2005年 02月 25日
最後に残るもの
朝目覚めてしばらく祈っていると、この言葉が浮かんできた。精神的に追い詰められてくると、やはり聖句が浮かんでくる。やはり私もクリスチャンなんだなぁと思った。この所、人の力の無力さを痛感している。どんなに自分でもがいても解決できない人生の泥沼を、自分や周りの人々に感じるからだ。世の中にはなんと誘惑が多いことだろう。大抵、表からはそれが危険なことだとは思われずむしろ好ましいもののように見える。気づいたときにはもうすでに遅しだ。本当に手遅れではないのだが、危険な誘惑には内側からは出られなくするような執拗なトラップが張り巡らされており、まず自力で脱出する事は出来ない。大抵は脱出しようと繰り返す度に精神が参っていき、本格的に罠にはまる。その時に、人の努力は如何に無力なものかを知るだろう。
たとえ周りから見てどんなに裕福であったり、幸せそうに見えたりしても人にはその人にしかわからない心の空洞があるものだ。絶望を感じることはどこにでもある。直接自分の事でなくとも、がんじがらめになっている人を見ると、それをどうする事も出来ない自分に失望する。希望を失っている人にとって、どんな現実的アドバイスも空言になってしまう。ああきっとその人が本当に必要としているのは、そんなことではないんだと今気づき始めた。そしてそれは私にとっても、、、、。
混沌とする世の中で、あらゆるものが移り変わってゆく。確かに信じられるものがなければ、希望は生まれず、投げやりな生き方になって行くだろう。いつまでも残るもの、、、、その通りだと思った。
by dynabooksx
| 2005-02-25 07:03