人と会うこと

 私は、時折人と会うのが、どうにも億劫になる時がある。顔をあわせるのが、なぜか面倒になるのだ。これは短時間のことではなく、長ければ数年続くこともある。かつても何度かそのようなことがあった。とはいっても、部屋に篭ってまったくでてこなくなるというところまで行くことは、そうそうはないことだ。外から見れば普通に見えるだろうが、私の心は他人を拒否していると言うことが良くある。一方自分では、人が好きなんだと理解している部分もあるから、良くわからなくなる。いったいこれは何なのだろう。こんなのだから、引きこもり100万人と言われる、この国の人々の心も遠くには感じない。私の場合、早く結婚したので、孤独な生活に浸かり続けることはなかった。私自身を、家族全体としての一部と見ることによって、私の世界が閉じていっても、妻や子供達が、それを補い続けてくれたからだ。
 今年の近年に無い寒波で、地球全体が数百年前にあったような、ミニ氷河期への途上にあるという。2年前、私はある事件を境にまさにそのような中にいた。自分ではよく理解していたつもりだが、人の心の移ろい易さにほとほと疲れたのだ。(2年前ぐらいで、ブログを書く頻度が急に鈍っているはずだ) そうなると、人と会いたくなくなるだけではなく、あらゆる精神活動がむなしく感ずるようになり、低下していく。キリスト教会に足を運ぶこともほとんどなくなった。そこは、私の精神の拠り所なのだ。(物理的な場所ではなく、聖書全体が私に及ぼす影響を考えるとということ)
 今ここに来て、いくつか変化が見え始めている。この感じをなんといったらよいのだろう。人間らしくなって行くというか、人の温かみを感ずるようになってきたのだ。私の周りの人が急に変わったということは無いだろうが、私の記憶が癒されていっているのかもしれない。それまでまったく意識の表に上ってこなかったような人の温かみをすぐ傍に感じながら、目が覚めるということが多くなったのだ。寝ている間の意識はほとんど制御できないため、その中でこのようになるということは、根元から変化があるのだろう。
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by dynabooksx | 2006-02-11 18:00 | 真也の雑記帳

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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