母の歩みを思う。

 もうすぐ還暦を迎える母を囲んで、兄弟家族みんなでお祝い会をしようということになり、それにあたり単なる食事会ではなく、後に残るようなそれぞれの彼女に対する思いを綴った文集を作ったらどうかということになり、せっかくならと情報収集、整理事務能力に突出している姉が年表も作ろうということになりました。7月の会に向けてそれぞれが準備をしているようですが、言いだしっぺで一番近くにいる私の作業がもっとも遅れている気がするので今日は頑張って書きます。

 私の母。子供時代、私にとって精神的なよりどころのほとんど全てでした。通常、子供にとって両親がそれぞれ価値観の多くを形作るのですが、おそらく私だけではなく他の兄弟も、意識の表に残っているのは母の存在が圧倒的でしょう。母は、この家において多くの責任を負ってきました。努力によって牽引されるさまざまな能力を持っている人です。私達兄弟も、小さいときから努力する大切さ一生懸命尽くす大切さを教えられました。私などは何度『死ぬ気になれ、死ぬ気になれば何でも出来る』と尻をたたかれたのか分かりません。事実その後、私はキリストの十字架の前に死ぬものとなり、新しい命、生きる力を得るようになっていきます。彼女は私の未来に起こることを予見していたのかもしれません。

 母は、私に学校の勉強を盛んにし、良い成績を取るようにと教育しました。特にそれが激しくなったのは私が中学に上がる前後ぐらいからだったと思います。ちょうどその時、私の兄は地元の高校から東北大学に入学します。それまで、一族にはさほど学業が優秀なものがおらず(基本的に農耕民族ですから)地元の学校から名門大学に行くことが珍しかったため、大きな騒ぎとなりました。その頃からでしょうか? 母が私を教育するキャッチフレーズは『勉強を頑張れ』から『お兄ちゃんみたいになれ!!』へと変化して行きました。私の兄は、我が家の中である意味神格化していったのです。

 元来自尊心の強い私にとって、このことは人生の激しい嵐を意味していました。そんなこと全てを無視して飄々と生きる方法もあったでしょうが、それまで訓練されてきた人と競い勝ち抜いてゆく心がそれを許してくれません。学問に対する純粋な興味と、他人と競い合うだけのむなしい思いの狭間で常に綱引きをしていました。この点について後に兄はこう告白しています。

 俺(兄)は、小さいときから比較的自由に学問をさせてもらった。確かに小さいときは厳しかったが、ある時母に聞いたみたんだ。『どのぐらい成績が良くなったら、お母さんは認めてくれるの?』と、、、。返事はこうだった。『母ちゃんぐらいだなぁ、、』つまり、母がこのぐらい自分は出来たと思う基準を超えることが出来れば、認めてもらえるのだ。小学生の兄は、努力をしついに母が満足する成績を修めることが出来た。それからというもの、勉学を強いるということをしなくなったのだという。だからこそ自分はその後、自由に好きなことを学べたのだ、、、と。

 兄は、母の予測を大きく超え優秀な学業を修める者として成長しました。私の教育の基準は、母自身から兄へとシフトしていました。私の青年時代の苦悩が理解できるでしょうか。常に兄と比較されそれを上回ることでしか評価されはしないのだという思い。これが、全てを支配していました。しかし、この自分自身の存在への強力な渇きが後に、私が造り主に出会う伏線となっていきます。兄は、最近こんなことを言っていました。『真也はよくその状況でおかしくならないで、頑張れたな』と、、。実際、十分おかしくなっているのですが、妻にもこう言われます。『真也君みたいな人が、よくその状況で生き抜いてこれたね、奇跡じゃないの』と、、、 意味はそれぞれみなさんご自由にお考え下さい。この事を思うとき、私が造り主なる神に出会ってゆくのは、偶然ではなく初めから入念に準備されたものであった事が分かります。

 両親が、小さい頃の私を評する言葉。『真也は、どうにも手のつけられない子供だった。やれと言えばやらない。やるなと言えばやる。制御不能のきかん坊だった』 私の従兄弟やかつて牧師としていた方々も、他の兄弟とは違う激しさをもっていたと言っています。そんな私が、優秀で品行方正な兄と比較され型にはめられていくのですから、それに対する反発は説明するまでもないでしょう。切れて飛び出すところでしょうけれども、そこが変にまじめなところで負けたくない一心で努力し続けます。当時の母は、なぜことあるごとに息子が激しく反発するのか本当に理解できなかっただろうと思います。今でも一つの出来事が忘れられません。

 高校生だったある日、生活態度か勉強に関することか何かで、当時私のいた2階に母は上ってきました。その日の私は乗りに乗っていました。一言、二言母が口にしたところで、一方的に弾丸のように言葉を打ちまくり撤退させる事に成功したのです。普段、そんなことで簡単に引き下がることのない母が、案外簡単に降りていったので、戦いには勝利したものの、ちょっと不安になってきました。あまりに手応えがなく、相手が弱かったからです。そっと、階段を下り母を捜しました。気配がどこにもありません。一通り回って奥の寝室をのぞいたところ、ベットにひざまずいて祈る後ろ姿がありました。
 ちっ、まずいものを見たと物音を立てずそのまま二階に戻っていきましたが、私の心にはそれまでとはまったく違うものが広がり始めていました。なぜ、神に祈るなどと言うもっともみじめで力のない姿が、感動を与え私の心の苦しみを軽くするのだろう。彼女の信じすがりついているものはいったい何なのだろう。この疑問が、しばらく後に受験勉強の圧力の中で、それまで一度も自分から開いたことのない聖書を開かせる力となったのだと思います。そこから始まる出会いは、過去のブログの記事にあるとおりです。預言者サムエルへ母ハンナの熱心な祈りがあったように、私もこの母の祈りに支えられていると思うのです。
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by dynabooksx | 2007-05-30 11:13 | 真也の雑記帳

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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