平成人と昭和人

 先の記事で、わが社がお世話になっている会計事務所のセミナーの話しをしたのだが、途中興味深い話しをはさんでいた。そのことについて少し書きたい。

 もうすぐ平成生まれの人たちが企業社会に入ってくる。もう平成19年だからだ。彼女が言うには、昭和人と平成人は大きく違うのだという。この言い方には抵抗があるかもしれないが、その論旨に注目したい。

 まず平成人は、個人の力も強いが団結力がさらに強いのだという。さらにコミュニティーの維持の仕方が昭和人とは違う。昭和人は群れの中で、そこに馴染まない人がいれば、そこから外へ放り投げるのだという。しかし、平成人はそのようにはせず、自分たちの枠の外へ置くと共に、そこから離れるのを許さないのだという。
 なるほど、それは現代のいじめの構造と一致する。我々の世代やその上の世代であれば、共同体に馴染まない人間は勝手にやってくれというように、外に放り出される。(私も放り出される側の一人だろう。) しかし、平成人は、離れていくことを許さない。排除しながらも、その人がそこから離れ別な道を模索するのを許さないのだという。

 う~ん。ありがたいのか、残酷なのだか。少なくとも私のようなタイプとっては地獄だろう。しかし私は、その世代の力をマイナスとしてではなくプラスとして見ていきたい。
 平成時代に育った人たちは、価値観が圧倒的に複雑化、混沌と化し、あらゆる共同体が破壊されていくという厳しい時代を生き抜いて来た人たちだと私は考えている。我々の世代からは理解しがたい事もあるかもしれないが、その時代を生き抜くために知恵を身につけてきている。
 私は、この世代の特徴は『まっすぐさ』ではないかと思っている。次々と新しい価値観が生まれ、また廃れていくために現実に失望しながらも、真実を求めざるを得ないのだと思う。この世代は、見た目の演出に惑わされず、冷静に事の成り行きを見ている。純粋であるがゆえに、こころざし途中で希望を完全に失ってしまえば、命を絶つかもしれない。

 以前、高校の教員をしている姉から次のような話しを聞いた。彼女は英語教員として自らが受け持つ生徒達のうち勉強をしない者を、何とか進級させようと宿題を出したり、補習を計画したりするのだという。その中の気になる子がいて、何とかしてやりたいと思い手を入れるのだが、一向に手応えがないのだという。私と似ている熱血漢の姉は、さぞかし努力したことだろう。もうこれ以上やってもダメだろうとあきらめかけた時のその生徒の言葉、、、。

 『先生、一生懸命やってくれているのは分かるんですけど、心に響いて来ないんですよねぇ。』

 なんと失礼な奴なのだと思うだろう。しかし私はこの話を聞いたとき、その子に会ってみたいと瞬間的に思った。そんな事を言えば、先生に見放されるのはおろか、留年になるのは必至だろう。それでも、彼は自分の本心を吐露した。これは、見てくれを気にする世代には出来ないことだ。私は、姉の指導がどうだこうだと言いたいわけではない。理解できないかもしれないが、これがこの世代の真実な姿なのだ。

 我々より上の世代であれば、自分の内面が表面上の自分と違っていても本音と建て前という二重性の中で一息つくことができる。しかし、平成世代はそれに満足することは出来ない。セミナーの話題を導入に使ったが、途中からは私独自の論理展開をさせてもらった。

 世の中は、見せかけではなく真実なものを必要と必要とする時代へと変化している。セミナーの講師によると、早めに手を打たないと平成人に昭和人は駆逐されるのだという。力勝負になれば、本質を求める平成人に昭和人はかなわないだろう。ちょうど三十前後の我々の世代は、その橋渡し役になるのであろう。講師は、平成人を教育出来るのは、20代前半の昭和人には荷が重いのだという28、29、30あたりの世代がキーになると言っていた。
 私は、この世代のために尽くしたい。私は平成人がやりにくいとは感じない。むしろ、肩の力を抜いて本音で話せる気がする。この世代が、現実に失望しきることなく実現可能な希望を持つために、橋渡しをしたい。彼らの力を借りなくては、我々の願いも現実にならないからだ。まだ見ぬその世代の人たちにエールを送りたい。
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by dynabooksx | 2007-09-06 10:36 | 真也の雑記帳

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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