カニ捕り

a0023043_17374539.jpg 
救世軍御一行が来られているときも近くの海に出かけ、小ガニ数十匹とでかガニ数匹を捕まえたが、皆で出かけたのがこれまでにもまして楽しかったらしく、昨日と今日、次男知希君に何度もせがまれ、同じ所に連れて行ったのだった。

 私達が行くのは通常の海水浴場ではなく、母の実家の側にあるテトラポットの積まれた浜だ。複雑に積まれたコンクリートの隙間にたくさんの生き物が隠れている。小さいカニほど動きが素早く高度な技術が必要になる。反対側を刺激して逆側から逃げてきたところをガバッという具合で捕まえる。いくら頑張っても無理なものは無理で、いけそうなやつを瞬時に判断して一気に捕まえる、これが肝要である。

 ふと、これは伝道に通じると思った。神が望まれない所に我力でいくら力を投入したところで、成らないものは成らない。いったん力を抜いて全体を見渡すように眺めてみると、チャンスがたくさん転がっている事に気付いてくる。要は、神が与えるその決定的チャンスを逃がさないことであろう。

 また、テトラポットに上って水しぶきを浴びつつ、波の動きを見ていた。後を付いて長男が上ってくることもあるが、私は気にしない。まずこの子の運動性能では落ちる事はまずないからだ。普通に考えて、こんな場所は学校では危険場所に指定されていて、親がいればともかく奨励される遊び場ではないだろう。テトラポットは2重3重に積まれているので、高さは一番高いところで5メートルほどある。4つ足のタイプのため様々な姿勢で複雑な形を作っている。表面も注意しないと、腐食して玉砂利やカラス貝が尖っている所もあり、うっかりすると足を切る。
 そんなところでも、上まで上ると遥か見渡せる海が見える。波が打ち寄せる場所には、反対側では考えられないほどのカニや貝がびっしりある。

 収穫は、一歩遠くへ、予想できない危険な場所に出なくては発見することは出来ない。初めから安全が保てる所でやすらぐだけでは、まだ見ぬ畑を刈り取る事は出来ないだろう。鍵になるのはこの神様なら絶対に大丈夫だという安心感と、ちょっとの冒険心なのだ。

 絶え間なく波が迫ってくる。波は浅いところに来ると急激に高さを増し砕けてくる。ここ太平洋の波は荒い。サーファー達が見えた。楽しそうに波と戯れている。
 浅瀬を、自分の足で歩いて移動することを目的としていたら、打ち寄せてくる波はどんなにか邪魔なものだろう。行く手を阻むように次々打ち寄せ、足下をすくってくる。

 しかし、波に乗ることを目的に考えてみたらどうだろう。とたんにその意味は変わる。うねり自身が楽しみとなり、より大きな波や嵐が来ることを望むようになるだろう。
 私は、霊的な波に乗りたい。それを遠くにある時から発見し、間髪なく最適なポイントで乗りこなす者になりたい。波は私が起こさなくても良い。神がそれを絶え間なく用意して下さる。それを感じる感性と一気に加速し飛び乗る勇気があれば、あとは波が好きなように運んでくれる。自分の足で歩くことと比べたら楽々である。そんなことを考えていたカニ採りであった。
[PR]
by dynabooksx | 2007-08-26 17:26 | 真也の雑記帳

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31