お盆について思う

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 そろそろ秋を感じる季節になってきた。今日はお盆前仕事の最終日だ。お昼で上がってもらいこれから新入社員2人の歓迎を含めてお楽しみ会をする。その準備の合間に外でこれを書いている。

『お盆』
子供の時から当たり前にあった行事で、お墓参りや迎え火を焚くのだが
よく考えてみると何のためなのかよく分からない。
私は仏教に詳しくないが、仏教というのは死んだ人は仏となって極楽浄土へ行くと聞く。
迎え火は、先祖を我が家に迎えるための目印になるのだと祖父から聞いているが、
そんなに簡単に極楽から帰ってくるのかと思う。

また、お墓参りもどういう意味なのだろうか。
子供の頃、家族みんなで墓参りに行くときに、協調性のない私は行きたくなくてごねた。
そんな時、「先祖に守ってもらえないぞ。」と聞いた。
自分の祖先を大切にする事は大事だと思う。

しかし、キリスト教徒は、人が先祖によって守られるとは考えずに神によって保持されると考える。
肉による系統より霊による系統を重んじるからだ。

我が家は、十何代か続く旧家で、家には神棚も仏壇もある。
クリスチャンであっても、今までの習慣で親類が来た時や人目を考えての事だ。

でも最近ふと棚の上を見ると何かが足りない。
愛理に聞いてみると神棚を片付けたのだという。
理由はほこりがたまっていて汚いからだというのだ。こうして我が家から神棚は姿を消した。
誰かに何か言われるかと思いきや、誰も何も言わない。
その程度の信仰心なのか、はたまた愛理が怖いからだろうか、、、。
この調子で行くと仏壇が消える日も近いかもしれない。

田舎にいると親類だとか、隣組だとか形ばかり重視する人間関係が目立つ。
だが、その中にあっても神は私に力強く呼びかけ、神の家族を用意してくださる。
圧倒的な自然の中で見えないものを思う。
 あっ、みんなが帰ってきた。
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by dynabooksx | 2004-08-12 11:44 | 真也の雑記帳

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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