2007年 08月 07日
愛する救世軍のみなさまへ
はじめに、私に直接的にまた間接的に、また祈りによって関わっていただいた多くの方と私達の神に改めて感謝の意を表したいと思います。私はこれまで、人に祈られているというのが、なんかこちらの意志に関係せず、祈る者がそれぞれ自分勝手な思いを神に向けているような気がして喜びを感じたことがほとんどありませんでした。ここに来て、そんな思いであったことを大いに恥じ、反省しております。
私のために、私の魂が神にとらえられるために、どれほどの方々が執り成しの祈りを捧げてくださっていたかと思うと、涙が止まりません。神がその祈りに答えて下さったことをご報告いたします。
いったんは非公開にしていましたが、私は今年4月に以下の記事を書きました。
救世軍(士官)の魅力
この文に綴った思いは、私の正直な気持ちです。私の名前自体、救世軍士官救世軍士官によってつけられたものですし、私が最も孤独で辛いときに、自宅に引き入れ共に過ごしてくれたのも救世軍士官でした。私は、その方々に言いたい。あなた方が葛藤しながら進んできた道は間違っていなかったと、、、。
3月に東京によった際、一度は完全に失敗したと思った私の試みの結末を(まだ中間地点だが)神は見せて下さったように思いました。私は、私の計画や思いを遥かに超えて働く主の力強さに驚くばかりでした。私も遅ればせながら、まさに今これから動いて行くであろうその戦いに士官として参戦したいという思いに瞬時になりました。あの旅の後、すぐに名古屋に行き愛理とその両親に事情を話し、またその足で士官学校に戻ったのは、一部の人が知るとおりです。
私が書くことの表面をとらえて悲しまないで下さい。私の心がそれを願っても、神は私を別の所に連れて行くようです。今、全てが見えているわけではない。一歩一歩御言葉と聖霊によって進む道を示してくれる神は、祈りの生活の中で私に確かに計画されている道を少しずつ伝えてきます。
勘違いしないでいただきたいのですが、私は神の軍隊の兵士、救世軍の兵士として召されていることを確信しております。私は、今までもこれからも共鳴しうるクリスチャンとこの戦いを共に戦って行きたいと願っていますし、たとえ私一人となっても、地上にいる限り戦いの旗を降ろすつもりはありません。
私が得てきた経験や霊的なリソースは、すべて可能な限りお捧げいたします。救世軍に関わる皆様には、キリスト者としての生き方、生活を心から楽しんで頂くために私と私の持てるものをお使い頂きたいという思いです。特に若い士官の方々(心が若いって意味だよ!?)には、良き感化をお互い与えあっていければと特に願っています。
愛理にあきらめな、と言われなからも性懲りもなくまだ士官への道を探っている愚かな者です。神が許されなければ、実現しないということを知っていながらも、、、。
ってそこまで仰々しく考えているわけでもなく、私はどこにいても何をしていても、私が従い続けるうちは神は私を祝福して下さると確信していますので気楽なものです。私の気持ち伝わってます?? ふざけてるってわけじゃないんですよ。ちょっとだけふざけてますけど、、、。
明日は、東京に行きます。救世軍の青年達に会えるのは私の喜びです。困難な中にありながらも純粋なあなた方から、私は多くの感化を得ることができるでしょう。主に期待し感謝いたします。
by dynabooksx
| 2007-08-07 03:22
| 信仰者の歩み