハネ15章の『私はぶどうの木、あなたがたは枝で実を結ぶ』の箇所の実全体がキリスト教会だとすると、教理主義はその外皮に当たると思うのです。外から見てその実だと分かるのは表皮があるからで、それが下界と内部を分けている。でも、外皮だけを取り出していじってみても、いつまでたっても果実の甘みや味わいは分からない。果実の一部が外皮になるわけですが、果実の乾燥や害虫、病気の進入を防ぐ意味でも外皮は必要になるわけですね。ですから外皮は『世』に対する表だったところを受け持っているわけです。両者はそういう関係だと思うのです。皮が分厚くて中身が少ない柚子みたいなのではなくて、リンゴとか梨とかを想像して下さいね。そういう感じです。

 ただ、表皮が果実の本質を語るようになると、結果『自分は堅くて乾いていて、見た目こぎれいだけど食ってもうまくね~ぞ』となってしまうのです。現在の日本のキリスト教は、アメリカで果実が成熟し、しっかり表皮が出来上がったところの皮の部分が輸入された。制度化され文化となり安定化した皮の部分が、、、。こうなって更に世代が過ぎると、実際の味わいなどまるで分からなくなってしまうのでしょうし、皮の部分には種がないので、次の息吹を出すことなく、外部にさらされいずれは干からび、捨てられていくでしょう。


 でも、心配は要りません。この木は天から養分を吸い上げるイエス・キリストの木ですから。その木は自らに直接繋がる枝に新しい実を成らせ続けるはずです。片一方が衰退し、死に絶えていくように見えても、御自身の意に沿うところに養分を送り続けるはずです。ですから、表皮の所を見て『日本のキリスト教人口はいつまで経っても1%だ』なんてのは私は気にしていないし、さほど関心もありません。


 あれぇ、また今回も完結に至る最初の筋書きとは外れてしまいました。どうもうんちくをこねくり回すばかりで、聖句主義とはいうが全く聖書を扱っていないのではと思われる方のために少し引用をしましょう。ガラテヤ書からです。以下引用は全て新共同訳からです。


 人々からではなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ、、、。(1章1節)

パウロさんは冒頭から飛ばします。力入ってますねぇ。これに関わる部分を続いて抜き出します。


兄弟たち、あなたがたにははっきり言います。わたしが告げ知らせた福音人によるものではありません。(1章11節)

わたしはこの福音人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。(1章12節)


 パウロは他の使徒達と違って、十字架で死ぬ以前のキリストに会ったことがありません。ですから直接教えを受けた事もないし、生活を共にしたこともない。死後まもない、イエスの存在がリアル時代でしたが、そう言う意味では現代の私たちと同じ境遇だとも言えます。
 ですから、彼がイエスの事を知るには、それを知る他の誰かから聞いたり教えて貰ったりする必要があるとなるわけです。しかし、パウロはそうではないのだと言うわけなんですねぇ。あくまで自分は、人を通して知ったり信じたりしたわけではないと主張する。『人から受けたのでも教えられたのでもなく、、』の所は、別訳だと『人から伝え聞いた』とか『教育に拠った』とかと訳されており、自分はイエス・キリストの啓示によって知ったのであり、復活のキリストに会ったのだと訴え、さらに続ける。


しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け恵みによって召し出して下さった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音異邦人告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはぜず、また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビヤに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。(1章15~17節)

神ご自身が、キリストを自分に出会わせてくれて、その意思によって私は異邦人(神を知らない人)に福音を伝えるようになった。その時に、私は決して人に相談したりしなかったし、エルサレムにいた直属の弟子達(いわば幹部ですね)の所へ行くこともしなかったのだと、、。


 これ以上の詳しい説明はいらないかと思います。興味が沸いた方は聖書を手に入れて前後も含めて自分で読んでみて下さい。上で述べたとおり、現代の私たちは生前のイエスに出会ってはいないという点でパウロと同じであり、現在のキリスト教会はこうして使徒となったパウロに続くものだと言えます。パウロだけが特別でしょうか? 確かに、知的能力や当時彼が置かれていた環境、育ちは特別に選び出された器だったかと思います。しかし、彼がこのような主張をするのは、自分が他の人より優れている、他とは違うのだと言いたかったのではありません。むしろその逆で、自分たちが少数派であって、ユダヤ教の伝統や文化、権威のある直弟子達を中心としたエルサレム教会から圧迫される立場にいる自分(達)の正当性を主張せずにはいられなかったからなのです。


 歴史はエルサレム教会ではなく、パウロの異邦人教会を残しました。現在の教会はその延長線上にあるはずです。今も神は直接人を選び出し、ご自身の思いを伝えてきます。それによって、人は神の言葉である聖書を深く理解し、その意図を遂げようとするでしょう。

聖句主義を考える上で理解が深まるようにと書きましたが、ちょっと外れたかな? まだもう少し続きそうです。



 加筆ですが、そもそも『教会』という呼び名がいけないのかもしれませんね。この響きは、教会人が外の分からないやつに何か教えなくてはと力ませてしまう気がします。『自分たちが聖書を探求し、神から教えを受ける所』の理解だったらいいのかな、、。教理主義だと固定化された理念が先に来るから、ワシが教えてやろうとなるんですね。
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by dynabooksx | 2010-11-30 04:46 | 聖句主義について
聖句主義を形作った私の背景③
少し離れてしまったので、再度掲載しておきます。この記事を参考に読みながら進んで下さい。

鹿嶋春平太チャーチ 臨時版:聖句主義と教理主義




 これで完結にするつもりですが、無事終わるでしょうか。②で最後のところをあっさり書きましたが、聖句主義と教理主義の性質を深く理解するために、もう少し書いておいたほうが良いと思いましたので加えます。


 大学の聖書研究会で、聖句主義の交わりを体験し、それまで通っていた教会に感じた違和感の実体を明確に意識し始めたとき、私がやろうとした事。それは、教理主義教会の中において、聖句主義の部分を作ること。または教会全体を聖句主義に変えることでした。こうして書く事は簡単ですが、中身は想像を絶するものでした。歴史が100年もあり、人の動きがほとんどなく、トップダウン式の監督制を採っているその教団で、自由に聖書を読み、吟味し、語り合い、活動をする場を作ること。

 そんな事簡単にできるでしょ? と思うかもしれません。確かにキリスト教会であったら、聖書を読むことは普通かもしれません。しかし、信徒だけで自由解釈していくとなったらどうでしょう。まず、教会の指導者は面白くないですよね。自分がその仕事をするのだという自負がありますから。また、お前達への指示は俺から出るのだということも、、、。しぶしぶ了解したとしても、誰か指導者の監視がなければダメだとか、ともすれば教会の全員を参加させなさいとかめちゃくちゃで、強い恐れがあったのでしょう。春平太さんが指摘しているように、基本日本には教理主義しか入ってきていない(部分的には違いますが)ので、自分達が教理主義でやっているという自覚がなく、これがキリスト教の全てなのだと思ってしまっている。だからその秩序を乱す可能性のある私のようなあり方は、ともすると異端だとか、エスカレートすれば悪魔だとかなってしまう。悪魔(いや、サタンって言うんだな、、)の称号はこれまで何回目だったけかな??(笑) 本当は聖句主義こそが、キリスト教の伏流水であり、メインストリームであるはずなのに、悲しいことにいつの時代も歴史は繰り返されます。 処刑されないだけましですけど、、、。

 最初から摩擦が起きることが予想されていたのに、それでも進めていったのは、少ないながらもそれに賛同する青年達がいたからでした。それまでは、リーダーの一人が指示を出して、右を向けといえば皆さほど疑問も持たずそのようにする。そういう秩序がそこにはありました。ただ、私のような人間がいて、それに影響を受ける人が出てくると、、、。集団の活動は統制がとれなくなってくるんですね。支持に素直に従わない人が出てくる。これは、監督する側にとっては、大いに迷惑で目障りになります。その一方で自由で自発的な意思を持った人達は、活性化していきますが、そういう部分は評価しない、というより立場上出来ないといった方が分かりやすいですね。監督者として自分主導のものではないし、明確に意識していたかは分かりませんが、私たちの活動が自分たちの存在意義をなくさせてしまうの感じたのかもしれません。

 ですから、毎度の会議や話し合いで『そういう活動は上(その教会の更に上部組織)からやれと言われているものではない』(教理主義の性質をよく表しています)という言葉が教会の責任者から返ってきました。今は分かりませんが、当時は『活動標準表』のようなものがあり、教会の活動の時間割を作って上に報告し、またそのガイドラインのようなものもあったようなのです。都会のど真ん中で、多くの人が遠くから通い日曜にしか活動が出来なかったその教会は、日曜に様々なプログラムを詰め込み、活発にやっているぞというそのレポートを提出していたのでしょう。

 私の活動は、指導者にとってその『活動レポート』の枠には入らなかったのです。もう少し、その人の度量が大きければ、、、? 私も当時はそう思いましたし、相手を納得させる私の能力と人格が劣っているのだとも思いました。しかし、 時間がたった今はその時とは違う風に見えてきます。がぜん無理な話であったと、、、。

 ここまで話を引っ張って、ただあきらめで終わるのかとがっかりするかもしれませんが、まず両者が馴染み交じり合うことは、方向性が間逆ですからそれぞれの性質上あり得ないのです。そこで行われたやりとりは、激しいものでした。単に教会の片隅で数人集まって聖書を読みたい、それだけのことに会議を開き、喧々諤々の意見のぶつけ合いをしなくてはならない。そんなところでエネルギーの大半を奪われるとは予想しませんでした。若く(二十歳ぐらい)エネルギーと自信にあふれ、論理的組み立てと会話では負けないと思っていた私も、毎度進歩なく繰り返されるやり取りに徐々に消耗し、疲れていきました。具体的で詳細な内容は過去の記事にあります。結果的に私はそこを離れましたが、それで良かったのだと今は思います。そのまま行けば、それこそ相手を完全に制圧するまでの潰しあいになったかもしれない。青年達のことは気になったけれど、心身膠着していたし、聖句主義で結局密室に帰っていく私には、組織がどうとかそういうことにそれ以上の関心がなかったのでしょう。それはきれい事かな? そこからほぼ丸一年、怒りと後悔との葛藤で身を焼かれるようにしながら、部屋に引きこもっていたんですから、、、。


あれ、計画が大きく外れて③で完結しないような雰囲気になって来ちゃいました。
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by dynabooksx | 2010-11-29 06:17 | 聖句主義について
  

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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