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じいさんよ、、、。

俺の爺さん。去年105歳で亡くなったずっと同じ屋根の下で暮らしていた爺さん。何故だかまた、何度も思い出すんだ。地震で揺れている最中もそうだった。まるですぐ側にいるみたいだった。築40年が経っていたって、俺が作ったって自慢していた家があんな程度の地震でつぶれるはずはないってことは分かってたよ。だから命の危険は感じずに、すぐに海の母方のじいさんを助けに行けたんだ。

あれからどうしてか何度も思い出すんだよ。人間的には色々問題があった人だったけど、喧嘩しながらも俺は好きだった。というより、俺の中身はまさしく爺さんからのものだ。強烈な好奇心、他人の痛みを無視していられない性格、同時に自分は何物であるのかということを求める強烈な渇き。俺は閃きという言葉を多用するけれども、あんたは『インスピレーション』と色々な横文字の言葉を辞書で調べて使っていたっけな。明治生まれの田舎農家の長男では考えられない突飛な存在だったよ、あんたは。親族であってもその心の内にある本質を見抜き、理解するものは少なかっただろう。最後まで自我の問題に苦しませてしまったのは、本人にしか解決できない問題とはいえ、俺の力不足だ。すまない。

今朝方もパジャマで足を組んでいる自分の様子をふと見たら、まるで自分が爺さんになったかのように、瞬間感じたんだ。俺のあと着いて来ているな?? きっと、、、。見てるなら、俺の側が断然面白いだろうもんな。刺激が多いし。


そういえば、明日は亡くなってちょうど一年。一周忌だったね。こんなことがなければ、親類みんなで集まって、俺は爺さんの思い出をいい事も悪いこともいっぱい暴露してやるところだったよ。あんたいい時に亡くなったよ、ほんと、、。原発をあそこに造ったのも俺だってよく言ってたよね。そう、うちの爺さんは、同じ双葉町(だったよな)出身の天野光晴って代議士(渡部恒三とかの先輩)と同級生で仲が良かった。第一原発を誘致する際、高台だったあの土地を視察して、ここにしようって一緒に視察したんだって話していた。あの原発がこんなことになるなんて、爺さんに見せるのはちょっと酷すぎたもんな。

去年爺さんが亡くなった時、一つの時代が終わったんだということを肌で感じた。何かが動き出したという感覚があったよ。正直もう少し踏ん張って欲しかったんだ。あそこで逝かれてしまうと、俺の荷がぐっと重くなることが分かっていたからね。でも十分頑張って楽になったんだなと、喜んで送り出したい気持ちもあった。


今年の元旦初日。わが家の裏山に代々あった氏神を俺は裏の池に沈めたんだ。もうこういうものは廣田家には必要がないと、、、。こういう土地に人を縛り付けて、呪わせるようなものとの関係を絶つのだと、、、。霊的な跡取りである俺と愛理、あと本来の後継者である兄貴の3人で行ったんだ。爺さんだったら、俺のやったことの本質を理解したはずだ。

その時に、『廣田家はまもなく終わる』ってブログに書いていたのを、いわきの仲間達は見ていて、あいつはいったい何を言っているんだろう? って皆でうわさをしていたそうだ。まぁ、結果はこの通りだ。補足として書かせてもらうと、俺が『廣田家は終わる』って書いたのは、この世としての廣田家の目的が終わって死に、新しく甦るという意味だったんだ。

あれから一年か、、、。あっという間だったような、すご~く長かったような不思議な気分だ。ふと一年前の自分は今の自分と入れ替わったとしたら、現状を理解するのにどれぐらい時間がかかるだろうか、、。大きな変化だ。でも、人生というものは本来そういったものだ。きっとわくわくして見てるんだろうな。二人の約束は忘れない。その通りになるよ、きっと。あの原発の最後は、孫がしっかり見届けるから、、、。
by dynabooksx | 2011-05-24 20:35 | 真也の雑記帳

真也の歩み、愛理の子育て日記。私たちは福島第一原発5kmの双葉町民。時代は動く。私たちはその目撃者になる。画像のペレット&薪ストーブは、真也の施工作品。新天地を暖かく燃やし照らしてくれる。
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