2005年 08月 18日
福音の性質
あっ、集会の内容をとやかく言うつもりはありません。ただ、今年初めて救世軍の集会に参加して、自分のルーツを確認するとともに、私の出会った福音についてもう一度考えさせられました。久しぶりに仲間たちと会って、ふと気づいてみると力入れて語っている自分が居ました。日曜日もほとんど集会に行っていない私が、こんなにもすぐに信仰のことで熱中するとは驚きでした。そして、ああ、なんと楽しいんだ。スピリチュアルな会話に飢えていたのでしょうね、きっと。
そうそう本題の「福音の性質」ですが、福音って日常会話で使わない特殊な用語ですね。英語でいうgood news(良い知らせ)ですが、この言葉についてよく考えたことがありますか? 特殊な言葉なのでいまいちピンと来ませんが、クリスチャンなら中身について多少なりと知っているでしょう。今書きたいのは、福音の福の部分、goodの部分が、なぜ、どうしてそうなのかなのです。クリスチャンの皆様、聖書のメッセージはあなたにとってgoodでしょうか? 今回、仲間たちに会って福音の良さを痛感しました。なぜってそこに語る相手がいたからです。そう相手がいて初めていいな~ってなったのです。これは福音の本質だと思います。硬くいうとベクトル、方向と速度を持ったものなのです。福音、音なのでwaveでしょ? 波なのですよ。それ自体は物質じゃない。だけどそれを媒体として次から次へと効果を及ぼしていく。それが福音だと思うのです。
そのことを頭に入れておくと、個人や教会においていくつかの疑問が解けるでしょう。聖書に書いてあることは私にとって、私たちにとってなぜあまり魅力を感じないのだろうか、、、、と。福音は人から人へと伝わり、新しい変化を起こすことによって互いに輝きます。伝わって行くことこそが福音の本質なのですから、次々伝わっていかない状態は何かが失われている、通常ではないと言ってよいでしょう。
『人を救う神様の恵みってすごいだろう? 見てみな、毎日だもんな。』と目を輝かせて言っていた清野先生の顔をふと思い出しました。
by dynabooksx
| 2005-08-18 08:35
| 真也の視点