したくないことをするとき。

時間が迫っている、どうしてもしなくてはならないのに気乗りがしなくてどんどん追い詰められた形になるということがある。したくないことはいっそのことやらないことにするという選択もあるのだけれども、あとであの時やっておけばと振り返ることになるのも嫌だ。

自転車のトレーニングなんかも、それ自体はかなりハードで身体に負担のかかるものだから、体調や精神状態によっては着替えて自転車にまたがるまでがどうにも億劫になることがよくある。ばっちり着替えて出かけて行くときは、せっかく着替えたんだからたっぷり乗ってこよう、乗らなくてはいけないと意気込むから余計に負担に感じてしまうのだ。

人と言うのは不思議なもので、上手くことが運ぶ時は考える間もなく判断してこうどうに移しているときで、ダメなときは何度も立ち止まりながら、いつの間にか立ち止まったまま動けなくなってしまう。よく考えたらよい答えに到達できそうなものだが、考えれば考えるほど考えること、悩むこと自体にはまってしまい、ああでもないこうでもないと要らぬことを妄想することに時間を浪費してしまうことがあるのだ。

それはそれで人生であって、身動きができずに何もしていないように感じるその期間が、辛抱強さや冷静な判断力を養成したりするので決して無駄ではないと思うのだけれども、問題の解決が見いだせず悶々としている時はしんどいものだ。

なんか大げさな内容になってきてしまったのだが、書きたかったことは単純。やりたくないように感じることの中にこそ、それ自体を楽しむことを探してみること。やりたくないことは困難を伴うこと。だから、それに取り組むのはエネルギーがいるし手間がかかる。逆にそれをプロセスとして楽しみの要素として捉えなおしてしまうのだ。簡単に到達できてしまうことは、長いこと惹きつけておくことはできない。釣りであろうと恋愛であろうと、うまく行かず願い通り実現できないから夢中になるのだ。

人は未来を思い描き予測する能力を持っている。まだ実現していないことでも、良いことであろうと悪いことであろうとそのときのことを思い描き、事前に味わうことができる。楽しいことをムフフとしているうちはいいのだけれども、これがマイナスの状態で足踏み状態になった時は苦しい。まだ直面していないのに、何度も繰り返し嫌なイメージを思い浮かべて苦悶するのだ。

本人にとってそれが大事なことであればあるほど、それを忘れ去ることができないため苦痛も深く長引く。こういう時の対処法は二つ。より強い意志力でもって真っ直ぐに乗り切っていく方法と、そのことに対するこだわりを捨てる方法。まぁでも前者は、それで乗り越え得られなくなって疲れ切ってしまった上で悩んでいるのだから、実質的には後者を選択せざるをえなくなるものだ。平たく言うと「あきらめる」のだけれども、自分の心のこだわりを手放すことで、直面している課題の見え方が変わって、困難な物事に見えなくなるということも実際にある。

人は未来を味わうけれども、結局のところ生きることができるのはその時のみだから、こうでなければならないというこだわりを放棄して、その瞬間を味わい受け取って過ごすことに集中するんだ。これによって未来を思うことの呪縛から逃れることができる。あれがだめだ、これがだめだと言わずにこの瞬間を楽しむこと、自分の命がいまあって、自由な選択をできることを感謝する。そうすると、少し楽になってきてしたくないこともやってみてもいいかなという気がしてくる。いや、きっとそこにも面白いことがあるはずだ、と、、、。

大した内容でないのに長文になりました。
[PR]
by dynabooksx | 2014-11-30 08:34 | 真也の雑記帳

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30