日本の教会を衰退させたもの

 今日は、お出かけ前なので奮発します。愛理には自分たちのいないところであんまり霊的に突っ込んで、知らないうちに昇天しているのではないかと心配されているようですが、生きるにしても死ぬるにしても神の御手のなので心配はいりません。

 今朝、メルマガで興味深く、またよくまとまっている文章を読みました。本文の部分を繋ぎます。長いですので私の解説は要りませんね。


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◆◆◆     「話題通信」(現代、人生、科学、聖書)No.152
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日本の教会を衰退させたもの

近代聖書批評学について


現在、日本のクリスチャン人口は、一%未満と言われています。しかし、今から時代を三九〇年ほどさかのぼるなら、当時の日本には約七%のクリスチャンがいました。今日、日本の教会が弱体になってしまった原因は、一体どこにあるのでしょうか。


四百年前、日本のクリスチャン人口は七%あった。

宣教師フランシスコ・ザビエルが日本に渡来したのは、一五四九年でした。以来、日本にはきわめて短期間にうちに、キリシタンが増えていきました。
今は仏教の町とのイメージが強い京都も、昔はキリシタンの町であったと言えば、読者は驚くでしょうか。しかし、キリシタン大名・高山右近が高槻(京都市に隣接するが現在は大阪府内)の城主であった頃、京都はキリシタンに満ちていました。
また高山右近の父で、熱心なキリシタンであった高山飛騨守ダリオも、大和の国(奈良県)の沢城主として熱心に伝道していました。
やがて一五九六年に、豊臣秀吉によるキリシタンへの大迫害が起こりましたが、それでもその勢いを止めることはできませんでした。
秀吉は、「フランシスコ会員を全員処刑せよ」と命じ、長崎では有名な二六聖人の殉教が起きました。しかしこのときも、「殉教者の血潮はリバイバル(信仰発展)への種子」という言葉は、真実だったのです。
キリシタンへの見せしめとして処刑された二六人の最期を見た群衆に、大きな心の変化が起きたからです。二六人のキリスト者が、救われた者としての平安と、来世への輝かしい希望と、殉教者になり得た光栄に、喜喜として死んでいく姿を見た群衆は、役人の制止もきかずに、柵をこわして処刑場になだれ込みました。
彼らは、殉教者の血潮を自分の着物にしみこませ、あるいは血のついた十字架を削りとり、あるいは殉教者の衣を切りとり、あるいは血に染まった土を持ち帰りました。こうして、殉教者の最期を見た人々のほとんどが、キリシタンになったといいます。
この出来事から約一五年後の一六一〇年には、日本のキリシタンの数は、約七〇万人にも達していました。当時、日本の総人口は推定一千万とされますから、クリスチャン人口はそのとき、約七%に達していたわけです。


日本の教会の発展をはばんだもの

しかし、その後なぜ、日本の教会は発展せず、現在では一%未満という状態になってしまったのでしょうか。
それには、幾つかの原因があります。けれども、ここで特に取り上げたいのは、明治以来日本に入ってきた、欧州の懐疑的な近代聖書批評学による悪影響です。
「近代聖書批評学」――「自由主義神学」とか、「高等批評学」などとも言いますが――は、様々な新神学のかたちをとり、明治になって日本に入ってきて、日本の教会を骨抜きにしました。
明治一八年には、ドイツの普及教会宣教師スピンネルが来日し、各教会で講演し、聖書の無謬性(誤りがないこと)を否定し、キリストの神性を否定し、聖書の中の倫理道徳のみを強調しました。
明治二一年には、米国ユニテリアン教会(三位一体を否定する教派)のナップが来日し、キリストの神性を否定し、「イエスは神に最も近い教師である」としました。
明治二三年には、ユニヴァーサリスト(普遍救済主義者)の人々もやってきました。彼らは、すべての人々は救われていると説きました。
以後も、様々な新神学が入ってきました。それらはいずれも、聖書を神からの真正の啓示の書としてはみず、懐疑的な目で見るものでした。
それらは「神学」の名のもとに、聖書を疑うことを人々に教えました。聖書にしるされた記事の多くは歴史的事実ではないとされ、聖書はいわゆる「神話」と同程度のものと見なされました。
この考え方は伝染病のように広がり、かなり多くの人々が、信仰に打撃をこうむりました。
金森通倫は伝道者をやめ、「貯金のすすめ」をして歩きました。横井時雄は実業界に入り、安部磯雄も牧師をやめて政界入りしました。
松村介石は、新神学からさらに東洋思想に走り、キリスト教と儒教とを合わせた「道会」を起こしました。また、赤岩栄(椎名麟三に洗礼を授けた牧師)は、『キリスト教脱出記』を書き、キリスト教から去りました。
迫害は信仰の炎を消すことはありませんでしたが、懐疑的な新神学が入ってきたとき、信仰の炎は消えました。本当の敵は、外からではなく、内から入ってきたのです。
日本の教会において、信仰の炎はくすぶるばかりでした。人々の信仰は、弱く妥協的になりました。人々は聖書の教えにひかれながらも、神の教えに従い通す者は、まれになりました。

そのもどかしさが、最も現れたのが第二次世界大戦の時でしょう。当時の日本は、「神道」が国教化されていました。天皇は「神」とされ、天皇崇拝が強制されていました。
その状況は、初代キリスト教会がローマ帝国の「皇帝崇拝」と戦ったときの状況に、似ています。
しかし第二次大戦中の日本の教会は、天皇崇拝や軍国主義と、どれほど戦ったでしょうか。
日本の教会の多くは、一部の人々を除いて、戦争につき進んでいく国家体制に、ほとんど追従しました。カトリック教会は全面的に追従し、プロテスタント教会においても妥協的精神を失わなかった教派は、むしろ少数でした。
多くの教会は、日本が戦争に勝つように祈りました。信者や牧師、神父は、神社に参拝し、政府に言われるままに、軍事産業のための献金を行ないました。
こうしたなかで、キリスト者としてのもどかしさを感じた人々は、少なくありませんでした。けれどもキリスト者たちの信仰は、すでに懐疑的な神学によって、相当弱体化していたのです。



近代聖書批評学の考え方

新神学――その根底にあって、今日も多くの教会を蝕んでいる近代聖書批評学の考え方とは、どのようなものでしょうか。
批評学では、たとえば福音書は、忠実にイエスの生涯を記録した史実とは言えない、とします。その考えは、次のようなものです。
まずイエスの死後、イエスの言葉についての言い伝えを担う教団があった。彼らは、イエスの語った言葉を集めたイエス語録とも言うべきものを、持っていた。
このイエス語録(「Q」資料と呼ばれる)と、過去からの言い伝えとを組み合わせ、そこに自分たちの教団の信仰理念を投入して、まず『マルコの福音書』がつくられた。さらにこの福音書を参考にし、Q資料と、そのほかにあったM資料をも参照して、これも自分たちの教団の信仰理念を投入してつくったのが、『ルカの福音書』や『マタイの福音書』である。
だから、福音書は必ずしも、イエスのそのままの生涯や言葉ではない。では、本当にイエスが語った言葉や行動は何か・・・・というわけで、聖書の言葉を選り分けていきます。
例をあげると、福音書にはイエスはベツレヘムに生まれた、と書かれている。旧約聖書を読むと、メシヤ(救い主)はベツレヘムに生まれると書いてある。
だから、きっと信者たちは、イエスの生誕地をベツレヘムということにしたのだろう、と考えます。批評学者たちは、イエスがベツレヘム以外で生まれたという確証はないのに、単なる懐疑的な想像で、そう考えるわけです。
そして彼らは、イエスがベツレヘムに生まれたという句は史実ではないとして、排除します。そうやって腑分けしながら、イエスの本当の生涯や言葉を探していこうというわけです。
こうした考え方は、かなりエスカレートしたところまで行ってしまいました。あの奇跡物語も、史実ではなくて、きっとイエスを神格化するために加えたものだろう。
イエスが十字架にかかって死んだのは事実だが、復活は、実際に体がよみがえったということではなくて、イエスの死で失意落胆していた弟子たちの心にイエスが復活した、つまりイエスに対する信仰がよみがえった、ということなのだ・・・・。
彼らは、このように考えました。こうして福音書の大部分は、後世のキリスト教団の考え方(信仰告白)を投影したものにすぎず、「創作」と言ってもいいくらいだ、とまで主張されるようになったのです。


今日も近代聖書批評学は日本の教会を蝕んでいる

さらに批評学者たちは、こう考えます。福音書は史実ではないが、キリスト者たちの信仰告白を記しているという点で、私たちはそこに人生にとって有益な教訓を見出すことができる。

史実であるとか、史実でないとかは、信仰にとっては必ずしも大切なことではないのだ。それを読んで、何か人生の指針を感じとることが大切なのだ・・・・。
懐疑的な学者たちは、こうして「神学」の名を装い、主イエス・キリストを単なる神話的人物としてしまったのです。
これでは「神学」ではなくて、「死に学」でしょう。このような考えこそ、聖書が予言していた、あの「おおかみ」の一つに違いありません。
「わたし(使徒パウロ)が去った後、凶暴なおおかみが、あなたがたの中に入り込んできて、容赦なく群れを荒すようになることを、わたしは知っている。・・・・あなたがた自身の中からも、いろいろ曲がったことを言って、弟子たちを自分の方に、ひっぱり込もうとする者らが起こるであろう」(使徒二〇・二九~三〇)。
この「おおかみ」は、頭巾をかぶり、優しい声を出して、私たちに近づいてきたのです。
近代聖書批評学は、単なる懐疑論にすぎません。しかし、それは学問という名を借りて、今でも多くの牧師や神父らの聖書知識を蝕んでいます。
こうした教職者らは、聖書批評学の知識を持っていることこそ聖書を深く知っていることだ、と神学校で教え込まれており、その知識に立って、教会の講壇から語っているのです。
また今日、一般書店に並んでいるキリスト教解説書の多くは、聖書批評学にかぶれた人々の書いたものが多く、福音的な書物は少数です。そのことが、日本における真の福音の伝達に、大きな支障をきたしています。


日本の教会に力を与えるもの

このような懐疑的な聖書批評学にすぐ影響を受けてしまうのは、まだ日本では、聖書に対するしっかりとした知識が、宣べ伝えられていないからです。
日本は、とくに多くの宗教、多くの哲学、多くの思想の入っている国です。こうして国では、単に感情・心情に呼びかける伝道説教だけでなく、しっかりとした聖書知識をも同時に宣べ伝えていかなければ、人々が堅固な信仰を持つことは困難です。
これからの教会においては、次の五つの事柄が特に必要と思われます。
第一に、健全な御言葉信仰、聖書信仰に立った、聖書の全体的・体系的な学びです。

教会は、感情的・心情的に訴える集会メッセージのみに頼るのではなく、しっかりした聖書知識を信徒に与えるために、健全な書物、雑誌、また聖書講座等に信徒がふれる機会を増やすよう、努力すべきでしょう。
第二に、聖霊の御働きを認め、聖霊が自由に活動できるような環境づくりに心がけることです。
「風はその思いのままに吹き・・・・」(ヨハ三・八)とあるように、聖霊が好んで吹いて下さる環境とするのです。それには、真理がまっすぐ語られていること、罪を排除していること、神を心からあがめる集会となっていること、等が必要です。
第三に必要なのは、「科学的創造論」(創造科学)の学びです。
最近、アメリカでは一般の学生の多くが、もはや進化論を信じなくなっているとのことです。ある進化論者の大学教授は、大学に入ってくる学生の多くがもはや進化論への信仰をもっていないことを嘆いています。
これはアメリカでは、ICR(創造調査研究所)やCSF(創造科学研究所)等の創造論を信じる科学者たちの働きが、実を結びつつあるからです。
韓国でも、創造論を信じる科学者たちの活動が活発です。彼らは各地で、進化論の間違いや創造論の正当性を、科学的に多くのクリスチャンたちに説明しています。韓国のリバイバルの背景には、このような創造論者の働きが活発にあるのです。
第四に、正しいキリスト教的死後観を広めることです。
西洋社会ではながく、「人は死後すぐさま天国か地獄のどちらかに振り分けられる」がキリスト教の教えと思われてきました。西洋ではそれでよかったのかも知れませんが、今日の日本人の多くは、もしそれがキリスト教ならキリスト教はおかしい、と感じているのです。
そして実際、そう感じるのは当然でしょう。聖書の教えは本当は、「クリスチャンは死後天国へ行き、未信者は死後よみへ行く」だからです。それが正しいキリスト教の教えなのです。

今日、いまだに「地獄」と、「よみ」を混同して理解している人が少なくありません。けれども、「よみ」(ハデス)は最終的には「地獄」(火の池)に捨てられるものであって(黙示二〇・一四)、両者は全く異なる場所です。
最終的には天国(神の国)と地獄の二つだけになるのですが、地獄は最終的な場所であって、その前に中間状態として「よみ」(ハデス)があるのです。 
「よみ」は、世の終わりの「最後の審判」までの一時的場所、「地獄」は最後の審判以降のための永遠的場所です。「よみ」は、「地獄」のような処刑場ではなく、人生を振り返らせ、懲らしめ、最後の審判の法廷に向けて準備をさせるための場所なのです。
クリスチャンは死後「天国」へ行き、未信者は、死後はまず「よみ」へ行きます。未信者は、世の終わりまでそこに留め置かれ、世の終わりに「最後の審判」の法廷が開かれると、そのとき彼らの最終的な行き先――「神の国(天国)か、地獄(火の池)か」が決まります。
この理解は、宣教上、非常に重要です。福音の正当性を理解するために、死後に関する正しい聖書的理解を持つことは不可欠だからです。死後に関する正しい教えが説かれることなしに、健全な宣教はできません。
第五に必要なのは、一人一人のクリスチャンが、しっかりした伝道法を身につけることです。
教会で週一回、牧師がメッセージを語るだけでは、福音はなかなか日本に広まっていきません。
一人一人のクリスチャンが、自分の友人に伝道していく具体的方法を身につける必要があります。
「伝道はしたいが、その方法がわからない」という人が多いのではないでしょうか。私たちは伝道の具体的方法とその訓練に、時間をさく必要があるでしょう。 
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by dynabooksx | 2007-08-07 10:07 | 驚き、発見

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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