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幼子のようである事

幼子のようである事_a0023043_15136.jpg そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真中に立たせて、言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。 マタイ18章

先日、教会に来ているお爺ちゃん(年は90近いのではないだろうか)が『やはり、幼子の信仰じゃのう』と言っていた事を聞きました。その人が何を意味して語ったのか正確にはわかりませんが、人生の大先輩がそのようなことを言うと何だか重みがあります。私なりに掘り下げてみました。
 まず、『幼子とは何か』ということです。私は3児の父で一番下の子はもうすぐ3ヶ月になります。この頃は本当に手のかかる時期で、おっぱいやオムツなどあらゆることをしてあげなければなりません。ここでわかるのは、『世話をしてもらえないと生きていけない存在である事』です。この子の名は愛乃(ひめの)といって女の子なのですが、人前でも顔を真っ赤にして”ブバッ”とうんちをいたします。こういうの『ありのまま』って言うんでしょうね。人にどう思われるかとか、よく見せようなんてまったく考えてないですもんね。
 悔い改めて子供のようにならないと、天国に入れないんだからこれは大きな問題でしょう。上記の事を考慮すると『悔い改める』とは『神の世話を必要としている事を認め、背伸びをせずありのままの自分を表現する事』でしょうか。そういう人が天の御国に入るのだと。前に読んだ本に『成熟した人格とは、場所によってあり方を変えることが出来ることである』と書いてありました。確かに複雑化する世の中では、その場に適応して行くことが重要なのでしょう。しかし、聖書を基準とする時、私たちのあり方は一つです。神によって、神を賛美するように創られています。それを本当の意味の『ありのまま』というのだと思います。もともとそのように創られているのです。
 手がかかるとか未熟だとかいわれてもニコニコして”そうです”と言いたいものです。
by dynabooksx | 2004-07-13 15:00 | 聖書の言葉

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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