2004年 05月 29日
しずけき祈り
私には作者のこんな情景が浮かびます。日々、たくさんの雑事、価値観、人間関係に翻弄される姿です。今、世の中はそれまでの常識だったことが次々と変わっていっています。私は現在、3人の子供が居ますが、よく一般に言われている”他人に迷惑をかけない子”だとか”善、悪の判断が出来る子”というのの目指す所が良くわかりません。人の価値観がさまざまなのに、誰が”迷惑をかけない”とか”良いこと、悪いこと”の基準を定めるのでしょうか。それが簡単に統一できるのであれば戦争は起こらないはずでしょう? 聖書の創世記には、私たちの祖先が”善悪を知る実”を食べてそれを得たことになっていますが、それは私たち人類が勝手にそれを判断するようになったという意味ではないだろうかと思います。聖書を基準とするならば、善悪の判断は「神」がすることになります。私たちは神を賛美するように作られており、神に向かい合わない事は罪であると言います。この作者も混沌とする世の中で、神に道を求めたのではないでしょうか。騒がしく移り変わっていく時代の中で変わらないものに聞き求める。それは本当に楽しい時だったのでしょう。そんな時間を大切にしたいものです。
by dynabooksx
| 2004-05-29 11:31
| 驚き、発見