思い、、、

人は、どうしてこんなにも切ない思いをするようにできているのだろうか。
個人であるということを知り、強烈な孤独を味わうことがある。
そういったとき、人は他との関係を強く求める。
でも多くの場合、本当に必要なときにそれを素直に求めることができなかったり、働きかけがあっても無視してしまう不器用な生き物だ。
神はなぜ人をこんな風に創ったのだろう。
人は一人で生きてゆくことができない。
神は、最初の人を創ったとき、アダムが一人でいるのは良くないとおっしゃったが、これは単に結婚のことをいっているのではないのだろう。
人は他人を必要とするという根源的な性質について聖書は述べているのだ。
これは善悪を知る実を食べ、罪が人の中に入ったからではない。
その前の、創造の最初の所ですでにそのようにできているのだ。
人は自らの存在の意味を探して生きている。
世界がその意味を探しているといっても良いだろう。
自分の中に何か確かな物を持とうと必死になって努力する。
自分は、他の助けを借りなくとも自力でやっていけるのだといって自己を確かめようとする。
しかし、それにつれ人は孤独になる。
人は、他者を必要としないで生きてゆくことはできない。
神がそのように創造したからだ。
そんな不完全な姿は嫌だというかもしれない。
でもよく考えてみて下さい。本当にそんなに見難いでしょうか?
確かに、現在世の人間関係は大きくゆがんでいる。
聖書に預言されていたように多くの人の愛が冷め、互いに裏切り合い、憎み合います。
本来、人が人間関係の基礎を作る親子関係であっても大きくゆがんでいる。
親は子供を条件付けで愛そうととする。
それがあまりにも強い場合、子供は自分自身を正しく受け入れることができなくなる。
自分自身の真実な部分を切り捨て、人に喜ばれるように自らを演じようとする。
なんと苦しげな姿だろうか。
勘違いしないでほしい。私も全く同類だ。
こんな表面的で渇いた世の中を生きてゆく意味があるのだろうかとずっと自問自答しながら生きてきたのだ。
人は渇いている。心から他者を必要としているのにまだそれによく気づいていないのだ。
自分の人生の重荷を全て乗せても大丈夫な、確かな他者に、、、。
私の人生は、その方に出会ってから大きく変わった。
その方の中に、あらゆる矛盾を解く鍵があった。
わたしは、その方の正義と真実さに心奪われた。
自らの命をささげるほどのその思いに触れたとき、私が自分の身を守るためにまとっていた殻は存在の意味を失っていった。
次々と、それまで抱えていた疑問は、新しい意味づけをもって私に迫ってきた。
その方は、私が母のおなかの中にいるときから目的を持って私を導いていた。
私はそれをうすうす気づきながらも、一人で歩いてきたと勘違いをしていた。
今になって、その方は『時が満ちた』とおっしゃる。
人生を、私だけに集中しなさいとおっしゃる。
そのために、あなたの人生を用意したのだとおっしゃる。
その方は、この世を創り全ての事をご自身でなすことができるはずなのに、私を必要とする。
これは、いったいどういうことなのだ。
私が、向こうを必要とするならわかる。しかし向こうも私を必要としているのだ。
神が人を創造されたとき思いが胸に迫ってくる。
どれほど、私達との関係を待ち望んでいることだろう。
私達がそれを否めば、怒るのはもっともなことだ。
神は、どんなことをしてでもこのねじれた関係を回復しようと決心していた。
私達に自由を与えつつ、泥沼から引き上げる計画をずっと練っていた。
神はひとり子を世に送ったが、案の定人々はそれを拒絶した。
彼は、人々の憎しみを背負い父が計画した道を忠実に歩んだ。
死を持って自らを、断絶した関係を回復する架け橋とするために、、、。
その時、はじめて人は自分の置かれていた状況に気づくのだ。
人生の意味を求めて渇きに渇いた道を、自力で歩んでいたことの愚かさに気づくのだ。
全ての人は、自らが気づかなくてもすでに多くの犠牲の上に人生を成り立たせている。
だれも、一人で生きていける人などいないのだ。
それは、まったくはずかしいことではないのだ。
神がそのように人を創造したからなのだ。

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by dynabooksx | 2007-09-14 05:52 | 真也の雑記帳

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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