歯が痛い

普段忘れてしまっていて、直面してはじめて思い出すにだけれども、年末のこの時期になると高い確率で以前に治療した被せ歯が痛み出す。
確か去年、いや一昨年同じ症状になって、痛み止めと抗生剤を飲みながら呻いていた記憶がある。今回は早めの治療をと思い、痛みの出始めで歯医者に出かけたのだけれども、もらった痛み止めを飲んでも痛みはズンズン増すばかり。昨日の夜などは、いてもたっても居られなくなって、夜中口を半開きにしながら歩き続けた。これは別な肉体的苦痛でもって脳内麻薬を発生させて、痛みをそらすためだ。
最初歩く振動も辛かったのだけれども、いっそのこと走ってやれとダッシュを繰り返すうちにいつも自転車でやっているように、負荷が上がるにつれて細かいことは気にならなくなっていった。夜中の2時頃の出来事である。
そのうち服が汗だくになってきて、歩き続けてもひんやり寒くなってきたので、どこか暖まれるところはないものかと街の方向に歩みを変え、目に付いたのは24時間のゲームセンター。
普段こんなところに足を運ぶことはないのだけれども、なんともあったかだ。しかも様々な音や光で一時の痛みを忘れさせれくれる。それにしても、平日の夜中に若者もオッさん(あっ自分もか)もたくさんいるもんだとひとしきり汗が乾くまであちこち眺めて過ごした頃には、布団でのたうちまわっていた頃に比べてましになったようにも思う。これなら朝が来るのもイメージできそうだと家に向かってまた歩いた。

こんな強烈で長続きする痛みに襲われた時に決まって浮かんでくるある光景がある。それは福島の自宅にあった池で飼っていたコイの様子。
一時期、ブラックバスをはじめとする魚釣り全般にのめり込んだ時期があったのだけれども、前田川という双葉町を代表する河川でのコイ釣りは遊びと実用を兼ねていた。町の人にパンで育て太らせられた60センチを越える奴の引きの強さは他のものでは味わえず、同じく食パンをトップウォーターでバクッっと食わせる瞬間の緊張と興奮は最高なのだ。
震災前年に百歳を越えて亡くなった祖父は特に鯉料理が好きで、釣ってきてくれと頼まれて出掛けていったのも一度や二度ではない。このブログの記事にも両手で抱えている図が何枚か残してあるはずだ。

話はそこから先なのだけれども、すぐに食べるのが目的で確保するもの以外は、何度かの大水で錦鯉を見かけなくなった自宅の池に入れておいたものだった。お陰で子供達が喜んで釣りにきていた大量にいたアメリカザリガニを食い尽くしてしまったようだったけれども…
そんなふうに泳がせておいた一匹がある時からおかしな動きをするようになった。長辺でも10メートルもない池の周りを(って内側だよ)ぐるぐる周回し始めたのだ。
特に餌付けしていたわけでもないので、人の気配には敏感で姿を隠すはずのものが、近くに行っても一向に動きを変えない。手を伸ばせばぐるりと回ってくる身体に触れることができるほどだ。
よく眺めてみると、背中の辺りに腫瘍のようなものが出来ており、その辺りのウロコが剥がれているので病気なのだということが判った。人が来ても応答することができず、水面を泳ぎ続けなければならないほど苦しいのだろう。直観でそう思った。無駄に泳ぎ続ければ体力を消耗してしまうし、人間や動物に捕われる状況に身を晒すのはなおさら危険なのだけれども、そんなことに構ってはいられない。

こちらにもその苦しさは充分伝わってきたのだけれども、何度も池の様子を見に行く度、徐々に泳ぎに力がなくなっていって、一週間とは持たずに旅立って行った。

もちろん食べない。

そんな我が家の池にいたコイの様子に併せて、歯の痛みに耐え兼ねて寒空の夜道を寝巻き同然で歩き続ける自分を思うのだ。

その後なんとか夜を明かすことはできたのだけれども、鏡に映す顔もあのコイのように腫れで変形していたという物語でした。

こうやっておちついてスマホを操ることができるようになったので、痛みの峠は越えつつあるようです。
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by dynabooksx | 2014-12-16 11:38 | 真也の雑記帳

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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