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問題が何もないが使命感のない人生、問題だらけだが使命感に溢れる人生。

 子供の頃流行った、究極の選択になぞらえて題を付けてみました。
どちらか一つを選ばなくてはならないとしたらどちらを選ぶかという事です。
皆さんはどちらを選ばれますか? 

実際、現実問題として考えてみると、
何も問題がない人生というのはないのでしょうが、それを強く望む人はいるでしょう。
平和に何事もなく、穏やかに日々を過ごす事を願う人です。私もそういう時を願う事があります。
何か大きな出来事や抱えている事があって悩み続けている時などそうでしょう。
苦しみの中で、早くその問題が取り去られる事を望むからです。

しかし、前にも書いたようにそのような問題にぶつかる時こそ、めぐみの時であることを経験的に知っています。何も問題がない(問題を感じない)のだとしたら、変化や具体的な行動を迫られる事もないでしょう。
そのような日々に信仰の飛躍はありません。
信仰の確信は『いったい何が自分を支えてくれるのだ』
というぎりぎりの問いかけの中で生まれてくるものなのだと思います。

もし、何事もない人生のスパイスの一つとして信仰を用意するのならば、
自分のあり方全てをそこに乗っけて行くような信頼は起きないでしょう。
何もない人生というのは、周りをよく気にする日本人の場合、
人から見て何も問題がない人生を意味するのではないでしょうか。
家族、親戚は皆仲良く、子供は成績優秀でみんな信仰をもって教会に通っている。
そんな家庭にあこがれるのでしょう。そんな順調さが『証し』になると、、、。

でもよく考えてください。

証しとは何の証しでしょう。
十字架にかかった、イエス・キリストのはずです。
だとすれば、それは私達が罪びとである事の証しでしょう。
神は、本筋を離れ問題だらけの私達の人生に対して、十字架を用意されました。
神の私達に対する関心は、並外れたものでした。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネによる福音書3:16

創り主を忘れ、自らの力で歩こうとし、死に近づいて行く。
そんな人類に寛容を示し呼びかけ続ける神の情熱を思い、私の問題だらけの人生を捧げたいと思う。
by dynabooksx | 2004-08-17 14:47 | 真也の視点

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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