2009年 12月 16日
幻に見たる主が
マタイによる福音書16章24・25節
24、それから、イエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を否み、自分の十字架を負い、わたしに従って来なさい。
自分を否むとは、自分の魂の命、天然の命を失うことです。十字架は苦難だけでなく、殺しです。それは犯罪者を殺し、終わらせます。キリストはまず十字架を負い、それから十字架につけられました。しかし、わたしたち彼を信じる者は、まず彼と共に十字架につけられ、それから今日、十字架を負います。十字架を負うとは、キリストの死の殺しの下にとどまって、自己、天然の命、古い人を終わらせることです。そのようにして、わたしたちは自己を否み、主に従うことができるようになります。主が十字架につけられる前、弟子たちは外側で彼に従いました。しかし主が復活した後、わたしたちは内側で彼に従います。復活の中で、主は命を与える霊と成って、わたしたちの霊の中に住んでおられるので、わたしたちは、霊の中で彼に従っていきます。
25、自分の魂の命を救おうとする者はそれを失い、わたしのために自分の魂の命を失う者はそれを見いだす。
♪幻に見たる主が
1、幻に見たる主が われをさしまねき 「重荷になやむわれをたすけよ」と のたもう
(コーラス)
「汝が十字架にない われに従え」と み声はさやかなれば われは従ごう
2、そのときわれはイエスに ささやきていえり 「になわしめたまえ主よ われの十字架を」
3、その手にわれは見たり 裂かれしきずあと わがために主が受けし くるしみのしるし
by dynabooksx
| 2009-12-16 22:40