2007年 11月 02日
私のために生きてくれないか~リビングライフ黙想エッセイより
『神さま、お願いですから私を召して下さい。』
その時の主のお心はいかばかりだったでしょうか。ご自分の子供が早く死なせてくれと言っているのですから、そのようにして、三日目を過ぎたとき、主が訪ねて来られました。そして、はっきりとした御声を聞かせて下さいました。『お前は死んだのだよ。これからは私のために生きてくれないか。』主のその御声、これからは死ぬために生きるのではなく、主のために生きなければならないということがはっきりと分かりました。その時、私は死ぬほどの苦しみにあった時は、ひざまずいて祈ればいいこと、主が御声を聞かせてくだされば、すべてが平安になるということを確かに体験したのでした。
ー教会はひざまずく祈りで建てられる/チョン・ピルド
人は自分以外の誰かに、あなたはそれで良いんだといって価値を認めてもらえない弱い生き物ですね。自分の生きる意味が分からなくなったとき、あなたを生かしている方が、新たな生きる意味を与えようとしているチャンスなのかもしれません。
もはや私が生きているのではなく、キリストがわたしのうちに生きておられるのである。今、私が肉体をもってここに生きているのは、私を愛し、私のためにご自分のすべてを捧げてくださった神の御子を信じることによって、生かされているのである。
ガラテヤ2:20
by dynabooksx
| 2007-11-02 16:33
| 真也の雑記帳