季節の移ろいを

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 北海道の山は紅葉を飛び越して雪が降ったとニュースで聞いた。ここも、朝と夕と一面に日の光を金色に照り返す。刈り入れの稲の香りと唯一異様なほどに赤い彼岸花が、確実に季節の変化を伝えてくる。

 ここ数日、長男光希のお迎えランニングを再開している。夏休み中の運動不足がたたって、私も光希も幾分太ったからだ。光希などは自分が太ったのを私のせいにする傲慢ぶりだ。数日続けるうち、バラバラだった手足の動きも幾分連動するようになってきた。自分の体だから思い通りになるだろうと思いきやそうではない。いくら別なスポーツをしていても、走ることは走ることによってしか学習できない。いざ意志で脳から信号を送っても、リズムが整わない。御言葉に日々親しむことと同じだろう。

 光希のランドセルを私が代わりに背負い、一緒に走って4㎞程の道のりを帰ってくる。途中で他の子供や大人達が近くまで来て驚いたような顔をする。きっと私を小学生だと思ったのだろう。6年生のお兄ちゃんと一緒に帰ってるという風に、、、。そんな驚かせかたが私は好きだ。皆さんの冷え切った先入観をあっといわせ、思わぬ楽しみを提供するのが好きだ。

 車よりは自転車、自転車よりは徒歩と普段当たり前に通り過ぎている景色でも、速度が遅くなり、また風や匂い、汗の流れを感じる動きをすると違ったように見えてくる。雲の形、動き一つ見ても夏のそれとは違う。確かに田んぼはきれいに区画され、一面整ったように実り、機械で一瞬にて収穫される。高度に人の手を入れ、計画的に農作物を生産しているように見えるが、人が植物自体を創り出せるわけではない。いくぶん育てやすいように手を入れているに過ぎない。太陽の光も、雨も、季節の変化、潮の満ち引きもも誰が決めたわけではなく、絶妙なバランスで遥か昔から整えられ、その上に実る恵みを戴いている。
 こんな単純なことを現代人は忘れてしまっているのではないかと思う。聖書の神がどうのこうのということをいわなくとも、静かに自然の中に身を置けば自ずとわかることだ。農業はいい。土を耕し種を蒔き、あとは恵みがあるようにと寝たり起きたりしているだけで、収穫が得られる。自分に管理を託された部分をしばし用いるだけで、必要なものはすべて用意される。こんな生活をするにつけ、聖書に出てくる古代人の素朴な感動が伝わってくる。天地万物をつくられた方の圧倒的な知恵と摂理である。

 こんどは何を植えようか、、、、。
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by dynabooksx | 2007-09-28 07:51 | 真也の雑記帳

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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