アンテオケア教会~派遣する教会~ 

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 この日曜、月曜は土浦に行っていました。愛理のお母さんが名古屋から来るのにちょうど合わせたのでした。今回の土浦めぐみ教会は、韓国アンテオケア教会から20人程の人たちが来ていて、礼拝は何と韓国語。司会も歌も韓国語で日本語通訳がつくというものでした。この教会は、予算の75%を海外宣教のために使うという、通常考えられない運営をしている所です。建物はかまぼこ兵舎で夏は暑く、冬は寒いそうです。日本の規模からすれば超巨大教会ですが、牧師さんは車も持っていないそうです。第一、第二、オープン礼拝とも申先生という方がメッセージしてくださいましたが、『私達は物を持ちすぎている。資本主義が世界を偏らせている。サタンは表面的な所ばかりに興味が向かうようにし、本当に向かうべきところから離そうとしている』という事を語っていて印象に残りました。いかにも本筋の話ですが日本の教会でなかなかこのようなはっきりとしたメッセージは聞けないのではないでしょうか? 皆と仲良く協力して、頑張っていきましょうという内容は受け入れやすいですが、私達の住む世界がゆがんでいてサタンにそそのかされているというのは受け入れがたい。それは私達が目に見える世界を基準に判断しているからです。現在のマジョリティーは間違いはないと、、、。日本という国民性もあるでしょうが、少数派であるクリスチャンは人に疎外されることを恐れます。皆に特異に見えないように気をつけます。親切で暖かく、自己主張をせず誰とでも馴染んでやってゆくことが出来る。そんな人物像を求めているのではないでしょうか。もちろんそれは一部としてはあるでしょう。しかし、水と油は混じる事が出来ません。クリスチャンはこの世で生きますが、霊は世には属しません。そのためにはっきりとNOを言うこともあるでしょう。私にはイエス様が、人とぶつからない事を優先し真理を妥協したようには見えません。むしろそれを徹底的に追求した結果(神であった彼には当たり前の事だったろうけれども)十字架に向かって行くことになりました。アンテオケア教会は分け与えるとめぐみがより増して行くという福音の性質をよく理解しているのであろうと思われます。ですからそんな無謀な会計であっても、祈ってささげて行く方が次々と起こされていくのでしょう。捧げれば捧げるほどめぐみが増す。これは不思議な事のように思えますが、私達がもともと神のものとされる事で満たしを感じるように創られている以上、当然のことなのでしょう。捧げるとは何か得体の知れないところに投げ捨てるようなものではなく、十字架という私達の本質をそのままで受け止め、受け入れたという事実を認めていく事なのでしょう。

追伸 夕方のオープン礼拝は、光希と知希が騒ぎ出した為外に連れ出し、桜川沿いの細い道を歩きました。夕日がとてもきれいで筑波山が映えていました。光希が誕生し、生き方を捜し求めながらこの教会に通った日々を思い、泣きたくなりました。お盆に帰るもう一つのふるさとでした。
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by dynabooksx | 2004-08-16 16:00 | 真也の雑記帳

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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