なんだか、切ないな。

 信仰を持ってから早12年、私のクリスチャンとしての歩みは戦いの連続でした。はじめは、自分で自分を破壊しようとする内側の戦いにはじまり、キリストを身近に感じれば感じるほど、なんともいえず圧迫を加えてくるもの、命を吸い取っていくものと戦うようになっていった。

 数多くの失敗をし、傷つき、また慰められ、そこから新しい学びをした。私は自分が育った団体を愛していた。正確には団体を愛していたのではなかろう。そこで接した一人一人を愛していたのだ。共に時間を過ごした人に想いを寄せるのは当然のことだ。ここまでの経過を見てみると、神は私を親しんだそこからはじき出し、より自由なところへ呼び出したのだと考えられる。
 信仰と教会以外のことに夢中になれない私を、神は田舎の荒野のようなところに導いた。ここでも多くの戦いをし、力で立ち向かうよりも自らを変化させることで問題を解決させることを知った。主が、私の考えよりも素晴らしい計画を持たれているならば、私の持論も曲げてみようかと思うようになった。その辺が妻から真也君も変わったねと言われるゆえんであろう。献身者であるならば、自らの生き方や考え方を優先するより、主が示される所を行こうと考えるようになっていった。こう書くとたいそう立派なように思うだろうが何のことはない。これまでのどんな場合も、結局どんな時も主が示されるのが一番素晴らしかったからだ。いい加減そんなことを繰り返していると、あまり我を張るのも馬鹿らしくなってくる。無鉄砲に突き進んで、無理矢理修正されるよりは、できれば初めから確かな所に行きたいと願うようになる。それが分からないから、やみくもにもがくのだが、さすがに三十を過ぎてきてすこし内面に変化が出てきたようだ。だんだんと経験が増し、少しずつ保守的になってきているのが分かる。

 それはそれで、単にマイナスだとはいえないのだが戦うことを続けなければ、私は世と同化していくことだろう。霊の目は暗くなって行くだろう。ペンテコステ以降、無数の教会や教派が誕生してきた。結局は堕落と回復の繰り返しなのだがそれでも教会、キリスト者の集まりはこの世の希望だと思っている。
 やはり、私は既成の集団に入って活動をするのは難しいだろう。考え方は色々あるが、リスクが高いからだ。それが面白いともいえるが、、、。組織に組み入れられれば、妥協を多く強いられるだろう。私の傷は癒され、牧師の家庭で育った妻が、信仰の自立を迎えるにあたって、クリスチャンとしての私の歩みも一区切りを迎えているのだろう。嬉しいような、寂しいようなそんな気持ちです。
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by dynabooksx | 2007-10-04 10:27 | 真也の雑記帳

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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